学位論文要旨



No 216451
著者(漢字) 真保,雄一
著者(英字)
著者(カナ) シンボ,ユウイチ
標題(和) PSP/TSP同時計測による吹出式風洞への感圧塗料の適用
標題(洋) Blowdown Tunnel Application of the Pressure Sensitive Paint by the PSP/TSP Simultaneous Measurement
報告番号 216451
報告番号 乙16451
学位授与日 2006.02.16
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第16451号
研究科 工学系研究科
専攻 航空宇宙工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 李家,賢一
 東京大学 教授 森下,悦生
 東京大学 教授 安部,隆士
 東京大学 教授 藤井,孝藏
 東京大学 助教授 鈴木,宏二郎
内容要旨 要旨を表示する

航空機の機体表面圧力分布データは局所的な流れ場を把握し、空力特性を確認する手段であると共に、機体の構造、装備設計においても利用され、航空機の開発においては数百点の圧力孔を設置した風洞実験模型を用いて幅広い飛行条件についてデータを取得するのが一般的である。このような圧力孔による計測では模型製作や実験準備の際に圧力配管の取扱に多大な労力を費やす必要がある他、圧力孔の設置点のみでしかデータが得られない点計測であるため、模型設計の際には限られた数の圧力孔の設置場所を慎重に検討する必要があった。

これに対して感圧塗料PSP(Pressure Sensitive Paint)は特殊な光化学的特性を持つ発光物質を酸素透過性ポリマーの塗膜中に拡散させたものであり、これに発光物質特有の波長の励起光を照射した際の塗膜の発光強度から圧力を求める光学的な圧力計測法である。PSPは塗布した領域全体の圧力データが得られる面計測であるため1回の計測で得られる情報量が圧力孔計測に比べて格段に多く、また複雑な圧力配管が不要となり、模型の設計製作期間の短縮、コスト削減が可能となる。さらに、航空機特有の薄翼や、模型の構造や加工上の制約から圧力孔を設置することが困難な部分の圧力計測が可能となるため、海外では実験室レベルから航空機の開発に用いられる大型風洞まで普及が進んできたが、その一方で計測原理が化学反応に拠っているために生じる温度依存性に起因する計測誤差についての懸念は未だ解消されていない。そのため、PSPを使用すれば理想的には風洞実験模型には圧力孔が必要無くなるとの予測に反して、これまで行われた風洞実験への適用は模型表面の圧力場のみならず温度場も定常かつ平衡状態にある連続式の高速風洞に限られ、さらにPSPの温度依存性を補正するためのin situ法と呼ばれる較正法を使用するため、模型には圧力孔が必須であった。

本論文ではこのPSPの温度依存性の問題を解決するために、圧力場が定常であっても模型表面温度が時々刻々と変化するために従来PSPがほとんど使われてこなかった吹出式風洞に容易に適用可能なPSP計測手法を開発した。本手法では、航空機の風洞実験模型の片側半面に従来と同様のPSPを、反対側半面にはPSPと類似の光化学的特性を有する感温塗料TSP(Temperature Sensitive Paint)を塗布し、同一のCCDカメラで両塗料の画像を同時に撮影することによって画像計測の簡略化を実現した。また、データ処理の過程においては模型の両半面の温度条件は同一であると仮定してTSPで計測された模型表面の温度場データを用いてPSPの温度依存性を補正し、予め各塗料を塗布した試験片を用いた静的較正実験で把握したPSP、TSP各々の圧力、温度による輝度の変化から圧力を求めるPSP/TSP複合較正法(図1)を採用し、吹出式風洞における模型表面温度の変化に対応可能とすると共に、in situ較正に使用する圧力孔データを必要としないPSP計測を可能とした。

