学位論文要旨



No 216462
著者(漢字) 内田,綾子
著者(英字)
著者(カナ) ウチダ,アヤコ
標題(和) アメリカ先住民の歴史的記憶と現在 : 文化継承の模索
標題(洋)
報告番号 216462
報告番号 乙16462
学位授与日 2006.03.01
学位種別 論文博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 第16462号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 油井,大三郎
 東京大学 教授 遠藤,泰生
 東京大学 教授 能登路,雅子
 東京大学 教授 瀧田,佳子
 立教大学 教授 阿部,珠理
内容要旨 要旨を表示する

本研究は、現代のアメリカ先住民による文化継承の試みと彼らの歴史的記憶に焦点をあて、それらが合衆国の国民統合とどのように関わり、今日の多文化主義においていかなる位置を占めているのかを考察した。その上で、先住民が合衆国の政策にどのようにして働きかけ、自己のエンパワメントをはかってきたのかを明らかにした。

これまでに、内外のアメリカ先住民史研究は一定の蓄積を見ており、現代の連邦政策と先住民の対応も徐々に検討されている。しかし、従来の研究では政策的・制度的分析が多く、先住民の文化的アイデンティティや歴史的記憶との関わりについては、まだ十分に明らかにされていない。今日、先住民の自治や経済開発の問題は、彼らの文化や歴史に対する意識と深く絡まり合っているように思われる。本論文は、このような問題関心から、現在の自決政策時代に至る過程での先住民の動きを文化的観点からとらえ、連邦政府との関係を社会文化史的に考察した。その際、部族を超えた汎インディアン運動や全国的な背景を考慮しつつ、とくにアメリカ中西部に暮らす平原部族であるスー族(サウスダコタ州)・シャイアン族(モンタナ州・オクラホマ州)の事例に注目して検討した。

研究の焦点に関しては、(1)「連邦政策と先住民の対応」として、現代の先住民政策の展開において、先住民が具体的にどのような働きかけをしたのか、という点を分析した。次に、(2)「先住民による文化継承」に着目し、信仰や言語などの「伝統文化」をめぐって、20世紀初頭の同化主義の時期から今日にかけて彼らがいかなる課題に直面し、どのような対応と戦略をとってきたのかを考察した。最後に、(3)「先住民の歴史的記憶」として、スー族とシャイアン族の歴史意識に光を当て、その集合的記憶が合衆国の公的記憶や多文化主義とどのような関係にあるのか、を検証した。

上記の研究における視角として、第一に、アメリカ先住民を客体として論じるにとどまらず、歴史的なアクターとしてその姿と役割を明らかにすることを試みた。つまり、先住民を「弱者」として捨象することなく、行為者の視点から分析し、その軌跡を歴史の中に位置づけることを目指した。第二に、先住民の運動を合衆国の国民統合との関わりにおいて、より柔軟にとらえていくことを心がけた。ここでは、先住民の取り組みに同化と異化双方の方向性が見られるのではないか、という仮説の下に、そのアイデンティティの重層性について考慮した。

本研究では主に一次史料として、新聞・雑誌・政府公文書・文献等を用い、先住民団体が発行した機関誌や部族評議会の議事録などから先住民の動きや主張を探った。さらに先住民個人の姿をとらえるためにも、多様な人物の手記や自伝、インタビューなどのナラティヴを史料に用いて、彼らの声を拾い上げることに努めた。また、現地で行った参与観察や非公式なインタビューも研究を進めていくうえで参考にした。

本論では、まず、第1章と第2章において、現代の先住民政策の背景と先住民運動の展開を検討し、第3章以降で文化継承と歴史的記憶に関する具体的考察を行った。

第1章「同化から自治へ」では、先住民と合衆国との間の歴史的な信託関係について確認した上で、20世紀初頭からインディアン・ニューディールを経て、戦後の連邦管理終結に至る連邦先住民政策の変遷と、これらへの先住民の対応・取り組みを論じた。具体的には、1910年代のアメリカ・インディアン協会(SAI)における汎インディアン主義の動きを検討した後、インディアン再組織法が先住民にもたらした影響、そして戦後の変化を全国アメリカ・インディアン議会(NCAI)に焦点を当てて分析した。1950年代までに連邦先住民政策は同化主義と自治尊重の間を揺れ動いたが、この時期を通じて先住民が育んだ自治権の意識をとらえなおした。

