学位論文要旨



No 216441
著者(漢字) 二宮,仁志
著者(英字)
著者(カナ) ニノミヤ,ヒトシ
標題(和) 社会基盤整備の合意形成支援手法に関する研究
標題(洋)
報告番号 216441
報告番号 乙16441
学位授与日 2006.02.16
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第16441号
研究科 工学系研究科
専攻 社会基盤学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 國島,正彦
 東京大学 教授 堀井,秀之
 東京大学 教授 小澤,一雅
 東京大学 助教授 堀田,昌英
 高知工科大学 助教授 渡邊,法美
内容要旨 要旨を表示する

1970年以降、全国各地で社会基盤整備の是非をめぐるコンフリクトが数多く見られ、市民のニーズや利害を調整するための民主的プロセスとしての合意形成の必要性が社会的に高まっている。現時点では、合意形成に関する法制度やそれを支援するための技術あるいは手法は未だ十分に確立されておらず、現場では関与主体間で無秩序な対話が続いている。

本研究は、社会基盤整備における合意形成の実態を調査し、合意形成プロセスに影響を与える要因とその影響メカニズムを分析することにより、合意形成を支援するための手法(以下、合意形成支援手法と称す)を構築することを目的とする。

本研究は、8章から構成される。第1章から第4章で(1)合意形成の実態調査と影響要因分析、第5章から第6章で(2)合意形成における問題発生メカニズムの解明、第7章から第8章で(3)合意形成を支援するマネジメント手法を構築した。

第1章は序論であり、本研究の背景と目的について述べた。合意形成における明確なルールや制度、合意形成を支援するための技術が十分整備されていない現状について述べ、合意形成支援技術とその実践的手法の必要性について論じた。

第2章では、政治学、行政学、法学、公共・厚生経済学、社会学、社会心理学、都市計画学、土木計画学、交渉学等における合意形成に関連する研究を、設定した"10の視点"からレビューし、その特色を整理した。

第3章では、大分県内で実施されている社会基盤整備における合意形成の実態を調査し、合意形成プロセスに影響を与える要因と内包する問題について考察した。調査対象としては、日常生活に馴染みの深い道路、公園、河川の3種別から各々代表する事業をいくつか選定した。

第4章では、事業種別毎に実施した事例研究で明らかとなった影響要因ならびに問題について事業間で比較分析し、合意形成の特性について整理した。それらの知見は、合意形成プロセスにおける5つのステップ、合意形成に影響を与える5つの要因、合意形成を困難にする3つの欠如の3つのカテゴリーに分類し、その項目毎の特性及びそれらが合意形成に及ぼす影響について考察した。

第5章では、社会基盤整備における合意形成に交渉学的視点を導入し、その理論的枠組みないし知見を用いた分析を試みた。合意形成を交渉と捉え直し、原則立脚型と呼ばれる交渉スタイルとその実現のための交渉学的スキルの利用可能性について検討した。また、交渉分析ツールの1つであるゲーム理論を適用し、合意形成の現状における問題とその発生メカニズムを分析することを目的とした理論モデルを構築し、その有効性と限界について考察した。

第6章では、ゲーム理論を適用したモデルの問題点ないし限界を克服する合意形成モデルを構築した。ゲーム理論を適用したモデルでは、プレイヤーは常に合理的判断のみに基づいて行動するという前提や段階的かつ一連の交渉の統合である合意形成のシステム的側面の再現性について問題が残った。そこで、合意形成の分析には、人間のもつ危機感、感情、自己実現等の非合理的側面や合意形成プロセスの持つシステム的側面は無視できないという認識から、これらを一定の理論的枠組みで扱えるドラマ理論を適用したモデルの構築を試みた。

第7章では、主に事例研究(第3、4章)と分析モデル(第6章)を融合し、合意形成の技術的支援を目的としたマネジメント手法を考案した。その支援手法は、ドラマ理論を適用した分析モデルを用いて関与主体間の利害や行動特性に適切な影響を与えるインセンティブを継続的にマネジメントするものであり、本研究ではそのプロセスを"インセンティブマネジメント"と称した。

