学位論文要旨



No 216488
著者(漢字) 松前,もゆる
著者(英字)
著者(カナ) マツマエ,モユル
標題(和) 体制転換期ブルガリアにおける民族とジェンダー : つながりと差異化の語りと実践
標題(洋)
報告番号 216488
報告番号 乙16488
学位授与日 2006.03.09
学位種別 論文博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 第16488号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 伊藤,亜人
 東京大学 教授 川中子,義勝
 東京大学 助教授 長谷川,まゆ帆
 東京大学 講師 渡邊,日日
 東京大学 教授 柴,宜弘
内容要旨 要旨を表示する

本論文では、近代国家成立以降、特に社会主義時代と体制転換後のブルガリアを対象に、政治・経済体制の転換がもたらす世界についての認識枠組みの変化のなかで、人々が自己のイメージや位置どりをどのように再編しているのかに焦点をあて、ネイションとジェンダーの絡まり合い、国家と個々人との関係、そしてアイデンティティに関して考察した。

まず、国民国家と連関して重要な範疇である「民族」をカテゴリー、つまりは「世界に関するパースペクティヴ」ととらえ、国家によるカテゴリー化(「名づけ」)と、それに対する調査地域での動きを検討した。調査地域には、「ポマク」と呼ばれる、ブルガリア語を母語とし、イスラームの伝統を受け継ぐ人たちと、ブルガリア正教徒、ロマが共に暮らす。本論文では特に、「ポマク」と呼ばれる人たちに注目した。

近代国家の成立以降、ブルガリアにおいても領域内の同質性が模索され、その際、他のバルカン諸国と同様、言語とともに宗教がネイションを成立させる重要な要素となったため、マジョリティと言語(ブルガリア語)を同じくするが、異なる宗教(イスラーム)を背景とするポマクをどう位置づけるかは、ブルガリア・ネイションの境界と関わる重大な問題であったと言える。その過程で、国家はポマクをその言語ゆえに「ブルガリア人」に包摂しつつ、彼らのなかのブルガリア・ネイションにとって異質な要素を排除していく。つまり、ポマクの存在によって「ブルガリア人」の境界が立ち現れるとともに、彼らはネイションの周縁に置かれることになった。結果、国家によるカテゴリー化に従いつつ、力の拡大を目指す反応を生むと同時に、周縁故の独特の対応も生み出し、人々の中には複数の傾向性が生じることとなる。

また、こうしたネイション形成は、近代ブルガリアにふさわしい「男」「女」を形成する試みと重なっていた。人々の日常レベルにまで関与しつつ、「(内なる)他者」と位置づけられたムスリムの「らしさ」、「男らしさ」「女らしさ」をもつくりかえることを目指したのである。

上記の施策は社会主義政権にも引き継がれた。それらは、社会主義にふさわしい構成員の形成を目指すものであると同時に、ライフサイクル儀礼、着衣、行動規範といった場面において、社会主義化するうえで「後進的な」要素の排除、「ブルガリア人民」性の確立を掲げるなど、ネイションおよびジェンダーと分かちがたく結びついていた。特に、1970年代からはじまった大規模な祭日や儀礼の再編は、ムスリムのみならず、マジョリティである正教徒も含め、社会主義的儀礼システムの確立を通し、人々の意識や精神に影響を与えようとするものであった。加えて、時間の流れ、人の一生に対する国家の管理を目指した施策と位置づけることができる。しかし、無論、国家による一方的な「押しつけ」がおこなわれたとは言えず、人々はそれらの一部を受容しつつ、あるところは抵抗し、新たな解釈を施した。そして、これらの儀礼では、葬儀で故人の社会主義国家建設への貢献が讃えられるにせよ、儀礼の遂行の仕方によって人々の国家への態度を示すにせよ、国家と個人が結びつく機会となっていた。マイノリティであるムスリム、ポマクの「伝統」は、国家からより強い規制を受けたが、人々は村という空間において体制と交渉し、ローカルな仕方で祭日や儀礼をとりおこなってきた。

一方、80年代に大規模に実施された衣装への規制の矛先は、主としてイスラームに特徴的と考えられるゆったりしたズボン「シャルヴァリ」を身につけ、スカーフをかぶっていた女性たちへ向けられた。彼女たちは、それまでも学校や職場などでは制服等を着用していたが、村の通りなどでのシャルヴァリおよびスカーフの着用禁止は、多くの女性たちの間に混乱を招いた。それは、家のなかにあった布や帯まで押収するという手法も含め、これまで学校や役場など外部とつながる場とそれ以外での場所で行動様式を変換するかたちで国家と「交渉」していた人々にとって、従来にない干渉を意味していたと言える。

他方、男性に対して社会主義時代を通じておこなわれた割礼への規制は、ムスリムの男性性に変更を迫るものでありえた。しかし、聴き取りからはむしろ、近代的ネイションおよび「男」としての身体が兵役を契機として獲得されたことが見えてくる。それは、非常に些細な事例のようでありながら、兵役を機に豚肉を口にするようになったという男性たちの説明にも表れているだろう。

