学位論文要旨



No 216485
著者(漢字) 池田,真紀
著者(英字)
著者(カナ) イケダ,マキ
標題(和) 自治運動ナショナリズムの発展と崩壊 : アイルランド国民党、シン・フェイン、およびイギリス・アイルランド関係、1900‐1918年
標題(洋)
報告番号 216485
報告番号 乙16485
学位授与日 2006.03.09
学位種別 論文博士
学位種類 博士(法学)
学位記番号 第16485号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 高橋,進
 東京大学 教授 馬場,康雄
 東京大学 教授 高橋,直樹
 東京大学 教授 蒲島,郁夫
 東京大学 教授 太田,勝造
内容要旨 要旨を表示する

本論文は、独立前のアイルランドにおいて、アイルランド国民党の指導のもと帝国内自治を目指した自治運動が、大衆的ナショナリズム運動としていかに発展したのか、またそれが第一次世界大戦期にいかに衰退し、共和国を目指す急進運動シン・フェインに敗れていったのか、その原因とプロセスを解明しようとするものである。従来の研究においては、アイルランド・ナショナリズムのこの時期の急進化は、一部革命家たちによる1916年の蜂起(イースター蜂起)の大衆世論へのインパクトを過度に重視する傾向、および、アイルランド人の民族感情の拡大・発展を自明視する議論の普及のなかで十分に説明されてこなかった。本論文は、ナショナリズムの目的が自治から共和国へと移り、また大衆議会政党(アイルランド国民党)から、武闘派と急進派からなる新興の反体制グループ(シン・フェイン)へとリーダーシップの交代が不可逆的な勢いで起こったことを、より広い政治的文脈のなかに改めて置き直し、それによってそうした急進化を可能にした構造的要因、および個別具体的諸事象の及ぼしたインパクトのいずれをも明らかにすることを試みる。なおここで留意される政治的文脈とは、第一に、イギリス・アイルランド間の支配・被支配関係の構造、特にイギリスの政治発展とアイルランド・ナショナリズムの間の歴史的関係であり、第二に、シン・フェイン成長以前に存在したナショナリズムの諸構想であり、第三に、政治世論急進化の背景となる第一次世界大戦への参戦である。そして、これらの状況変動とナショナリズムの変化とを相互に結びつけて理解するため、その最も適切な分析対象として、アイルランド国民党に着目する。

全体の構成と各章の内容は、以下のとおりである。まず序章「課題と方法」では、先行する歴史研究における議論を概観して問題点を明らかにした上で、ナショナリズム研究に求められる分析視角について論じ、それを通じて本研究の意義を定める。続く本論は、二部構成となる。第一部では、第一次世界大戦前における自治運動の成長と発展を論じる。第一章「アイルランドの政治発展とナショナリズム」では、自治運動の歴史的構造的基礎を検討する。第一節では、18世紀に発生したアイルランド・ナショナリズムの比較史的特質を、20世紀の代表的諸研究を概観しながら抽出する。第二節では、イギリス・アイルランド間の長期関係史をたどり、イギリス統治下のアイルランドが持った帝国中枢の植民地という独特な地位について考察する。第三節では、そうした両義的地位のために、ナショナリズムもまた完全分離を目指す共和主義と、イギリスとの関係を維持しつつ自治を得ようとする国制主義の二つの潮流を生み出していたことを論じる。そして後者の代表例である自治運動について、その成立期の様相を探る。これは本論文の中心対象たる20世紀の自治運動の前史でもある。第二章「20世紀自治運動の条件」では、自治運動を規定した同時代的な条件とリーダーシップの問題を論じる。第一節では、19世紀から20世紀初めにかけてのイギリス政府のアイルランド政策を、保守党と自由党のそれぞれについて検討する。そこで明らかになるのは、自治に対する意見の原則的相違とは別に、両党が共通して自治の非争点化を図っていたことである。第二節では、内部分裂を克服し再統一したアイルランド国民党について、党内権力構造の再編と新党首レドモンドのリーダーシップの特質を見ながら、帝国と議会を重視し、かつ柔軟で機会主義的なナショナリズム運動が確立していったことを示す。