本論文ではまず圧力、温度場とも定常で、海外の大型風洞実験設備と類似の実験条件となり、また、計測する圧力のレベルが最終的な目的である吹出式超音速風洞における風洞実験と類似となる連続式遷音速風洞において予備実験を行った。本実験では航空宇宙技術研究所(当時)の2m×2m遷音速風洞において使用する塗料の発光波長のみを透過する光学フィルタを取付けた画像サイズ1008×1018ピクセルの14ビット冷却式CCDカメラと、キセノンランプの光を光ファイバで導き、塗料の励起波長のみを透過する光学フィルタを取付けた4台の照射器から構成される光学計測装置を風洞の天井部に設置し、主翼の右舷側上面に発光物質PtOEPと酸素透過性ポリマーGP-197を組合せたPSP、左舷側上面に発光物質EuTTAと酸素非透過性ポリマーPMMAを組合せたTSPを塗付したビジネスジェット機模型についてPSP/TSP同時計測を行った(図2)。無風時と通風中に得られた画像を処理して求めたPSP、TSP各々の輝度比データにPSP/TSP複合較正を適用して求めたマッハ数M=0.73、迎角α=2.3°における圧力場の定量的可視化結果の例を図3に示す。また、図3に示す4断面についてPSP計測結果を抜き出し、同一断面に設置された圧力孔による計測の結果と、通風前後各々の無風画像を使用した従来のin situ較正を適用した結果と併せて図4に示す。各断面ともに圧力孔データを全く参照しないPSP/TSP複合較正でも、PSP計測結果と圧力孔データの一致は良好であり、圧力孔データを参照するin situ較正と同等の計測精度を有していることが分かる。また、図5(a)は計測を行った全ての実験条件においてPSPの計測結果と圧力孔データの対応を示しており、PSP計測結果が20〜80kPaの広い圧力範囲において圧力孔データとほぼ一致しており、これを統計的に処理すると図5(b)に示すように合計3530点のPSP計測結果と圧力孔データの平均差分は0.49kPaとなっている。これは圧力係数に換算するとマッハ数M=0.6においてΔCp=0.03、M=0.75においてΔCp=0.02に相当し、海外の大型風洞でのin situ較正を用いたPSP適用例における代表的な計測精度ΔCp=0.04と同等となっており、PSP/TSP同時計測が圧力場、温度場とも定常な実験条件では有効であることが確認された。

