学位論文要旨



No 216440
著者(漢字) 松本,亜沙子
著者(英字)
著者(カナ) マツモト,アサコ
標題(和) 冷水域における炭酸塩生産者としての八放サンゴ亜綱ヤギ目の生態学的研究
標題(洋) Gorgonian corals as a calcium-carbonate producer in cold waters.
報告番号 216440
報告番号 乙16440
学位授与日 2006.02.13
学位種別 論文博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 第16440号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 大路,樹生
 東京大学 助教授 藤田,敏彦
 東京大学 教授 松井,孝典
 東京大学 教授 棚部,一成
 東京大学 助教授 茅根,創
内容要旨 要旨を表示する

八放サンゴ亜綱ヤギ目は、世界中の浅い海から深海、熱帯から極地まで分布し、古生物学的にも、新しく種多様性が少ないグループではないが、あまり研究がなされていない。特に深海域・冷水域に関しては、日本での生態学的研究は皆無である。近年世界的に、冷水域サンゴ(Cold-water coral)が、生態系形成や、炭酸塩を貯蔵する大きな群集を作ることにより注目を浴びてきたが、北西太平洋では、これまでまったく調べられてこなかった。

本研究の目的は、炭酸塩生産者としての八放サンゴ亜綱ヤギ目の冷水域における炭酸塩生産への寄与の潜在的可能性を明らかにするために、成長速度を推定し、群体における炭酸塩含有率、炭酸塩の組成、海山における潜水船を用いた垂直分布などから、実際に深海の八放サンゴ亜綱ヤギ目の炭酸塩量を示すことである。

第一には、浅海、非- 熱帯域のヤギ目の成長速度についての研究がまとめられている。浅海ヤギ目であるMelithaea flabelliferaのすべての枝の成長速度を伊豆、下田においてマーキングした群体を自然条件下で約一年間にわたって記録することにより測定し、また生殖時期の特定も行った。このような詳細な測定は本研究が初めてであり、新しい方法論として有効であることが示された。各枝の線形成長は、年間 -30.4から24.8 mmであった。生殖時期には成長速度が制限され、それ以外の時期では成長速度は水温に依存することが明らかになった。また枝が失われたとき、隣接する枝の成長速度が大きくなり、群体形の欠損部分を埋めるように成長した。以上のように、一つのコロニー中において成長速度が不均一性を示す原因の一つは、この補填成長によるものと考えられる。ヤギ類の規則的なパターンは不規則で不均一な成長によって形成されていることが示された。群体サイズが最大に近づくにつれて、群体生物であっても成長速度は下がることが明らかにされ、また補填成長の存在は、M. flabellifera が、潜在的に最適なサイズや形態によって制約されていることを示唆している。またこの浅海域の研究によって、ヤギ目の群体サイズの測定方法が検討され、確定された。

第二に、日本で発見された深海ヤギ目群集で、最も豊富でまた大きな群体サイズをもつPrimnoa resedaeformis pacificaを対象に、成長輪から年齢推定を行い、北西太平洋において初めて深海サンゴの成長速度を明らかにした。軸の直径の成長速度は、他の深海、冷水域の八放サンゴでの報告とほぼ同じ約0.26±0.04 (s.d.) mm/ yearであった。成長速度が、成長に従って減少することは、軸の直径の成長からは確認できなかった。標本の、全乾重量あたりの軸及び骨片の乾重量%を測定することによって、成長に伴って、軸の量が増加するが、表面のポリプ起源の骨片の量は、年齢が低い時期から多く、また加齢と基部に行くに従ってポリプが小さくなることが確認された。炭酸塩に値する骨片重量は、全重量の平均37.93±7.45 (s.d.) %にあたり、成長速度は大きくないが、熱帯域で報告されたのと同じか、それ以上の持続的な貯蔵量が冷水域において存在することが明らかになった。またこれらの炭酸塩組成をXRDを使用して測定したところ、骨片はMgCO3が10.15±1.37 (s.d.)%含まれるHigh- Mg Calcite であることがわかった。

第三に、上記の深海ヤギ目群集における炭酸塩の貯蓄量 (g/m2)を推定するために、標本の採集された日本近海でのこの科の垂直分布を明らかにすることを試み、JAMSTECの潜水船による深海ビデオ解析を行った。観察したデータセットはn=2055である。Primnoidae科は水深271mから1030m、水温0.24- 1.12°Cの範囲に分布し、一方Paragorgiidae科は水深178mから491m、水温0.66- 1.69°Cの範囲に分布していた。これらの結果により、科によって水深、水温などによりゾーネーションや鉛直分布パターンを示していることが明らかになった。また炭酸塩量を推定するにあたって、スケールのないビデオからサイズを再計算する為に、採集された標本の枝の直径を計測し、浅海のヤギ目で確定された表面積の測定法を用いて、群体の体積を計算した。