第三章と第四章では、国民党が大衆的な自治運動ナショナリズムをどのように生産、再生産し、1914年の自治法成立を実現していったのかを具体的に分析していく。第三章「自治運動の発展(1)」では、国民党が社会経済的改革立法の数々を実現させながら大衆的支持を拡大、強化していったことを、農地問題、労働者住宅問題、教育・文化の問題という三つの分野において跡づける。アイルランドのカトリック農民は自作農化を果たし、さらに資本主義的牧畜経営農へと転換していった。農村と都市の労働者は国家補助による住宅を手にして生活を改善させた。また、民族的自覚と自信を強める都市のカトリック中間層は、カトリック大学の設置やゲール語教育の公的拡充に恩恵を得た。こうした包括的な改革政策を通じて、国民党は、アイルランドにおいて自治を要求する穏健で安定した世論を形成していくとともに、アイルランドを帝国内自治国家たるにふさわしい社会としてイギリスにもアピールしていく。第四章「自治運動の発展(2)」では、自治法成立までのプロセスを国民党の議会戦術を軸にたどる。イギリス政府は近代的改革を付与する一方で、行政制度改革によってアイルランドの自治要求を抑えようと図ったが、国民党はこれを斥けた。そして自治法案通過の制度的障害となってきた上院の権限をめぐる問題が、自由党の予算問題に合わせて浮上すると、これに自治を絡めて自治の再争点化を成功させる。1910年の二度の総選挙でキャスティング・ヴォートを握った国民党は、アスキス自由党政府に自治法案提出を迫りついにそれを実現させた。その後、自治に反対するアルスター・ユニオニストの抵抗が激化するが、大戦勃発後、国民党の戦争協力を重視するアスキスは自治法を成立させたのであった。

以上から、国民党は自治法の成立を、次のような四つの基盤的条件を固めることで勝ち取ったということができる。一つは、1910年以降の議席配分状況から直接的に得られたアスキス政権の後援である。もう一つは、イギリス自由党政治における自治問題の再争点化であり、これは国民党の中期的な議会戦術の成果であった。そしてより長期的に獲得された二つの基盤は、アイルランドにおける穏健派からの支持と、急進派からの承認である。アイルランドの民主的な政治代表として比類ない正統性を獲得していたことで、少数政党国民党は、イギリス政治において発言力を持ち、これを動かすことができたのである。もっとも国民党に対する批判がなかったわけではない。第五章「自治運動への批判」では、戦前、自治運動にかわるナショナリズムを模索した4つの政治勢力が検討される。第一は、イギリス議会政治から離れたアイルランド内での円卓会議の実施を主張した、元国民党議員オブライエンの運動である。第二は、二重君主制の樹立と経済的自立を非暴力によって実現しようとしたグリフィスの初期シン・フェインである。第三は、ロマン主義的、秘密結社的要素を持った共和主義革命家グループの運動であり、そして第四は、労働運動家コノリーによる社会主義的ナショナリズムであった。しかしいずれも支持を広げられず、国民党の現実的成果にも対抗できずに、かえって自治運動の正統性を高めるだけであった。以上が第一部である。

第二部では、大戦期の自治運動の崩壊とシン・フェインの成長と勝利を、各年ごとの段階論の形で分析する。対独占開始後、イギリス国内の対立は戦時休戦の状態に入ったが、アイルランドに関しても、自治法は成立と同時に戦時は施行停止とされ、ユニオニストへの譲歩が示された。第六章「帝国とナショナリズムの合体−戦争協力、1914年」では、国民党レドモンドの対英協力政策について説明し、それが自治運動ナショナリズムの一つの理念的完成形態であったことを示す。そして、アイルランド人一般も強く参戦を支持していたことを明らかにする。しかし戦争の長期化、総力戦化とともに状況は変化していく。第七章「自由党単独政権の終焉−アイルランドの戦時体制、1915年」では、保守党を加えたアスキス連合政権の成立で、自治法施行のための一つの前提が崩れたことを示す。とはいえ補欠選挙に示されたように、国民党はなおアイルランドにおける支持を失っていなかった。第八章「弾圧と旧体制の復活−イースター蜂起と自治交渉、1916年」では、革命家グループの決行したイースター蜂起とその後の当局による処罰が、アイルランド人大衆の感情に大きな影響を与えたこと、しかし同時にまた、問題解決の機運がイギリスでも高まり自治交渉が再開されたことを論じる。ところが、ユニオニストの頑強な抵抗とこれに自由党政府が屈したこと、さらにはロイド・ジョージ連合政権の成立で自治は再び非争点化され、強権的統治政策が復活した。イギリス側における自治の推進力は消滅したのである。

