学位論文要旨



No 216405
著者(漢字) 田畑,和彦
著者(英字)
著者(カナ) タバタ,カズヒコ
標題(和) ゲノム情報を利用した微生物由来新規酵素遺伝子の探索と物質生産への応用に関する研究
標題(洋)
報告番号 216405
報告番号 乙16405
学位授与日 2005.12.22
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第16405号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 五十嵐,泰夫
 東京大学 教授 依田,幸司
 東京大学 教授 堀之内,末治
 東京大学 教授 葛山,智久
 東京大学 助教授 石井,正治
内容要旨 要旨を表示する

ゲノム解析の目標は、まずゲノムDNAの塩基配列を解明して体系的に固有の生物の所有する全遺伝子の塩基配列情報を明らかにし、次に各々の遺伝子が各生物においていかなる役割を担っているのかを解明し、様々な生命現象を分子レベルで明らかにしていくことである。すなわちゲノム解析研究においては、まず全遺伝子情報を解明(ゲノム構造解析)した後に、これら遺伝子産物が細胞内で、いかに発現され、どのような相手と相互作用を持ち、最終的にいかなる機能を果たしているのかを統計的に解析(ゲノム機能解析)することで、生命現象を読み解いていくことを最終目標にしている。ゲノムプロジェクトは微生物からヒトに至る多くの生物種について、世界各国で展開されており、またゲノム構造解析の技術革新の助けもあり、多くの生物種で全ゲノム構造が解明されている。そこから産生されるデータも着実に増え続けている。これらの中には大腸菌や出芽酵母などのモデル生物や各種病原性微生物を経て、特殊環境微生物やアミノ酸や抗生物質の生産菌などの工業用微生物のゲノム解明も進められている。つまり、配列データベースにはかなり広範な微生物のゲノム情報が蓄積されてきている。そして、その配列の多くは誰でもアクセス可能である。これらのデータベースは必ずしも特定の機能に注目して蓄積されたものではないが、量的に充実してくると、その膨大な配列データを用いて(in silicoで)目的とする機能を持った酵素遺伝子を選択することも、微生物由来の酵素スクリーニングの一手法になりうると考えられる。

従来、新規酵素を探索する場合は、対象酵素の活性を指標とした活性スクリーニングが定法であった。これは、自然界から多種多様な微生物を分離し、その個々に関して目的の酵素活性の有無を簡便な評価系で、大量に評価することである。しかしながら酵素反応の生成産物が不安定な場合や、活性が存在しても、評価系で陽性を示せるだけの強さが無いものは見つけられない。また活性保持株を単離できたとしても、その構造遺伝子情報を取得するための操作が必要になる。この点において、データベースを利用した探索では、候補遺伝子の抽出と同時に全長の配列情報も入手できるので省略できる。操作に関して、活性スクリーニングに比べ、データベースを用いたスクリーニングは、遥かに時間・労力・経験などを省けて非常に効率的で魅力的な方法である。

企業として、物質生産に利用すべき酵素遺伝子を新たに探索する際に重要なことは、検討を開始してから短期間のうちに、他者の特許に抵触しない物質生産に関わる酵素遺伝子を取得することである。また最も望ましくは、全く未知の新たな活性を有する酵素遺伝子を取得できることである。今回は、以上の目標を達成するために、従来の活性スクリーニングではなく、微生物ゲノム情報を利用した in silico でのスクリーニングを実践し目的酵素遺伝子の効率的な取得を試みた。

第1章 新規GlcNAc 2-epimerase遺伝子のクローニングとシアル酸生産への応用

新たなシアル酸酵素的生産プロセスを検討した場合、安価なGlcNAcを出発基質とした2段階の酵素反応系が望ましいと考えられた。しかしGlcNAcからManNAcへのエピメリ化を触媒するGlcNAc 2-epimeraseに関しては、先行他社がブタより初めて酵素の構造遺伝子をクローン化しており、特許化されていた。そこで鍵酵素となるGlcNAc 2-epimeraseに関して、特許の抵触を回避すべく、他の生物種特に微生物由来の酵素遺伝子探索を行った。最近GlcNAc 2-epimeraseは、高等動物由来のレニン結合タンパク質(RnBP)と同一である事が確認されている。そこで微生物ゲノムのデータベースにおいて、このブタおよびヒト由来のRnBPの配列情報をもとに、ホモロジー検索を実施し候補遺伝子の抽出を試みた。その結果、先にかずさDNA研究所において全ゲノム構造が解明されたラン藻(Synechocystis sp. PCC6803)の機能未知ORF(slr1975)に高い相同性があるのを確認した。そしてこの機能未知遺伝子を大腸菌で過剰発現させ酵素活性を評価したところ、目的のGlcNAc 2-epimerase活性を確認した。また組換え型精製酵素の解析により、既知の高等動物由来の酵素と非常に近似した性質であった。GlcNAc 2-epimeraseはRnBPと同一であることから高等動物特有のものであるとされがちで、微生物を対象とした活性スクリーニングを行うことは考え難い。しかし、ゲノムデータベースを利用したスクリーニングでは、利用しうる全生物種を対象に一括検索でき、初めて微生物であるラン藻に、GlcNAc 2-epimeraseの存在を確認できた。また候補遺伝子の抽出と同時に対象遺伝子の全長配列も取得できたため、簡便に発現強化体を作成でき、目的活性の有無を評価できた。

