学位論文要旨



No 216498
著者(漢字) 鈴村,源太郎
著者(英字)
著者(カナ) スズムラ,ゲンタロウ
標題(和) 農業経営者の経営者能力に関する実証的研究 : わが国における認定農業者を対象として
標題(洋)
報告番号 216498
報告番号 乙16498
学位授与日 2006.03.10
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第16498号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 八木,宏典
 東京大学 教授 谷口,信和
 東京大学 教授 泉田,洋一
 東京大学 助教授 中嶋,康博
 東京大学 助教授 木南,章
内容要旨 要旨を表示する

近年、わが国の農業経営のおかれた環境は大きく変化しようとしている。たとえば、消費者の農産物に対する価値観は多様化し、安価な農産物を求めるニーズが一定程度存在する反面、安全・安心な質の高い農産物を求める消費者が着実に増大傾向を示すなど、消費者の嗜好は二極化の様相を呈している。農業経営者には、単に自らの経営にとって作りやすい作目を手がけるのみならず、顧客としての消費者の動向を睨みながら、生産を組み立てるより高度な能力が求められている。

特に、一定の生産規模と販売力を確保し、比較的大規模な設備投資が可能な農業経営の中には、農産物の生産・出荷を中心に据えた態勢から、農産加工等を含む多角化へ取り組む経営がみられる。こうした先進的経営は、経営管理の合理化を徹底する過程でしばしばパソコン等を導入し、経営管理手段のIT化をも推進している。このように、現代の農業経営を取り巻く環境変化は、経営管理を一層高度化・複雑化させる方向に作用してきた。農業経営の多様な行動局面において、不断の意思決定過程を経ながら経営全体を首尾良く司るための精神面、技能面にわたる総合的な能力こそが、現代の農業経営者に要求される「経営者能力」である。しかしながら、農業経営学における経営者能力論は、経営者の意思決定過程に関する研究あるいは単なる経営管理問題に矮小化されて議論されてきた嫌いがある。このことは既に1970年代に指摘されていたものの、現代に至るまで根本的には解消されてこなかった。

本論における研究方法の特徴は、農業経営者能力について経営管理的側面と経営者資質的側面の二側面からアプローチを行ったことである。こうした経営者能力に関する二元論的発想は「管理者能力」と「企業者精神」の対比という形で、一般経営学および農業経営学の分野にしばしば見られた。しかしながら、農業経営者の資質側面(企業者精神)については、その解明が極めて不十分であったことは否めない。本論における「経営者資質」に関する研究は、農業経営者の企業者精神を「心理的」ないし「資質的」側面と捉え、行動科学的アプローチを用いた点に新規性がある。本論では、このように「経営者能力」を「経営管理能力」と「経営者資質」の二軸で描く二次元平面上に位置づけ、そのマトリックスによって把握する。ここにいう「経営管理能力」とは、経営の日常的な管理行動を規定する能力のことであり、特にその内容を「作業管理」、「生産管理」、「労働環境整備」、「財務管理」、「マーケティング管理(販売管理を含む)」、「購買管理」、「情報管理」、「事業計画性」に限定して議論を行った。また、「経営者資質」とは行動科学的アプローチに基づく経営者能力の把握方法であり、農業経営者の「リーダーシップ」および「モチベーション」の2つの尺度を内容とする。農業経営者の経営者能力は、以上の「経営管理能力」と「経営者資質」の「積」として定義した。なお、本論が主として分析対象とするデータは、2002年から4カ年にわたり筆者が主体となって実施した全国の認定農業者を対象とするアンケート調査データである。各年とも全国の認定農業者約1,000経営に対して郵送回収方式で実施したものであり、平均して50%程度の有効回答率を得ている。

第2章では、農業経営者の経営管理能力に関する考察を行った。この章の目的は認定農業者の経営管理能力の構成要素を明らかにし、各要素間の相互関係や相対的重要性について検討を行うことであった。経営管理能力の構成要素の分析に用いたのは因子分析であり、結果として「作業管理」、「労働環境」、「事業計画性」、「情報研修」、「財務管理」、「財務安全性」、「購買管理」、「販売管理」、「市場調査」の9つの因子を抽出した(累積寄与率73.6%)。経営管理因子間の平均値および変動係数の分析では、平均値が低くバラツキが大きい因子は「市場調査」、「販売管理」、「購買管理」の各因子であり、これら3因子に関わる能力不足が、経営管理能力の課題として析出された。各因子については、たとえば、作業管理因子は常雇人数、事業計画性因子は法人化状況、販売管理因子は販売額規模、市場調査因子は多角化状況とそれぞれ高い相関関係にあることなどが確認された。また、9つの経営管理因子を4つの経営管理要素に集約し、得意とする管理分野により類型化分析を行ったが、それによれば「販売・購買管理」を得意とする経営者の割合は、必ずしも生産技術の高さには比例せず、インターネット通販など近年の新たな販売手法の取組率と相関を持っている。このことから、生産技術の高度化など旧来の「経営改善」の取組みと販売・購買管理に関する経営管理能力は、別次元の能力として認識すべきことが裏付けられた。

