学位論文要旨



No 216455
著者(漢字) 松原,全宏
著者(英字)
著者(カナ) マツバラ,タケヒロ
標題(和) 新しいヒト間葉系幹細胞の増殖法の開発 : 基底膜細胞外基質を用いたヒト間葉系幹細胞の増殖法について
標題(洋)
報告番号 216455
報告番号 乙16455
学位授与日 2006.02.22
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第16455号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 高戸,毅
 東京大学 助教授 鄭,雄一
 東京大学 助教授 星,和人
 東京大学 助教授 米原,啓之
 東京大学 講師 田中,栄
内容要旨 要旨を表示する

【実験の背景及び目的】

ヒト腸骨由来の間葉系幹細胞は、多分化能を有する組織幹細胞として再生医療における移植細胞として注目されている。しかし、ヒト間葉系幹細胞のin vitroでの増殖能は乏しく、また増殖とともに分化能を失っていくことが知られており、臨床応用を考えたとき克服すべき課題である。

間葉系幹細胞同様、軟骨細胞もin vitroで培養した場合、増殖するとともに軟骨への分化能を失うことが知られている。加藤らは、ウシ角膜内皮細胞が分泌する細胞外基質をコートしたディッシュ上で軟骨細胞を培養することで、軟骨細胞が増殖能を維持し、同時に軟骨細胞への再分化能を維持することを報告している。

我々は加藤らが用いた方法がヒト間葉系幹細胞の増殖促進と分化能維持にも応用できる可能性に着目した。

ウシの角膜内皮細胞が分泌する細胞外基質はそのほとんどが基底膜細胞外基質であることが知られている。ウシの細胞を用いることは、臨床応用を考えたとき牛海綿状脳症感染の問題と、再生医療の普及を考えたとき細胞株でないことによる量的な制約の問題があり、ウシ角膜内皮細胞に代わる細胞外基質産生用細胞を使用することが望ましいと考えられた。ウシ角膜内皮細胞と同様に基底膜細胞外基質を産生するマウスの細胞株であるPYS2細胞の分泌する基底膜細胞外基質をコートしたディッシュを作成した。

本研究の目的は、ウシ角膜内皮細胞およびPYS2細胞により作成した基底膜細胞外基質コートディッシュが、ヒト間葉系幹細胞の増殖および分化に与える影響を明らかにして考察することである。

【実験材料及び方法】

基底膜細胞外基質コートディッシュの作成

ウシ角膜内皮細胞およびPYS2細胞をデキストラン存在下に培養すると、細胞の下に基底膜細胞外基質が蓄積される。細胞をアルカリ処理にて破裂させると培養皿の底に基底膜細胞外基質が沈着する。

このようにしてできた基底膜細胞外基質はしっかりとした構造を持ち、針で切り込みを入れ一枚の紙のように翻転することが可能であった。また、顕微鏡像では基底膜細胞外基質は網目状の構造を有していた。

IV型コラーゲンコートディッシュ、ラミニンコートディッシュおよびECM gel コートディッシュの作成

基底膜の基本構造はIV型コラーゲンとラミニンの相互の結合を基本にへパラン硫酸プロテオグリカンがこれを安定化させている超分子構造と考えられている。基底膜細胞外基質コートディッシュと増殖促進効果を比較するために、基底膜細胞外基質の主要な構成成分であるIV型コラーゲン、ラミニンをコートしたディッシュおよび基底膜細胞外基質の抽出物であるECMgelをコートしたディッシュを作成した。

ヒト間葉系幹細胞の培養

ヒト間葉系幹細胞は、腸骨または下顎骨を穿刺して得た骨髄から採取した。骨髄液を基底膜細胞外基質コートディッシュ上に直接播種すると、紡錘状のヒト間葉系幹細胞以外に通常のプラスチックディッシュ上には接着しない多角形の内皮系細胞や球型の血球系細胞が大量に付着し、これらがヒト間葉系幹細胞の増殖を阻害する。そのため、骨髄液は一度プラスチックディッシュ上で培養し、回収したヒト間葉系幹細胞を用いて実験に使用した。分離したヒト間葉系幹細胞を60mmの何もコートしていないプラスチックディッシュ、基底膜細胞外基質コートディッシュ、ラミニンコートディッシュ、 IV型コラーゲンコートディッシュ、ECM gelコートディッシュ上に1000細胞/cm2の播種密度で播種し、接着細胞がコンフルエントに近づく度に、同じ播種密度で同じ種類のディッシュの上で継代した。

