学位論文要旨



No 216412
著者(漢字) 近藤,みゆき
著者(英字)
著者(カナ) コンドウ,ミユキ
標題(和) 古代後期和歌文学の研究
標題(洋)
報告番号 216412
報告番号 乙16412
学位授与日 2006.01.18
学位種別 論文博士
学位種類 博士(文学)
学位記番号 第16412号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 渡部,泰明
 東京大学 教授 多田,一臣
 東京大学 教授 藤原,克巳
 上智大学 教授 西澤,美仁
 東京外国語大学 教授 村尾,誠一
内容要旨 要旨を表示する

本論文は、平安遷都から後期摂関時代が終焉を迎える11世紀半ばまで、和歌史においては古今・後撰・拾遺の三代集とそれに続く後拾遺集時代の前半期、歴史学では古代後期と区分される時代における和歌史の諸事象について考察を行ったものである。古代後期の和歌文学において最大の出来事となったのは、第一番目の勅撰和歌集『古今和歌集』の成立である。同集は延喜五年(九〇五)年、醍醐朝期に成立するが、それは以後の文学はもとより、貴族の言語生活や文化全般に広く影響を及ぼしていく。特にこの古代後期は、『古今和歌集』が体現するところの美的言語や美意識の受容と展開、和歌的様式美の確立、更にその様式からの逸脱やアンチテーゼの模索が同時並行的に進行し、政治や他ジャンルの文学とも相関しながら史を織りなしていった時代にあたる。歴史・文化との連動、言語生活的側面、歌人層の拡大など、その実相には様々な側面があるが、本論文では、次の四つの観点を立論の中心において研究考察を行った。

一、古今的規範の形成と継承の問題。

二、新風を形成する母胎となった場、あるいはその担い手の歌人への注目。

三、和歌を生成するものとしての中国文学からの影響の具体相。

四、和歌の本質・規範に関わるものとしての「女性」の問題。

すなわち規範・新風・和漢比較・女性が本論文のキーワードということになる。

序章では、こうした観点から、『古今和歌集』の成立以後の、10〜11世紀の和歌史の展開について、転換期の様相や問題の所在を確認しながら論述した。

続く第一章「河原院文化圏と初期定数歌群」では、規範に対する逸脱や新たな表現の追求がどのような場においてなされたか、後撰集時代に発生した特徴的な詠歌の場である河原院文化圏と、新しく創出された詠歌形式である百首歌・定数歌に注目し、安法法師・曽禰好忠・源順・恵慶法師・源重之・和泉式部ら当代の気鋭の歌人たちが展開した和歌の特質とその和歌史的意義を明らかにした。古代律令体制において、天皇による最後の文化的画期を築いた村上の時代に、古今的歌風からの逸脱が最も確かな形を取るのがこれらの文化圏・定数歌の世界である。古代後期の終焉に、新しい発想と「ことば」がどのように獲得されていったのか、本章では特に、漢詩文受容、場と脱俗、歌ことばの三つの問題に注目し分析した。第一・二節では河原院に参集する歌人たちならびに初期定数歌歌人たちの和歌表現における連帯関係、相互関係を指摘し、河原院文化圏という歌人集団のとらえ方を提案するとともに、そこにおいて生成された和歌表現の様相と後代への影響を具体例に取り上げ、村上朝期から一条朝期にかけての本朝漢詩文とも相関する表現史の流れの中で捉えた。第三節では、村上朝期には寺院でもあった河原院の「交流の場」としての役割に着目し、その実態や意義を検討した。また第四節では、俗語や万葉語・万葉異訓など特殊な語を持つ歌を多く収載し、当代の歌語体系に大きな影響を与えた日本初の部類和歌集『古今六帖』について、同書の河原院・初期定数歌圏での受容の実態という観点から考察し、古今的枠組みを外れる語が表現を揺り動かしていく過程を明らかにするとともに、『古今六帖』の成立について私見を述べてた。

