学位論文要旨



No 216468
著者(漢字) 北川,麻美子
著者(英字)
著者(カナ) キタガワ,マミコ
標題(和) rin(ripening inhibitor)ヘテロ変異型高日持ち性トマトの特性とrinの機能に関する研究
標題(洋)
報告番号 216468
報告番号 乙16468
学位授与日 2006.03.01
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第16468号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 山口,五十麿
 東京大学 教授 西澤,直子
 東京大学 教授 山根,久和
 東京大学 助教授 鈴木,義人
 食品総合研究所 主任研究官 伊藤,康博
内容要旨 要旨を表示する

トマトの日持ち性を向上させることは、最も食味に優れ、栄養価の高い状態(完熟)で収穫し、その品質を長く保持することを可能とし、廃棄率の削減という消費者側の利点以外に、収穫効率の上昇、出荷から陳列・販売までのロス率の低減、さらには流通コストの削減という生産者や流通業者にとっても大きな利点を有する。筆者が所属するカゴメ(株)総合研究所のグループは従来品種に比べ、日持ち性を大幅に向上させたトマト品種名"KGM011"を、従来の交配育種により育成した。この果実は最適保存条件下では収穫後1ヶ月以上萎びることなくその姿を保持する。本品種は、果実の成熟が進まないripening inhibitor(rin)変異体と通常の成熟を示す正常型系統との交配により得られたF1品種である。

本研究では、この品種の特性を明らかにし、日持ち性の向上につながる因子を解明することにより、果実の日持ち性をコントロールする技術の開発を目指すとともに、果実一般の成熟メカニズムに関しても新たな知見を得ることを目的とした。

高日持ち性rin F1系統果実の生理学的特性の解析ならびに成熟関連遺伝子の発現解析

rin変異は隣接する2つのMADSボックス遺伝子、LeMADS-RINとLeMADS-MCの一部がそれぞれ欠損して融合した構造をもつ転写産物からなり、LeMADS-RINは果実成熟期に特異的に発現し、果実の成熟を制御していることが示されている。

さまざまな品種のrinホモ変異体(rin/rin)と正常型(RIN/RIN)を交配して、F1系統(RIN/rin)の育種を行い、日持ち性および果皮色の評価を行った結果、すべてのラインにおいて果実の日持ち性が改善された。しかし、各々F1系統の果皮色、日持ち性の程度はさまざまであり、日持ち性と果皮色の赤みとの間には明確な相関が見られなかった。このことは日持ち性及び着色に関して、LeMADS-RIN遺伝子以外のいくつかの遺伝的要因の関与、さらに、適切な交配親の選択による日持ち及び着色性に優れた、高品質なF1系統の育種の可能性を示唆している。これらのF1系統のうち、日持ち性、着色性に加え、食味、生産性なども勘案して1系統(Kc01-6)を選抜し、RIN/rin遺伝子型が果実成熟に与える影響に関して検討を行った。

果実の成熟の特徴であるリコピン生合成、細胞壁分解、エチレン生成に関して、生理学的特性の解析及び関連する遺伝子の発現解析を行った結果、リコピン生合成に関して、PSY遺伝子がLeMADS-RIN遺伝子によって制御されており、PSY遺伝子の転写がF1系統におけるリコピン生合成の制限要因であることが示唆された。細胞壁分解に関してはPG、TBG4、LeEXP1の発現量がF1系統において、正常型よりも明らかに低下していた。F1系統果実においては、本研究で解析した遺伝子を含め果実の軟化に関わる多くの遺伝子の発現が部分的に抑制され、その複合的な相互作用の結果として、果実軟化が抑制されると考えられた。さらに、果実の成熟を制御するエチレンについては、正常型果実では成熟過程でエチレンの顕著な上昇が見られたのに対し、F1系統果実ではエチレン生成の顕著な上昇は見られなかった。そして、このエチレン生合成における制御機構は転写レベルで行われていることが示唆された。

rin F1系統果実の低アレルゲン性の評価

成熟果実に対するrin遺伝子型の影響を解析するために、トマトのcDNAマイクロアレイを用いて桃熟期の正常型果実の遺伝子発現パターンをF1系統果実およびrin変異型果実と比較した。その結果、F1系統果実においてアレルゲンタンパク質をコードするβ-fructofuranosidaseとPG-2Aの発現量が減少していた。また、F1系統果実において、これらのアレルゲンタンパク質量は低下していた。さらに、F1系統果実においてトマトアレルギー患者血清のIgE反応性が正常型に比べ明らかに低下していた。これらの結果は、成熟制御因子としてのLeMADS-RINおよびその変異rin遺伝子とは別に、トマト果実のアレルゲンの制御因子という新たな観点からrinの利用の可能性を提示した。

