学位論文要旨



No 216421
著者(漢字) 川道,拓東
著者(英字)
著者(カナ) カワミチ,ヒロアキ
標題(和) メンタルローテーションにおける脳内情報処理機構の研究
標題(洋)
報告番号 216421
報告番号 乙16421
学位授与日 2006.01.19
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第16421号
研究科 工学系研究科
専攻 電子工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 上野,照剛
 東京大学 教授 原島,博
 東京大学 教授 廣瀬,啓吉
 東京大学 教授 相澤,清晴
 東京大学 教授 合原,一幸
 東京大学 助教授 廣瀬,明
内容要旨 要旨を表示する

ヒトの認知過程は、ボトムアップ的な情報処理とトップダウン的な情報処理の相互作用によって遂行されている。しかしながら、こうした処理機構に関する知見のコンピュータなどの情報処理システムへの工学的な応用は、ボトムアップ的な知見に基づくものが主であった。これは、工学的に応用可能なトップダウン的な処理機構に関する知見が十分得られていなかったことに起因すると考えられる。よって、ヒトのトップダウン的な処理機構に関する知見を得ることは、コンピュータの処理の高度化に繋がり、工学上重要な意味を持つと考えられる。

こうした、ヒト認知過程におけるトップダウン的な処理には、無意識下で、認知した外界の情報に基づいて、複数のモダリティの機能を活用しているものがある。このようなものの中で、その情報処理機構についてよく研究されているものにメンタルローテーションがある。

メンタルローテーションタスクとは、被験者に角度差のある2つの物体が鏡像か同一かを判断することを課すものである。このタスクにおいては、被験者が判断するまでに要する時間と2つの物体間の角度差との間に相関があることが心理実験によって示され、心的シミュレーションを行う脳内情報処理機構の存在が示唆されてきた。さらに、近年の非侵襲的脳機能計測手法を用いた研究により、手のメンタルローテーションにおける心的なシミュレーションに、大脳皮質の運動前野(PM: Premotor Area)領域と頭頂連合野の活動が重要であることが示され、視覚刺激の認識およびその処理において運動系の領野を賦活するという複数のモダリティの活用が示唆されている。特に運動系の活動においては刺激に応じて左右手いずれかを動かす際に賦活される領域の活動が見られることから、提示された手に関して左右いずれかであるとの仮説をたてて心的シミュレーションを行っているというトップダウン的な処理の存在が示唆される。

一方で、こうした脳内情報処理機構の解明に必要な情報には(1)脳活動の空間的な情報、(2)脳活動の時間的な情報、(3)刺激と脳活動との因果関係がある。ここで、現在、メンタルローテーション時の脳内活動の計測に利用されている機器は、機能的磁気共鳴イメージング(fMRI: functional Magnetic Resonance Imaging)、ポジトロン断層法(PET: Positron Emission Tomography)が多い。fMRIやPETは空間分解能に優れる一方で、その時間分解能には制限がある。そうしたことから、賦活部位の時系列的な情報についてはあまり得られていない。さらには、3次元物体のメンタルローテーションでは運動系の領野の活動に関して異なる知見が見られるなど、トップダウン的な処理を誘発する因子がどういったものであるかといった知見も十分には得られていない。こうしたことから、メンタルローテーションにおける脳内の情報処理機構については、未だ不明な点が多い。これに対して、脳磁気計測(MEG: Magnetoencephalography)はミリ秒オーダの優れた時間分解能、および、ミリメータオーダの空間分解能を持ち、高次脳機能の研究に用いられている。しかしながら、MEGによるメンタルローテーションの研究はほとんどなされていない。

本論文は、メンタルローテーションにおける脳内のトップダウン的な処理機構について、MEGとfMRI計測を中心とした非侵襲的な脳機能計測手法を用いて実験的考察を行ったもので、6章からなる。

第1章は序論で、本研究の歴史的な背景と研究の目的を述べた。

第2章では、メンタルローテーションに関する種々の心理学的な知見の中で、最も基本となる2つの3次元物体を用いたメンタルローテーションタスクの心理的実験の概要、および、その結果について述べた。

