学位論文要旨



No 216467
著者(漢字) 廣川,浩三
著者(英字)
著者(カナ) ヒロカワ,コウゾウ
標題(和) アマドリ化合物分解活性を持つ酵素の研究とそれを用いた糖尿病診断法の開発
標題(洋)
報告番号 216467
報告番号 乙16467
学位授与日 2006.03.01
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第16467号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 祥雲,弘文
 東京大学 教授 依田,幸司
 東京大学 教授 北本,勝ひこ
 東京大学 助教授 日高,真誠
 東京大学 助教授 若木,高善
内容要旨 要旨を表示する

国内の糖尿病患者数は急速な増加を続け、予備軍を含めると1620万人(平成14年)に達している。糖尿病が病気として深刻なのは、慢性の高血糖状態を基盤として網膜症・腎症・神経障害などの合併症を引き起こすためである。したがって厳密な血糖値のコントロールが、糖尿病による合併症の発症・進展を阻止するためには、必要不可欠と言われている。HbA1cはヘモグロビンβ鎖N末端のVal残基にグルコースが結合し、アマドリ転位した糖化タンパク質である。全ヘモグロビンに対するHbA1cの割合は過去1〜2ヶ月の平均血糖値を反映することから、糖尿病患者の血糖コントロールの指標として広く用いられている。現在、病院や検査センターでは、HPLC法と免疫法によりHbA1cが測定されているが、両方法とも改善すべき点が指摘されている。そのため、迅速・正確かつ汎用性の高いHbA1c酵素測定法の開発が期待されてきた。本研究では、糖尿病の診断に応用が可能な酵素に関する研究を行うとともに、新規なHbA1c酵素法の開発を目的とした。

糖化アミノ酸オキシダーゼ(FAOX)の研究は、1989年にCorynebacterium sp.から単離・精製されたことから開始した。分子量が約44kDaの単量体であり、分子内にFADを含む本酵素は、α-糖化アミノ酸に作用し、アミノ酸・過酸化水素・グルコソンを生成する反応を触媒する。その後、同様の活性が糸状菌・酵母などからも見出されてきたが、FAOXの生体内における機能についてはほとんど論じられてこなかった。そこで我々は、糖化アミノ酸オキシダーゼの生理学的な機能に関する研究を行うことにした。原核生物由来のFAOXは、唯一Corynebacterium sp.から取得され、クローニングされていた。そこでCorynebacterium sp.由来FAOXと相同性の高い配列を検索したところ、Agrobacterium tumefaciensの機能未知タンパクAgaE-like proteinが54%の相同性を示すことがわかった。第二章では、AgaE-like proteinを大腸菌で組み換え生産し、タンパク質の性質の検討を通してAgaE-like proteinの生体内での機能について考察した。実験の結果、AgaE-like proteinはα-糖化アミノ酸を酸化的に分解する酵素であることが示された。他のグループによる遺伝学的な解析結果と併せ、AgaE-like proteinの本来の機能はオパイン(Agrobacteriumが植物に感染した後、自身の栄養源として植物細胞に作らせる一連の非タンパク性のアミノ酸)の一つである、santhopine(フルクトシルグルタミン)を代謝する酵素と考えられた。なお、原核生物のごく一部からしかFAOXが見出されないことから、FAOXはAgrobacteriumから水平伝播によって伝達された可能性も示唆され、非常に興味深い。

第三〜六章では、新規HbA1c酵素法の開発を行った。我々が目指した測定法は、まずHbA1cにプロテアーゼを作用させ、β鎖N末端からフルクトシルジペプチド (Fru-ValHis)を切り出し、次いで遊離したFru-ValHisにフルクトシルペプチドオキシダーゼ (FPOX)を作用させ、生成する過酸化水素を発色系に導き測定する方法である。この方法は他のグループが開発を試みている方法と比べると、より特異性が高く、正確な測定ができるものと期待された。しかしこれまでに、Fru-ValHisに作用するような酵素(FPOX)は見出されていなかったため、第三章ではFPOX活性をもつ株のスクリーニングを行った。当研究室保有のカビ・酵母・バクテリア保存菌株および各種土壌サンプル中の微生物を対象に広範なスクリーニングを行った結果、8つの属−Achaetomiella, Achaetomium, Chaetomium, Coniochaeta, Eupenicillium, Gelasinospora, Microascus, Thielavia−に含まれる21株の菌体破砕液よりFPOX活性を見出すことに成功した。そこでまず、生産量の比較的高いAchaetomiella virescensを選択し、この株が生産するFPOXについて性質を調べた。SDS-PAGE上で単一のバンドとなるまで精製したFPOXは、Fru-ValHisからValHisへの反応を触媒し、目的の活性を有することが確認された。