以上のことから示された分布及び、群体の体積を基にして算出されたこの冷水域八放サンゴ群集における炭酸塩量は、平均3.1±3.2 (s.d.) kg/100 m2 であり、調査範囲における推定された最大の炭酸塩量は水深600-650mにおける28.4 kg/100 m2 であった。生きている冷水域八放サンゴによる年間炭酸塩生産量はそれぞれ平均0.01 g/m2/y 、最大0.12 g/m2/yであった。生息海域における潜水船の測線上の炭酸塩貯蔵量は、総量0.64トンであった。この総量は、海域全体に均一に八放サンゴ群集が分布するとすると小さいが、底生生物では一般に海底でパッチ状に生息することが知られており、この深海サンゴ群集でもこの性質が確認された。これに基づき、最も大きいタイプの群体が倒れたと仮定した時に、その倒れた海底の面積を八放サンゴの面積と考えて計算すると、非常に局所的な小さい範囲での炭酸塩量は2,053 g/m2で、その場合の年間炭酸塩生産量は平均87 g/m2/yであった。つまりパッチの集中する場所では、水温0.24 - 1.12°Cという、熱帯海域と比べると非常に低い水温において大きな炭酸塩の集中が確認されたと言える。それ故、深海八放サンゴ亜綱・ヤギ目は、非常にゆっくりとした速度ではあるが(最大 87 g/m2/y)、その長い生活史を通じて、冷水域・深海域において炭酸塩を生産し続けることが示唆された。

本研究では、北西太平洋で初めてヨーロッパ沿岸・北米沿岸に匹敵する大型の深海サンゴ群集を発見し、その垂直分布を明らかにした。また北西太平洋において、八放サンゴ亜綱ヤギ目の浅海、深海の両方の成長速度を初めて測定した。今回成長を測定したのは軸の部分だが、有機物の入らないCalciteである骨片も含めて、ヤギ目が深海・高緯度海域で炭酸塩を継続的に生産し、貯蔵する生物であることを明らかにした。中ー高緯度における八放サンゴ起源の石灰岩は、まだ報告されていないが、ヤギ目が現れた白亜紀以降の海山性堆積物などを再調査する必要があることが示唆された。

以上のことから本研究は、これまで見過ごされていた八放サンゴ群集による炭酸塩の生産に着目し、冷水域・深海域における炭酸塩生産に寄与する可能性を示した。これにより本研究は地球科学に貢献したと考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は海洋底生動物として重要な八放サンゴ亜綱ヤギ目の生態学的な研究を扱ったものであり,特に炭酸塩生産者としての意義を議論している.本論文は5章からなり,第1章は本論文の導入部であり,八放サンゴとヤギ類の分類学的位置,古生物学的な記録と化石化する際の保存過程について従来の研究をレビューし,どのような問題点があるのかを整理している.ここでヤギ類が長い化石記録を持ち,炭酸塩の骨格を持つ動物であるにも関わらず,その生態学的研究,炭酸塩の供給源としての研究が遅れていることが指摘されている.

第2章では日本近海のヤギ類の分布を,主に従来の記録に基づきコンパイルし,各種の地理分布が大きく4つのパターンに分かれること,日本近海は世界的にみて高いヤギ類の多様性を持っていること,そしてこれらの分布には暖流,寒流が強く影響していることが示された.

第3章では浅海性ヤギ類と深海性ヤギ類の成長速度の測定が扱われている.浅海性ヤギ類Melithaea flabelliferaについては1年間の潜水による定期観測のデータに基づき,その成長速度が水温と生殖時期によって変化すること,枝の欠損部ではそれを補う成長が顕著であること,そして群体サイズが最大に近づくにつれて成長速度が下がることが示された.用いた高頻度の観察による精密な成長速度の測定方法は,これまで行われてこなかった方法であり,これにより始めて詳細な成長様式が明らかにされた.一方北海道後志海山においては潜水艇で採集されたPrimnoa resedaeformis pacificaの成長輪解析から年齢推定を行い,北西太平洋において始めて深海ヤギ類の成長速度を明らかにした.この場所は他地域に比べて水温のきわめて低く(1℃以下),この種の生息域では最低水温を示している.求められた成長速度は他地域の深海,冷水域の八放サンゴの成長速度とほぼ同程度(直径で0.26 ±0.04(s.d.)mm/year)であった.また成長に伴って軸の量が増加すること,表面のポリプが小さくなること,平均的な骨片重量が約38%を占めることが確認された.

第4章では後志海山の東西南北4つの測線にそった潜水艇調査で撮られたビデオデータより,科単位の群体数の垂直分布を明らかにしている.その結果,科によって深度分布が異なること,測線によって科の分布が異なることが明らかになった.

第5章では,第4章で示された分布密度と第3章で推定された群体あたりの炭酸塩量から,単位面積あたりの炭酸塩貯蔵量を求めた(平均3.2lkg/100m2,最大28.4kg/100m2).群体あたりの炭酸塩量の推定は画像データからの群体の高さ,幅,表面積,枝の数のファクターを用いて計算された(第4章).この炭酸塩貯蔵量は浅海域の貯蔵量と比較してかなり小さいが,それぞれの測定方法の違いを考慮すると,同程度の貯蔵量が推測された.またこのデータに生長量のデータを考慮すると,年間生産量は0.01g/m2/yとなる.この生産量は浅海のケースと比べるとかなり小さいが,冷水域では炭酸塩固定に重要な役割を果たしていることが明らかになった.

八放サンゴ亜綱ヤギ類に関しては従来分類学的研究がなされているが,生態学的,生物地理学的,そしてその成長に関する基礎的な生物学的研究は十分には行われてこなかった.特に深海域,冷水域のヤギ類は海洋底生動物の主要なメンバーであるにもかかわらず,その生息密度,成長速度,炭酸塩の供給源としての意義はほとんど未解明であった.本論文は深海性のヤギ類の分布の実態をできる限り定量的に示し,さらに分布密度と成長線解析による生長量測定から深海環境での炭酸塩の生産量の見積もりを行うことに成功した.審査委員一同はこの研究の独創性を高く評価し,今後の同分野への大きな貢献がなされるものと判断した.したがって,博士(理学)の学位を授与できると認める.

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