学位論文要旨



No 216413
著者(漢字) 杉浦,宗敏
著者(英字)
著者(カナ) スギウラ,ムネトシ
標題(和) 癌化学療法における副作用防止を目的としたrhG‐CSF製剤の適正使用法
標題(洋)
報告番号 216413
報告番号 乙16413
学位授与日 2006.01.18
学位種別 論文博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 第16413号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 鈴木,洋史
 東京大学 教授 関水,和久
 東京大学 教授 杉山,雄一
 東京大学 助教授 東,伸昭
 東京大学 助教授 西山,信好
 国際医療福祉大学 教授 伊賀,立二
内容要旨 要旨を表示する

癌化学療法で使用される抗悪性腫瘍剤の副作用は様々だが、多くの薬剤で骨髄抑制による好中球減少症が頻発しており、この好中球減少症に起因する感染症発症が治療の継続を妨げることも多い。しかし近年、フィルグラスチムを始めとする遺伝子組換えヒト顆粒球コロニー刺激因子(rhG-CSF)が臨床に登場し癌化学療法施行時に頻発する好中球減少症を軽減するために繁用されるようになった。rhG-CSFの主な生物作用は、好中球の分化、増殖や遊走、貧食などの機能亢進と考えられる。これらの作用はhG-CSFが標的細胞表面に存在する特異的受容体(G-CSF受容体)に結合することにより発現が促される。つまり、hG-CSFが骨髄好中球前駆細胞(G-CFU)表面に存在するG-CSF受容体に結合すると受容体が重合し、重合した受容体の細胞膜近傍領域に結合しているチロシンキナーゼ活性をもつJAK( Janus family kinase)が活性化する。活性化したJAKは、シグナル伝達物質STAT(signal transducers and activators of transcription)を認識し、重合するレセプターに引き寄せリン酸化する。活性化されたSTATは受容体から離れ、シグナル伝達物質として核内へ移動し特定の遺伝子転写を促し、好中球増殖作用を発現する。したがって、hG-CSFの好中球増殖作用は標的細胞であるG-CFU表面に存在するG-CSF受容体との結合のみでなく、JAK、STATの活性化を始めとする一連の細胞内シグナル伝達強度を反映するものと考えられる。以上から本研究では、フィルグラスチムの作用メカニズムと考えられる標的細胞内のシグナル伝達(JAK-STAT系)を考慮したPK-PDモデル(薬物-受容体-効果器3元複合体モデル)を構築し、非線形性を示す好中球増殖作用についてin vitro データとin vivoデータを結び付けた解析を試みた。

健常人におけるフィルグラスチムによる好中球増殖作用の動態論的解析

フィルグラスチムは通常、臨床では静脈内または皮下で投与されるが、皮下投与でバイオアベイラビリティが低いにも関わらず、同じ投与量の静脈内投与に比較して好中球増殖作用が強くかつ持続することが知られている。この現象を説明するために、フィルグラスチムの細胞内シグナル伝達経路を含む好中球増殖作用の発現機序に即して薬物-受容体-効果器3元複合体モデルを構築した。3元複合体モデルでは、薬効の発現過程に薬物-受容体の結合に加えて、もう1つの飽和性の反応を仮定することから、より柔軟に反応を表現できる可能性を有する。一方で、従来から検討に用いられてきたEmaxモデルおよびシグモイドEmaxモデルに比べ、パラメータの増加による解析の不安定化の懸念が生じた。本研究では、実データをこれらのモデルで定量的に解析し、モデル間の比較を行った。なお、フィルグラスチムとG-CSF受容体との親和性に関するパラメータはヒト末梢血中好中球を用いたin vitro試験より得られた結果を用いた。また、フィルグラスチムの濃度と好中球増殖促進作用との関係は、骨髄好中球前駆細胞を用いたin vitro実験のデータを用いた。これらのデータとヒトのフィルグラスチムのPKデータから、患者のin vivoの好中球増殖作用を矛盾無く説明するために、フィルグラスチムについてPK/PDの関係をin vitroからin vivoに外挿することが可能かを検討した。