MADSボックス転写因子RINの果実成熟における機能解析

LeMADS-RINによって多くの成熟関連遺伝子の発現が制御されているにも関わらず、RINタンパク質のMADSボックス転写因子としての機能については、直接転写を制御するターゲット遺伝子に関する知見を含め、未知な部分が多い。そこで、正常型RINおよび変異型rinのMADSボックス転写因子としての機能を追究すべく、それらが認識するシス配列の探索ならびに転写活性化能の可能性を検討した。MADSボックスファミリーは、10 bpの保存性の高いコア配列を含む'CArGモチーフ'と呼ばれる、ATリッチなコンセンサス配列を認識し、そのモチーフはCC(A/T)6GGとCTA(A/T)4TAGの2種類に分けられる。正常型RINおよび変異型rinが認識するシス配列を探索すべく、in vitroで正常型RINおよび変異型rinタンパク質を合成し、CArGモチーフとの結合能をゲルシフトアッセイにより解析した結果、正常型RINはCTA(A/T)4TAGの配列に結合することが明らかとなり、その配列をシス領域にもつ遺伝子の転写を制御することが示唆された。また、正常型RINが認識する配列を変異型rinも認識した。第1章、第2章でRINによって発現が制御されていることを示した成熟関連遺伝子のうち、PG, LeACO1, β-fructofuranosidaseにおいて、シス領域にCTA(A/T)4TAGの配列が存在していたことから、これら3遺伝子についてはRINの直接のターゲット遺伝子である可能性が示唆された。

Two-hybrid法に用いられるBaitベクターを用いて酵母内で転写活性化能の可能性を検討した結果、正常型RINには転写活性化能が認められたが、変異型rinには認められなかった。このことから、rin変異体において成熟が進行しないのは、変異型rinが転写活性化能を持たないため、正常型RINが転写を活性化していた遺伝子の転写が活性化されないためであるという可能性が示唆された。そして、RIN/rin遺伝子型のF1系統における成熟関連遺伝子の転写量の変化の原因として、変異型rinが正常型RINと競合してターゲットのシス配列に結合し、それによって正常型RINの転写活性化能を阻害するためではないかという可能性が考えられた。また、正常型RINの種々の部分領域の転写活性化能を検討した結果、正常型RINのうち変異型rinで欠損しているC末端の27アミノ酸残基内に転写活性化に必要な部分が存在することが示唆された。さらに、変異型rinが転写活性化能を持たないのは、正常型RIN由来の断片の後方にMC由来の断片が融合したことが原因というより、むしろ、正常型RINのC末端の27アミノ酸残基が欠損してしまったことが原因であると示唆された。

果実の成熟に関する研究において、これまで、rin変異体を含む数多くの成熟変異体がその一端を解明するために重要な役割を果たしてきた。一方、RIN/rin遺伝子型のF1系統は成熟研究の材料としてあまり扱われてこなかったが、不完全優性の形質を示すそのユニークな性状は注目に値する。果実の成熟制御機構は複雑であり、F1系統のさらなる解析が、その解明の一端となることを期待する。また、遺伝子配列情報から、RINの機能は広範囲の種で保存されていることが示唆されており、トマト果実におけるRINの機能の解明は、果実の成熟制御機構や成熟調節における普遍的に重要な情報をもたらし、さらに様々な果菜類へ適用され、生産者と消費者に大きな利益をもたらすものと期待される。

審査要旨 要旨を表示する

トマトの日持ち性を向上させることは、最も食味に優れ、栄養価の高い状態(完熟)で収穫し、その品質を長く保持することを可能とし、廃棄率の削減という消費者側の利点以外に、収穫作業の効率の上昇、出荷から陳列・販売までのロス率の低減、さらには流通コストの削減という生産者や流通業者にとっても大きな利点を有する。本研究で用いたトマトは、果実の成熟が進まないripening inhibitor(rin)変異体と通常の成熟を示す正常型系統との交配により得られたF1品種で、従来品種に比べ、日持ち性が大幅に向上した品種である。この果実は最適保存条件下では収穫後1ヶ月以上萎びることなくその姿を保持する。