軟骨・骨・脂肪分化誘導および分化能の評価

軟骨・骨・脂肪への分化能の評価は、PYS2細胞が分泌する基底膜細胞外基質上およびプラスチック上で培養した腸骨由来のヒト間葉系幹細胞を、培養15日目(2代目)および培養51日目(5代目)に回収して使用した。分化誘導はin vitroの誘導法として広く行なわれているPittengerらの方法を修正して行った。

ペレットカルチャーによる軟骨分化誘導後、トルイジンブルー染色・グリコサミノグリカン定量・アルカリフォスファターゼ活性測定・RT-PCRによるII型コラーゲンおよびX型コラーゲンのmRNAの発現により軟骨分化能を評価した。骨分化誘導後、アリザリンレッド染色・カルシウム定量・アルカリフォスファターゼ活性測定・RT-PCRによるボーンシアロプロテイン、オステオポンチン、オステオカルシンのmRNAの発現により骨分化能を評価した。脂肪分化誘導後、オイルレッドO染色・グリセロール3燐酸脱水素酵素活性測定・RT-PCRによるPPARγのmRNAの発現により脂肪分化能を評価した。

ヒト血清下での増殖能および軟骨分化能の検討

臨床での自己血清を用いたヒト間葉系幹細胞の培養を考慮し、ヒト血清下での増殖能および軟骨分化能の比較を行なった。この実験ではヒト間葉系幹細胞の増殖促進作用を持つことがすでに報告されている線維芽細胞増殖因子(FGF-2)と基底膜細胞外基質との増殖促進作用の比較も行なった。腸骨由来のヒト間葉系幹細胞を基底膜細胞外基質上、プラスチック上および1ng/mlのFGF添加下にプラスチック上で培養した。基底膜細胞外基質上およびプラスチック上で66日間培養したヒト間葉系幹細胞を用いペレットカルチャーにて軟骨分化誘導を行い、トルイジンブルー染色を行なった。

【実験結果】

ヒト間葉系幹細胞を基底膜細胞外基質上で培養するとプラスチック上で培養するより著明に増殖が促進された。基底膜細胞外基質上で培養したヒト間葉系幹細胞のライフスパン(50.3+/-1.5days)はプラスチック上で培養したヒト間葉系幹細胞のライフスパン(29.2+/-4.4 days)よりも有意に長かった。

ヒト間葉系幹細胞は低密度で培養すると継代する度に、紡錘状の形態を失い平板状になっていった。しかし、基底膜細胞外基質上で培養すると5代目(培養45日目)のヒト間葉系幹細胞も紡錘状の形態を維持した。

ラミニンコートディッシュおよびIV型コラーゲンコートディッシュは基底膜細胞外基質コートディッシュに比べヒト間葉系幹細胞に対する増殖促進効果は弱かった。ECM gelの構成要素はウシ角膜内皮細胞やPYS2細胞が分泌する基底膜細胞外基質とほぼ同しである。しかし、ヒト間葉系幹細胞に対する増殖促進効果は我々の作成した基底膜細胞外基質コートディッシュよりも低かった。

分化能に関しては、基底膜細胞外基質上で培養したヒト間葉系幹細胞、プラスチック上で培養したヒト間葉系幹細胞とも継代が進むにつれて徐々に軟骨・骨・脂肪への分化能を失っていった。しかし、2代目においても5代目においても基底膜細胞外基質上で培養したヒト間葉系幹細胞の方がプラスチック上で培養したヒト間葉系幹細胞よりも高い分化能を示した。つまり、ヒト間葉系幹細胞を基底膜細胞外基質上で培養することで軟骨・骨・脂肪への分化能が維持された。

10%ヒト血清下においても基底膜細胞外基質上で培養したヒト間葉系幹細胞の方がプラスチック上で培養したヒト間葉系幹細胞よりも高い増殖能を示した。更にその効果はFGF-2よりも強力であった。基底膜細胞外基質上で66日間培養したヒト間葉系幹細胞が軟骨への分化能を維持していたのに対して、プラスチック上で培養したヒト間葉系幹細胞はほとんど軟骨の基質を産生しなかった。

