学位論文要旨



No 216486
著者(漢字) 越智,啓三
著者(英字)
著者(カナ) オチ,ケイゾウ
標題(和) 家族協定の法社会学的研究
標題(洋)
報告番号 216486
報告番号 乙16486
学位授与日 2006.03.09
学位種別 論文博士
学位種類 博士(法学)
学位記番号 第16486号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 フット,ダニエル
 東京大学 教授 太田,勝造
 東京大学 教授 田端,博邦
 東京大学 教授 原田,純孝
 東京大学 教授 蒲島,郁夫
内容要旨 要旨を表示する

問題

日本の社会において、契約はどのようにして行われているのか、についての法社会学的研究は、日本の法社会学においては、従来、相対的に手薄な分野であった。本論文は、この分野の研究を、特定の契約類型を対象として、経験的に行おうとするものである。そして、その際、近年再び学界において重要視されている、法文化ないし法意識の内容の解明を、本論文全体を貫くテーマとした。

具体的には、日本では内輪の人間の間では契約を結ぼうとしない、或いは詳細な取り決めを契約しようとはしない、そうすることに対して日本人は抵抗感を感じる、という、川島武宜の「日本人の法意識」テーゼの批判的検討と発展とが、本論文の課題である。川島は国家実定法に期待して、西欧の国家実定法制度を移入すれば、そのはたらきを通してやがて日本人の法意識は克服されると見た。しかし、国家の裁判所や執行官によって強行されるという知識を人々が持つことによって、人々が、内輪の関係においても、自立した契約当事者となって契約を交わすことになる、ということは、説得的であろうか。そもそも、そのような知識ないし意識によって結ばれ履行される契約が、自律的な契約の名に値するであろうか。人が自立した契約当事者となりうるためには、どのような条件が必要なのか。

研究対象とその選択理由

この問題は、家族で共同の、或いは密接に関連しあった事業を営んでいる農家の内部で、家族員が経営面および生活面に関するさまざまなことを取り決める契約である、いわゆる「家族協定」に関して、とくに浮彫りにされる。なぜなら、家族協定に関しては、その政策的推進について、「本来資本家的ないし富農的経営の基礎の上に展開しうる「家族協定農業」が、逆に「自立経営」を生み出すための手段として考えられることになる」、という逆転現象が、かつて指摘されたが(利谷信義)、自律的な契約の成立条件に関しても、自立経営の成立におけると同じ逆転現象がある。すなわち、協定を結んでいる或る女性農業者のことばに曰く、「協定を結ぶ事によって、家族関係の向上は逆。協定を結べるような家族関係を先ず確立する事が大切」と。家族協定を農政の1課題として推進すれば「自立した契約当事者」が生まれるのか、それともそれ以外の要因が、そこには必要なのか。これは、前段落で述べた、日本における契約の法社会学的研究にとっての重要問題の、1つの具体的な応用例にほかならないからである。

したがって本論文は、この家族協定を研究対象としたが、さらに、対象としての確実さの見地から、文書化された家族協定に対象を限定した。

研究対象の確定

しかし家族協定という現象は、単純に農政の1課題としては捉えきれない、多面的な様相を、今日では具えている。その全体像の把握のためには、約40年に亘る家族協定の歴史を振り返ることが適切であると同時に、家族協定の研究の水準を一層高めるために必要であるが、従来の研究はその点につき不十分であるので、本論文はまずその欠を補った(第4章)。

法意識の研究方法の批判的検討

川島武宜の法意識論の検討が本論文の主題であることは先に述べたが、この法意識論は、とくに日本人の裁判所利用行動に関して、その後或る批判を受けるにいたっている。曰く、日本において、欧米諸国に比して人口当たりの民事事件件数が少ないのは、紛争を裁判所に持ち込みたがらない日本人の法意識に拠るのではなく、裁判所の紛争処理能力(容力)が小さいという制度的要因に拠るのである、と。統計が取りにくい契約に関しては、類似の批判が明示的に表明されたことはないが、そもそも、法意識は、或る現象の、それを規定する制度的・経済的要因を考慮に入れてもなお説明しきれない部分を規定する要因として捉えようとする立場が提示されている(六本佳平)。そこで本論文では、家族協定という現象に関して、果たしてそのような立場から法意識を研究することが適切であるかを検討した。すなわち、どれだけ家族協定が締結されたかという量的現象が、どの程度、制度的・経済的要因によって規定されているかを明らかにできるか否かを、いくつかの既存の統計的データを用いて検討した。その結果本論文は、そのような要因によって規定されているかどうかを明らかにできる範囲は限られており、したがって、制度的・経済的要因の規定力をまず研究するという方法では、法意識の具体的内容はおろか、法意識という要因が作用しているか否かすら、明らかにしえないことを示した(第5章)。