第2章「自決の模索」では、1960年代以降の先住民運動と自決政策への移行を検討した。連邦政府の貧困対策へのNCAIの反応に注目し、さらに全国インディアン青年評議会(NIYC)やアメリカン・インディアン・ムーブメント(AIM)を中心とした先住民運動の展開を論じ、これらがアメリカ社会にどのようにはたらきかけ、自決政策を導いていったのかを検証した。

第3章「文化的適応のかたち」では、先住民の文化的アイデンティティの生成を探るために、平原部族の二つの信仰・儀式をとり上げ、主流社会からの規制にもかかわらず、彼らがどのようにそれらを保持・再編してきたのかを考察した。まず、ラコタ・スー族の間で伝統儀式のサンダンスが変容しつつ継承されてきた過程を論じた。そして、19世紀末に平原インディアンの間で広まったペヨーテ信仰に着目し、キリスト教と土着信仰の融合とともに、先住民がいかにペヨーテ信仰を守っていったのかを分析した。

第4章「文化継承の試み」では、1970年代以降の自決政策の時代に、アメリカ先住民の信仰と言語をめぐって、いかなる動きがみられたのかを探った。先住民の信仰問題に関わる近年の裁判所や議会の動向を考察し、その課題について検討した。次に、先住民の部族語がおかれている状況を、先住民教育と部族語復興の取り組み、そして英語公用語化運動の影響とともに論じた。

第5章「経済開発と文化」では、先住民が今日、部族の文化と自治を保持していくうえでいかなる問題を抱え、どのような経済活動が保留地で試みられているのかを検討した。シャイアン族における経済開発を環境問題と連邦プログラムの観点からとらえる一方で、スー族のローカルな経済活性化の取り組みにも焦点をあてて分析した。伝統文化とのバランスの上に成り立った先住民の経済活動とはいかなるものかを探りつつ、人々のローカルなエンパワメントのあり方を考えた。

第6章「記憶の景観」では、近年、歴史解釈をめぐって争点となってきた19世紀後半の事件の跡地を取り上げ、それぞれが先住民の記憶と合衆国の公的記憶においてどのような意味を帯び、位置を占めているのかを検証した。スー族の聖地ブラックヒルズとウンデッドニー虐殺地(ともにサウスダコタ州)、また、リトルビッグホーン戦場(モンタナ州)とサンドクリーク虐殺地(コロラド州)に焦点をあて、先住民と合衆国の間の論争を分析した。記憶やアイデンティティの源として、先住民がこれらの地に対して抱いてきた歴史意識に光をあてることを試みた。

終章では、以上の議論をまとめ、現代アメリカの国民統合と多文化主義における先住民の位置について結論を導き、今後の展望をはかった。結論の一点目は、同化と自治の間を揺れ動いた20世紀の連邦政策において、先住民は自らの立場を主張すると同時に合衆国から承認を得るために、同化と異化という双方のアプローチを使い分け、また組み合わせてきた、という点である。つまり、条約権に基づいて自治や自決の権利を要求する異化の方向性と、合衆国の市民権の観点から平等と差別撤廃を要求する同化の方向性である。これは差異と平等を両立し、実現させようとする試みであり、この柔軟な戦略によって、先住民は限られたリソースから自らの権利を導き、確立していくことができたと言える。先住民の運動は、文化的独自性や自治を合衆国の中で守り、承認を得るために、連邦との信託関係維持と自決という二つの原理を追求してきた。これらは一見矛盾するようだが、ともに歴史的な条約権に根ざしている。先住民の自決意識は合衆国との歴史的関係の中で育まれ、その国民統合に対応して編み出された独自の政治的戦略であった。そして、この過程で先住民は、1)先住民個人、2)ローカル、3)部族、4)超部族(汎インディアン主義)、5)国際的レベル、という複数の次元で権利運動を展開し、発展させてきた。先住民という共通のアイデンティティと歴史観の下に連帯を試み、アメリカ社会に働きかけたのである。このように、先住民はアメリカの国民統合において客体にとどまらず、ナショナルな次元にとらわれないネットワークを発達させて文化を継承し、権利を守ろうとしてきた。