超音速旅客機(SST)形状では一般に主翼下面に搭載される推進系から発生する強い衝撃波によって流れ場が変化し,機体の空力特性に大きな影響を与えることが知られている。一方でSSTの主翼は翼厚比3〜4%の薄翼を使用することが多く,縮尺模型の場合には構造上の制約から多数の圧力孔を設置することができず、PSPは圧力計測の重要な手段となる。そのため予備実験に引き続き、吹出式風洞におけるPSP/TSP同時計測の有効性を確認すると共に、SST形状の機体/推進系の干渉を把握するために航空宇宙技術研究所(当時)の1m×1m吹出式超音速風洞において風洞実験を実施した。本実験においても、遷音速風洞実験と同一のPSPをSST模型の右舷側上下面に、TSPを左舷側上下面に塗布し、主翼の下面に大小2種類のナセルを搭載した形態とナセル無しの形態についてマッハ数M=1.4〜2.0において実験を行った。本実験では光学アクセスの制約から遷音速風洞実験と同様の光学計測装置は風洞計測部の左舷側シュリーレン窓の外側に設置し、これに対応して模型は±90°バンクさせ、迎角、横滑り角ともに0°の状態で上下面について計測を行った(図6)。実験は風洞通風前の模型表面温度が一定の状態で無風時の画像を計測し、通風時には使用したPSPの急激な圧力変化に対する応答が約2秒であることを勘案し、風洞気流が静定してから2秒後に1枚目の画像を、その後約6.5秒毎に合計6枚の通風画像を取得した(図7)。取得した各々の画像についてPSP/TSP複合較正を適用した結果、最大翼厚4.9mmの翼半幅位置η=0.5において、大ナセル搭載時には図8に示すようにM=2.0における40秒間の通風中に模型表面温度が約10℃低下し、これに対応して圧力場が定常であってもPSPの輝度比データが変化を示したにもかかわらず、処理された圧力データは2枚目の画像以降ほぼ同一の結果を示し、PSPの温度依存性が問題無く補正されていることが明らかとなった。またデータ処理の過程において圧力孔データを一切参照しなかったにもかかわらず、大ナセル、小ナセル各々を搭載した形態のη=0.09、0.5におけるPSP計測結果は同時に計測された圧力孔データと良好な一致を示し、さらに圧力孔による点計測では捉えられない急激な圧力変化の詳細を捉えている(図9)。この結果よりPSP/TSP同時計測を行うことによってPSPが模型表面温度が時々刻々変化する吹出式風洞に適用可能となったのみならず、圧力孔を持たない模型についても圧力計測が可能となることが明らかにされた。さらに遷音速風洞実験の場合と同様に、実験を実施した各マッハ数、形態におけるPSP計測結果と圧力孔データの関係を図10にまとめる。PSP計測結果は20kPa〜60kPaまでの広い圧力範囲において圧力孔データとよく一致しており、合計411サンプルを平均すると約3.2kPaの計測誤差となっている。この計測誤差は物理量としては遷音速風洞実験よりも大きくなっており、その原因としてはPSP/TSP複合較正では同一と仮定している左右の主翼の温度場の不均一、データ処理の際に適用する静的較正実験結果の低温、低圧環境における精度等に起因するものと考えられるが、一方で超音速風洞実験では動圧も高く、圧力係数に換算するとマッハ数M=2.0ではΔCp=0.04に相当し、前述の遷音速風洞実験、海外における計測実績とほぼ同等となっており、十分な計測精度を有している。最後に図11は大ナセル、小ナセル各々についてM=2.0における下面の圧力分布を示したものである。推進系との干渉によって発生する複雑な衝撃波を含む圧力場が明確に捉えられており、PSP計測の定量的な圧力場の可視化手法としての有用性が示されている。

以上の結果より、PSPとTSPを風洞実験模型の両半面に塗り分け、PSP/TSP複合較正を適用することによってPSPの温度依存性の問題が解決され、圧力孔データを参照することなくPSP計測が吹出式風洞においても適用可能となることが明らかにされた。

図1 PSP/TSP複合較正のフローチャート

図2 遷音速風洞実験概要図

図3 遷音速風洞実験における圧力場計測例(M=0.73、α=2.3°)

図4 遷音速風洞実験におけるPSP計測結果と圧力孔データの比較例(M=0.73、α=2.3°)

図5 遷音速風洞実験における計測精度の評価

図6 吹出式超音速風洞実験概要図

図7 吹出式超音速風洞実験の計測手順

図8 吹出式超音速風洞実験におけるPSP/TSP複合較正の適用結果例(大ナセル形態、M=2.0、η=0.5)

図9 吹出式超音速風洞実験におけるPSPデータと圧力孔データの比較(M=2.0、上段η=0.09、下段η=0.5)

図10 吹出式超音速風洞実験における計測精度の評価

図11 吹出式超音速風洞実験における主翼下面の圧力場の可視化(M=2.0)

審査要旨 要旨を表示する

工学修士真保雄一提出の論文は「Blowdown Tunnel Application of the Pressure Sensitive Paint by the PSP/TSP Simultaneous Measurement (PSP/TSP同時計測による吹出式風洞への感圧塗料の適用)」と題し、本文5章及び付録4項から成っている。