このように経営管理能力の課題として「販売・購買管理」の問題が析出したことから、第2章では、続いてマーケティング管理ないし情報管理に関わる経営者行動と経営管理能力との関係性について分析を行った。マーケティング管理行動と経営管理能力との分析では、経営管理能力の高い者に新商品開発への積極姿勢や製品作りの際の顧客志向の高さ、顧客ターゲットにおける高級層志向などが確認され、情報管理行動と経営管理能力との分析では、同様に情報収集・活用に対する積極姿勢や電子メールの経営活用率の高さ、HP保有率の高さなどがみられ、PCの費用対効果については、過半数が効果大としていることなどが分かった。

続く第3章は、行動科学におけるリーダーシップおよびモチベーションの研究手法を援用した経営者資質の分析である。リーダーシップ分析には、三隅二不二が考案したPM論を用いた。PM論とは、目標達成(Performance)評点と集団維持(Maintenance)評点を用いて、両者のマトリックスにより評価対象をPM型、Pm型、pM型、pm型に分類し分析するもので、行動科学のリーダーシップ研究においては「態度的アプローチ」に分類される研究手法である。調査対象における各タイプの割合は、PM型が40%、pm型が35%であり、最も少ないPm型は11%であった。PM型と診断された農業経営者の特徴は、法人化率がpm型の2倍に達し、販売額では1億円以上の高販売額層が14%にのぼった。pm型の販売額中央値は1,000〜1,500万円であるのに対し、PM型の中央値は2,000〜3,000万円である。また、後継者の賦存率には、M評点が強く影響していると考えられ、PM型ないしpM型の経営者に後継者の確保率が高かった。

一方、モチベーションの分析には、HerzbergのM−H理論を援用した。M−H理論はモチベーションの要因を環境(Hygiene)要因(不満⇔不満でない)と意欲(Motivation)要因(満足⇔満足でない)の2つの要因に分けて考察するものである。代表的な環境要因としては報酬、社会的地位、作業条件、職場の対人関係等が、意欲要因としては本人の達成感、周囲から認められること、仕事自体の満足、職務への責任感等が挙げられる。結果は、モチベーションと販売額の関係について、H要因、M要因ともほぼ比例して高まることが確認されたほか、男女別の分析では、特に女性経営者の環境要因の低さが課題として析出した。また、モチベーションの高い経営者は、経営改善計画の認定に至る契機がより自発的であり、将来のビジネスサイズ、ファームサイズの拡大意向が共に強く、新商品開発や販路の定期的な見直しにも積極的に取り組む姿勢が強い。

第4章では、第1章で提示した経営者能力の枠組みに従って、経営者能力を構成する経営管理能力と経営者資質の統合化を試み、結論を得た。また、経営者能力論の課題と展望について考察を行った。

経営管理能力指標と経営者資質指標それぞれに関する平均値と変動係数をみると、平均値が低く変動係数が高いのは経営者資質である。この結果から見る限り、認定農業者の経営者資質は経営管理能力に比べ劣位あるいは育成途上にあり、経営間のバラツキも大きいことが分かる。これまで農業経営学は、農業経営者のメンタル的な資質にほとんど関心を示してこなかっただけに、行動科学的なアプローチによる経営者資質の改善が、経営者能力論の重要な課題側面であることが確認された意義は大きい。また、経営管理能力と経営者資質の重回帰分析の結果、決定係数は0.494、重相関係数は0.703であり、経営管理能力と経営者資質は強い正の相関を有している。加えて、経営改善計画の達成可能性に関する自己評価別および販売額別に示した平均値の推移もこの回帰線にほぼ沿った形で高まっている。こうしたことから、経営者能力を構成する2大要因として仮定した「経営管理能力」と「経営者資質」は、互いに並進することで、農業経営全体の成長を促進する作用を持つことが明らかとなったのである。