結論の二点目は、先住民の歴史的記憶は、彼らのアイデンティティの起点となって文化継承を促し、合衆国から「尊厳」の承認を得るよう駆り立ててきたという意味において、多文化主義の問題関心と重なり合っている、ということである。19世紀の条約締結や土地喪失、合衆国軍との衝突、虐殺などの歴史的事件は、先住民の集合的記憶を形成し、彼らのアイデンティティを支えてきた。マイノリティは尊厳を回復し、エンパワメントをはかる過程で、文化本質主義的な言説によって対抗的なアイデンティフィケーションを確立しようとすることがある。先住民は、その歴史的記憶を通じて自己を解釈し、自治権を守って伝統文化を継承する力を導いてきた。そして、その歴史的記憶をめぐって合衆国から自らの尊厳への承認を得ようと働きかけてきた。なぜなら、合衆国は記憶の共同体としての先住民を創出した当事者であり、その合衆国から尊厳を回復することによって先住民は歴史的記憶から解き放たれ、和解にむけた新たな関係を築いていくことができるからである。

このようなアメリカ先住民の軌跡が示しているのは、部族の土地に根ざしたローカルなアイデンティティであり、合衆国において、自らの文化と「伝統」の領域を守り、独自性を保持しようとする意志であろう。グローバル化が進展する中、アメリカ先住民の経験は、合衆国が世界の多様な文化と向き合い、共生をはかっていくうえで、有効な手がかりをもたらし得ると思われる。

審査要旨 要旨を表示する

内田綾子氏提出の博士論文「アメリカ先住民の歴史的記憶と現在ー文化継承の模索ー」は、先住民諸部族における伝統文化の再発見とその継承活動が連邦政府の先住民政策にどのような変容を与えたのかに注目した文化社会史研究である。

これまでの日本におけるアメリカ先住民研究は、主として先住民の運動史と連邦政府の先住民政策史の分野に集中してきたが、本論文は1970年代以来台頭が著しい「新しい社会史」の方法に共鳴して、先住民諸部族自身による主体的な文化創造活動に注目するとともに、それが連邦政府の先住民政策に与えた影響を探ることによって、アメリカ社会における先住民の文化的な「同化と異化」の相関を問おうとした力作である。

具体的な対象としては、主としてサウスダコタ州に居住するスー族と、モンタナ、オクラホマ両州に居住するシャイアン族という平原部族に注目している。これらの部族は19世紀における米国の「西漸運動」という領土膨張の結果、多くの犠牲を強いられた部族であり、その結果、彼らの伝統文化、たとえば、ペヨーテ信仰とかサンダンスにはその記憶が色濃く浸透している。そのため、本論文では、先住民の独自の文化活動として、宗教、言語、儀礼だけでなく、遺跡や記念碑など彼らの記憶の形成過程にも注目している。

そのため、本論文では、連邦政府側の1次史料だけでなく、先住民諸部族の機関紙誌や評議会議事録、個人の自伝や証言を多数収集し、精力的に利用している。その上、何度かの訪米調査によるフィールドワークに基づく参与観察や聞き取り調査の成果もふんだんに利用されており、先住民の文化社会史という新しい分野の開拓に相応しい史料発掘の努力もされていると評価できるだろう。

以上の特徴をもつ本論文は、以下の構成で論証が進められている。

まず序章において上記の問題提起や先行研究の整理をおこなった上で、第1章「同化から自治へ」では20世紀初めから1950年代までの連邦政府の先住民政策とそれに対する先住民諸部族の対応が概観されている。ここでは、まず、先住民と米国政府間に形成された信託関係を説明したうえで、同化強制の強かった20世紀初めから「インディアン・ニューディール」期の改革を経て、1950年代における連邦管理終結政策までの変遷が述べられている。

次いで、第2章「自決の模索」では、1960年代以降の先住民運動の高揚とそれに対する連邦政府の自治尊重政策の展開が概観されている。とくに、全国インディアン青年評議会(NIYC)やアメリカン・インディアン・ムーブメント(AIM)などの活動に焦点をあて、「レッドーパワー」などの言説にみられる自決意識の高まりを紹介している。また、それに対応して連邦政府の側が制定した1968年のインディアン公民権法などの立法措置が紹介されている。

このように第1,2章では、20世紀全般における先住民運動と連邦政府の政策を相互連関的に概観しているが、その上で「文化的適応のかたち」と題した第3章では、ラコタ・スー族の間で19世紀末に広まった「サンダンス」が一時「野蛮なもの」として禁止されながら、1970年代に復興していった過程が検討されている。また、19世紀末以来平原インディアンの間で広まったペヨーテ信仰の場合も、白人社会への同化の妨げとして一時規制されながらも、1920年代のインディアン擁護協会などの努力で復活していった過程が紹介されている。

