学位論文要旨



No 216487
著者(漢字) 朴,東誠
著者(英字) Park,Dong Seong
著者(カナ) パク,ドンソン
標題(和) 近代日本における「地域社会」の形成と変容 : 静岡県下田市の事例を中心に
標題(洋)
報告番号 216487
報告番号 乙16487
学位授与日 2006.03.09
学位種別 論文博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 第16487号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 伊藤,亜人
 東京大学 教授 船曳,建夫
 東京大学 教授 木村,秀雄
 東京大学 助教授 岩本,通弥
 東京大学 助教授 石和,克郎
内容要旨 要旨を表示する

本論文は、文化人類学的な方法論に基づいて、調査・資料収集・資料分析を通じて作成された民族誌である。研究対象は行政体としての日本国静岡県下田市地域である。

本論文での目的は、近代日本における地域社会の形成と変容、地域社会の自律性と文化的多様性を明らかにすることである。近代化と国民国家という巨大な世界史の流れの中で、均質化されながら多様化を追求する地域社会の歴史的な過程にアプローチするため、地方史や郷土史など地域の目線で国家と世界を見つめることによって、マクロとミクロ両方の観点からの分析を試みた。そのためには日本文化の統一性と、地域文化の多様性を同時に眺望することが必要であった。このために近代日本の国民国家形成過程を視野に入れた地域社会の綿密な分析を行いながら、さらに地域社会と地域住民が近代という新しい思想をどのように受け止め、その結果どのように変化してきたかを、文化人類学の長所を生かしつつ視点を地域社会に置いて研究対象社会を分析した。この点で、近代社会への移行期に日本社会の変化の重要な軸の一つを担っていた下田市は恰好の対象であった。

本論文は地域の視点から地域社会の文化変容を明らかにするために、地方政策と地域の歴史にフォーカスを当てている。近年学際的な研究の必要性が浮き彫りになっている中でも、特に人類学と歴史学は密接な関係を保とうとしているのは、動態的な研究の必要性と可能性からである。人類学は他者を研究することを原点としてきた。時空の領域において、歴史学は時間的他者を、人類学は空間的他者を研究対象にしているのである。人間社会を研究対象にするとき、そもそも時間と空間を別のものとして分離することは不可能なことである。文化人類学の究極的なテーマである文化が歴史の産物であることはいうまでもない。

ある社会の変遷は特定のエージェントだけによって決まるものではない。日本の地域社会の変遷も、歴史の流れの中でいくつかの要因によって、複数のエージェントの影響力が地域社会という場でぶつかりあった結果である。それらのエージェントのすべてを分析の対象にすることは不可能であるが、その中のいくつかをとって全体像を描くのは社会の変動の把握に役立つはずだ。

論文の構成は、三部九章からなる。第1部が第1章序論、第2章調査地の概況である。

第2部は、近代日本の統一国家形成において、文化的な統一の過程、国民の誕生と地域住民のあり方、地域文化の統合と変容過程を明らかにするものである。

第3章では、国家の地方政策の樹立と変化、それに伴った地域社会の対応と変化の経験を、下田市の地域空間の変化を事例として分析した。そして地方制度と空間認識に関連して、近代的な地方制度の実施によって形成された新しい空間概念が国家の統一にどのように関わっていたのかを明らかにした。

近代日本の統一国家の樹立は、ほぼ全土にわたって一律に施行された近代的な地方制度を通じて、地方を取り込みながら行われた。統一国家の意味するのは「地域」を「地方」にしていく過程である。

場合によって制度は新しい概念を形成する。近代的な地方制度の導入は日本に新しい空間概念を形成した。村という小宇宙、つまり内の空間と外の空間、あるいは内の空間を含めたより広い空間(=くに)のモザイク的な状態から、最上位から最下位のイエ(家)まで、空間自体の序列化が可能になり、それを具体的な対象として認識するようになるのである。これは近代という認識体系がもたらした画期的な変化といえる。

第4章では、国民としての人間と地域住民としての人間、国家による国民の掌握過程を考察し、社会の流れとともに人間がどのように変化していくのかを歴史的な側面から分析した。これを通じて、日本人の国民意識の形成過程、近代国民国家の樹立にともなった国民統合の過程、そして新しい住民としてのアイデンティティの変容過程を明らかにした。

具体的に国家を意識しない近代以前には、日本人としてのアイデンティティはもとより、人種の異動を分ける偏見さえ薄いのが伺える。むしろ後の時代、もしくは今日まで続いている偏見は近代以降の意図的なイデオロギー操作、すなわち民族主義イデオロギーによるものである。そして暫定的に言えば、世代による「国家意識」や世界観の違いはこのイデオロギー操作にさらされた程度によって、あるいは教育を受けた時期によって異なることが分かる。