第二章「漢詩文受容と和歌」では、和歌表現の変容に根深く関わる事象として、外来文学の受容の問題、特に漢詩文受容の問題について、後期摂関時代を主な考察対象とし、和歌が外来の文学・美意識とどう交渉し、古今的表現体系からの脱規範を遂げていったかについて、新たな出典の掘り起こしを重ねながら明らかにした。第一節では、平安時代の漢詩文受容の中核でもあった白居易受容について、摂関期和歌での実態を調査し考察した。具体的には、当期の私家集を精査し、白詩の影響を受けたと考えられる和歌をその典拠詩とともに網羅的に検証し、平安中期において歌人たちの間に「佳句取り」志向が急速に高まっていくこと、当期歌人たちの白居易受容には『千載佳句』が大きな役割を果たしていること、また拾遺集時代には望郷・閑居・嘆老・眺望など白居易的な主題が、特に村上朝期後半から後期摂関時代に新しく登場する歌人層である兼作歌人たちによって展開され始めることなどを指摘した。続く第二・三・四節では、そうした新しい歌人層である兼作歌人の中でも、和歌史上の問題が大きい源道済(拾遺集時代)、源経信(後拾遺集時代)の漢詩文受容の実態につき、個別の表現に即しながら、叙景歌や晴の歌の問題、本朝漢詩文との相互影響、屏風詩と屏風和歌の問題など、広く日本文学における表現史の問題として考察した。また、女流歌人がいかに中国文学を受容したかについて、平安時代を代表する女流歌人である和泉式部と小野小町を取り上げ、調査によって新たに得た典拠関係を指摘するとともに、各自の固有の達成について論じた。特に小野小町については、漢詩文以上にその和歌に影響を与えたものとして、「夢の歌」における仏教受容について、新たな見解を示した。

女性と和歌に関するいくつかの問題を考察したのが第三章「転換期の女流歌人―相模を中心として―」ならびに第四章「「歌ことば」に見る規範の形成」である。

第三章では、後期摂関時代において新風和歌を積極的に展開した女流歌人である相模について論じた。『後拾遺集』において、男性歌人を押さえ、和泉式部に次ぐ入集数第二位の歌人となった相模は、後朱雀後冷朝期歌合において最も活躍した女房歌人である。それと同時に一方では相模は、初期定数歌の最後の詠み手でもあるなど、後撰・拾遺時代の文学の流れを強く伝える存在でもあり、かつ特異な形態の独詠家集を残すなど、その人生と創作活動は、転換期の、そして女流と文学を考える上での様々な問題を内包している。第一節では、その生涯について、歌壇史的観点から再検証を試みた。『御堂関白記』『小右記』『平安遺文』などの史料からその伝に関わる資料を新たに集成し、それらに即して従来の伝記研究での指摘を批判し、母方の慶滋氏の問題とその影響、大江公資・藤原定頼との関係、和泉式部との交友関係や出仕先・脩子内親王周辺の問題など伝の詳細を実証的に論じた。第二節・第三節では、従来の研究で見過ごされてきた問題として、一首一首の和歌を詠むことの更に上位にある文学行為として、家集・歌群の構成、百首歌、独詠家集の創出、題詠歌の問題を取り上げ、和泉式部からの継承という点に注目しながら、その史的意義を明らかにした。具体的には、第二節では、自撰家集流布本『相模集』中に、夫・公資と秘密の恋人・定頼との三角関係をつづった60首ほどの歌群があることを指摘すると同時に、古記録との比較から当該歌群が実際には数年にわたった体験を、ある年の初夏から晩秋の出来事として描出した虚構化、物語化の強いものであることを明らかにした。あわせてその物語化の方法には、特に『和泉式部日記』からの影響が強いことを指摘したが、第三節では、和泉式部から相模へという女流歌人間の交流と自己表現の方法の模索という問題に焦点をしぼり、百首歌とその表現、女性の表現方法としての「手習」の文体の形成、女性の題詠恋歌における「思」題と題意の形成について論じた。