第8章は結論であり、本研究により得られた研究成果を総合して、合意形成プロセスとその支援手法に関して論述した。最後に、残された今後の課題について述べた。

本研究の範囲内で、以下のことがいえると考えられる。

合意形成プロセスにおける5つの段階と特性について

現行制度においては、市民の関心は実際に事業が実施される時期に集中する傾向にあり、事業化されてから供用開始に至る迄の事業実施段階における合意形成プロセスには事業種別や事業規模に関わらず共通の手続きが存在する。その手続きは、国と事業者の事業に関する(1)設計協議段階、利害関係主体への説明段階である(2)計画説明段階、(3)事業説明段階、(4)用地交渉段階、(5)工事説明段階の5つの段階から構成され、その統合が社会基盤整備の合意形成プロセスとなる。任意の段階で合意に至らなければ次の段階に移行できず、任意の説明会での対応は次回以降の対話に大きな影響を及ぼすといった特性がある。現状での各説明段階は、国と県、住民と県、環境団体と県といった事業主体(県)を中心とする二者間交渉であり、複数の主体の利害調整を伴う話し合いにおいては当事者不在の交渉がなされる可能性が高い。

受益者と負担者の利害関係と合意形成形態の相違について

合意形成は、受益者と負担者の利害関係(以下、利害対立特性と称す)の影響を受け、その特性は事業特性により規定される。利害対立特性は(1)受益者と負担者が異なるタイプ(2)受益者と負担者の一部が一致するタイプ(3)受益者と負担者が一致するタイプに大別できる。タイプ毎の合意形成形態の特性とその相違を明確にするため、ドラマ理論を用いて合意形成シナリオを分析した結果、(1)タイプと(3)タイプでは全く異なる合意形成形態が示され、各シナリオに内包する問題とその発生メカニズムが分析可能となった。特に、住民からの要望は公共事業で実現困難な内容が含まれる一方で、その実現が協力行動に対する条件となっている場合も少なくなく、その特性は(3)タイプよりも(1)タイプで顕著化する傾向にある。その結果、住民の交渉力が高まり"ゴネ得"交渉となりやすい。

合意形成プロセスにおけるジレンマ発生メカニズムについて

合意形成に関与する行政機関は、国庫補助事業あるいは許認可制度における基準やそれを支える価値に基づき合理的に行動する傾向にある。各行政機関は独立して意思決定を行っており、信頼関係に基づく協力行動は担保されていない。この戦略的環境における行政同士の協議には、住民の意見やニーズを計画に反映し難いジレンマが存在することが分析モデルから示唆された。そのジレンマは、補助金制度とその基準の根底にある公平性が地域ニーズから生じる計画の差異を排除すると同時に、その差異を縮減するための地方財源も不足しているという現状に起因する。事業者の実行する保証のない協力行動の表明は、後に住民に大きな不信や負の感情を引き起こし、自らジレンマ状態に陥っている。この事業者の行動は事業進捗への固執から生じ、それは単年度会計での事業予算の確保と消化に帰着する。従って、補助金制度の年度予算配分手法や会計法の見直しも合意形成支援に含まれる。

現状の合意形成形態の特性について

ドラマ理論を用いたシナリオ分析から、我が国における合意形成の現状は、行政への盲目の信頼から生じる"従来型"、行政からの一方的説明と説得による"押切り型"、立場駆け引き交渉の1つである"呼応型"の概ね3つのシナリオに分類できた。何れのシナリオにおいても関与主体間の対立は、双方の合理的選好や行動により生じるジレンマ状態にある。そのジレンマは、感情や説得を含む非合理的行動による自らの選好変化から生じる合理的行動により解消され合意が形成される。従って、現状の合意形成プロセスは、感情等の非合理的行動を含めなければ合意に至れない不十分なシステムであることが示唆された。

