学位論文要旨



No 216384
著者(漢字) 田丸,博晴
著者(英字)
著者(カナ) タマル,ヒロハル
標題(和) 金属微小構造におけるプラズマ共鳴を記述する有限差分時間領域法の開発
標題(洋) Development of finite-difference time-domain method for plasma resonance in metallic nanostructures
報告番号 216384
報告番号 乙16384
学位授与日 2005.11.17
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第16384号
研究科 工学系研究科
専攻 物理工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 宮野,健次郎
 東京大学 教授 大津,元一
 東京大学 助教授 古澤,明
 東北大学 助教授 宮嵜,博司
 東京工業大学 助教授 梶川,浩太郎
内容要旨 要旨を表示する

可視域の光を金属微小構造に当てると、プラズマ共鳴による強い相互作用が起こることは古くから知られており、例えば金微粒子によるステンドグラスの赤い呈色などが有名である。このプラズマ共鳴現象は、近年急速に発展している多くの技術分野において重要な役割を果たそうとしている。

一例を挙げると、近接場光学の発展により光をその回折限界以下の領域に閉じ込めることが可能となり、それはナノフォトニクス、ナノオプティクスといった分野へと発展してきたのであるが、ここではプラズマ共鳴に伴う光の電磁場の強い空間局在性を用いてハイスループットで高局在な光操作が期待されている。別の例としては、表面増強ラマン散乱(SERS)の研究が挙げられる。1980年代前半には、プラズマ共鳴によって金属クラスター近傍に非常に強い局在電磁場発生し、それが通常非常に微弱であるラマン散乱を著しく増強するという理論的解釈が示されたが、その後この効果を用いて1分子からのラマン散乱までをも検出するほどの増強度が実験的に確認されて以来、安定して強いSERS増強をもたらす構造が盛んに探索されている。この他にも、プラズマ共鳴現象が周辺環境(誘電率) の変化に対して非常に敏感であることを利用した極限感度のセンサーなどが環境分野やバイオセンシングなどの分野で期待され、盛んに研究されている。

これらいずれにおいても、プラズマ共鳴現象は微粒子・微小構造のアンサンブルとしての性質ではなく、特定された個々の構造の効果として期待されており、具体的にどのような構造がどのような光学的性質を持つかということを、定量的に解析・設計できるようになることは緊急な課題である。

このような背景のもと、本論文ではその目的として、(1)金属微小構造におけるプラズマ共鳴現象を数値計算的手法によって定量的に記述する方法を確立するための戦略の構築、(2)実際に記述能力(とその限界)が確認された数値計算法の開発、(3) 数値計算法の定量性の実験的確認、を挙げる。具体的な数値計算法としては有限差分時間領域法(FDTD法)を扱い、プラズマ共鳴現象の記述に特化した実装と検証を行なった。

第1章で序論を記した後、第2章ではFDTD法の実装上の問題について議論し、その基本的な検証を行なった。電波工学の分野ではFDTD法は比較的確立した手法であり、実際の構造設計にもすでに使用されている。比較的小さな計算機資源で任意形状の対象について計算可能であり、時間領域の計算法であることから過渡応答などデバイス応用に有利な方法として、可視光領域での電磁場計算でも期待されている。

プラズマ共鳴現象を取り扱う上での最大の問題は、可視光領域では金属は強い誘電率分散を示すため、完全導体とは近似できないことにある。このため、基本方程式を基に実装する際には、銀や金などの現実的な誘電率分散を前提に、それらの分散関係を導入した場合に計算精度が劣化しないような展開式などを取捨選択する必要がある。

また、FDTD法が時間領域の計算法であることに起因して、現実的に実装可能な分散関係は、時間に対して指数関数的な応答関数によって近似可能なものに限られるが、銀に対してはDrude分散を、金に対してはDrude分散とLorentz分散の和を用いることによって、十分に可視域での共鳴光散乱スペクトルを再現することができることを示した。