家族協定に関する法意識の内容

しかし、農業者自身のことばや調査報告、意識調査を見る限り、家族の間で契約を結ぶことに対して農業者が抵抗を感じていることは否定できない。この抵抗感は複雑な複合体であり、家族協定に関する文献にしばしば見られる「水臭い」という表現自体、分析を要するものである。農業者自身のことばに基づいて、抵抗感の内容を探ることが、研究の確実かつ基本的な出発点であろう。この研究の結果、農業者の間には、契約を書面というかたちで外形的に可視化することや、契約書に署名・捺印をすることや、契約の締結過程に家族員以外の第三者が関わってくることに対する抵抗感、また、これらのような儀礼化された行為を伴って協定を結ぶと、それに拘束されるという恐れ、が見られることが明らかになった。家族員間で契約が行われるための条件を探るという本論文の関心からすれば、そのような契約を結ぶことに対する抵抗感の存在を確認するだけでは不十分であるところ、以上のような知見は、協定書の作成や署名・捺印といった、ささやかではあるが一定の要式性に対して、農業者が抵抗を感じるという事実のうちにこそ、逆説的であるが、その要式性を利用することによって家族協定を実体のあるものにしうる可能性が潜在しているということを明らかにしたと言える。川島武宜が、日本人の契約意識が「近代化」するための根本的な条件と見た、商品交換の浸透という検証しがたい仮説に従って進むよりも、農業者の間で実態を伴った家族協定が結ばれるための貴重な所与と言うべき、要式性や儀礼に対する彼らの感覚・意識を、さらに追究することの方が、本論文の関心からは実り多い道であることが示された(第6章)。

家族協定契約書の分析

そこで、家族協定における要式的・儀礼的性質という、いわば家族協定を取り巻く社会的条件を明らかにするという観点から、主に家族協定の契約書(雛形を含む)を資料として分析した結果は、以下の5点にまとめられる。

第三者が契約書に署名・捺印するケースが殆どである。第三者の署名・捺印は協定の拘束力を強めると考えられている。

第三者によって、契約書の保管ないし登録等が行われることが少なくない。これにより協定当事者の責任感が増すと言われる。

協定の締結に際して第三者が立ち会うことが多い。立会によって協定の拘束力が強まるとされている。

第三者の立会が多かれ少なかれ儀礼化され、「調印式」等と呼ばれるものになるケースが多い。ここでは契約書の音読や誓詞の朗誦などの要式性が見られ、調印式には通過儀礼や身分契約としての性質が付加される。

契約書に定めのない事態の発生・契約の変更・履行上の問題の発生等の際に、協定当事者が契約書上第三者と協議すべきものとされる場合が多い。

このように、契約当事者間の関係を越え出た社会関係に関する観念が、家族員間の契約を受容可能なものにしていることが明らかとなった(第7章)。

ケーススタディー

社会に関するそのような観念をより詳細に調べるには、事例研究が必要である。本論文では、1966年に最初の調印式が行われて以来、約40年の間家族協定を締結するという実践が継続してきた群馬県高崎市における家族協定を、その対象に選んだ。このように、日本では他の地域に例を見ない長い期間に亘って、そのような実践が続くことのできた原因として、本論文は以下の4点を明らかにした。

近年調印式は毎年麦刈りの少し前頃に行われるため、調印のリズムは農業者の生活のリズムに合致し、協定内容の定期的な見直しを可能にした。

農業委員、高崎市内の農業者の組織である「高崎市農業会議所」の総代・理事、農協の理事・監事の選出の実態から見て、1889年の町村制施行時の旧町村という空間の枠組が、原則として旧町村である各地区から農業委員等を平等に選出するという形で、農業者の観念に根付いている。このような地区を代表する農業委員が立会人として契約書に署名・捺印し、協定の拘束力を強めている。

