学位論文要旨



No 216484
著者(漢字) 田村,毅
著者(英字)
著者(カナ) タムラ,タケシ
標題(和) ネルヴァルの詩学
標題(洋)
報告番号 216484
報告番号 乙16484
学位授与日 2006.03.09
学位種別 論文博士
学位種類 博士(文学)
学位記番号 第16484号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 塩川,徹也
 東京大学 教授 月村,辰雄
 東京大学 教授 中地,義和
 東京理科大学 教授 丸山,義博
 東京大学 助教授 野崎,歓
内容要旨 要旨を表示する

「ネルヴァルの詩学」La poetique nervalienneと題する本論文は、詩人ジェラール・ド・ネルヴァルの詩を中心に、その作品創造過程をたどるものである。「詩学」la poetiqueとは、本論では、韻律などの詩的技法すなわち狭義での「詩法」を意味するのではなく、ポエジーの語源poiesis (=creation)である「創造」の語義に依拠して、より広義に詩人の創作上の指針を示す語として用いている。本論は究極的には『幻想詩篇』の解明を目指す「詩論」ではあるが、詩句の一行一行に詩人の人生のある特権的な瞬間の記憶と想像力とが凝縮されて表現されており、それを理解するためには必然的に他のすべての作品と伝記とを参照せざるをえない。したがって、本論文は詩論、作品論であると同時に評伝でもある。

遺された手紙、未刊の草稿類もまた、公刊された作品同様の魅力的な文体で書かれ、書簡と草稿と作品とが互いに共鳴し合い、「ネルヴァル」という人物=作品空間へと読者を導いてきたのであり、死後、現在にいたるまで詩人の自伝的作品をもとに虚実混淆の多くの伝記が書かれてきた。伝記的空白を作品の一部で補いつつ数多の研究者たちが「ネルヴァル」像を追い求めてきたのである。

本論文は、日本の読者にとってよりわかりやすい方向、つまり詩句の解釈から出発するのではなく、伝記と作品の紹介から書き始め、『幻想詩篇』の詩句へとたどりつく方向を選んだ。巻末に『幻想詩篇』対訳を付録したのも、このような意図からであり、筆者の解釈を示す「対訳」部分がいわば本論の「結論」をなすのであり、その延長上に日本語版『ネルヴァル全集』(共編訳全六巻)が位置する。

第I部「伝記と虚構」においては、ネルヴァルの人生と作品全体の輪郭を示した。第II部「風刺詩と叙事詩」では、詩作の出発点をなす初期作品を紹介し、詩創作の視点から後期作品との断絶と連続を論じた。第III部「幻想と神話」においては、詩句に暗示されている「特権的瞬間・空間(ナポリ・ウィーン)」「女性(恋人・女優・女神)神話」等、詩人の想像力の中核をなす「幻想」と「神話」が主要作品中でいかに展開されているかを検討した。そして第IV部「「自己探求の道程」では、「ナポレオン神話」に自己の救済願望を託す詩人像、神話的詩作のモデルとしたデュバルタスの詩、そして無数に分裂増殖する自己を創作の指針とする詩人像を『火の娘たち』「序文」に読み取り、その究極的表現として詩「エル・デスディチャド」を提示した。補遺「エピローグ」では、伝記的なネルヴァル神話の出発点を示した。

審査要旨 要旨を表示する

現在では、ボードレールと並んで、近代フランス最高の詩人の一人として位置付けられているジェラール・ド・ネルヴァルは、長い間、群小作家と見なされ、その生涯と著作は多くの謎と伝説に包まれていた。しかし彼のテクストの魅力にひかれる多くの研究者の努力によって、20世紀後半には、彼の人と作品に関する知見は飛躍的に進展した。本研究は、その成果を踏まえて、詩人の諸作品とりわけその頂点をなす『幻想詩編』の生成の過程を精細に跡付けることを通じて、ネルヴァルの詩学、すなわち作品創造の源泉と力学を解明しようとするものである。ところで、『幻想詩編』の詩句には、作者の人生の特権的な思い出が凝縮されており、それを理解するためには、詩人の伝記と彼が残したテクストのすべてを精査し、それを詩編と照合する必要があるが、本論文はこの問題にも正面から取り組んでいる。この意味で本論文は、作品論であると同時に評伝の性格も備えている。

全体は4部から構成され、第I部「伝記と虚構」では、当時の政治・社会情勢と文芸思潮を背景として、詩人の人生と作品全体の輪郭が示される。第II部「風刺詩と叙事詩」では、これまで論じられることが少なかった初期作品を取り上げ、後期作品との断続と連続の諸相が分析される。第III部「幻想と神話」においては、詩句に暗示されている特権的瞬間・空間や宿命の女性等、詩人の想像世界を構成する「幻想」と「神話」が主要作品中でいかに展開されているかが考察される。第IV部「自己探求の道程」では、自らの自己同一性を真摯に問いつづける詩人が、ナポレオンをはじめとする様々の神話的形象に自己の救済願望を託しつつ、やがて『火の娘』「序文」において、無数に分裂増殖する自己を創作の指針とする詩学を打ち出す過程を追跡し、その究極的表現として絶唱「エル・デスディチャド」があることが示される。エピローグ「ネルヴァル神話の誕生」では、詩人の死にまつわる伝説がいかに形成されたかが、その出発点に立ち戻って検討されている。

本論文は、提出者が長年にわたって個人研究と共同研究の両面から進めてきた実証的なネルヴァル研究−それは、2冊の基礎資料集と6巻の邦訳全集に結実している−を基礎として構築された作品論、詩論である。明確な問題意識に導かれ、主要作品に豊かで釣り合いの取れた解釈を施すことを通じて、詩人の作品創造の秘密に可能な限り肉薄することに成功している。なお本論文は、『ジェラール・ド・ネルヴァル 幻想から神話へ』と題して本年1月東京大学出版会から公刊された著作をベースにしているが、そこでは割愛された部分を増補し、引用テクストの出所を示す注を付加するなど、学術論文としてより完全を期したものになっている。きわめて豊かな情報が盛り込まれているのに、それを検索するための索引が欠けていること等、瑕瑾がないわけではないが、長年の研究活動の最後を飾るに相応しい業績に仕上がっている。以上から審査委員会は、本論文が博士(文学)の学位に相当するものと判断する。

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