合意形成を支援するためのマネジメント手法について

本研究では、合理的に協力行動を引き出すため行動の背後にある動機に外生的に作用する要因(以下、インセンティブと称す)に着目し、複数のインセンティブを現行シナリオに付与し改善シナリオを分析した。その結果、以下のa)からe)に示す特性が明らかとなった。

a)柔軟性のある財源が確保できないシナリオは、従前の合意形成形態(従来型、押切り型、呼応型)から脱却できない。柔軟性のある事業予算の安定的確保は"協働型"シナリオ実現の必要条件となる。b)受益者と負担者の一致しない事業は、柔軟な財源確保のみでは相互協力は実現できず、住民の利己的動機に働きかける救済制度あるいは公共意識の高揚を促す政策アプローチが必要となる。c)公共意識の高揚のように事業期間内で実質的対応が困難な場合でも、現場において情報共有を図るための相互コミュニケーションを継続するプロセスを通じて次第に信頼を醸成するといった代替的かつ処方的方策が存在する可能性がある。d)受益者と負担者が一致する事業は、一致しない事業よりも"協働型"シナリオを実現しやすい反面、事業者の意向次第で"押切り型"シナリオとなる危険性も高い。e)シナリオ分析から得られた処方箋により、政策的対応と現場的対応を区別できる。

このシナリオ分析手法を実装することで、関与主体間の敵対的対立やジレンマを回避するためのインセンティブを継続的にマネジメントする新たな合意形成支援手法"インセンティブマネジメント"を構築できた。インセンティブマネジメントを適用することにより、現状シナリオを改善するための処方箋が得られ、ダイナミックに変化する現場状況に応じた適切な対応あるいは支援の可能性が示された。

本研究により、合意形成支援手法とその使用法に関するモデルケースが示されたことで、これまで経験や勘を頼りに手探り状態で対話と対策を繰り返してきた現場担当者に合意形成を支援するための実践的マネジメントツールを提供できた。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、社会基盤整備における合意形成の実態を調査し、合意形成プロセスに影響を与える要因とその影響メカニズムを分析することにより、合意形成を支援するための手法(以下、合意形成支援手法と称す)を構築することを目的としている。

大分県内で実施されている道路整備事業、河川改修事業、公園整備事業における合意形成の実態を調査し、内包する問題とその要因の分析を試みている。その結果、事業予算、地域特性、事業特性は合意形成プロセスに影響を与える要因であること、特に事業特性には、受益者と負担者の関係(利害対立特性と称した)から生じるジレンマが内包されていること、道路の種別と構造、河川法改定、地域の抱える潜在ニーズも合意形成プロセスに影響を与える要因となること等を明らかとしている。

合意形成プロセスの特性を整理した結果、合意形成プロセスは、国と事業者の事業に関する(1)設計協議段階と、利害関係主体への説明段階である(2)計画説明段階、(3)事業説明段階、(4)用地交渉段階、(5)工事説明段階の5つの段階から構成され、その統合が社会基盤整備の合意形成プロセスとなること、影響要因として、(1)事業予算 (2)事業特性 (3)地域特性 (4)法令規定 (5)社会的背景等を挙げると共に、(1)情報共有 (2)信頼 (3)社会的規範等が欠如すると合意形成が困難と論じている。

交渉学における理論的枠組みや交渉スキルを用いて、合意形成プロセスの分析を試みた結果、我が国の合意形成の現状を、立場駆け引き交渉に特徴付けている。立場駆け引き交渉を克服するために、当事者の主観を排除した基準を用いる原則立脚型交渉の合意形成への適応可能性を検討した結果、第三者の選定から客観的基準の導出に到る過程で住民の合意を必要とするため、この手法自体に新たな合意形成問題が内包されているとしている。

