学位論文要旨



No 216437
著者(漢字) 矢島,昌子
著者(英字)
著者(カナ) ヤジマ,マサコ
標題(和) 哺乳期ラットの腸内菌叢とバクテリアルトランスロケーションに関する研究
標題(洋)
報告番号 216437
報告番号 乙16437
学位授与日 2006.02.06
学位種別 論文博士
学位種類 博士(獣医学)
学位記番号 第16437号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 伊藤,喜久治
 東京大学 教授 酒井,仙吉
 東京大学 助教授 松本,芳嗣
 東京大学 助教授 八村,敏志
 日本獣医畜産大学 助教授 藤澤,倫彦
内容要旨 要旨を表示する

バクテリアルトランスロケーション(BT)は、腸管内腔から腸内細菌が生きたまま腸管粘膜を通過し、生体内に侵入することと定義されている。BTは敗血症の起因であり、免疫疾患者や手術、熱傷、交通事故などで予後感染をおこす。新生児期のBTは、無菌であった胎児が出生後に腸内細菌叢を形成し始めるという点で、既に成立した菌叢を持つ成人に起こるBTとは、異なった発生要因を持つ。新生児の鼻腔や口腔、腸等の粘膜上皮に到達し定着を始める細菌は、自然免疫系を介して乳仔の獲得免疫の発達や、神経の発達に大きく関わり、必ずしも病態を惹起しない。一方で新生児の腸内に最優勢に検出される大腸菌群などの好気性細菌群は、新生児集中治療室における敗血症で高頻度に検出されるなど、腸内菌叢を構成する細菌群の種類や量は、BTの発生率に影響する可能性がある。

帝王切開出生児における腸内細菌定着プロセスは、自然分娩児とは明らかに異なっている。母乳で哺育された健常な自然分娩児の糞便中占有率は99 %がBifidobacteriumであるが、帝王切開出生児におけるBifidobacteriumの成立は母乳児に比べて遅い。近年、極小未熟児へBifidobacteriumを投与することにより、壊死性腸炎の発症が軽減されたとの報告が相次いでいるなど、腸内細菌をコントロールして壊死性腸炎を発症予防できる可能性がある。

無菌動物を用いた研究から、定着させる菌が異なるとそれらに応答したTリンパ球の分化が異なることや、オーラルトレランスの誘導に乳児期の腸リンパ組織の発達が必要であるなど、哺乳期の菌叢は離乳後の免疫応答に関与すると報告されている。これらの知見は、哺乳期における免疫系の発達に腸内細菌が重要な役割を担うことを示唆している。即ち、腸内菌叢は外的環境であり、菌叢を構成する個々の細菌群を、宿主に大きく影響を与える環境因子として捉えることができる。

新生児期は消化管の構造や機能が未発達である。ウサギでは新生仔期に自然発生的なBTが起こることが知られている。哺乳動物の腸内菌叢を構成する細菌群の中で、BTを起こし易い菌群や、それらが宿主に及ぼす影響に関しては、これまで詳細な検討はなされていなかった。

そこで、本論文では、哺乳期ラットに関して、自然発生的なBTを起こす細菌群を検出し、BTを起こしやすい背景、BTを起こした細菌群を排除する能力、および乳仔の栄養環境による違いの有無、即ち、母乳哺育仔と 母乳中の免疫関連因子をほとんど含まない人工乳哺育仔におけるBTの違い、等を、モデル動物を構築して検討した。これらの成果は乳児における免疫系の発達や応答を理解する一助になると考える。