第5章では、統一的な社会形成のさなかで地域社会がどのように統合されていき、また独自性を確保するためにどのように抵抗し努力していたかを明らかにした。

日本社会は近代以降、地方制度と国家イデオロギーによる国民統合を通じて、結果的に相当な程度で文化的な統一を果たせたと評価できる。これは近代社会への移行に伴なった中央と地方の創出、その結果周縁化される地方ないし地域社会が中央に隷属されながら生じたものである。

一方、地方ではない地域社会は一方的な隷属、一方的な周縁化を積極的に拒否することもある。周縁というのは中心を想定することで生じるものであり、自分を中心にして独自性を確保することで周縁化に抵抗するのである。下田はその出口を日本の中心であった「開国の舞台」から見出し、さらに世界と繋がろうとしたのである。

第3部は、地域社会の内部に焦点を当てて、地域社会の形成過程、地域社会内部における統合と抵抗、地域文化運動の分析を通じて地域文化のあり方を把握する部分である。

第6章では、地域社会の形成にかかわる歴史的背景・制度的変化による領域の変遷・利害関係による対立と統合・地域社会の自己主張のあり方などを考察した。自治体を超えたレベルでも、自治体の内部にも統合と抵抗は存在する。戦略的な統合と、戦略的な抵抗が住民の利益とどのようにつながり、どのようにぶつかるのか、そして何らかの選択を迫られた時「地域社会」の意思決定はどのように行われるかといった分析を通じて、地域社会の形成過程を明らかにした。

国家レベルにおける中央と地方の構図は、地域社会内部においてもある程度再生産される。この章では、下田市の下部地域単位の祭の形態の分析から中心と周縁を想定する仕方と、それを内部で受容する過程を分析・記述した。こうした受容は、地域合併の面においても同様である。地域合併は国家権力の強制によるものだけでなく、戦略によって地域社会内部においてもさまざまな合併議論が行われてきた。場合によっては分合をめぐって地域同士が対立することもあり、それは各地域の利益がかかっている場合が多い。

一方、地域間の紛争が地域間だけで解決できないときは、外部のより大きな権威に依存して公的な判決によって解決される。また対立の危険性が認識される時、それを適切に解消する装置を地域同士で発明して稼動させることもある。

地域社会は空間を共有してきた歴史的な経験と、集団を成してきた歴史的な経験の範疇が一致するときに、その複合によって形成されるものである。つまり地縁的なつながりと共に住人としての意識の決め手になるのは内在する歴史的な共通意識である。

第7章では、下田市白浜地区を中心として、その歴史が郷土史運動の材料になる仕組み、そして地域文化運動の一環としての郷土史運動の個別事例を考察した。白浜はかつて、ユニークな天草(てんぐさ)の共同管理方式で有名であり、一部住民はその歴史を地域統合の資源にしようとしている。この章では、歴史が地域統合のイデオロギーとして、また観光業が主産業である地域において歴史が実態を持った資源として、どのように認識され、利用されるのかを考察した。

共通の空間と歴史は、実際それがすべての住民を引き付ける紐帯の源にならなくても、一部の住民によって地域の中心軸を維持させる役割は充分に果たすことができる。そしてその中心軸が維持されるかぎり、歴史は記憶されよみがえり、維持されるのである。白浜の住民たちは「天草文化」ともいうべき歴史的な背景を、郷土の紐帯を維持する郷土史の材料として用いることを試みている。

第8章では、表象の生成と情報の発信、町づくりに対する住民の能動的な参加、そして周縁たる地域社会に価値を見出す観念とプロセスを考察した。

歴史上の下田は、「御番所時代」と「開国の舞台」という2回の黄金期を経験したが、下田市が積極的に下田の表象にしているのは「開国の舞台」である。表象としての「開国の舞台」は観光資源として商品化された歴史であると同時に、住民の歴史認識の原点でもある。そして下田の住民は、こうした資源としての歴史の生産に積極的に参加してきた。150年前の歴史的事件は郷土史講座や、観光客に対するボランティア観光ガイドの説明から、記憶され、よみがえり、絶えず解釈されることによって再生産されるのである。

ある地方のくらしを楽しむ人々は、その地域社会から新しい価値観を見出そうとする。下田を原点にして世界を目指すのも、地域に対する取り組みを基点とする。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、近代日本における地域社会の形成と変容、地域社会の自律性と文化的多様性を明らかにすることを課題としており、文化人類学における民族誌の手法によって記述と分析をおこなったもので、静岡県下田市地域における二年半に及ぶ現地調査に基づくものである。