非協力ゲームの枠組みを用いて、行政と住民を基本とした二者間交渉モデルを各段階で構築し、ゲーム理論の合意形成分析への適用可能性を検討した結果、ゲーム理論を適用したモデルで合意形成の現状を表現できたのは、基本設計協議段階および工事説明段階のみであることを示している。その原因として、(1)関与主体の不完全な合理性 (2)認識されたゲームの変更可能性 (3)段階的かつシステム的特性等を十分表現できなかったことと分析し、合意形成分析に用いる理論の要求性能を明らかとしている。この要求性能を満足する理論モデルとして、人間のもつ感情や自己実現等の非合理的側面を一定の理論的枠組みで取り扱えるドラマ理論の適用を検討した結果、現状の合意形成における問題とその発生メカニズムの分析を可能とすると共に、(1)合意形成プロセスにおける各説明段階は相互に関連しており個別に議論できないこと (2)事業特性により規定される利害対立特性は、合意形成プロセスに影響を与える要因といえること (3)何れのシナリオにおいても関与主体間の対立は、双方の合理的選好や行動により生じるジレンマ状態にあり、そのジレンマは、感情や説得を含む非合理的行動による自らの選好変化から生じる合理的行動により解消され合意ないし同意が形成されること (4)国庫補助制度の基準やそれを支える価値が、住民の意見やニーズを計画に反映できない仕組みを堅持していること (5)事業者の事業進捗への固執が実行性のない協力行動の表明を誘導し、それが後に大きな不信や負の感情を引き起こしていること (6)住民からの要望には、公共事業で実現困難な内容が含まれる一方で、その実現が協力行動への条件となっていること (7)NIMBY問題を内包する事業ほど住民の交渉力が高まり"ゴネ得"交渉となりやすいこと等を明らかとしている。

さらに、ドラマ理論を適用した分析モデルを用いて、合意形成を支援する実践的マネジメント手法を構築している。関与主体間の利害関係や行動特性に適切な影響を与えるインセンティブを継続的にマネジメントする一連のプロセスを"インセンティブマネジメント"と称し、それを大分県で実施されている特性の異なる2つの道路事業に適用して、現状シナリオを改善するための処方箋を得られる可能性を示している。ドラマ理論を適用したシナリオ分析結果から、我が国における合意形成の現状を、行政への盲目の信頼から生じる"従来型"、行政からの一方的説明と説得による"押切り型"、および立場駆け引き交渉の1つである"呼応型"の3つのシナリオに分類している。

本論文は、合理的に協力行動を引き出すため行動の背後にある動機に外生的に作用する要因(以下、インセンティブと称す)に着目し、複数のインセンティブを現行シナリオに付与して改善シナリオを分析している。その結果、a)柔軟性のある財源が確保できないシナリオは、従前の合意形成形態(従来型、押切り型、呼応型)から脱却できず、柔軟性のある事業予算の安定的確保は"協働型"シナリオ実現の必要条件となること b)受益者と負担者の一致しない事業は、柔軟な財源確保のみでは相互協力は実現できず、住民の利己的動機に働きかける救済制度あるいは公共意識の高揚を促す政策アプローチが必要となること c)公共意識の高揚のように事業期間内で実質的対応が困難な場合でも、現場において情報共有を図るための相互コミュニケーションを継続するプロセスを通じて次第に信頼を醸成するといった代替的かつ処方的方策が存在する可能性があること d)受益者と負担者が一致する事業は、一致しない事業よりも"協働型"シナリオを実現しやすい反面、事業者の意向次第で"押切り型"シナリオとなる危険性も高いこと e)シナリオ分析から得られた処方箋により、政策的対応と現場的対応を区別できること等を明らかとしている。

本論文によって構築された合意形成支援手法は、これまでの社会基盤整備の合意形成プロセスで、経験と勘を頼りに手探り状態で対話と対策とを繰り返してきた現場担当者に、斬新で有用な実践的マネジメントツールを提供していると考えられる。

よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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