以上から、社会主義体制が、近代以来のネイション形成と深く結びついたかたちで、時間や空間を管理し、良き人民、良き労働者の創出を目指したことが明確になるとともに、「受容」と「抵抗」のいずれかで単純には片付けられない人々の対処の仕方が見えてくる。従って本論では、権力の規制のなかにあって、それを受け入れ、改変し、解釈しつつ遂行してきた実際、「上から」と人々の間の力のせめぎ合いを描くことを試みた。

では、社会主義体制崩壊後はどうかと言えば、まず指摘できるのは、国家権力の後退であろう。日常のある面を規定し、時間や空間の秩序に明確に関与していた国家は姿を消した。一方、市場経済化や国際関係の影響を受け、人々の新たな位置どりが模索されている。

調査地においても、新たな経済状況、諸外国とのつながりが、人々にこれまでと異なる参照点を提供し(例えば、「ヨーロッパ」やEU)、それが世界の把握の仕方と自らの位置づけに影響を与えている。同時に、儀礼の遂行や着衣実践、ジェンダー規範といった事例からは、社会主義時代の経験と、ポマクの「伝統」と結びつくイメージが人々にモデルを提供しており、そうしたなかで状況に応じて自己の位置が選びとられていることが見えてきた。ただ、「伝統」とされることは社会主義以前の記憶と結びつく一方で、社会主義時代の営みと深く関わっている点を見過ごすことはできない。「伝統」のイメージは、社会主義時代の国家からの働きかけと、それとの交渉のなかで浮かび上がってきた面があると言える。

こうした状況下、生活の場において人々の折衝、論争の焦点となったのは、一言で言えば、ジェンダーの側面である。殊に「仕事」にまつわる領域でそれは顕著で、市場経済下にふさわしい「男」「女」を形づくっているように見える。また、調査地において明らかとなったのは、世代間の労働交換により、従来の性役割と新たな経済状況を接合する実践であった。人々は、状況にあわせて「家族」の範囲を(上下の世代や傍系に)拡大したりしながら、体制転換以来続く経済的困難に対処している。家族の範囲を伸縮して経済上の問題を解決することも社会主義時代の手法の延長にあるが、それが時代の要請にあわせて再編されている。

国家の力が後退し、代替制度が不足している状況で、国家機関が担っていた役割を「家族」が担っている場合も多々見られる。家庭という領域は、社会主義時代も男女双方にとって意味を持ち、現在も決して女性のみが支える場所ではないとしても、そこは役割分担に明らかなようにジェンダー化されており、家族が社会のなかで重みを増すことは、女性にとってより負担となる可能性は充分にある。ただ、「家族」のなかで女性である、特に母であるゆえの負担は、それが従来の女性規範に従うように見えながら、例えば出稼ぎが可能になることで変化につながりうる場合もある。稼ぎが期待される男性たちも、市場経済化のなかで従来よりも多くの賃金を手にすることが可能になっただけに、むしろそうした職にアクセスできない人たちにとっては困難な状況になると考えられる。つまり、世代や職業、収入(階層)といった差異も視野に入れつつ、具体的に男と女の関係を見ていく作業が必要と言えるのである。

しかし、他方で注目すべきは、男女の関係、性分業のあり方などが、「われわれ」と「彼ら」の差異の指標として語られていることである。「われわれ」ポマクの男女関係 対 「彼ら」=ブルガリア正教徒やトルコ人が比較の対象となることもあれば、(旧西)ヨーロッパにおける男女平等が対比されることもある。自己の布置についての語りや実践は、ジェンダーを含め、上記のようなさまざまな差異が絡まり合うなかで、多様な境界を立ち上げている。このようなアイデンティフィケーション、自己の位置づけのプロセスにおいて、体制転換は準拠枠組みを再編したのであり、またそのようなものとして人々に経験されたと言える。

以上の如く、「ポマク」と呼ばれる人たちの社会的布置は、決して民族範疇のみではなく、ジェンダーや親族への帰属など多様な社会関係や、世代、職業などの差異によって支えられてもいる。実際のところ、これらのいくつものつながりの中で、状況によって人々はいずれかを重視したり、うまく組み合わせたり、他者と差異化したりしながら、自己を位置づけている。さらに、そうした日々の実践の重なり合いが人々の間にゆるやかな共同性を形作り、微妙な所作や言葉等々に相違のある他所と対照して、村を中心とする「場」と結びつけて考えられている。ただ、それは本来、明確な境界を持った「共同体」として考えられるべきものではなく、どのようなつながりが時によって重視され、時に分断されたりするかという個人を基点としたモデルから考えていくべきかもしれない。しかし、一方で、国家によるカテゴリー化とそれへ人々をまとめようとする要請は確実にあり、人々はその力関係の中にあって、いくつもの社会関係や差異の交錯に支えられた自己の位置づけを見出している。つまり、アイデンティティとは、生活状況において周囲のつながり、関係に支えられる、それらの交わり合う位置として考えることができるだろう。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、社会主義からの政治体制の転換を経験した1989年以降の東欧社会の社会変動について、ブルガリアにおけるポマクと呼ばれるイスラム教社会を事例として取り上げ、民族とジェンダ−を手がかりとして民族誌的な記述によって分析したものである。