高崎市農業会議所の結成という形で商工業者に対する農業者という観念が社会的に表現され、このことが高崎市における農政の充実に資し、もって協定を継続させるに必要な農業委員会事務局体制を可能にした。また協定当事者の組織である「高崎市家族協定農家研究協議会」は、経営者と後継者とを区別しつつ平等に代表する組織であったことと、その後同研究協議会の規約上、後継者の妻が経営者・後継者とは別個のそれらに伍する範疇として規定されるようになったこととによって、経営者と区別されたものとしての後継者や後継者の妻という観念が社会的に表現され、彼らを各々独立の契約当事者と見る観念の素地が作られた。

上述の研究協議会は高崎市長等との懇談会を持つようになり、協定当事者に自らの新たな社会的価値を見出させた。このことは協定の締結に新たな意義を持たせた(第8章)。

こうして本論文は、どのような条件の下で、家族員が自立した当事者として相互に契約を結ぶことができるようになるかを、具体的なケースに即して示すことができた。

審査要旨 要旨を表示する

本論文「家族協定の法社会学的研究」は,自立した個人の自由な意思に基づく契約締結としての「家族協定」が行われるための社会学的条件を,とりわけ家族員間における契約を可能にする法意識・観念に着目して,実証的に探求する研究である.家族協定とは,一般的には,1960年代前半以降,日本の農家において自生的に,あるいは地方自治体や農業団体等の指導下に行われてきた,農業経営や農家生活に関する取決めを指す用語であるが,本論文においては,研究対象としての家族協定──筆者のいう「契約」──をより厳密に以下の要件を満たすものに限定している.すなわち,それは,(1)家族員の間での契約であり,(2)農家における契約であり,(3)農業経営や農家生活に関する事項を取り決めた契約であり,(4)文書化された契約であり,(5)1960年代以降にその普及が農政上の一課題とされたタイプの契約である(第1章参照).

本論文の構成としては,まず序章「本稿の枠組みと構成」において筆者の問題関心を提示するとともに,研究の前提となる法と契約の概念を理論的に構築する.次いで,第1章「用語と概念の問題」で研究対象たる家族協定の概念規定がなされ,第2章「農業統計から見た家族協定の背景」では,1960年前後から大きく変化してゆく日本の農業と農業を取り巻く諸条件(環境)の変化を種々の統計データを用いて簡潔に概観し,後の家族協定の分析と解釈の際の背景状況となる諸事項(知識)を確認する.

以上のいわば前提作業を経て,第3章「家族協定に関連する組織」は,家族協定の普及・推進の一翼を担う重要なアクターとなった国の農政上の2つの組織,すなわち,農業委員会系統の組織および農業改良普及組織の,沿革や目的,機能,役割を概観する.その上で,第4章「家族協定の歴史的概観」では,家族協定の歴史を1960年代初頭に相当する第一期(農業後継者対策としての時期),1964年から1967年までの第二期(家族協定農業に関する普及推進要項──「旧要綱」の時期),1967年から1990年代初頭にわたる第三期(家族協定農業普及推進に関する新要綱──「新要綱」の時期),および,1992年以降現在に至る第四期(「新農政」ないし「新政策」の時期)に分けて,全国レベルの動きと各地方レベルの動きを詳細に検討する.

第3章と第4章によって家族協定の背景と歴史の総体的な検討という準備作業を終えた後,本論文の課題に即した家族協定の本格的研究が展開される.第5章「家族協定の普及と経済的・制度的要因との関連」は,日本において農家の構成員間の諸関係を契約によって形成し規律すること,すなわち家族協定の普及が実際には必ずしも進まなかった原因として考えられる要因のうち,法意識的要因以外の要因──具体的には経済的・経営的要因と法制度などの制度的要因──が影響を及ぼした余地や程度を評価・考量した章である.これらの要因ではその事実を説明し尽くせないことを踏まえた上で,第6章「家族協定と日本の契約観」では,一方で農業者が家族間での契約締結を「水くさい」と表現して抵抗感を示すことを実証的に確認するとともに,他方では,その抵抗感,すなわち日本人の法意識・契約意識を,家族協定の重要な阻害要因と評価してきた既存の理論仮説を批判的な検討の俎上に載せる.そして第7章「家族協定の社会的次元」では,そうした観念的阻害要因を押し切って協定がなされる条件を解明するべく,家族協定締結をめぐる第三者の関与,例えば第三者の署名・捺印や「立会人」としての参与,さらには集団的儀式的行為としての「調印式」などの影響を検討する.

以上の考察を踏まえて,第8章「事例研究:群馬県高崎市における家族協定」では,筆者が頻繁に訪問してインデプス・スタディーを実施した高崎市の家族協定が総合的な視点から詳細に分析される.高崎市では家族協定への関心と推進への取り組みが他の地域に比べ,より長期にわたって維持されたため,第7章までとは逆に家族協定が継続してきた要因を探求することもでき,研究の幅の広がりと研究成果の進化を図ることができるからである.