従来から解析に用いられているEmaxモデル、シグモイド Emaxモデルを使用したPK-PDモデルで解析を行ったところ、フィルグラスチムを0.5-1.0μg/kg静脈内または皮下反復投与した時の好中球推移データを再現できた。一方、フィルグラスチムの好中球増殖作用の発現機序に即した3元複合体モデルを使用したPK-PDモデルで解析を行ったところ、好中球推移データを同様に再現できた。Emaxモデル、シグモイド Emaxモデルおよび3元複合体モデルによる解析を単回投与および反復投与におけるシミュレーションライン、フィッティングラインのAICで比較したところ、モデル間に顕著な差は無かったが、総合的にはシグモイド Emaxモデルが良好に好中球数推移を再現していた。以上から、従来から用いられているEmaxモデル、シグモイド Emaxモデルにより、健常人におけるフィルグラスチムの好中球増殖作用は十分に解析が可能と考えられたが、臨床における実質的な導入を考慮すると同様な解析が可能だった3元複合体モデルによる解析も有用であることが示唆された。

癌化学療法施行時に併用されるフィルグラスチムの投与方法と好中球増殖作用の解析

臨床ではフィルグラスチムは、癌化学療法施行患者の好中球減少症に対してグレード3(好中球数<1000 cells/mm3または白血球<2000 cells/mm3)以上の毒性が発現した時点で投与が可能となる。しかし、投与開始時期や投与期間などは経験的に決定されることも多くその適正な使用について十分な検討がなされていないと考えられる。一方、健常人においてフィルグラスチム静脈内および皮下投与後の好中球数推移を、in vitroデータとin vivoデータを結び付けたPK-PDモデルによって解析し、血漿中濃度と好中球増殖作用の関係について定量的な説明を可能とした。本研究では、癌化学療法を施行する患者にフィルグラスチムを反復投与で併用した時の好中球推移を抗悪性腫瘍剤による好中球増殖抑制率を考慮して再構築したEmaxモデル、シグモイドEmaxモデルおよび薬物-受容体-効果器3元複合体モデルにより定量的に解析し、解析結果の臨床における有用性について検討した。なお、癌化学療法を施行した患者では、抗悪性腫瘍剤により好中球の増殖が抑制されていることから、好中球前駆細胞(G-CFU)数が抗悪性腫瘍薬により一次速度で抑制され一次速度で回復するものと仮定した。癌化学療法施行後に好中球数を頻回測定していた卵巣癌患者3例および肺癌患者2例の好中球推移データをそれぞれ再構築したモデルにあてはめ、各患者の抗悪性腫瘍剤による好中球増殖抑制速度定数および好中球増殖抑制回復速度定数を算出しフィルグラスチムを併用投与した時の好中球数推移をそれぞれ予測し、実測値と比較した。

再構築したモデルを用いて癌化学療法が施行された肺癌または卵巣癌患者にフィルグラスチムを併用投与した時の好中球数の推移を解析したところ、G-CFU数の回復が十分な患者の癌化学療法施行直後からフィルグラスチム投与開始以降の好中球数推移がいずれのモデルにおいても同様に再現でき、フィルグラスチムの適正な投与設計への応用が示唆された。Emaxモデル、シグモイド Emaxモデルおよび3元複合体モデルによる解析を各患者におけるフィッティングラインのAICで比較すると、大きな相違は見られなかった。再構築したモデルはG-CFUが豊富に存在する健常人の解析で算出されたパラメータを使用していることから、G-CFU数の回復が不十分な固形癌患者や白血病患者ではフィルグラスチム投与開始以降の好中球数推移が十分に再現できなかった。これらの患者における好中球数推移の予測を可能とするためにはフィルグラスチムのクリアランスに影響を与える種々の因子や造血幹細胞の回復過程の詳細をさらに考慮する必要性が考えられた。