第四章ではFPOX cDNAのクローニングおよび大腸菌での発現を行った。第三章のスクリーニングによって得られた株のうち、Coniochaeta sp., Eupenicillium terrenumを選択し、両株が生産するFPOXを精製した。次に精製FPOXの内部アミノ酸配列を決定し、その情報をもとに全長のcDNAを取得した。FPOX cDNAは適当なプラスミドに挿入することで、大腸菌内で活性型酵素として発現させることが可能だった。組み換え生産したFPOXの基質特異性を確認したところ、Coniochaeta sp.由来FPOX (FPOX-CE)及びEupenicillium terrenum由来FPOX (FPOX-EE)は共にFru-ValHis(α-糖化ペプチド)だけではなく、Fru-Val(α-糖化アミノ酸)にも作用した。また、FPOX-CE, -EEの予想アミノ酸配列は、既知の糸状菌由来FAOXの配列とも相同性を示した。2種のFPOXと6種のFAOXのアミノ酸配列を用いてアライメントを行った結果から、8種の配列は保存性の高い2つのグループに分類できることが示された。この配列によるグループ分けは、酵素の基質特異性とも良く一致しており、2つのグループはFru-Valなどのα-糖化アミノ酸に対し高い特異性をもつグループ(FPOX-CE, -EEが含まれる)と、εFru-Lysなどのε-糖化アミノ酸に対し高い特異性をもつグループに相当することを示すことができた。

ところで、大腸菌を宿主とした時のプラスミドによるFPOX-EEの発現量は0.01 U/mlと、極めて低かった。この原因として、FPOXの活性が大腸菌に対し毒性をもつ可能性が考えられた。そこで第五章では、λファージベクターによる発現系(スリーパーシステム)を用い、高発現化の検討を行った。この発現系は、宿主の増殖段階に目的遺伝子の発現が低レベルに保たれるため、毒性を示すタンパク質の生産に特に向いていると考えられたためである。実験の結果、FPOX-EEの発現量は0.17 U/mlと高い値を示し、応用利用を目的とした生産が可能になった。次に、このFPOXが糖化タンパク質の定量に応用できるかどうかを検討した。ここではHbA1cのβ鎖N末端に相当する糖化ヘキサペプチドN-(1-deoxyfructosyl)-ValHisLeuThrProGlu (Fru-hexapeptide)を用い、以下のHbA1c測定系のモデル実験を行った。つまりFru-hexapeptideのAspergillusプロテアーゼ処理で生成するFru-ValHisをFPOXと発色試薬により検出できるかどうかの検討である。結果としてFru-hexapeptideの濃度に応じた吸光度の増加が確認され、Fru-hexapeptideはFPOXによって定量が可能であるということが示された。

しかしながら、Aspergillusプロテアーゼの切断効率は非常に悪く、実用的でなかった。そこで第六章では、HbA1cの切断に適したプロテアーゼを得るために、Fru-hexapeptideの切断効率を指標に、市販酵素についてスクリーニングを行った。その結果、効率良くFru-hexapeptideを切断しFru-ValHisを遊離させる作用をもつ、Bacillus polymyxa由来の中性プロテアーゼが得られた。本プロテアーゼはさらに、HbA1cに直接作用しFru-ValHisを遊離させることも示された。これらの結果から、我々は酵素による新規なHbA1c測定法を以下のように構築した。HbA1cを溶血試薬で赤血球から遊離させ、中性プロテアーゼで切断し、生成するFru-ValHisをFPOXとパーオキシダーゼを用いて発色系に導き測定する。ヒト血液の実サンプルを用いてHbA1c値を新規酵素測定法により測定した結果、現在普及しているHPLC法で求めたHbA1c値との間に良好な相関性が認められることがわかった。さらに、この方法は定義通りにヘモグロビンβ鎖N末端のみを測定し、かつ夾雑する糖化アミノ酸の消去反応を組み合わせることも可能であることから、実用性に優れた方法ということができる。

以上本研究によって、我々はFru-ValHisに作用するアマドリ化合物分解酵素(FPOX)を初めて見出し、その酵素活性を利用した迅速・簡便かつ特異性の高い新規HbA1c測定法を開発することに成功した。本研究で得られた成果が糖尿病の診断・治療に大きく貢献することを期待してやまない。