第3章では、PETでの先行研究により脳内活動の空間的情報が得られている、手を提示刺激として用いたメンタルローテーションタスクに関する脳内の時間的な活動を、MEGにより調べた。結果として、視野と対側の視覚野(VC: Visual Cortex)(100〜200ms)と下頭頂小葉(IPL: Inferior Parietal Lobule)の早い成分(200〜300ms)の活動が見られた。その後、左PMとIPLの遅い成分の活動が見られた。この結果から視野と対側のVC、IPLにて身体図式の認識を行った後で左PM、IPLで心的シミュレーションを行っているという処理の流れが示唆された。

第4章では、第3章で得られた結果がメンタルローテーションに共通的なものかどうかを検討した。手のメンタルローテーションと同様に、被験者が内的にモデルを持つ提示刺激の内、身体以外の刺激であるアルファベットを使ったメンタルローテーションタスク遂行時の脳内の時系列的な活動をMEGにより評価した。結果として、視野と対側の右VCの活動(100〜200ms)が見られた後に、文字の音韻的な処理に関係する左上側頭後部領域(STR: posterior part of Superior Temporal Region)(約300ms)の活動が見られた。その後にPM、IPL、上頭頂小葉領域(SPR: Superior Parietal Region)の活動が続く。これらのPM、IPL、SPRの活動は心的シミュレーションに関与していると考えられる。但し、PMに関しては、両条件で活動が見られた被験者数が同程度だったことから他の二つの領域と比較して、文字の回転角度と活動量の相関がそれほど高くない可能性がある。第3章および第4章に述べた2つの実験の結果から、外部刺激が何かを認識した後で心的シミュレーションを行うという処理の流れが、メンタルローテーションに共通である事が示唆された。

続いて第5章にて、運動系の活動と関係のある提示画像の因子を調べるために実験デザインを詳細化して脳内活動を調べた。2種類(3次元的な回転、2次元的な回転)の3次元物体のメンタルローテーションを遂行する際の、被験者の脳活動をfMRI/MEGにより計測した。ここで、3次元的な回転は被験者がタスク中に視覚刺激の見えない部分を想起する必要があるものであり、2次元的な回転はそうでないものである。fMRIの計測結果として、3次元的な回転のみが右PMの活動と相関があるという結果を得た。こうした結果から、視覚刺激の3次元的な要素がトップダウン的な心的シミュレーション処理の遂行に関与していることが示唆された。さらに、3次元的な回転において、回転角度との相関があまり見られなかった頭頂連合野については、その活動時間を調べるためにMEGにて計測を行った。結果として、2次元的な回転と3次元的な回転において、400〜500msの右頭頂連合野の活動に有意差を見出した。この時間帯は他のメンタルローテーションの実験において、同領域に活動が見られる時間帯と一致することから3次元的な回転においても右頭頂連合野の活動が重要であることが示唆された。

最後に第6章に、結びとして、本論文を統括した。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、「メンタルローテーションにおける脳内情報処理機構の研究」と題し、非侵襲的計測手法である脳磁気計測(MEG: Magnetoencephalography)と機能的磁気共鳴イメージング(fMRI: functional Magnetic Resonance Imaging)によりメンタルローテーションタスク遂行時の脳内活動を計測し、その処理機構について述べたものであり、6章よりなる。

まえがきは、本研究の背景と目的、並びに本論文の構成をとりまとめたものである。

第1章「序論」で本研究の歴史的な背景と研究の目的を述べた。その中で、メンタルローテーションにおける脳内情報処理機構にはトップダウン的な処理が含まれていると示唆されることを示している。しかしながら、従来の研究では、脳内情報処理機構の解明に必要な、処理の時間的な構造、刺激と脳活動の因果関係についての検討が十分でなかった点を指摘している。