第四章では、『古今和歌集』の規範性について、その歌の「ことば」をジェンダーの構築という観点から分析・考察した。古代後期、貴族社会においても男女の枠組みは大きく変貌を遂げる。家父長制の浸透、それにともなう家や婚姻の形態の変化、平安朝的な後宮の形成などが進行する時代状況の中で、平安京の美的規範として成立した『古今集』は、性差の規範を美意識という記号として確立した点においても史的意味を持つと考えられる。従来の和歌表現論においては、こうした美的言語表象それ自体がの内包するジェンダーという観点からの研究はほとんどなされてこなかったが、本章ではこの問題について取り組み、新たなの成果を得た。その際、近年めざましく環境の整ってきた古典文学のデータベースを活用し、かつ新しい情報処理理論を応用することを試みた。第一節ではN-gram統計処理によった文字列総比較という情報処理の手法を応用することを提案し、『古今和歌集』の和歌を計算機によって徹底分析し、文字列の単位で男性独自の表現、女性独自の表現を抽出した。その具体的な結果によって、同集の「ことば」には男女の領域の別があったことを明らかにし、歌の「ことば」における男性性・女性性の構築や、男性・女性それぞれの「ことば」の型、比喩や配列とジェンダーの問題、古今的表現にみとめられるような王朝和歌におけるジェンダー性の構築が特に進んだ時期やその時代背景などについて論じた。なおN-gram統計によった語の分析には、長尾眞(京都大学)・森信介(IBM研究所)の開発したソフトウエアを用いたが、本研究は同統計分析ならびに同ソフトウエアを古典文学研究に応用した最初の研究となっている。また第一節で抽出した「ことば」のうち、言語表象としての和歌とジェンダーの問題として特に意味が大きいと考えられる「我が身」「恋」について、それぞれ第二節・第三節で詳しく検討し、古今的規範の表現史における受容過程、男性性・女性性の構築過程を分析し論述した。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、古代後期(平安遷都から十一世紀半ばまで)の和歌文学について、歌人相互の関連と漢詩文からの影響を重視しつつ、その表現の特質を解明しようとするものである。まず序章において古代後期和歌史全体を展望し、その特色を指摘したのち、本論を四つの章から構成する。

第一章「河原院文化圏と初期定数歌人群」は、河原院を交流の場とした歌人たちの表現がどのようにして生成したかの解明を主眼とする。恵慶・曽禰好忠・源道済の漢詩文受容を具体的に分析する中から、各個の独自性や影響関係を明らかにし(第一節)、彼らの眺望の歌が中国・日本の漢詩文を背景にすることを多くの事例によって証明し(第二節)、また河原院が隠者文学の始発ともいえる交流の場となったことを指摘する(第三節)。第四節は、『古今和歌六帖』の特異語を私家集と比べつつ数量分析し、それらが曽禰好忠らに影響を与えたことを解明し、あわせてそこから同書の成立に関する新見をも提示する。

第二章「漢詩文の受容と和歌」は、一条朝前後の和歌の漢詩文受容の具体相を分析する。第一節はこの時期の白楽天受容を一覧整理した労作で、これを受けた第二節は源道済の漢詩文受容の方法を抽出し句題詠法と名付け、それを和泉式部などにも共通する方法だと見る。またその道済の参加した「寛弘五年或所屏風」の成立や、その和歌の漢詩からの影響を分析する(第三節)。第四節は一条朝期から院政期への漢詩文の叙景表現の変化を指摘し、それが源経信の和歌の変化にも対応しているとの創見を示す。第五節は和泉式部の漢詩文受容の初期環境としての河原院文化圏の重要性を指摘する。

第三章「転換期の女流歌人―相模を中心として―」は、後朱雀後冷泉朝期を代表する歌人相模について、その伝記を細密に分析する中から、相模国からの帰国の年次や叔父為政との関わりなどを新たに解明し(第一節)、家集流布本『相模集』の物語的手法を析出し(第二節)、その詞書の文体を文学史的に定位する〈手習の文体〉なる視点を提示する(第三節)。いずれも緻密な実証に基づく成果で、従来の研究史を更新したものである。

第四章「「歌ことば」に見る規範の形成と受容」は三節から成るが、いずれも、Nグラム集合分析と名付けられた著者の考案する歌ことばの統計分析法を駆使し、『古今集』の歌ことばに男女の性差が存在することを初めて明確に示したうえで、その文学史的意義を論じている。

本論文は、古代後期の和歌文学について、徹底して実証的な方法に基づき、個々の歌人の伝記・人物関係・表現方法について多くの具体的な新事実を明らかにする。のみならず、『古今集』という規範を乗り越え、和泉式部・相模などの作品に見られる優れた達成へとつながってゆく文学史的な必然性をも解明したものと評価することができる。

本論文は、題目に比して古今集時代の歌人への言及に物足りないものがあり、また第四章などに更なる方法的整備が求められるなどの難点もあるが、本審査委員会は上記のような研究史的意義を認め、本論文が博士(文学)に十分値するとの結論に至った。

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