本論文は、この品種の特性を明らかにし、日持ち性の向上につながる因子を解明することにより、果実の日持ち性をコントロールする技術の開発を目指すとともに、果実一般の成熟メカニズムに関しても新たな知見を得ることを目的として行われた研究について述べたもので、序論と3章から構成されている。

序論では、研究の背景と種々のトマト自然突然変異体および高日持ち性を有した遺伝子組み換えトマトを紹介するとともに、本研究の意義と目的について述べている。

第一章では、さまざまな品種のrinホモ変異体(rin/rin)と正常型(RIN/RIN)を交配して、F1系統(RIN/rin)の育種を行い、日持ち性、着色性に加え、食味、生産性なども勘案して1系統(Kc01-6)を選抜し、RIN/rin遺伝子型が果実成熟に与える影響に関して検討した結果について述べている。果実の成熟の特徴であるリコピン生合成、細胞壁分解、エチレン生成に関して、生理学的特性の解析及び関連する遺伝子の発現解析を行い、リコピン生合成に関して、フィトエン合成酵素をコードするPSY遺伝子がLeMADS-RIN遺伝子によって制御されていることを示し、PSY遺伝子の転写がF1系統におけるリコピン生合成の制限要因である可能性を示した。細胞壁分解に関してはポリガラクツロナーゼ遺伝子PG、b-ガラクドシダーゼ遺伝子TBG4、エクスパンシン遺伝子LeEXP1の発現量がF1系統において、正常型よりも明らかに低下していることを示し、本研究で解析した遺伝子を含め果実の軟化に関わる多くの遺伝子の発現が部分的に抑制され、その複合的な相互作用の結果として、果実軟化が抑制される可能性を示した。さらに、果実の成熟を制御するエチレンについては、エチレン生合成における転写レベルでの制御により、F1系統において正常型果実と比べエチレン生成の顕著な低下が見られることを示した。

第二章では、成熟果実に対するrin遺伝子型の影響を解析するために、トマトのcDNAマイクロアレイを用いて桃熟期の正常型果実の遺伝子発現パターンをF1系統果実およびrin変異型果実と比較した結果、F1系統果実においてアレルゲンタンパク質をコードするβ-fructofuranosidaseとPG-2Aの発現量が減少していたことに着目し、F1系統果実について低アレルゲン性の評価を行っている。F1系統果実において、これらのアレルゲンタンパク質量が低下し、F1系統果実においてトマトアレルギー患者血清のIgE反応性が正常型に比べ明らかに低下していた。以上より、成熟制御因子としてのLeMADS-RINおよびその変異rin遺伝子の利用とは別に、トマト果実のアレルゲンの制御因子という新たな観点からrinの利用の可能性を提示した。

第三章では、RINタンパク質のMADSボックス転写因子としての機能について、直接転写を制御するターゲット遺伝子に関する知見を含め、未知な部分が多いことから、RINおよび変異型rinタンパク質の機能を追究すべく、それらが認識するシス配列の探索ならびに転写活性化能の有無の可能性について検討している。その結果、正常型RINがCTA(A/T)4TAGの配列に結合することを示し、その配列をシス領域にもつ遺伝子の転写を制御する可能性を示した。そして、第一章、第二章でRINによって発現が制御されていることを示した成熟関連遺伝子のうち、PG, LeACO1, β-fructofuranosidaseにおいて、シス領域にCTA(A/T)4TAGの配列が存在していることを示し、これら3遺伝子についてはRINの直接のターゲット遺伝子である可能性を示した。さらに、正常型RINが認識する配列を変異型rinも認識することを示した。また、正常型RINは転写活性化能を持つが、変異型rinは転写活性化能を持たず、正常型RINのC末端の27アミノ酸残基が転写活性化に重要であることを示した。以上より、RIN/rin遺伝子型F1系統における成熟関連遺伝子の転写量の変化は、変異型rinが正常型RINと競合してターゲットのシス配列に結合し、それによって正常型RINの転写活性化能を阻害するためである、という可能性を示した。

以上要するに、本研究は、不完全優性の形質を示すRIN/rin遺伝子型のF1系統の解析が、複雑な果実の成熟制御機構の解明の一端となり得ることを示したもので、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって、審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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