以上のように、プラズマ共鳴現象の計算を前提とした実装上の取捨選択を行なえば、実用的なスペクトルの計算が可能となることを示した。

第3章では、計算結果が現実の現象を記述しているのかという点について、実験による検証を行なった。2章で金や銀を扱う際には、その誘電率分散はバルクでの文献値を基にしている。しかし、誘電率にサイズ効果がありうるため、そのような誘電率で計算した結果が、現実と一致するかどうかは自明ではない。

本論文では、バルクの誘電率で取り扱えると期待できる範囲について、その十分性を検証し、定量性を確立することを重視するという立場から、誘電率のサイズ効果が現れないと期待される、40 nm程度(金属中の自由電子の平均自由行程)よりも大きな粒子を扱って実験を行なった。

銀や金の微粒子をガラス基板上にまばらに配置し、走査型電子顕微鏡(SEM)を用いてその配置、形状、大きさを観察した後、SEMによって同定された個々の粒子について、暗視野顕微偏光解析実験によって、光散乱スペクトルを測定した。一方SEMから得られた形状情報を用いて、FDTD法による光散乱スペクトルの計算を行なった。また、基板や水など考えられる環境の違いによる、スペクトルへの影響なども同様にFDTD法によって評価を行なった。

実験と計算から得られた情報を詳細に比較した結果、(1)微粒子からの光散乱は、微細な形状・大きさの差異を敏感に反映する、(2)基板や表面のコンタミネーションなどの周辺環境の評価はスペクトル解釈には必須である、(3)以上を正しく考慮に入れると、散乱スペクトルのプロファイルについて、ほぼ定量的な解釈が可能である。ということが確認できた(図1)。

また、これらの検証過程において、網羅的な数値計算の結果を用いて解析的なモデルに現れるパラメータを決めるという手法が実用的に機能し、現象の物理的理解に役立つということが示された。

第4章では、解析計算を基準としてFDTD法を定量的に評価する方法の検討などへの発展について議論した。3章の実験的検証より、スペクトル形状についてはほぼ定量的な計算が可能であることが確認できたが、局所的な電場の強度の絶対値や、近接場分布については実験的検証は困難である。そこで、遠方で観測可能な物理量である光学断面積が、局所的な情報とどのように関連するかを解析的・数値計算的に調べることにより、計算精度の評価を行なった。その結果、散乱現象は体積分極による効果であるため、計算精度が得られ易いのに対し、吸収現象は局所的な電場分布の影響を強く受けるということが分かった。このため、吸収現象ではFDTD法の離散化誤差によって絶対値の精度が悪くなるという特徴的な性質が今後の解決すべき課題として確認された。

第5章に結論をまとめた。目的に対応させて述べると、実験、数値計算、解析計算を相互に連係させて検証し合うという方法論は戦略として非常に有効であることが示せた。定性的には良く知られている現象を定量的に理解しようとすることで、実験における問題(環境の制御など)、数値計算における問題(計算精度など)、解析計算の問題(モデルにおける近似の妥当性など)などがあらわになり、結果として全体の理解・精度を改善できることが示された。また、既存の定式化の範疇においても、FDTD法はプラズマ共鳴現象の定量的解析に有効であることが確認された。特に40 nm以上の構造に関しては、バルクでの誘電率分散を銀はDrude分散、金はDrude+Lorentz分散によって近似することによって、その共鳴スペクトル構造が記述できることが、実験と網羅的な計算の比較の結果として経験的に確認された。また、散乱現象については、空間分割を構造の最小曲率の1/20程度に取ることによって強度についてもほぼ精度が得られることが経験的に確認された。これは、伝播波におけるFDTD計算において、空間分割を波長の1/20程度に取ればよいという経験則に対応するものと考えられる。

今後の課題として、(1)吸収現象における電場分布や吸収強度について絶対値も含めて正しく計算する手法の開発、(2)より小さな構造に対する適用性の検証、などが残されているが、本論文で用いた戦略の有用性から、今後の過程においても、計算手法の確立だけでなく、より明確な物理的描像が得られることが期待される。

図1 上段: ガラス上の金ナノロッドの暗視光学顕微鏡像、および個別ナノロッドのSEM観察像。下段:個別ナノロッドからのプラズマ共鳴光散乱スペクトル(実線)、およびSEM像から抽出したパラメータによって計算された散乱スペクトル(丸印)。