この酵素活性を利用して、これまでシアル酸の生産に利用されていないシアル酸合成酵素との組み合わせでの生産プロセスの構築を検討した。その結果、2種の酵素を組換え発現した大腸菌菌体と糖代謝能が強いCorynebacterium ammoniagenes の培養菌体を酵素源にした菌体反応において、最大12 g/lのシアル酸の生成蓄積が確認できた。

第2章 乳酸菌由来メバロン酸生合成酵素遺伝子群を発現した組換え大腸菌によるメバロン酸生産

大腸菌は非メバロン酸経路を通じてイソプレノイド生合成を行う。それゆえ大腸菌はメバロン酸を生成または代謝する能力はないという事である。また、メバロン酸自身はアセチルCoA を基質に重合して生成するため、大腸菌を宿主にメバロン酸生合成酵素遺伝子活性を増強させれば、高い生産性で、かつ安定にメバロン酸を生産できるのではないかと考えられた。

メバロン酸経路を有するものとして真核生物の細胞質、酵母、カビと一部の細菌が挙げられる。大腸菌での発現を想定すると、そのコドン使用頻度からも微生物由来のものが望ましい。そこで乳酸菌をメバロン酸生合成酵素の遺伝子源にした。微生物ゲノムプロジェクトの中には乳酸菌に関するものも含まれ、全ゲノムが解明されたものもある。それらの中でメバロン酸生合成に関わるオーソログ遺伝子群を抽出し、クローニングを試みた。全ゲノム配列が解明されている場合、その機能と構造的特徴が明らかな酵素に関しては、容易にそのホモロジーから同定できる。このような遺伝子の機能分類はデータベース上で統計的に行われており、該当する遺伝子の抽出は容易なことである。

この乳酸菌由来のメバロン酸生合成酵素遺伝子群(acetyl-CoA acetyltransferase, HMG-CoA synthetase, HMG-CoA reductase )を発現した組換え大腸菌株は、通常酢酸生成に向かっていた代謝を、メバロン酸の生合成へ転換して効率的に分泌生産できることを確認した。そしてJarでのフェドバッチ培養を行った結果、メバロン酸47 g/l(培養50時間、対糖収率25 %)という、これまでにない高い生産性を確認できた。

第3章 新規ジペプチド合成酵素遺伝子のクローニングとジペプチド生産への応用

新規ジペプチド(L-Ala-L-Gln)合成酵素の探索を行った。これまでに遊離のL-アミノ酸からAlaGlnを直接合成する酵素活性を有するものは確認されていない。また産物であるジペプチドの不安定性(ペプチダーゼ、プロテアーゼにより分解されやすい)より、従来の活性スクリーニングでは活性保持株の検出が困難であると考えられた。その上活性自体が未知であり、対象となる酵素の遺伝子情報どころか存在の有無も不確定であるため、ゲノム情報を利用したスクリーニングを行う事は不可能と考えられた。そこで、既知のペプチド結合形成反応の情報を収集し、あるべき対象酵素の仮説を立ててデータベース検索を行うことにした。最近多く報告されるNRPS (nonribosomal peptide synthetase)ではなくグルタチオン合成酵素を始めとする非NRPSのペプチド結合形成酵素は、その構造的特徴からスーパーファミリーを形成している。それらに共通のATP-graspドメイン構造を有する遺伝子を抽出し、次に機能が未同定のものに絞込み、最後に唯一α-ジペプチド合成活性を持つD-Ala-D-Ala ligaseとのホモロジーが確認できるものを選択した。その結果、全ゲノムの解明された枯草菌B. subtilisのywfE 遺伝子を抽出するに至った。このywfE 遺伝子は、ジペプチド抗生物質であるBacilysinの生合成クラスター内に存在するため、Bacilysin合成酵素遺伝子に相当する可能性が示唆された。この遺伝子産物はATP依存的に遊離のL-Ala, L-GlnからAlaGlnを合成する活性を有することを確認した。このような活性を有する酵素を見出したのは世界で初めての事である。このように、本来実在(活性と遺伝子情報が一致する)していない酵素遺伝子に関してでも、その類縁反応を触媒する酵素の反応機構とそこから推測される構造的特徴を想像し、その仮説に基づいて機能未同定遺伝子の中から選別を行うことで候補遺伝子を抽出でき、さらに未知活性酵素遺伝子を短期間で同定できることを実証した。