本論文は、三つの章で構成されている。第一章では、哺乳期のラットにおいて、腸間膜リンパ節へのBTが自然発生的に起こることを明らかにした。これらの結果はBTを起こした腸内細菌由来のLPS やペプチドグリカン、DNAなどの菌体成分が粘膜上皮やM細胞、樹状細胞、B細胞に接着し取り込まれるなどToll Like Receptor (TLR)のリガンドとして作用し、新生乳仔の免疫系の成熟に重要な情報源となる可能性を示唆している。一方、健常な母乳仔において、BTを起こし腸間膜リンパ節へ移行した菌群は、糞便や盲腸内容物中の菌叢を構成する菌群構成をそのまま反映していないことを明らかにした。BTを起こしやすい菌群として、大腸菌群や腸球菌、乳酸桿菌が多く検出された。また、staphylococciはBT菌として高頻度に検出されたが、糞便中では0.1 %以下の占有率であった。staphylococciは新生児医療現場では最も検出頻度の高い病原菌である。ヒトでは、2歳くらいまではstaphylococciに対する十分な抗体生成が起こらないとする報告がある。宿主の細胞性免疫機能による貪食殺菌の受け易さを左右する細菌側の要因として、capsule多糖が知られている。例えば、Staphylococcus aureusのcupsule多糖陽性株は陰性株に比べて宿主による殺菌を受け難いことが報告されている。BTを起こしても貪食処理され難いことが、抗原応答の遅れを生じさせる可能性があると考える。これらのことは、新生仔期に形成される腸内細菌叢の構成細菌の種類や量の違いがBTの起こり易さに影響を与えるばかりでなく、生体側の抗原認識と貪食能の違いによっても、BTが異なることを示唆している。

さらに、胃内へカニューレを装着し人工乳哺育を行ったラット乳仔(AR仔)ならびに胃カニューレ装着の手術後、カニューレを抜去して母乳で哺育した乳仔(Sham仔)の糞便菌叢とBTを、無処置の母乳哺育仔(MR仔)と比較した。胃カニューレ装着術により、健常なMR仔では検出されない肝臓へのBTがSham 仔とAR仔で検出された。AR仔では、糞便中のenterobacteriaceae菌数がMR仔に比べて多く、Sham仔に比べて肝臓へのBTが長期に持続した。AR仔では、MR仔に比べて、腸粘膜へ付着する菌数が有意に多くSham仔は両者の中間的な菌数であったこと、AR仔の糞便中のenterobacteriaceae菌数は、哺乳期間ばかりでなく離乳後も多いままであったのに比べて、MR仔とSham仔では離乳期を境に成獣レベルに低下したことが報告されている。このことは、AR仔ではSham仔に比べてBTが長期に持続したことと矛盾しない。即ち、腸粘膜への付着菌数が多いことは、腸内細菌が腸管上皮に接触する頻度を高め、BTの頻度を高めていると推察できる。 AR仔における腸粘膜付着菌が多い理由に関しては説明されていないが、人工乳中には、母乳由来のIgAやTGFβなど乳中の生理活性物質が欠如していることや、常に高濃度の大腸菌が接触していたことによる大腸菌トレランスの成立の可能性など考えられる。これらを説明するためには、更に多くの検討が必要である。

第二章では、AR仔でSham仔に比べてBTが長期に持続したことの背景について検討した。生体内へバクテリアルトランスロケーションを起こした細菌を捕まえ、貪食殺菌する作用が、Sham仔ではMR仔と同程度であったのに比べて、AR仔では低下していることを明らかにした。

また、Sham仔とAR仔の肝臓にBTを起こした細菌群の中では、enterobacteriaceaeが最優勢であったことから、MR仔の腹腔内にE.coli由来のリポ多糖(LPS)を投与後、腹腔内へ誘導した多形核白血球(PMNL)のラテックスビーズ貪食活性を測定し、PMNLの貪食活性はLPSの濃度依存的に低減されることを明らかにした。

第三章では、PMNLの貪食活性やLPS炎症に及ぼす母乳中因子の影響に関し検討した。ラットの母乳中に0.2 %含まれているラクトフェリン(LF)には、腫瘍壊死因子(TNFα)の産生を抑制するなど、抗炎症作用があることが報告されていることから、LFを添加した人工乳で哺育した乳仔におけるPMNLの貪食活性を、LFを添加しない人工乳で哺育したAR仔、母乳で哺育したSham仔ならびにMR仔の活性と比較し、LFを添加した人工乳で哺育した乳仔では、AR仔に比べてPMNLの貪食活性が高いことを明らかにした。