第九章「シン・フェインの台頭−補欠選挙とアイルランド人代表者会議、1917年」では、シン・フェインが補欠選挙で国民党を破っていったこと、そして諸派の組織的統一を果たし、議会撤退と共和国樹立を目指す共和主義ナショナリズムの政党として伸長していったことを示す。一方国民党は、アイルランドにおける穏健派結集の好機として、ロイド・ジョージが発足させたアイルランド人代表者会議の成功に全力を傾けるが、かなわなかった。第十章「自治運動の崩壊−徴兵危機と総選挙、1918年」では、レドモンドの急逝後、国民党のリーダーシップは大衆世論を最重視するディロンに移ったが、折りしもの徴兵危機で反体制運動の大衆化を許したことを論じる。そして戦後直後の総選挙において、全ての基盤を失った国民党を効果的に批判したシン・フェインが、内部の分裂を抱えつつも大勝を遂げたことを、選挙キャンペーンを検討しながら論証する。以上が第二部である。

結論「自治運動の遺産−自治領、そして共和国へ」が述べるのは、自治運動ナショナリズムが、崩壊してなお、その後のアイルランド史の展開に大きな影響を与え、さらには現代アイルランド政治における諸現象を解く重要な鍵でもあるということである。

審査要旨 要旨を表示する

本論文「自治運動ナショナリズムの発展と崩壊:アイルランド国民党、シン・フェイン、およびイギリス・アイルランド関係、1900−1918年」は、独立前のアイルランドにおいて、アイルランド国民党の指導のもと帝国内自治を目指した自治運動が、大衆的ナショナリズム運動としていかに発展したのか、またそれが第一次世界大戦期にいかに衰退し、共和国を目指す急進運動シン・フェインに敗れていったのか、その原因とプロセスを解明しようとするものである。

従来の研究においては、アイルランド・ナショナリズムのこの時期の急進化は、一部革命家たちによる1916年の蜂起(イースター蜂起)の大衆世論へのインパクトを過度に重視する傾向、および、アイルランド人の民族感情の拡大・発展を自明視する議論の普及のなかで十分に説明されてこなかった。本論文は、ナショナリズムの目的が自治から独立共和国へと移り、また大衆議会政党(アイルランド国民党)から、武闘派と急進派からなる新興の反体制グループ(シン・フェイン)へとリーダーシップの交代が不可逆的な勢いで起こったことを、より広い政治的文脈のなかに改めて置き直し、それによってそうした急進化を可能にした構造的要因、および個別具体的諸事象の及ぼしたインパクトの両方を明らかにすることを試みる。ここで留意される政治的文脈とは、第一に、イギリス・アイルランド間の支配・被支配関係の構造、特にイギリスの政治発展とアイルランド・ナショナリズムの間の歴史的関係であり、第二に、シン・フェイン成長以前に存在したナショナリズムの諸構想であり、第三に、政治世論急進化の背景となる第一次世界大戦への参戦である。そして、これらの状況変動とナショナリズムの変化とを相互に結びつけて理解するため、その最も適切な分析対象として、アイルランド国民党に着目する。

全体の構成と各章の内容は、以下のとおりである。まず序章「課題と方法」では、先行する歴史研究における議論を概観して問題点を明らかにした上で、ナショナリズム研究に求められる分析視角について論じ、それを通じて本研究の意義と特色を定める。続く本論は、二部構成となる。第一部では、第一次世界大戦前における自治運動の成長と発展を論じる。第一章「アイルランドの政治発展とナショナリズム」では、自治運動の歴史的構造的基礎を検討する。第一節では、18世紀に発生したアイルランド・ナショナリズムの比較史的特質を、20世紀の代表的諸研究を概観しながら抽出する。第二節では、イギリス・アイルランド間の長期関係史をたどり、イギリス統治下のアイルランドが持った帝国中枢の植民地という独特な地位について考察する。第三節では、そうした両義的地位のために、ナショナリズムもまた完全分離を目指す共和主義と、イギリスとの関係を維持しつつ自治を得ようとする国制主義の二つの潮流を生み出していたことを論じる。そして後者の代表例である自治運動について、その成立期の様相を探る。これは本論文の中心対象たる20世紀の自治運動の前史でもある。第二章「20世紀自治運動の条件」では、自治運動を規定した同時代的な条件とリーダーシップの問題を論じる。第一節では、19世紀から20世紀初めにかけてのイギリス政府のアイルランド政策を、保守党と自由党のそれぞれについて検討する。そこで明らかになるのは、自治に対する意見の原則的相違とは別に、両党が共通して自治の非争点化を図っていたことである。第二節では、内部分裂を克服し再統一したアイルランド国民党について、党内権力構造の再編と新党首レドモンドのリーダーシップの特質を検討しながら、イギリス帝国とイギリス議会を重視し、かつ柔軟で機会主義的なナショナリズム運動が確立していった経緯が示される。