以下では本論文の内容の要約を試みる.

序章「本稿の枠組みと構成」は,筆者の問題関心を提示するとともに,研究の前提となる法と契約の概念を理論的に構築する.まず,筆者にとって家族協定とは,自立した個人の自由な意思に基づく家族員間の契約であり,農業者家族における個人の自立の指標と位置づけることができるものである.よって家族協定の推進は,究極的には人間の尊厳に結びつくものと捉えられる.この問題関心に基づいて,このような家族協定が行われるための社会学的条件の探求,とりわけ「法意識」(法観念)上の条件の探求という本論文の課題が提示される.

一方,その探求のための理論枠組みとされる法と契約の概念は,かなり抽象的である.すなわち,筆者は,観念は行為を規定し,逆に行為は観念に影響を与えるとの認識に立脚し,人間の行為の中で,ある行為とある観念が一定の固い結びつきを生じさせ,さらにそのような観念を媒介としてことばと行為との間に一定の固い結びつきを持つ場合があることを指摘する.そして,このような三者の間の結びつきを「ことば=観念=行為の連帯」と呼ぶ.そのメカニズムの作用下にある人間の視点から見れば,これは,ことばと総体的・排他的な関わりを持つ状態である.さらに,複数の人々がある同一のことばと総体的・排他的な関わりを持ち,ことば=観念=行為の連帯を共有する状態に至ったとき,その行為は「集合的な行為」となり,この場合の観念が社会的範疇の観念に結びついている場合,集合的な行為は「社会的な行為」となる.この集合的で社会的な行為としてのことば=観念=行為の連帯は儀礼・実践の過程によって生産,維持(再生産),発展がなされる.以上の社会的行為の理論に立脚して,筆者はことば=観念=行為の連帯が,儀礼的性格を帯有していると判断されるに至った行為,現象を「法」と呼ぶ.

このように,筆者の法と契約の概念は国家の強制装置を本質的な要素として想定しない広いものである.また,倫理や道徳の観点から中立なものである.しかし,その「法」を基礎付ける観念ないし意識は,人間の行為を規定する重要な因子のひとつである.このような法と契約の概念を用いることにより,「法」にかかる観念上の因子が,家族協定という契約の一具体例において,その普及および維持にどのように作用しているかを明らかにするのが本研究であり,その目的をより厳密かつ的確に達成するため,家族協定という制度の利用の在り方を規定する因子として,文化因子(法意識,法観念)とともに,資源因子(収益分配を必要とする経営規模か否か,などの因子),および制度因子(家族協定の締結に影響を与えうる諸制度)もあわせて分析の対象とされる.

第1章〜第3章は,いわば本格的な研究に入る前の前提を確認する部分である.すなわち,第1章「用語と概念の問題」では,前記のような家族協定の概念規定がなされる.第2章「農業統計から見た家族協定の背景」では,1960年前後以降の農業と農業を取り巻く環境的諸条件の変化を概観し,1960年代から1970年代にかけての専業農家数や農業就業人口数の大幅な減少の趨勢を背景として,家族協定の締結という問題が出て来たことを確認する.

家族協定の普及・推進の一翼を担った国の農政上のアクターを分析する第3章「家族協定に関連する組織」では,まず,農業委員会系統の組織の概要と歴史が説明される.農業委員会は1951年の農業委員会法によって,従前の農地委員会,農業調整委員会および農業改良委員会を統合する形で各市町村に設置された制度である.以後,種々の変遷もあったが,行政機関としての性質を持ちつつも,農業者による委員公選制を通じて農業者の利益を代表する側面も持つ.もうひとつのアクターである農業改良普及組織は,1948年の農業改良助長法に基づく組織である.組織の在り方もその事業内容も,国と都道府県との協議に委ねられ,各都道府県の固有の経験や試行錯誤の中で独自性を発揮する傾向があるが,特に最近の家族協定の普及・推進には大きな役割を果たしている.