組換え型酵素の性質解析の結果、他の遊離アミノ酸の組合せでもジペプチドの生成が確認でき、汎用的なジペプチド生産への応用の可能性を示せた。

審査要旨 要旨を表示する

本研究の目的は微生物ゲノム情報を利用した新規酵素遺伝子の探索とそれを利用した物質生産プロセスの構築である。従来、新規酵素を探索する場合は、対象酵素の活性を指標とした活性スクリーニングが定法であったが、操作自体に大量の労力を必要とし、活性陽性株が取得できても、その酵素遺伝子の配列情報を取得するための更なる操作が必要になるなど、目的達成に大きな時間を要するという欠点があった。この点において、データベースを利用した探索では、検索すべき情報さえあれば、労せずして候補となる対象遺伝子の全長の配列情報が得られる。操作に関して、活性スクリーニングに比べ、データベースを用いたスクリーニングは、遥かに時間・労力・経験などを省けて非常に効率的で魅力的な方法である。

工業生産に利用すべき酵素遺伝子を新たに探索する際に重要なことは、検討を開始してから短期間のうちに、他者の特許に抵触しない物質生産に関わる酵素遺伝子を取得することである。また最も望ましくは、全く未知の新たな活性を有する酵素遺伝子を取得できることである。この目標を達成するために、微生物ゲノム情報を利用した新規酵素遺伝子の探索を実践し、新たな物質生産プロセスの構築を試みた。

既知酵素の配列情報を基に広範囲の生物種のゲノム情報からの探索

序章に続き、第1章では新たなシアル酸酵素的生産プロセスの構築のため、その鍵酵素となるGlcNAc 2-epimeraseに関して、酵素遺伝子探索を行った。この酵素は、先行研究によりブタ由来の酵素遺伝子がクローン化されており、また特許化されていることから、他の生物種特に微生物由来の酵素遺伝子探索を行った。その結果、全ゲノム構造が解明されたラン藻(Synechocystis sp. PCC6803)の機能未知ORF(slr1975)に高い相同性を示すものがある事がわかった。この組換え型酵素を評価したところ、目的の活性を有し、既知の高等動物由来の酵素と非常に近似した性質である事が確認された。

このラン藻由来新規GluNAc 2-epimerase の活性を利用して、これまでシアル酸の生産に利用されていないシアル酸合成酵素を組み合わせた生産プロセスの構築を検討した。その結果、2種の酵素を組換え発現した大腸菌菌体と糖代謝能が強いC. ammoniagenes の培養菌体を酵素源に菌体反応において、最大12 g/lのシアル酸の生成蓄積が確認できた。

既知酵素をデータベースの機能分類を利用して対象菌株からの探索

第2章では、大腸菌を宿主として、メバロン酸生合成酵素遺伝子群をクローニングし組換え発現させ、宿主の解糖系から供給されるacetyl-CoAを利用したメバロン酸生産の検討を行った。乳酸菌由来のメバロン酸生合成酵素群を発現した組換え大腸菌株は、通常酢酸生成に向かっていた代謝を、メバロン酸の生合成へ転換させ効率的に分泌生産できることを確認した。そして、Jarでのフェドバッチ培養を行った結果、最大でメバロン酸47 g/l(培養50時間、対糖収率25%)の生成蓄積が確認できた。

未知活性酵素の構造的特徴の仮説を基に機能未知遺伝子からの探索

第3章では、新規ジペプチド合成酵素の探索を行った。これまでに遊離のL-アミノ酸からα-ジペプチドを直接合成する酵素活性を有するものは確認されていない。そこで、既知のペプチド結合形成反応の情報を収集し、あるべき対象酵素の仮説を立ててデータベース検索を行うことにした。ATP-graspドメイン構造を有する遺伝子を抽出し、次に機能が未同定のものに絞込み、最後に唯一α-ジペプチド合成活性を有するD-Ala-D-Ala ligaseとのホモロジーが確認できるものを選択した。その結果、全ゲノムの解明された枯草菌B. subtilisのywfE 遺伝子を抽出するに至った。この遺伝子産物はATP依存的に遊離のL-Ala, L-GlnからAlaGlnを合成する活性を有することを確認した。このような活性を有する酵素を見出したのは世界で初めての事である。

また組換え型酵素の性質解析の結果、他の遊離アミノ酸の組合せでもジペプチドの生成が確認でき、汎用的なジペプチド生産への応用の可能性を示せた。

ゲノム解析研究は、現在ではヒトゲノムの完成に至っている程であり、今後益々ゲノム情報を利用した遺伝子探索を行う環境は充実して来ている。一生物種の全ゲノムが解明され、そこにある遺伝子の存在が予測されても、現状では、その半数以上が機能未知の遺伝子として残されている。これらの中には、我々がこれまで想像もしていないような、新たな活性を有する酵素遺伝子が含まれている可能性がある。これらの中から、如何にして新規酵素を発見するかは、研究者の検索条件設定の気転と想像力によるところであり、今後益々用いられるべき実験手法になるであろう、と考察された。

以上本研究は、ゲノム情報を最大限に利用した微生物由来新規酵素の探索、およびそれを実際の物質生産に利用した先駆的研究として、学術的さらには産業応用的に貢献するところが多い。よって審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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