第三章と第四章では、国民党が大衆的な自治運動ナショナリズムをどのように生産、再生産し、1914年の自治法成立を実現していったのかを具体的に分析する。第三章「自治運動の発展(1)」では、国民党が社会経済的改革立法の数々を実現させながら大衆的支持を拡大、強化していったことを、農地問題、労働者住宅問題、教育・文化の問題という三つの分野において跡づける。アイルランドのカトリック農民は自作農化を果たし、さらに資本主義的牧畜経営農へと転換していった。農村と都市の労働者は国家補助による住宅を手にして生活を改善させた。また、民族的自覚と自信を強める都市のカトリック中間層は、カトリック大学の設置やゲール語教育の公的拡充に恩恵を得た。こうした包括的な改革政策を通じて、国民党は、アイルランドにおいて自治を要求する穏健で安定した世論を形成していくとともに、アイルランドを帝国内自治国家たるにふさわしい社会としてイギリスにもアピールしていった。第四章「自治運動の発展(2)」は、自治法成立までのプロセスを国民党の議会戦術を軸にたどる。イギリス政府は近代的改革を付与する一方で、行政制度改革によってアイルランドの自治要求を抑えようと図ったが、国民党はこれを斥けた。そして自治法案通過の制度的障害となってきた上院の権限をめぐる問題が、自由党の予算問題に合わせて浮上すると、これに自治を絡めて自治の再争点化を成功させた。1910年の二度の総選挙でキャスティング・ヴォートを握った国民党は、アスキス自由党政府に自治法案提出を迫りついにそれを実現させた。その後、自治に反対するアルスター・ユニオニストの抵抗が激化するが、大戦勃発後、国民党の戦争協力を重視するアスキスは自治法を成立させたのであった。

以上から、国民党は自治法の成立を、次のような四つの基盤的条件を固めることで勝ち取った、と著者は分析する。一つは、1910年以降の議席配分状況から直接的に得られた、アスキス政権からの支援である。もう一つは、イギリス自由党政治における自治問題の再争点化であり、これは国民党の中期的な議会戦術の成果であった。そしてより長期的に獲得された二つの基盤は、アイルランドにおける穏健派からの支持と、急進派からの承認である。アイルランドの民主的な政治代表として比類ない正統性を獲得していたことで、少数政党国民党は、イギリス政治において発言力を持ち、これを動かすことができたのである。

もちろん国民党に対する批判とオルタナティヴがなかったわけではない。そこで第五章「自治運動への批判」で、戦前、自治運動にかわるナショナリズムを模索した4つの政治勢力が検討される。第一は、イギリス議会政治から離れたアイルランド内での円卓会議の実施を主張した、元国民党議員オブライエンの運動である。第二は、二重君主制の樹立と経済的自立を非暴力によって実現しようとしたグリフィスの初期シン・フェインである。第三は、ロマン主義的、秘密結社的要素を持った共和主義革命家グループの運動であり、そして第四は、労働運動家コノリーによる社会主義的ナショナリズムである。しかしいずれも支持を広げられず、国民党の現実的成果にも対抗できずに、かえって自治運動の正統性を高めるだけであった。以上が第一部である。

第二部では、大戦期における自治運動の崩壊とシン・フェインの成長と勝利の過程が、各年ごとの段階論の形で分析される。対独戦開始後、イギリス国内の対立は戦時休戦の状態に入ったが、アイルランドに関しても、自治法は成立と同時に戦時は施行停止とされ、ユニオニストへの譲歩が示された。第六章「帝国とナショナリズムの合体−戦争協力、1914年」では、国民党レドモンドの対英協力政策が論じられ、それが自治運動ナショナリズムの一つの理念的完成形態であったこと、そして、アイルランド人一般も強く参戦を支持していたことが示される。しかし戦争の長期化、総力戦化とともに状況は変化していく。第七章「自由党単独政権の終焉−アイルランドの戦時体制、1915年」では、保守党を加えたアスキス連合政権の成立で、自治法施行のための一つの前提が崩れたことが論じられる。とはいえ補欠選挙に示されたように、国民党はなおアイルランドにおける支持を失っていなかった。第八章「弾圧と旧体制の復活−イースター蜂起と自治交渉、1916年」では、革命家グループの決行したイースター蜂起とその後の当局による処罰が、アイルランド人大衆の感情に大きな影響を与えたこと、しかし同時にまた、問題解決の機運がイギリスでも高まり自治交渉が再開されたことが論じられる。ところが、ユニオニストの頑強な抵抗に自由党政府が屈したこと、さらにはロイド・ジョージ連合政権が成立したこと(保守党の入閣)で自治は再び非争点化され、強権的統治政策が復活した。イギリス側における自治の推進力は消滅したのである。