【考察と結論】

基底膜細胞外基質は組織の形成や維持、外傷後の修復において大変重要な役割を果している。様々な組織において幹細胞が基底膜に接して存在しているという事実は、基底膜細胞外基質が幹細胞の自己複製能に関与していることを示唆している。

骨髄中ではヒト間葉系幹細胞は高い増殖能を維持しながらも特別な刺激がないかぎり増殖せず、また高い分化能を持ちながら分化をしない静止状態で存在していると予想され、そのようなメカニズムが骨髄中には存在すると考えられる。本研究で我々は、少なくともin vitroで基底膜細胞外基質はヒト間葉系幹細胞の増殖能と分化能を維持することを示した。しかし、生体内の骨髄には基底膜細胞外基質は存在しない。骨髄中では他の基質が幹細胞を維持する微小環境としての役割を果していると考えられる。

本法の問題点として、異種動物の細胞を用いることによる交差感染の可能性や基底膜細胞外基質コートディッシュの作成方法の煩雑さが挙げられる。

交差感染を防ぐための方法のひとつは、ヒトの細胞を用いて基底膜細胞外基質を分泌させる方法が考えられる。本人の腰帯などから血管内皮細胞を使用することが出来れば理想的である。もう一つは、完成した基底膜細胞外基質を使用に先立ち放射線照射を行なう方法である。放射線照射によりプリオン以外の既知の感染は防げると考えられる。我々が、ウシ角膜内皮細胞の使用を避けたのはこのためである。

ディッシュ作成の煩雑さは、大きな課題である。汎用性を考えるならば、基底膜細胞外基質の有効成分あるいは基底膜細胞外基質を有効足らしめている構造を同定し、マトリックス工学的な手法を用いなければならないと考えられる。

これらの問題を解決できれば、基底膜細胞外基質を用いたヒト間葉系幹細胞の大量増殖法はごく少量の骨髄採取により再生医療に必用な細胞を得ることを可能にする道を開くものであり、多くの臨床家の期待にこたえるものと考えられる。今後、基底膜細胞外基質が再生医療の現場や基礎研究で研究されまた利用されて行くことを期待している。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は、再生医療の細胞源として注目されているヒト間葉系幹細胞を、多分化能を維持したまま大量に増殖させる培養法を開発することを目的にしている。この目的のために、申請者は基底膜細胞外基質上でヒト間葉系幹細胞を培養し、その増殖能と多分化能を解析して下記の結果を得ている。

ヒト間葉系幹細胞を基底膜細胞外基質でコートした培養皿上で培養すると通常のプラスチック培養皿上で培養するより著明に増殖が亢進した。基底膜細胞外基質上で培養したヒト間葉系幹細胞のライフスパン(50.3+/-1.5days)はプラスチック上で培養した間葉系幹細胞のライフスパン(29.2+/-4.4days)よりも有意に延長した。

ヒト間葉系幹細胞をプラスチック培養皿上で低密度で培養すると継代する度に、紡錘状の形態を失い平板状になっていった。しかし、基底膜細胞外基質上で培養すると5代目(培養45日目)でもヒト間葉系幹細胞は紡錘状の形態を維持した。平板状の細胞形態は老化を示唆するものであり、したがって、この結果は基底膜細胞外基質がヒト間葉系幹細胞の老化を抑制することを示唆している。

基底膜細胞外基質上で培養したヒト間葉系幹細胞、プラスチック上で培養したヒト間葉系幹細胞とも継代が進むにつれて徐々に軟骨・骨・脂肪への分化能が低下した。しかし、2代目においても5代目においても基底膜細胞外基質上で培養したヒト間葉系幹細胞の方がプラスチック上で培養したヒト間葉系幹細胞よりも高い分化能を示した。すなわちヒト間葉系幹細胞は基底膜細胞外基質上で培養することで軟骨・骨・脂肪への分化能を維持することが示された。

ヒト血清存在下においても基底膜細胞外基質上で培養したヒト間葉系幹細胞の方がプラスチック上で培養したヒト間葉系幹細胞よりも高い増殖能および分化能を示した。更にその効果はヒト間葉系幹細胞の増殖能および分化能維持作用が既に明らかにされているFGF-2よりも強力であった。

以上、本論文は基底膜細胞外基質上で培養することで、ヒト間葉系幹細胞の増殖能と多分化能を長期間維持することができることを明らかにした。本研究は、これまでにない安全でかつ有力なヒト間葉系幹細胞の増殖法を開発したものであり、再生医療の普及に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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