また、第4章「文化継承の試み」では、1970年代以降に進展した先住民独自の信仰復興を求める運動とそれに関連した「聖地」返還や保存運動が発生する中で、連邦議会が1994年に先住民信仰自由法を制定するまでの過程が詳述されている。また、同様に部族語の復活とそれによる教育を求める運動がナバホ族などを中心に台頭した結果、1969年にはナバホ・コミュニティ・カレッジが創設され、1990年には先住民語の保護を規定したアメリカ先住民言語法が成立する過程が紹介されている。

次いで第5章「経済開発と文化」では、シャイアン族の保留地でみられた鉱物資源の乱開発による聖地の破壊などに対して、先住民の側が1982年のインディアン鉱物開発法などの権限を利用して交渉権を強め、聖地や環境の保護を要求していった過程が分析されている。また、ラコタ・スー族の場合は、その保留地が最貧困地帯と呼ばれながら、1986年にラコタ基金を設立し、少額貸付によって地元産業の育成に成功していったという興味深い事例が発掘されている。

次いで「記憶の景観」と題された第6章では、スー族の聖地ブラックヒルズとウンデッドニー虐殺地とか、リトルビッグホーン戦場やサンドクリーク虐殺地に焦点をあてて、これらの遺跡保存をめぐる先住民と連邦政府の交渉過程が紹介されている。とくに、「カスター戦場国立記念施設」という名称が1991年の連邦議会での論争をへて、2003年にはカスター将軍の名を削除し「リトルビックホーン戦場国立記念施設」に変更されたという事実の紹介は興味深い。

最後に、終章においては、同化と自治の間で揺れた20世紀の連邦政府の先住民政策に対応して、先住民は「同化と異化」という双方のアプローチを使い分けて、自らの伝統文化を復活、継承してきたと結論づけている。また、先住民の歴史的な記憶は彼らのアイデンティティの起点となって文化の継承を促進し、米国政府から「尊厳」の承認をかちとることによって米国社会の「多文化主義化」を促進してきたことも結論として強調している。

以上のように、本論文は、1960年代以降の先住民運動のなかで先住民が「伝統文化」を再発見し、それによって部族を超えた「汎インディアン」意識を強め、先住民運動のエンパワーメントを図っていった過程を文献史料だけでなく、現地での参与観察や当事者への聞き取りなどを通じて明らかにした点で高く評価できる。また、そのような自らの尊厳の「承認」を求める先住民の動向に対応して連邦議会や政府が様々な文化的な自治擁護の立法を図ってきた過程の発掘も、日本ではあまり知られていない事実だけにそれを紹介した意義も大きい。

ただし、以上のような意義を有する本論文にも若干の欠陥は見いだせる。まず、先住民の側が「同化と異化の使い分け」を図ってきたという分析枠組みには説明不足が感じられる。確かに、かつて独立国家であり、米国との戦争に敗れて、条約を締結して多くの土地を明け渡してきた先住民の場合、他のマイノリティにはみられない「条約権」という独自の権利が認められてきたという特殊性をもっている。そのため、先住民の運動は絶えず「分離独立」や「自決」の傾向を示しながらも、米国社会からの「統合」の圧力をうけて、米国社会内部のマイノリティとして生活せざるをえなかったという二重性をもってきた。それでも文化的な独自性は長く保持してきたのであるから、「同化」といってもそれは法的な「市民化」の側面が強く、「文化的な同化」とは異なる点も整理が必要であろう。

また、先住民の「伝統文化」を構成する宗教、言語、儀礼、記念碑、記憶などが並列されている印象が強く、それらの諸側面を特定の部族内における集団間の対抗などのダイナミズムに即して、「伝統文化」のどの側面が選択されていったのかという「文化の政治学」的分析が不十分である印象が残る。また、保留地が抱える貧困問題などが果たして文化的なエンパワーメントで解決されるのか、という疑問も残る。さらに、本論文では先住民の文化運動が連邦政府の自治尊重の立法化を実現させ、多文化主義化を促進した面が強調されているが、1990年代の米国では多文化主義を否定する動きも活発であったのであり、そうした角逐の中で先住民文化の保護をめぐる対抗も再評価する必要もあるだろう。

しかし、このような若干の欠陥は本論文の中では補足的なものであり、基本的な価値を損なうものではない。本論文は、先住民自身を歴史の「主体」として復活させるべく、先住民自身が残した様々な史料を丹念に発掘するとともに、度重なるフィールドワークによって先住民自身の「文化的な声」を歴史過程に復活させたことに最大の意義がある。また、連邦議会や政府側の動向についても詳細に検討し、先住民側の「文化的な自治」要求が一部にせよ受け入れられていった過程を実証した意義も大きい。

したがって、本審査委員会は本論文が博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

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