航空機の表面圧力は、航空機周りの流れ場を把握し、その空力特性を確認するために用いられる。このために多数の圧力孔を設けた風洞実験模型を用いた表面圧力分布が計測される。しかし、この計測法では、圧力孔の設置点のみでしかデータが得られず、詳細な圧力分布を得ることは困難である。これを改善するために圧力孔の数を増やすことは、模型寸法等による制限のため限界があった。これに対して感圧塗料(Pressure Sensitive Paint、以降PSPと呼ぶ)は特殊な光化学的特性を持つ発光物質を酸素透過性ポリマーの塗膜中に拡散させたもので、これに励起光を照射した際に塗料から発光される光の強度を計測することによって表面圧力を求めることができる。PSPは塗料を塗布した領域全体の圧力が得られる面計測であるため、面全体の詳細な圧力計測が可能になる。しかしながら、PSPには温度依存性があるため、従来のPSP計測法では模型に設けられた圧力孔を同時に用いて較正を行うことが必須であった。また、これまで行われたPSP計測は、温度場が定常かつ平衡状態にある連続式高速風洞にほぼ限られていた。

著者は、模型表面温度が時々刻々と変化するために従来PSPを適用することが困難であった吹出式風洞に適用可能で、かつ計測精度の高いPSP計測手法を確立することを目的として、実験的研究を行った。そのために、風洞実験模型の片側半面にPSPを、反対側半面にはPSPと類似の光化学的特性を有する感温塗料(Temperature Sensitive Paint、以降TSPと呼ぶ)を塗布して画像計測を行い、データ処理に際してはTSPで計測された模型表面の温度場データを用いてPSPの温度依存性を補正するPSP/TSP同時計測法を採用し、吹出式風洞における模型表面温度の変化に対応可能とすると共に、圧力孔データを全く必要としないPSP計測法を確立することとした。

第1章は序論で、PSPに関して行われた従来の研究について述べ、PSPの未だ解決されていない問題点を明らかにすることにより本研究の目的と意義を明確にしている。

第2章では、実験方法とデータ処理法についてまとめている。すなわちPSPの原理、PSP塗料、計測に用いた光学系、較正方法、データ処理法である。

第3章では、本研究で用いられた手法が従来のPSP計測手法と同等の計測精度を有することを確認するために、連続式遷音速風洞で行われた実験結果について示されている。PSPとTSPを塗付した航空機模型についてマッハ数M=0.73においてPSP/TSP同時計測が行われた。その結果、PSP計測結果と圧力孔データの一致は良好であり、計測精度は圧力孔データを参照する従来のPSPによる計測精度と同等であることが示され、圧力場、温度場とも定常な実験条件ではPSP/TSP同時計測が有効であることを確認した。

第4章では、模型表面温度が時々刻々と変化する吹出式超音速風洞においてPSP/TSP同時計測を行った結果について示している。超音速旅客機形状の主翼下面に大小2種類のエンジンナセルを搭載した風洞試験模型が用いられた。その結果M=2.0における約40秒間の通風中に模型表面温度が約10℃低下したにもかかわらず、PSPの温度依存性が補正された圧力計測結果が得られた。またPSPで計測された圧力データは、別途計測された圧力孔データとよい一致を示した。すなわちPSP/TSP同時計測手法を用いることによってPSPが温度変化のある吹出式風洞に適用可能であり、また十分な計測精度を有していることが明らかにされた。更に、圧力孔による計測では捉えることが困難であった機体とエンジンナセル系が複雑に干渉する超音速機体周りの圧力場を定量的に可視化できることも示された。

第5章は結論で、本研究で得られた結果を要約している。

付録は4項から成り、日本国内でのPSPの研究開発過程、従来用いられたPSPの計測法、PSP較正法、画像データ処理法に関する説明がなされている。

以上要するに、本論文は従来PSPでは計測することができなかった非定常かつ非平衡温度状態にある流れ場におかれた風洞模型の表面圧力を感圧塗料によって精度高く計測する手法を確立することを目的として、PSP/TSP同時計測手法を用いた実験的研究を行った結果、模型表面温度が時々刻々と変化する吹出式風洞においても十分な精度で感圧塗料を用いた圧力計測が可能であることをはじめて明らかにしたものである。このことは、空気力学研究ならびに今後の航空機設計開発に有用な手法を提供するものであり、その成果は航空宇宙工学に貢献するところが大きい。

よって、本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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