学位論文要旨



No 216464
著者(漢字) 柴崎,茂光
著者(英字)
著者(カナ) シバサキ,シゲミツ
標題(和) 世界自然遺産登録地域及び周縁部を対象とする管理論の構築に向けた基礎的研究 : 鹿児島県屋久島を事例として
標題(洋)
報告番号 216464
報告番号 乙16464
学位授与日 2006.03.01
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第16464号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 永田,信
 東京大学 教授 白石,則彦
 東京大学 教授 下村,彰男
 東京大学 助教授 古井戸,宏通
 東京農工大学 助教授 土屋,俊幸
内容要旨 要旨を表示する

世界遺産とは、1972年のUNESCO総会で承認された、世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約を根拠として、特に貴重な文化財・自然財を全世界共通の財産として保護するために登録されるものである。わが国は1992年6月に上記条約を批准し、現在までに、3箇所の自然遺産(屋久島、白神山地、知床山地)と10箇所の文化遺産が登録されている。しかし、遺産登録によって環境保全と地域経済活性の両立が無条件にかなうとは限らない。むしろ利害関係者間の衝突や、過剰利用による環境劣化等の問題が生じることもある。特に世界自然遺産の場合には、観光利用が過剰になると、自然資源が劣化し、長期的に観光地としての魅力を失うというリスクを抱える。地域経済の活性を促す経済政策を導入することは重要であるが、長期的に自然資源を維持していく管理のあり方も考えねばならない。本論文では、こうした背景と認識のもとで、鹿児島県屋久島を対象に世界遺産地域及びその周縁部における観光利用・管理の現状を把握し、長期的な管理のあり方を考察した。

第1章では、屋久島を訪れる観光客数の推定を高い精度で試みた。これは、屋久島の年間観光客数の推定方法が公表されておらず、公表値(約15万人)を利用できなかったからである。屋久島を対象に交通機関利用者に対するアンケート調査を実施し、3,591名の有効回答を得た。データ取得に際して、全ての入込地点(3箇所)で実施したこと、季節変動の影響を考慮して2001年〜2002年にかけて計4回調査を行ったこと、一定の抽出率を保つために搭乗者の16〜20%を抽出するように努めたことなど、細心の注意を払った。分析の手法は、各時期のアンケート結果に、年間観光客数に占める時期型別の観光客の割合を乗じるという重み付けの加工を行った上で各時期の結果を合算し、年間の平均値を算出した。また山小屋等の宿泊施設の稼働率の推定に関しては、時期別・宿泊数別の度数分布などを導き出した上で、ポアソン分布を仮定し、1日当たりの平均宿泊人数、稼働率などを推計した。その結果、屋久島を来訪する観光客数は年間20万人前後であると推計され、鹿児島県の公表値は過小であると判明した。また観光需要には季節変動が見られ、春期から夏期にかけては個人客中心であるのに対して、それ以外の時期は団体客が主体となっていた。パック旅行客の割合が増えていることも判明し、屋久島が大衆観光地化しつつあることがわかった。さらにエコツアー・登山ガイド業も、過去5年(1997〜2002年)の間に、利用者数が3倍弱増加していることがわかった。ただし、山岳地域への訪問者増加によって繁忙期には避難小屋の稼働率が100%を超えており、山岳地域を中心とした過剰利用の問題が依然として続いていることが明らかになった。

第2章では、1章の分析結果を受け、成長著しいエコツーリズム産業の詳細な分析を行った。まずエコツーリズムの定義についてレビューを行った上で、利潤追求を最優先する商業重視型と、環境保全が達成された上での経済性を目指す環境保全型に峻別する必要性を訴えた。次に、屋久島のエコツーリズム利用客数・需要特性を推定し、年間34,000〜38,000人の利用客(2002年)が存在していることがわかった。エコツーリズム利用客の特性であるが、20〜30代、関東地方からの遠方客、男性よりも女性といった特徴が浮かび上がった。さらにエコツーリズム業者の特徴も明らかにした。既存文献や聞き取り調査から、屋久島におけるエコツアー・登山ガイドは、1997年春時点で約30名に過ぎなかったのが、2002年春には80名を超えると推定されるなど急増していることが判明した。エコツアー・登山ガイド業に関して、就業者アンケートを用いて、原価の内訳を調べたところ、総原価の50%弱を労務費が占め、以下、旅行代理店への手数料、車両燃料費、保険料などが続いていた。さらに経営分析を行ったところ、エコツアー業売上高は、損益分岐点売上高を上回っており、また損益分岐点比率も一般の旅館・ホテルよりも小さく、経営環境は良好と判断した。またエコツアー業の場合、減価償却費は5%弱におさまっており、必要な初期投資額が小さいことも判明した。初期投資額が小額で市場参入が容易であるというエコツアー業の特質も一因となり、ここ数年の間に就業者が増加したものと示唆できる。