審査要旨 要旨を表示する

金属の自由電子の疎密波であるプラズマ振動は、金属微小構造においては可視域の光に共鳴する振動数を持つ。これをプラズマ共鳴と呼び、金微粒子によるステンドグラスの呈色のように、電磁場と強く相互作用することが古くから知られていた。一方、プラズマ振動の波長は同じ振動数を持つ自由空間の光の波長に比べてはるかに短いために、金属微小構造は光の回折限界を超える空間分解能をもつ探針として、また微小領域において光学情報処理をするナノ・オプティクスの素子として、近年応用への期待が急速に高まっている。本論文は、マクスウェル方程式の数値的解法の一つである有限差分時間領域(FDTD)法を用いてプラズマ共鳴を記述する場合、計算の適用範囲はどこにあるか、またその限定要因は何かという数値計算上の限界を見極め、この計算法が応用にどこまで資することが出来るかを、数値計算、解析解、実験を比較しながら検討したものであって、全5章よりなる。

第1章は序論である。FDTD法はアンテナなど金属が完全導体として近似できる周波数領域での応用が従来多く行われてきたが、本論文では誘電率分散を正面から取り上げること、また解の正確さを解析解と実験の両面から検証することが述べられている。

第2章では、本論文で用いられるFDTD法を計算機に実装する場合の実際的な戦略について議論している。特に、プラズマ共鳴の解析をする場合、非常に広い周波数域で計算する必要があることからインパルス応答計算を採用すること、計算の実験的な検証のため遠方解を信頼性良く求めること、誘電率分散の誤差が計算結果にどのように影響するかということを数値的に検証すること、などの検討項目が挙げられている。そして、これらの項目を金と銀という典型的な金属の微小球について検討し、少なくとも半定量的に正しい結果に到るために注意すべき条件を明らかにしている。特に、散乱よりも吸収の効果が支配的になる小さな構造においては、共鳴周波数における誘電率の虚部の相対誤差が決定的に重要であるという有用な指針を見出した。

第3章では数値計算と実験の比較を行っている。計算との比較を行うためには、実験においても金属の微小球あるいは球に準ずる簡単な構造をもつ微粒子の光学応答を、孤立した単体の状態で調べる必要がある。このために、金属微粒子をガラス基板上にまばらに分散させ、これを暗視野顕微分光法により視野中の特定の輝点だけをピンホールで取り出して散乱スペクトルを測定する方法を開発した。この輝点は個々の微粒子に由来するものであるが、別途SEMで観察する事により、対応する微粒子の形状や大きさを測定することが可能である。この形状に関する測定値を使ってFDTD計算を行い、散乱スペクトルの形状や偏光依存性との比較を試みた。実際に用いた微粒子は、孤立球、二連球、ナノロッドなどであり、それぞれについて実測スペクトルを良く再現するためのキーとなるパラメータを同定し、このパラメータのみの系統的な変化として多数の実測スペクトルを数値的に再現する事に成功した。また、解析解が知られていないナノロッドについて、経験的な近似解を見出し、このような解が探索的な研究において有用であることを示した。

第4章では、数値解法としての精度の限界がどこにあるかを調べるために、球の場合についてFDTD計算と解析解を比較検討した結果を述べている。その結果、数値計算は全散乱断面積としてのスペクトルを定量的に正しく与えるものの、吸収断面積は系統的に低めに出ることが見出された。これは数値計算を行う時に滑らかな表面を凹凸のあるメッシュで表現することにより近接場が正しく評価されない効果であると推定されたが、詳細の理解には到っていない。

第5章は、前4章をまとめ、今後のFTDT計算の展望について述べたものである。

以上要するに、本論文はパソコンレベルの比較的小さな計算資源でも実用上意味のある数値計算が可能なFDTD法を用いて、金属ナノ構造のプラズマ共鳴現象の数値計算を行い、計算の信頼性について実際の問題に則して検討を加えたものであって、ナノ・オプティクスの設計および近接場領域における電磁現象の定量的な解明に資すると期待される。これらの点で、本研究は物理工学、光工学の進展に寄与するところが大きい。よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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