本論においては、経営者能力をどのように育成すべきかという具体的方策までは必ずしも十分に提示できなかった。しかしながら、農業経営を取り巻く環境が急速に変化する中で、様々な経営環境への適応能力の高い経営者の育成が急がれることは紛れもない事実である。本論の結論から少なくとも指摘できることは、今後の経営者能力研究と能力向上プログラムの開発に際して、(1)行動科学の知見を踏まえたより科学的な能力育成手法の開発、(2)知識・技能よりはむしろ経営のプロとしての自覚や意欲を高めるプログラムの導入、(3)通り一遍の座学によらない実践性の高い研修手法の確立などが危急に考慮されるべき課題だということである。

審査要旨 要旨を表示する

近年、消費者の農産物に対する価値観は多様化しており、安価な農産物を求めるニーズがある一方で、安全・安心な質の高い農産物を求める消費者も着実に増大している。また海外からの農産物輸入の増加や国際化の進展は、わが国農業者の市場をめぐる競争力のさらなる向上を求めるものとなっている。また、一定の規模と販売力を有する農業経営の中には、それまでの生産中心の経営から、農産物の直売や農産加工等に取り組む多角経営へと転換する動きもみられる。こうした現代の農業経営を取り巻く環境変化は、経営管理を一層高度化・複雑化させる方向に作用しており、わが国農業者の経営者能力のさらなる向上を求めている。

本論文は、全国の認定農業者から回収した大量のアンケート調査票と独自の実態調査をもとに、農業経営者の経営者能力について経営管理的側面と経営者資質的側面の二つの側面から把握を試み、その定量化をはかるとともに、それぞれの構成要素について体系的に解明した研究の成果である。

第1章では、一般経営学ならびに農業経営学におけるこれまでの経営者能力に関する既存研究のレビューを行い、その中から経営管理能力と経営者資質の二つの側面から経営者能力を把握する方法の有効性が導き出されている。ここで経営管理能力とは「生産管理」、「マーケティング管理(販売管理を含む)」、「購買管理」、「情報管理」など、経営の日常的な管理行動を規定する能力であると定義され、経営者資質とは「リーダーシップ」、「モチベーション」など経営者が内在的に有する潜在的な能力と定義されている。そして経営者能力とはこの二つのベクトルの統合されたものであるとしている。

第2章では、農業経営者の経営管理能力の構成要素を分析し、各要素間の相互関係や相対的重要性について明らかにしている。まず因子分析により「作業管理」、「事業計画性」、「情報研修」、「財務管理」、「販売管理」など9つの因子を抽出し(累積寄与率73.6%)、因子間の平均値および変動係数によって相互の関係を検討している。その結果、「市場調査」、「販売管理」、「購買管理」の3因子が、経営管理能力に大きく関わる因子として特定されている。

さらに、これらの因子を総合した経営管理能力とマーケティング管理行動との関係を分析し、経営管理能力の高い者に新商品開発への積極姿勢や製品作りの際の顧客志向の高さ、顧客ターゲットにおける高級層志向などが見られる点を明らかにしている。

第3章では、行動科学の研究手法を援用した経営者資質の把握が行われている。まず目標達成(Performance)評点と集団維持(Maintenance)評点によって分類するPM論を使ったリーダーシップ分析が行われ、その能力の高いPM型の農業経営者は、法人化率がpm型の2倍に達し、販売額では1億円以上の高販売額層が14%にのぼっている点や、後継者の賦存率にはM評点が強く影響している点を明らかにしている。

環境(Hygiene)要因(不満⇔不満でない)と意欲(Motivation)要因(満足⇔満足でない)の2つの要因によって分析するM−H理論を使ったモチベーション分析では、販売額の高い者ほどH要因、M要因ともに比例して高まっていること、また、モチベーションの高い経営者は、経営改善計画の認定に至る契機がより自発的であり、将来のビジネスサイズやファームサイズの拡大意向が強く、新商品開発や販路の定期的な見直しにも積極的に取り組む姿勢が強い点などを明らかにしている。

第4章では、経営者能力を構成する経営管理能力と経営者資質の統合化を試みている。まず経営管理能力と経営者資質の重回帰分析を行い、決定係数は0.494、重相関係数は0.703で、両者にはきわめて強い正の相関のある点が明らかにされている。このことから、経営管理能力と経営者資質は互いに並進すること、しかもそれが経営者能力を高める方向に働き、農業経営の成長を促進する力となる点を明らかにしている。

以上、本論文は、大量のサンプル調査をもとに農業者の経営者能力を定量的に把握する方法を開発し、それにより経営管理能力と経営者資質の定量的把握を行うとともに、それらを構成する要因相互の関係を体系的に解明したものであり、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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