審査要旨 要旨を表示する

国内の糖尿病患者数は急速な増加を続け、予備軍を含めると1620万人(平成14年)に達している。糖尿病が病気として深刻なのは、慢性の高血糖状態を基盤として網膜症・腎症・神経障害などの合併症を引き起こすためである。したがって厳密な血糖値のコントロールが、糖尿病による合併症の発症・進展を阻止するために必要不可欠と言われている。HbA1cはヘモグロビンβ鎖N末端のVal残基にグルコースが結合し、アマドリ転位した糖化タンパク質である。全ヘモグロビンに対するHbA1cの割合は過去1〜2ヶ月の平均血糖値を反映することから、糖尿病患者の血糖コントロールの指標として広く用いられている。本論文は、糖尿病の診断に応用が可能な酵素に関する研究を行うとともに、新規なHbA1c測定法の開発を目的としたものである。

糖化アミノ酸オキシダーゼ(FAOX)は、α-糖化アミノ酸に作用し、アミノ酸・グルコソン・過酸化水素を生成する反応を触媒する。第二章では、既知のFAOXと相同性の高いAgrobacterium tumefaciensの機能未知タンパクAgaE-like proteinの性質を調べた。検討の結果、AgaE-like proteinはオパイン(Agrobacteriumが植物に感染した後、自身の栄養源として植物細胞に作らせる一連の非タンパク性のアミノ酸)の一つである、santhopine(フルクトシルグルタミン)を分解する酵素であることが示唆された。

次にHbA1c酵素法の開発を行った。まず第三章では、Fru-ValHisに作用するフルクトシルペプチドオキシダーゼ (FPOX)活性を示す株のスクリーニングを行った。カビ・酵母・バクテリア保存菌株および各種土壌サンプル中の微生物を対象に広範なスクリーニングを行った結果、8つの属−Achaetomiella, Achaetomium, Chaetomium, Coniochaeta, Eupenicillium, Gelasinospora, Microascus, Thielavia −に含まれる21株の菌体破砕液よりFPOX活性を見出した。

第四章ではFPOX cDNAのクローニングおよび大腸菌での発現を行った。第三章のスクリーニングによって得られた株のうち、Coniochaeta sp., Eupenicillium terrenumを選択し、両株が生産するFPOXを精製した。次に精製FPOXの内部アミノ酸配列を決定し、その情報をもとに全長のcDNAを取得した。FPOX cDNAは適当なプラスミドに挿入することで、大腸菌内で活性型酵素として発現させることが可能であった。組み換え生産したFPOXの基質特異性を確認したところ、Coniochaeta sp.由来FPOX (FPOX-C)及びEupenicillium terrenum由来FPOX (FPOX-E)は共にFru-ValHis(α-糖化ペプチド)だけではなく、Fru-Val(α-糖化アミノ酸)にも作用した。また、FPOX-C, -Eの予想アミノ酸配列は、既知の糸状菌由来FAOXの配列とも相同性を示した。2種のFPOXと6種のFAOXのアミノ酸配列を用いてアライメントを行った結果から、8種の配列は保存性の高い2つのグループに分類されることが示された。この配列による分類は、酵素の基質特異性とも良く一致しており、2つのグループはFru-Valなどのα-糖化アミノ酸に対して特異性を示すグループ(FPOX-C, -Eが含まれる)と、εFru-Lysなどのε-糖化アミノ酸に対して特異性を示すグループに相当することを示している。さらに、FPOXの発現にλファージベクターを用いた発現系(スリーパーシステム)を利用することによって、FPOXの高発現化が達成された。

第五章では、HbA1cの切断に適したプロテアーゼを得るために、市販酵素についてスクリーニングを行った。その結果、効率良くFru-ValHisを遊離させる作用をもつ、Bacillus polymyxa由来の中性プロテアーゼを得た。以上の結果より、次の新規なHbA1c測定法を構築した。HbA1cを溶血試薬で赤血球から遊離させ、中性プロテアーゼで切断し、生成するFru-ValHisをFPOXとパーオキシダーゼを用いて発色系に導き測定する方法である。現在普及しているHPLC法によってHbA1c濃度を求めたヒト血液サンプルに対して、本酵素測定法を利用したところ、HbA1c濃度と吸光度変化の間に高い相関が認められ、本測定法の有用性が示された。

以上、本論文は糖尿病診断に関連する酵素の研究を行い、その酵素活性を利用した迅速・簡便かつ特異性の高い新規HbA1c測定法を提供したものであり、学術上ならびに応用上貢献するところ大である。よって審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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