本論文は3部9章からなっており、第1部(第1章〜第2章)は序論に、第3部の第9章が結論にあてられている。

第1部の序論では問題の提起および設定として、近代日本における地域社会の形成と変容が統一的価値と社会の画一化を指向するのに対して、自律性と文化的多様性はこれとは対立的なものであるとして、均質化と多様性の相反する側面から地域社会の歴史的過程に迫ろうとするものであり、そのためには、歴史資料として「正統的な歴史書」よりも現地の郷土史に着目して、地域社会の視線から国家や世界との関係を記述分析するアプロ−チを提示している。

第2部は、近代日本の統一国家形成期における文化的な統一化の過程、国民の成立と地域住民のありかた、地域文化の統合と変容過程について整理している。まず第3章では、国家の地方政策の成立と変遷、それに対する地域社会の対応を通して下田市の地域空間がどのように変容したのか、またこうして形成された地域概念が国家の統一にどのように関わっていたのかを記述して、かつての日本社会の並列的な地域概念が、近代化とともに国家から地域社会最下位のイエ(家)に至るまで、空間自体が序列化されてゆく過程を分析している。第4章では、国民意識の形成過程、近代国民国家の樹立にともなう国民統合の過程、新しい住民のアイデンティティの変容過程を整理して記述しており、教育制度・天皇制・標準語の普及などを題材として、国家の制度的な側面と地域社会における実践の過程を対比的に考察して、この過程が国家による国民掌握の過程であったことを明らかにした。第5章では、統一的な社会形成のさ中で地域社会がどのように統合されてゆき、その一方では地域文化の独自性を確保する上での抵抗と努力を整理し、その結果、地方ないし地域社会の周縁化が、中央と地方の創出および中央への隷属によってもたらされたことを明らかにしている。

第3部では、地域社会の内部における統合と抵抗、地域文化運動の分析を通じて、地域社会の形成過程と地域文化のありかたを整理している。まず第6章では、地域社会の形成に関わる歴史的背景・制度的変化による領域の変遷、利害関係による対立と統合、地域社会の自己主張のありかたなどの考察から、戦略的な統合と戦略的な抵抗を通じた地域社会の形成過程を明らかにした。また第7章では、かつての自然村を分析の単位にして、地域文化運動を通じて自然村を実体化しようとする状況を分析している。次いで第8章では、分析の単位を地方自治体に広げ、地域文化の表象づくりと文化運動を分析しており、観光資源としての歴史・郷土史教育・意思決定のプロセスと住民参加による自治、新しい価値観形成の試みについて議論を展開し、共通の記憶としての地域表象は住民によって絶えず記憶され解釈されることによって維持され強化されることを明らかにした。第9章は、以上の各章を集約して結論としている。

本論文では、地域の社会と文化の変容を取り上げながらも、それを絶えず国家との関係において考察している点に特色がある。これまで、民俗学をはじめとして日本の社会文化に対する研究の多くは、地域社会の「独自な伝統」に注目するあまり、その小地域に対象を固定して記述が成されてきたといってよい。また、地方および地域社会の変容を考察する際の対象設定において、行政の介入を視野から除外してきたため、対象設定の根拠が不鮮明であったのに対して、本論文ではこれとは対象的に、地域社会の現実における行政の重要性にも留意し、地方行政の単位を積極的に分析の対象に設定することによって、地域と国家との関係について記述と分析に成功している点が独創的である。

また地域内部においても、国家をはじめとする外部との関係に晒されながら、住民自身が能動的な参加によって、地域の価値の創造と地域社会の自律性ないし共同性を追求する過程を記述することを通して、空間設定の異なる地域のそれぞれにおいて小宇宙ともいえる実体化が追求されている動態を明らかにしている点で、現代日本社会の研究において貴重な成果である。

また、従来の歴史学が国家の正統性を優先して主として中央の側の視点から地方や地域を捉えがちであったのに対して、本論文では、地方ないし地域社会の住民の視点を重視して、地域住民による資料を積極的に活用する戦略を採っており、現地調査による観察も併用した民族誌としても成功している。

筆者は、中央集権的な行政と父系親族体系に基づく韓国社会との比較を念頭において、日本社会における地域社会の自律的な伝統と並列的な関係について、住民の具体的な行動や組織に基づいて提示しているのも、これまで日本の研究者の間では検証を怠ってきた点を指摘したものといえる。

また現地調査においては、関心を共有する現地の人々と活動を共にしながら連携関係を踏まえている点で、従来の参与観察に留まらない相互参与的(participatory )な現地調査の手法を取り入れていることも、現代の市民社会における人類学の研究方法の試みとして評価されよう。

なお、審査委員からは韓国との比較のあり方について、日本社会の多様さが十分に考慮されていないという指摘があったが、それも上記のような本論文の評価を覆すような決定的な瑕疵ではないという点で意見の一致を見たことを付記しておく。

したがって、本審査委員会は本論文が博士(学術)の学位を授与するに相応しいものと認定する。

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