以上のように、本研究結果は、臨床におけるG-CSFの投与設計に論理的基盤を与えるものであり、今後の治療を考える上でも有益な情報を与えるものである。

審査要旨 要旨を表示する

癌化学療法で使用される抗悪性腫瘍剤の副作用は様々だが、多くの薬剤で骨髄抑制による好中球減少症が頻発しており、この好中球減少症に起因する感染症発症が治療の継続を妨げることも多い。しかし近年、フィルグラスチムを始めとする遺伝子組換えヒト顆粒球コロニー刺激因子(rhG-CSF)が臨床に登場し癌化学療法施行時に頻発する好中球減少症を軽減するために繁用されるようになった。rhG-CSFの主な生物作用は、好中球の分化、増殖や遊走、貧食などの機能亢進と考えられる。これらの作用はhG-CSFが標的細胞表面に存在する特異的受容体(G-CSF受容体)に結合することにより発現が促される。つまり、hG-CSFが骨髄好中球前駆細胞(G-CFU)表面に存在するG-CSF受容体に結合すると受容体が重合し、重合した受容体の細胞膜近傍領域に結合しているチロシンキナーゼ活性をもつJAK( Janus family kinase)が活性化する。活性化したJAKは、シグナル伝達物質STAT(signal transducers and activators of transcription)を認識し、重合するレセプターに引き寄せリン酸化する。活性化されたSTATは受容体から離れ、シグナル伝達物質として核内へ移動し特定の遺伝子転写を促し、好中球増殖作用を発現する。したがって、hG-CSFの好中球増殖作用は標的細胞であるG-CFU表面に存在するG-CSF受容体との結合のみでなく、JAK、STATの活性化を始めとする一連の細胞内シグナル伝達強度を反映するものと考えられる。以上から本研究では、フィルグラスチムの作用メカニズムと考えられる標的細胞内のシグナル伝達(JAK-STAT系)を考慮したPK-PDモデル(薬物-受容体-効果器3元複合体モデル)を構築し、非線形性を示す好中球増殖作用についてin vitro データとin vivoデータを結び付けた解析を試みた。

健常人におけるフィルグラスチムによる好中球増殖作用の動態論的解析

フィルグラスチムは通常、臨床では静脈内または皮下で投与されるが、皮下投与でバイオアベイラビリティが低いにも関わらず、同じ投与量の静脈内投与に比較して好中球増殖作用が強くかつ持続することが知られている。この現象を説明するために、フィルグラスチムの細胞内シグナル伝達経路を含む好中球増殖作用の発現機序に即して薬物-受容体-効果器3元複合体モデルを構築した。3元複合体モデルでは、薬効の発現過程に薬物-受容体の結合に加えて、もう1つの飽和性の反応を仮定することから、より柔軟に反応を表現できる可能性を有する。一方で、従来から検討に用いられてきたEmaxモデルおよびシグモイドEmaxモデルに比べ、パラメータの増加による解析の不安定化の懸念が生じた。本研究では、実データをこれらのモデルで定量的に解析し、モデル間の比較を行った。なお、フィルグラスチムとG-CSF受容体との親和性に関するパラメータはヒト末梢血中好中球を用いたin vitro試験より得られた結果を用いた。また、フィルグラスチムの濃度と好中球増殖促進作用との関係は、骨髄好中球前駆細胞を用いたin vitro実験のデータを用いた。これらのデータとヒトのフィルグラスチムのPKデータから、患者のin vivoの好中球増殖作用を矛盾無く説明するために、フィルグラスチムについてPK/PDの関係をin vitroからin vivoに外挿することが可能かを検討した。