さらにLPSを腹腔に投与することによりMR仔にLPS炎症を惹起させ、腹腔内への蛋白質貯留や血中の血小板数に及ぼすLFの影響を検討した。

ヒト型LF(hLF)は、LPS投与の18時間前に予防的に投与することにより、LPS投与の直前(15分前)や1時間後に投与された場合に比べて、より強くLPS炎症を抑制した。即ちhLFを予防的に投与することにより、TNFαの産生が抑制され、PMNLの貪食活性の低下が回避されたばかりでなく、LPSによって誘発される腹腔への腹水やアルブミンの貯留が回避された。しかし、LPSによるPMNLの貪食活性の低下と腹水の貯留は、ラットのTNFα抗体をLPS投与の直前に投与しても抑制されなかった。このことから、hLFによるこれら炎症抑制作用は、LFの抗炎症作用としてこれまでに報告されているLPS結合蛋白質とLFとの直接的な分子間拮抗阻害作用とは異なった機作である可能性が示唆された。また、同様に検討したウシ型LFには効果が認められなかった。両LFともラットの異種蛋白質であることから、これらの違いを説明するためには、分子構造の違い等更なる検討が必要と思われる。

今回検討していないが、BTの消失がSham群でAR群に比べて促進されたことの要因の一つとして、母乳中の免疫関連因子が人工乳中に含まれないことの他に、母獣によるケアの影響を考えなければならない。ラットの母乳を無菌的にかつ十分量、凍結なしに準備することは実際的ではないため、今実験では母乳をカニューレで人口哺乳する群を設けなかった。Barreauらは生後14日齢までに母子分離ストレスを与えると、与えない場合に比べて、生育後12週齢における炎症ストレス応答が異なっていたと報告しており、外傷ストレス以外にも、精神的なストレスを極力排除した哺育系で比較する必要があると考える。

以上、新生仔期の腸内細菌叢の形成過程とBTについて検討し、enterobacteriaceaeなどのグラム陰性細菌の占有率を低下させて、より良い腸内環境を形成することが、乳児期の感染を防ぎ、健康の維持に重要であることを示した。

審査要旨 要旨を表示する

バクテリアルトランスロケーション(BT)は、腸管内腔から腸内に生息する細菌が生きたまま腸管粘膜を通過し、腸管以外の臓器に侵入することと定義されている。新生児期のBTは、無菌であった胎児が出生後に腸内細菌叢を形成し始めるという点で、既に成立した菌叢を持つ成人に起こるBTとは、異なった発生要因を持つ。新生児の鼻腔や口腔、腸などの粘膜上皮に到達し定着を始める細菌は、必ずしも病態を惹起しない。一方で新生児の腸内に最優勢に検出される大腸菌群などの好気性細菌群は、新生児集中治療室における敗血症で高頻度に検出される。腸内菌叢を構成する細菌群の種類や量は、BTの発生率に影響する可能性がある。

帝王切開出生児における腸内細菌定着過程は、母乳児とは明らかに異なっている。健常な母乳児の糞便中占有率は99%がBifidobacteriaであるが、帝王切開出生児におけるBifidobacterium の成立は母乳児に比べて遅い。近年、極小未熟児へBifidobacteriumを投与することにより、壊死性腸炎の発症が軽減されたとの報告が相次いでいるなど、腸内細菌を改善することにより壊死性腸炎の発症を予防できる可能性が示されている。

無菌動物を用いた研究から、定着させる菌が異なるとそれらに応答したTリンパ球の分化が異なることや、経口寛容の誘導に乳児期の腸管リンパ組織の発達が必要であるなど、哺乳期の菌叢は離乳後の免疫応答に関与する。

新生児期は消化管の構造や機能が未発達である。哺乳動物の腸内菌叢を構成する細菌群の中で、BTを起こし易い菌群についての検討や、それらが宿主に及ぼす影響に関しては、これまで詳細な検討はなされていない。