第2章「メンタルローテーションに関する心理学的な知見」では、メンタルローテーションに関する種々の知見の中で、最も基本となる2つの3次元物体を用いたメンタルローテーションタスクの心理的実験を概説している。この心理的実験により、メンタルローテーションタスク遂行中に、ヒトが脳内で心的シミュレーションを行っていることを示唆する結果が得られていることを示している。

第3章「身体の一部(手)のメンタルローテーション時の脳内処理過程」では、手を提示刺激として用いたメンタルローテーションタスク遂行時の、ヒト脳内の時間的な活動に関するMEGによる計測と解析について説明している。手のメンタルローテーションにおいては、視野と対側の視覚野(VC: Visual Cortex)(100〜200ms)と下頭頂小葉(IPL: Inferior Parietal Lobule)の早い成分(200〜300ms)の活動を報告している。その後、高次運動領域である左運動前野(PM: Premotor)とIPLの遅い成分の活動を報告している。この結果は視野と対側のVC、IPLにて身体図式の認識を行った後で左PM、IPLで心的シミュレーションを行っているというトップダウン的な処理の流れを示すものであるとしている。本結果はポジトロン断層法(PET: Positron Emission Tomography)による従来研究で示された脳活動の空間情報に、時間的な情報を付加するものであることを示している。

第4章「文字のメンタルローテーション時の脳内処理過程」では、第3章で得られた結果がメンタルローテーションに共通的なものか否かを検討するために、手のメンタルローテーションと同様にヒトが内的にモデルを持っている提示刺激の内、身体以外の刺激であるアルファベットを使ったメンタルローテーションタスク遂行時の、ヒト脳内の時系列的な活動に関するMEGによる計測と解析について説明している。文字のメンタルローテーションにおいては、視野と対側の右VCの活動(100〜200ms)が見られた後に、文字の音韻的な処理に関係する左上側頭領域(STR: Superior Temporal Region)(約300ms)の活動を報告している。その後にPM、IPL、上頭頂小葉領域(SPR: Superior Parietal Region)の活動を報告している。PM、IPL、SPRの活動は心的シミュレーションに関与していると考えられるが、PMに関しては、両条件で活動が見られた被験者数が同程度だったことから他の二つの領域と比較して、文字の回転角度と活動量の相関がそれほど高くない可能性があることを示している。さらに、第3章および第4章に述べた2つの実験の結果から、外部刺激が何かを認識した後で心的シミュレーションを行うというトップダウン的な処理の流れが、メンタルローテーションに共通である事を示唆すると説明している。

第5章「3次元物体のメンタルローテーション時の脳内処理過程」では、運動系の活動と関係のある提示画像の因子を調べるために3次元物体のメンタルローテーションの実験デザインを詳細化してのfMRI/MEGにより脳内活動の計測と解析を説明している。本実験デザインにおいては、従来の回転角度の多寡の比較に加えて、3次元物体の回転方法を2種類(3次元的な回転, 2次元的な回転)に分けての比較を行っている。ここで、3次元的な回転は被験者がタスク中に視覚刺激の見えない部分を想起する必要があるものであり、2次元的な回転はそうでないものである。fMRIの計測により、3次元的な回転のみが右PMの活動と相関があることを示している。一方で、3次元的な回転における頭頂連合野の活動については、MEGの計測により、他のメンタルローテーションでの活動と同等の時間帯である400〜500msの右頭頂連合野の活動に関して、2次元的な回転と比較し有意差を見出し、この領域での活動が見られることを示している。こうした結果から、視覚刺激の3次元的な想起がメンタルローテーションタスクにおける運動系を活用した心的シミュレーション処理の遂行に関与していることが示唆されると説明している。

第6章は「結論」として、本論文を統括するとともに、得られた知見の工学的な応用の可能性について述べている。

以上を要するに、本論文は、トップダウン的な処理により視覚認知を行っていると考えられる、メンタルローテーション課題遂行時のヒト脳活動を非侵襲的計測手法により明らかにしたもので、ヒトのトップダウン的な情報処理過程のメカニズムを研究する上で有用であり、電子工学、特に、生体情報工学に貢献するところが少なくない。

よって、本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/42874