第4章「家族協定の歴史的概観」は,家族協定の歴史を4つの時期に区分して,全国レベルの動きと各地の動きの双方に目を配りつつ詳細に検討する.1960年代初頭の第一期は,農家における労働力不足と農業後継者対策が焦眉の課題であった時期であり,この問題への対策として父子契約や父子協業協定などの導入が始まっていった.第二期は,1964年3月の全国農業会議所「家族協定農業に関する普及推進要項」(「旧要項」)発表後の3年間である.家族協定の普及推進が全国レベルの農政課題として提起され,農家における後継者養成と家族関係の近代化を目的として,労働報酬協定や経営参加協定などの形で家族協定が利用された.第三期は,1967年3月の全国農業会議所「家族協定農業普及推進に関する新要綱」(「新要綱」)から1990年代初頭にわたる時期である.この時期には,家族関係の近代化,農業後継者の確保に加えて婦人の地位の向上も視野に入り,協定の形式・内容も,労働報酬協定,部門分担協定,家族協業協定,経営委譲協定などの多彩な形で唱導されたが,実際には,北海道を例外として家族協定の推進は停滞している.1992年の「新しい食料・農業・農村政策の方向」(「新政策」)から現在に至る第四期の顕著な特徴は,女性の役割の明確化と「個」としての地位の向上が前面に出てきたことである.また,農林水産省・政府が家族協定の推進を以前よりも積極的に行う姿勢を明示した点も特徴といえる.以上,第3章と第4章によって家族協定の背景と歴史の検討という家族協定研究の準備作業を終えた後,第5章以下で家族協定の本格的研究が展開される.

第5章「家族協定の普及と経済的・制度的要因との関連」においては,家族協定の普及を阻害した可能性のある,法意識以外の要因の影響の如何が検討される.経済的・経営的な阻害要因としては,(1)農業経営規模の小ささ,(2)資本主義的農業でないこと,(3)経営部門や作目が適合的でないこと,(4)農家数の減少,(5)経営規模の両極分解,(6)農地価格の高騰,が採り上げられる.制度的な要因は,(A)税制などの直接的阻害要因と,(B)家族協定に期待される機能と競合する機能を持つため間接的阻害要因となる制度とが区別され,後者については,収益の分配などの労働条件に関するもの,経営者の引退後の生活保障に関するもの,および,経営委譲や資産承継に関するものが採り上げられている.以上の諸要因を利用可能な数値的データを用いつつ分析した上で,筆者は,経済的・制度的要因が協定の普及を阻害してきた可能性がいくつか同定されたが,これのみで説明しつくすことはできず,いわば残余があり,これが法意識の作用であろうと仮説を提示する(残余説的法意識論).

第6章「家族協定と日本の契約観」では,第5章の考察により,残余として作用していることが背理法的に示唆された法意識について分析する.全国の多数の地域にわたる厖大な量の関係資料を詳細に検討し,家族員の間で書面による契約を結ぶということそれ自体に対する抵抗感とも呼ぶべきものが農業者の間に存在していることを実証的に証明している.と同時に他方で,一定の要式性に対するこの抵抗感の存在は,逆説的にではあるが,その要式性(第三者の署名・捺印,第三者の立会い,締結式という儀礼など)を逆用してそれを克服することで,家族協定という法現象を実体あるものにする可能性を生じさせているという興味深い事実を示唆し,その観点から,日本人の法意識の「近代化」の方途に関する既存の理論仮説に批判を加える.すなわち,商品交換の浸透による法意識の近代化よりも,要式性や儀礼に対する感覚・意識を追究することの重要性を示している.

第7章「家族協定の社会的次元」では家族協定締結における集合的・社会的な行為の意義が検討される.すなわち,家族協定の締結に際しては,まさに上記の抵抗感を押し切るために,協定への第三者の署名・捺印,第三者による契約書の保管,協定の作成・締結過程への第三者立会い,集団的儀式的行為としての「調印式」,さらには協定の履行過程における第三者との協議などがしばしば見られる.本章は,多数の家族協定の分析を通じて,このように家族協定は家族内の当事者同士のみのものではなく,社会的関係の中で締結されていることを明らかにしている.そして,契約当事者間の関係を超え出た社会関係に関する観念が,家族員間の契約を受容可能なものにするとともに,その拘束力を強化してもいることを明らかにしている.