本論文は序章と3部6章および結論で構成されている。

序章では、東欧および旧ソ連における社会主義体制からの転換期における経済的・政治的側面について概観した上で、主として東欧を念頭に置いた民族とジェンダ−をめぐる研究レヴュ−をおこない、それらが体制転換とどのように関連して浮上してきたかという本論文の課題が提示されている。

第1章ではポマクという社会範疇を取り上げ、近世以降の歴史的な背景を踏まえて、ブルガリア国家による対ポマク政策および地方行政において、国家がどのように民族を範疇化してきたかを検証している。

第2章では、地域社会の単位としての村に焦点を置き、村の空間利用に見られるポマクと正教徒との関係の変化、それと政治・経済体制との関連を考察しており、これらを通して村という場所が帯びる意味の重要性を指摘している。

第3章では、婚姻および親族のネットワ−クを分析して、ポマクとしてのアイデンティティがその出自と深く関係していることを確認した上で、新たな政治・経済状況においては自己の位置を再解釈することにより、近年ではそうした親族や婚姻に関わる実践にも変化が見られることを指摘している。そして、場所や関係性に応じて使い分けられる個人の名前や親族名称が、体制の転換による行動規範の変化に応じて変容をきたし、その結果、新たに分節化され実体化してきた村が、こうした名称表現を通して自分たちの空間として浮上してきたことを指摘している。

こうした議論を踏まえて、第4章では宗教的な実践に関して、第5章ではより日常的な衣装をめぐる実践について検討しており、その結果、こうした実践に関わる行為や語りにおいても、場所によるコ−ドの新たな転換が計られていることを指摘している。つまり村という場所が、新しい行動規範に適った日常の実践を通して、ポマクの人々の参加・帰属の対象としての存在感を高めていることを明らかにしている。

第6章では、仕事に注目することで、政治・経済体制の変化が既存のジェンダ−観念をどのように再編してきたか、またそれが民族的範疇とどのように結び付けて語られるかを検討している。

以上のとおり本論文は、ブルガリアの一地域におけるポマク社会を事例として、政治・経済体制の変化にともなう行動規範の変化が、人々の空間認識と民族的範疇やジェンダ−観念に及ぼした影響について、とくに村における日常的実践の観察・記述およびその語りの分析を踏まえて明らかにした点で、社会主義崩壊後の現代東欧社会の研究に大きく寄与するものと評価される。また、体制の転換や変化から受ける影響面ばかりなく、人々が日常レヴェルにおいて国家や世界の体制と対峙しながら、自身の生活空間をどのように主体的に維持しているかという課題に答えている点でも高く評価される。

新しいブルガリア国家においても、周縁に位置するポマクは国家によって創出され実体化された民族像やジェンダ−像を全面的に受け入れるのではなく、一面において受容しつつもこれを再解釈して改変し、あるいは場所に応じたコ−ド転換によって対応してきたのである。また、社会主義の崩壊による体制転換期ばかりでなく、今日ポマクの人々がEU統合や市場経済の影響に晒され、さらに新たな体制への適応を迫られている中で、かれらが自己像を再構築してゆく諸相を記述・分析する上でも、有効な視座を提示したものといえる。

本論文は、歴史的な背景をはじめとして地域性や生業や宗教、あるいは社会主義や国家行政等にいたる幅広い分野にわたって蓄積を求められる現代東欧社会を対象としている点で得難い貴重な成果である。また、社会変動と民族アイデンティティを考察する事例として、周縁的なポマク社会を取り上げた点でもたいへん意欲的な研究である。しかも、理念面からばかりでなく日常の実践に注目することによって、生活の実像により近い視線から観察記述と分析をおこなった点も貴重である。それは、優れたブルガリア語の語学力によって達成されたばかりでなく、長期にわたる現地社会への参与の成果でもある。

社会主義時代、とりわけマイノリティに関する研究は制限されており、その後も今日に到るまで、現地研究者すらほとんどが短時間のインタヴュ−調査に留まってきたことを考えれば、本研究は国際的にみてもきわめて稀少かつ優れた研究成果であり、文化人類学の分野に留まらず、地域研究としてのバルカン研究にとっても多大な貢献といえる。とりわけ、村の場の実践に注目する視点は、他のバルカン社会におけるエスニシティなどアイデンティティ研究にも広く適用できる可能性を示したものといえる。

なお、審査委員の一部からは、ポマクの村の多様性について、また話者の語りの記述・分析において状況の記述が必ずしも十分でないという指摘がなされた。また現地調査がどのようになされたかについても説明が不足しているという意見が出された。

しかしこうした指摘は、上記のような本論文の高い評価を覆すような大きな欠点とは見做されないという点で意見は一致した。

したがって、本審査委員会は本論文が博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

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