第九章「シン・フェインの台頭−補欠選挙とアイルランド人代表者会議、1917年」では、シン・フェインが補欠選挙で国民党を破っていったこと、そして諸派の組織的統一を果たし、議会撤退と共和国樹立を目指す共和主義ナショナリズムの政党として伸長していったことが論じられる。一方国民党は、アイルランドにおける穏健派結集の好機として、ロイド・ジョージが発足させたアイルランド人代表者会議の成功に全力を傾けるが、成果を挙げられなかった。第十章「自治運動の崩壊−徴兵危機と総選挙、1918年」では、レドモンドの急逝後、国民党のリーダーシップは大衆世論を最重視するディロンに移ったが、折りしもの徴兵危機で反体制運動の大衆化を許したことが論じられる。そして戦後直後の総選挙において、全ての基盤を失った国民党を効果的に批判したシン・フェインが、内部の分裂を抱えつつも大勝を遂げたことが、選挙キャンペーンを検討を通して論証される。以上が第二部である。

結論「自治運動の遺産−自治領、そして共和国へ」において著者は、勝利した共和主義ナショナリズムのその後を概観する。そして自治運動の影響の大きさを指摘し、さらにはそれが現代アイルランド政治の諸現象を解く一つの重要な鍵でもあることを論じて本論文を結ぶ。

以上が本論文の要旨である。以下にその評価を述べる。

本論文の長所として第1に指摘すべきことは、時間的・空間的に広いパースペクティヴを採った上で、1916-18年に生じた政治変動について従来のどの研究よりも説得力のある論述を成し遂げたことである。16年から18年にかけての事態は、アルランド史のみならずイギリス史上でも屈指の大変動であったにもかかわらず、アイルランド分離の後に英愛両国の歴史学が自国の領域にのみ目を注ぐ傾向があったこと、独立アイルランドの政治的ヘゲモニーを握った共和派のイデオロギーが歴史解釈の正統性を独占したことのため、偏頗で不自然な説明が長らく通用してきた。これを批判する著者は様々な要因・視点を分析に盛り込み、それらを鮮やかにさばき、統合的な分析を行っている。第2に、英愛両国の主要な史料、研究を博捜し、さらにアイルランドの地方史料(地方新聞など)までも活用した本論文は、ドキュメンテーションの点でも極めて高い評価を与えられる。第3に、本論文の文章は極めて明晰であり、また錯綜した事態の推移を構造的かつ統合的にわかりやすく叙述する文章技術も巧みで、全体としてリーダビリティが抜群である。

しかし、本論文にも次のような欠点があることを指摘しなければならない。第1に、結論部分がものたりない。著者は序論においてナショナリズムの一般理論をサーヴェイしたうえで、アイルランド・ナショナリズム史の特異性とされているものは、複数の(異なる)ナショナリズムをそこに見分けることによって解消されると主張しており、事実、本論の叙述はこの立場から極めて整序されたものになっているのであるが、それならば一層、結論においてナショナリズム一般への問い返し、例えばアイルランドの事例はナショナリズムなるものを理解するのにどのように役立つかといった議論があってしかるべきである。第2に、多くの説明変数を駆使した著者の立論は極めてバランスのとれたものであるが、その反面、長らく通用してきた「神話的解釈」、つまり、共和主義の大義がイースター蜂起を切っ掛けに一挙に人々の心を捉えたというような見方を打倒しうるような、中核的主張を欠くうらみがある。第3に、1918年選挙の分析にはもっと紙数を割いてもよかっただろう。

以上のような短所はあるものの、それらは本論文の価値を損なうものではない。本論文は日本における従来のアイルランド研究の水準を遙かに超えるばかりでなく、英愛両国の学界にも大きく寄与する優れた論文であると評価できる。従って、本論文は博士(法学)の学位を授与するのに相応しいものと認められる。

UTokyo Repositoryリンク