第3章では、観光利用される地域資源の管理の状況に注目した。まず屋久島の山岳地域を対象に世界遺産登録前後の地域資源管理体系の変化を比較し、遺産登録が地域資源管理体系に及ぼした影響を把握した。データは、2002年3月から2005年9月にかけて公的機関から収集した業務資料に加え、関係者62名からの聞き取り調査を活用した。分析には、環境資源勘定の一種である森林管理勘定を援用し、遺産登録前後における維持管理事業費、労働投入量、利害者関係の変化を推定した。その結果、行政機関が山岳地域の施設整備(登山道、避難小屋など)を世界遺産登録後に進めたため、維持管理事業費は1992年度の557万円から、2002年度の6,493万円へ約12倍に増大していた。また支払元の内訳(2002年度)を見ると、観光客の負担が4,426万円と最も多く、利用者負担制度が浸透している実態が浮かび上がった。管理体系については、遺産登録後に管理主体が10団体弱も誕生した。さらに屋久島世界遺産地域連絡会議等の調整機関が設立され、利害関係者間の調整能力は向上した。しかし山岳地域全体における資金の流れや管理体系は以前より複雑化した。さらに、屋久島に対するIUCN(国際自然保護連合)の提言(1993年、1997年の2回)の影響を見た。その結果、わが国の行政機関は、IUCNの提言の大部分を反映する形で管理体系の変更を実施しており、その影響が多大であることを明らかにした。例えば、調整機関の設立(1997年)、環境省による国立公園の指定拡大(2002年)などはその一例といえる。山岳地域への管理体系の強化が遺産登録後に進んだが、それ以上に観光客が増加したため、過剰利用問題はむしろ悪化するという皮肉な状況が発生している。特に世界遺産登録地域(例えば、縄文杉や西部林道)を頻繁に利用する、エコツーリズムのインパクトを無視できないことが判明した。

山岳地域に続いて、屋久島の里地・海岸地域を対象に世界遺産登録前後の地域資源管理体系の変化を把握した上で、屋久島全体から管理のあり方を議論した。1992年度と2002年度の間に、維持管理事業費は里地で893万円から5,426万円へ、海岸地域で652万円から1,833万円へと増大した。里地では山岳地域と同様に、施設整備(公園・トイレ等)が進み、それに伴って維持管理費用が増大した。一方、海岸地域については、施設がそれほど建設されなかったため、維持管理費用の増加は山岳地域・里地に比べ小さかった。屋久島全体を見ると、1992年度から2002年度の間に維持管理費用は2,102万円から1億3,752万円へ6.5倍に増大した。支払元の内訳であるが、観光客が8,046万円と最も多く、林野庁が自然休養林を対象に導入した協力金制度をきっかけに、利用者負担制度が全島的に浸透したことがこの結果をもたらした。続いて、上屋久町・屋久町の2,993万円、鹿児島県の1,539万円が多く、地権者の林野庁や国立公園の所管である環境省の支払を上回った。また維持管理事業費を分析の対象とした場合、ボランティアによる清掃活動が過小評価されることになるため、施設を維持するために投入された労働投入量の変化も分析した。その結果、屋久島全体の労働投入量は、1992年度の8,720〜9,850のべ回から、20002年度の16,396のべ回と1.6〜1.8倍増加した。地域別には、山岳地域の12.0〜13.2倍、里地の1.3〜1.4倍、海岸地域の1.4〜1.6倍となっており、山岳地域の増加が際立っている。また里地や海岸地域ではボランティアによる活動の割合が高く、地域住民や島外ボランティアの影響を無視できない。これらの分析により、3章では以下の結論を得た。まず世界遺産登録後の施設整備の充実にも拘らず、山岳地域の過剰利用問題は改善せず、海岸地域にも新たな過剰利用問題が生じている点や、また里地では施設整備が進んだにもかかわらず観光客増加が見られないといった点から、里地・海岸地域への適切な観光利用分散化は達成されていないと判断した。こうした問題を解決するためには、全島的な資源管理計画の策定が不可欠と論じた。また労働投入量を見ても、監視・清掃活動に携わってきた島民や区の存在は大きく、今後はこうした地域住民の管理計画への参加の必要性を訴えた。

第4章では、屋久島が有するレクリエーション価値(便益)を旅行費用法から算出し、評価した。レク価値にあたってはを利用した。その結果、便益は、いずれのモデルも数十億円を超え、3章から推定された維持管理事業費(費用)を上回った。

第5章では、島内観光生産額を推定した。その結果、59億9,000万円〜63億6,000万円(2002年)と推定された。観光生産額の内訳であるが、宿泊費が24億9,000万円〜26億8,000万円と最も多く、以下、土産物購入費、エコツアー代と続いた。