本論文では、哺乳期ラットに関して、自然発生的なBTを起こす細菌群を検出し、BTを起こしやすい背景、BTを起こした細菌群を排除する能力、および乳児の栄養環境による違いの有無、即ち、母乳哺育(MR)仔と胃内にカニューレを装着した人工乳哺育(AR)仔ならびにカニューレ装着の手術後直ちにカニューレを除去して母乳で保育した乳児(Sham 仔)におけるBTの違いを、モデル動物を作製して検討した。これらの成果は乳児における免疫系の発達や応答を理解する一助になると考える。本論文は、三つの章で構成されている。

第一章では、哺乳期のラットにおいて、MR,AR,Shamのいずれの群においても腸間膜リンパ節へのBTに差は見られず、健康な状態においても自然発生的に起こることを見いだした。健常なMR仔において、BTを起こし腸間膜リンパ節へ移行した菌群は、糞便や盲腸内容物中の菌叢を構成する菌群構成をそのまま反映しなかった。BTを起こしやすい菌群として、enterobacteriaceaeやenterococci、lactobacilliが多く検出された。また、staphylococciはBT菌として高頻度に検出されたが、糞便中では0.001%以下の占有率であった。このことは、新生仔期に形成される腸内細菌叢の構成細菌の種類や量の違いがBTの起こり易さに影響を与えるばかりでなく、生体側の抗原認識と貪食能の違いによっても、BTが異なることを示唆している。

健常なMR仔では見られない肝臓へのBTがSham仔とAR仔で見られ、AR仔ではSham仔に比べ長期にBTが見られた。AR仔の糞便菌叢をMR仔、Sham仔と比較したところ、AR仔では、enterobacteriaceaeがMR仔に比べて糞便中の菌数が高く検出され、Sham仔ではその中間的菌数であった。Nakayamaらにより、AR仔では、腸粘膜へ付着する菌数が多く、AR仔の糞便中のenterobacteriaceae菌数は、哺乳期間ばかりでなく離乳後も高く維持されたと報告されている。腸粘膜への付着菌数が多いことは、腸内細菌が腸管上皮に接触する頻度を高め、BTの頻度を高めていると考えられる。

第二章では、AR仔ではMR仔、Sham仔に比べて、生体内へのBTが長期に持続した背景に関して検討するため、腹腔滲出性多形核白血球(PMNL)の貪食活性をAR仔、Sham仔およびMR仔で比較した。AR仔では貪食活性が低下した個体が見いだされた。さらに、AR仔では、長期にBTが持続し、BTを起こした最優勢菌群は、enterobacteriaceaeであったことから、MR仔の腹腔内にE.coli由来のリポ多糖(LPS)を投与してPWNLの貪食活性を比較したところ、腹腔内へ誘導した多形核白血球(PMNL)の貪食活性がLPSの濃度依存的に低減された。

第三章では、LPS炎症の軽減に及ぼす母乳中因子の影響に関し検討した。ラットの母乳中に0.2%含まれるラクトフェリン(LF)には、腫瘍壊死因子(TNFα)の産生を抑制するなど、抗炎症作用がある。LPS炎症を惹起したラット仔のPMNLの貪食活性と、腹腔内への蛋白質貯留に及ぼすLFの影響を検討した。ヒト型LF(hLF)を、LPS投与の18時間前に投与することにより、LPS投与の直前(15分前)や1時間後に投与した場合に比べて、TNFαの産生抑制、PMNLの貪食活性の低下及び腹腔への腹水やアルブミンの貯留が回避された。LPSによるPMNLの貪食活性の低下と腹水の貯留は、ラットのTNFα抗体により十分に抑制されなかったことから、hLFによる炎症抑制作用の一部は、LFの抗炎症作用としてこれまでに報告されているTNFα産生抑制作用とは異なった機作も関与している可能性が示唆された。また、同様に検討したウシ型LFには抑制効果が認められなかった。

以上、本論文は新生仔期のBTを抑制するための応用研究に重要な知見を与えると考えられる。よって審査委員一同は、本論文が博士(獣医学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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