従来から解析に用いられているEmaxモデル、シグモイド Emaxモデルを使用したPK-PDモデルで解析を行ったところ、フィルグラスチムを0.5-1.0μg/kg静脈内または皮下反復投与した時の好中球推移データを再現できた。一方、フィルグラスチムの好中球増殖作用の発現機序に即した3元複合体モデルを使用したPK-PDモデルで解析を行ったところ、好中球推移データを同様に再現できた。Emaxモデル、シグモイド Emaxモデルおよび3元複合体モデルによる解析を単回投与および反復投与におけるシミュレーションライン、フィッティングラインのAICで比較したところ、モデル間に顕著な差は無かったが、総合的にはシグモイド Emaxモデルが良好に好中球数推移を再現していた。以上から、従来から用いられているEmaxモデル、シグモイド Emaxモデルにより、健常人におけるフィルグラスチムの好中球増殖作用は十分に解析が可能と考えられたが、臨床における実質的な導入を考慮すると同様な解析が可能だった3元複合体モデルによる解析も有用であることが示唆された。

癌化学療法施行時に併用されるフィルグラスチムの投与方法と好中球増殖作用の解析

臨床ではフィルグラスチムは、癌化学療法施行患者の好中球減少症に対してグレード3(好中球数<1000 cells/mm3または白血球<2000 cells/mm3)以上の毒性が発現した時点で投与が可能となる。しかし、投与開始時期や投与期間などは経験的に決定されることも多くその適正な使用について十分な検討がなされていないと考えられる。一方、健常人においてフィルグラスチム静脈内および皮下投与後の好中球数推移を、in vitroデータとin vivoデータを結び付けたPK-PDモデルによって解析し、血漿中濃度と好中球増殖作用の関係について定量的な説明を可能とした。本研究では、癌化学療法を施行する患者にフィルグラスチムを反復投与で併用した時の好中球推移を抗悪性腫瘍剤による好中球増殖抑制率を考慮して再構築したEmaxモデル、シグモイドEmaxモデルおよび薬物-受容体-効果器3元複合体モデルにより定量的に解析し、解析結果の臨床における有用性について検討した。なお、癌化学療法を施行した患者では、抗悪性腫瘍剤により好中球の増殖が抑制されていることから、好中球前駆細胞(G-CFU)数が抗悪性腫瘍薬により一次速度で抑制され一次速度で回復するものと仮定した。癌化学療法施行後に好中球数を頻回測定していた卵巣癌患者3例および肺癌患者2例の好中球推移データをそれぞれ再構築したモデルにあてはめ、各患者の抗悪性腫瘍剤による好中球増殖抑制速度定数および好中球増殖抑制回復速度定数を算出しフィルグラスチムを併用投与した時の好中球数推移をそれぞれ予測し、実測値と比較した。

再構築したモデルを用いて癌化学療法が施行された肺癌または卵巣癌患者にフィルグラスチムを併用投与した時の好中球数の推移を解析したところ、G-CFU数の回復が十分な患者の癌化学療法施行直後からフィルグラスチム投与開始以降の好中球数推移がいずれのモデルにおいても同様に再現でき、フィルグラスチムの適正な投与設計への応用が示唆された。Emaxモデル、シグモイド Emaxモデルおよび3元複合体モデルによる解析を各患者におけるフィッティングラインのAICで比較すると、大きな相違は見られなかった。再構築したモデルはG-CFUが豊富に存在する健常人の解析で算出されたパラメータを使用していることから、G-CFU数の回復が不十分な固形癌患者や白血病患者ではフィルグラスチム投与開始以降の好中球数推移が十分に再現できなかった。これらの患者における好中球数推移の予測を可能とするためにはフィルグラスチムのクリアランスに影響を与える種々の因子や造血幹細胞の回復過程の詳細をさらに考慮する必要性が考えられた。

以上のように、杉浦は作用機構に基づいた3元複合体モデルによるG-CSFの薬効発現解析を行った。本研究結果は、臨床におけるG-CSFの投与設計に論理的基盤を与えるものであり、今後の治療を考える上でも有益な情報を与えることから、博士(薬学)の学位に値するものと認めた。

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