以上のような第1章から第7章までの研究成果を前提として,第8章「事例研究:群馬県高崎市における家族協定」では高崎市の家族協定の実践過程が詳細に研究される.このように本論文は第7章までの研究が再帰的ないし自己言及的に第8章に流入するという構造をとっている.高崎市がインデプスなケース・スタディーの対象とされたのは,他の地域に較べて,高崎市では家族協定への関心と推進への取り組みとが強い時期が長期にわたったためである.高崎市で家族協定が継続してきた原因として多かれ少なかれ観察されたものとして,親の代の経営と子の代の経営の区別,および家族協定締結の儀式化が挙げられる.また,農業委員の署名・捺印も注目に値する.なぜなら,旧町村単位で選出される農業委員の署名・捺印は,旧町村名という「ことば」と,分割された空間の「観念」と,農業委員会,農協,高崎市に固有の農業会議所などの組織の構成という「行為」の間の連帯を象徴するものだからである.さらに,農業者と商工業者ということばの区別,経営者と区別された後継者の観念,そして経営者とも後継者とも区別されたものとしての後継者の妻という観念が家族協定を可能にし,維持する働きを果たしていると分析する.最後に,社会の拡大が挙げられる.これは,家族協定農業者組織の代表が市長や市職員に農政上の提言をする機会を持つことを通じて,家族協定当事者のいわば社会が拡大し,家族協定の認識を深め再生産させることになる点を示すものである.

以上のように,厖大な資料を駆使して網羅的かつ詳細な検討を行った上で,終章「結論」で全体がまとめられるとともに,将来の研究の方向性が示唆される.このように本論文は,実証的な法意識研究の観点から,家族協定について考えうるほぼ全ての論点を網羅し,集めることのできるほとんどの資料を集大成した,日本における空前の家族協定研究と位置づけることができる.

本論文の長所としては,次の諸点を挙げることができる.

第一に,厖大な資料を悉皆的に蒐集し,気の遠くなるほどの時間と精神力を傾けて詳細に分析した本論文の資料的価値は甚大である.日本の家族協定に関する資料の集大成と呼ぶことができ,家族協定研究を大きく発展させる労作である.

第二に,法意識論を中心とする日本の法社会学研究の蓄積の上に,法と契約の新たな概念を提示し,それを基礎として実証的研究を着実に完成させている.日本人の法意識論に対する多大の寄与をなす本格的研究であるといえる.

第三に,面接調査,質問票調査,種々の一次資料の蒐集など,足を使っての着実な資料蒐集は今後の法社会学研究の範を示すものとなっている.しかも集められた資料を精密に検討し,場合により統計分析等を施して分析している.資料分析における謙抑的手堅さも今後の法社会学研究において参考とされるべきものである.

第四に,家族協定という契約現象における社会的次元を資料的にも分析的にも鮮やかに析出して,そのダイナミクスを明らかにしている.家族協定をめぐる,全国的組織,都道府県レベルの組織,市町村レベルの組織などの組織の影響,立会人等多くの場合コミュニティを共にする第三者の存在とその影響,調印式等の儀式化の影響など,社会的次元を多面的多層的に分析しており,極めて説得力に富む.

以上のように,本論文は家族協定の研究として最高水準の研究となっている.

もっとも,本論文にも補完すべき短所がないわけではない.

第一に,本文も注も異例なまでに長大であり,資料のさらなる整理と選択によって,もう少し短縮して読みやすい論文にできたのではないかと惜しまれる.とはいえ,これは厖大な資料蒐集と,資料的価値の付与の副作用というべきかも知れない.

第二に,序章で提示される法と契約の概念と,第1章から第7章での分析とのつながりが必ずしも明らかな形で目に見えない.理論とそこから導かれる仮説の操作化がさらになされていれば,より説得力を高めたであろうと惜しまれる.とはいえ,高崎市の家族協定を分析する第8章および終章で,法と契約の概念に正面から立ち返って検討しており,理論と実証分析の乖離と呼ぶべきものではない.

第三に,農林水産省・政府の関与をめぐる政策分析が若干弱いといえる.また,家族内のダイナミクスやジェンダーの視点が,論文内で指摘され分析はされているが,若干弱い印象を受ける.とはいえ,データからいえることだけに限定して論を展開するという筆者の極端なまでの謙抑的態度の結果ということもでき,大きな欠点と呼ぶことはできない.

これらの短所は,いずれも本論文の学術的な価値を大きく損なうものではない.家族協定について,時間と労力の厖大にかかる実証的調査を着実に実施し,先行研究も最新の理論も共に十分に参照した上で法と契約の概念を再構築し,家族協定についての網羅的な法社会学的分析を行った本論文は,日本の法社会学のこの分野の研究水準を飛躍的に向上させるものであると評価することができる.したがって,本論文は博士(法学)の学位を授与するにふさわしいものであると評価できる.

以上

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