終章では、総括を行った。遺産登録直前から、観光業が活況を呈し始め、さらに遺産登録を通じて観光資源としての屋久島の魅力が認識されてから加速した。一方管理については、様々な施設整備・機関発足によって対応してきたが、観光客増加に追いつかず、過剰利用問題は解決するどころかむしろ拡大しつつある。観光客が今後も増加を続ける可能性がある以上、総量の規制を議論する必要があると示唆した。この際、維持管理事業の実務にあたり、地域のことをよく理解している地域住民に計画段階から参加してもらい、現実に照らし合わせた議論を進めることが望ましいと論じた。ただし現在は情報開示が進まず、地域住民が参加する資格を奪われているのが実情である。情報開示を進め、主体形成を推進する存在としての公的機関の責務は大きいと考察した。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、鹿児島県屋久島を対象に世界遺産地域及びその周縁部における観光利用・管理の現状を把握し、長期的な管理のあり方を考察したものである。

第1章では、従来から問題が指摘されてきた観光客数の推定を、初めて信頼できる精度で行ったもので、屋久島を来訪する観光客数を年間20万人前後であると推計した。同じ交通機関利用者に対するアンケート調査により、観光需要の季節変動を明らかにした上で、屋久島が大衆観光地化しつつあることを明らかにした。その一方で繁忙期には避難小屋の稼働率が100%を超えており、山岳地域を中心とした過剰利用の問題が依然として続いている現状を指摘した。

第2章では、1章の分析結果を受け、成長著しいエコツーリズム産業の需給分析を行った。まずエコツーリズムの定義についてレビューを行った上で、利潤追求を最優先する商業重視型と、環境保全が達成された上での経済性を目指す環境保全型に峻別する必要性を訴えた。次に、屋久島のエコツーリズム利用客数・需要特性を推定した。さらに、エコツアー・登山ガイド業に関して、就業者アンケートを用いて、原価の内訳を調べ、エコツアー業売上高は損益分岐点売上高を上回っており、また損益分岐点比率も一般の旅館・ホテルより小さく、経営環境が良好であることを明らかにした。

第3章では、地域資源の管理状況を地域別(山岳地域・里地・海岸地域)に、世界遺産登録前後で比較した。分析には、環境資源勘定の一種である森林管理勘定を援用した。山岳地域については、行政機関が施設整備を世界遺産登録後に進めたため維持管理費用が増大していること、管理体系については調整機関の設立により利害関係者間の調整能力は向上したこと、そしてIUCNの提言が及ぼす影響が多大であることを明らかにした。しかし管理体系の強化以上に観光客が増加しており、過剰利用問題はむしろ悪化していた。里地では山岳地域と同様に施設整備が進み、それに伴って維持管理費用が増大したが、海岸地域については施設がそれほど建設されなかったため、維持管理費用の増加は山岳地域・里地に比べ小さかった。この様な地域別の利用と管理のアンバランスに対しては全島的な資源管理計画の策定が不可欠と論じた。資金的には、林野庁が山岳地域の自然休養林を対象に導入した協力金制度をきっかけに、利用者負担制度が全島的に浸透していた。また労働投入量を見ても、監視・清掃活動に携わってきた島民や区の存在は大きく、今後はこうした地域住民の管理計画への参加が必要と判断した。

第4章では、屋久島への観光需要関数を旅行費用法を用いて推計した。2002年におけるレクリエーション価値(便益)を算出し、百億円を超える便益があると評価した。これは近年の屋久島を含む南九州を巡る大衆観光客の増大によるところが大きい。またこの便益は3章から推定された維持管理事業費(費用)を遥かに上回るものであり、維持管理事業を強化するに値すると判断される。また入島税を課しても観光需要量の減少は少ないことが明らかとなった。

第5章では、島内観光生産額が、2002年において約60億円であることを推定した。この額は島内総生産の5分の1に当たり、屋久島における観光業の大きさが表れている。観光生産額の内訳は、宿泊費が最も多く、以下、土産物購入費、エコツアー代と続いており、地域経済の振興策に指針を与える結果である。

終章では、総括を行った。管理については、様々な施設整備・機関発足によって対応してきたが、観光客増加に追いつかず、過剰利用問題は解決するどころかむしろ拡大しつつある。観光客が今後も増加を続ける可能性が高いので、総量の規制を議論する必要がある。その際、維持管理事業の実務にあたり、地域のことをよく理解している地域住民に計画段階から参加してもらい、現実に照らし合わせた議論を進めることが望ましいと論じた。ただし現在は情報開示が進まず、地域住民が参加する資格を奪われているのが実情である。情報開示を進め、主体形成を推進する存在としての公的機関の責務は大きいと考察した。

以上、本論文は、地域に密着したフィールドワークに基いてデータを収集し、分析に際しても環境経済学・観光経済学・開発経済学・環境社会学などを学際的に援用して、世界自然遺産地域・周縁部における利用・管理の変遷を明らかにした意欲的な試みであり、学術上・応用上貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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