学位論文要旨



No 216501
著者(漢字) 梶川,悟
著者(英字)
著者(カナ) カジカワ,サトル
標題(和) テオフィリン投与ラットの唾液腺の変化
標題(洋)
報告番号 216501
報告番号 乙16501
学位授与日 2006.03.10
学位種別 論文博士
学位種類 博士(獣医学)
学位記番号 第16501号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 土井,邦雄
 東京大学 教授 吉川,泰弘
 東京大学 教授 九郎丸,正道
 東京大学 教授 西原,眞杉
 東京大学 助教授 中山,裕之
内容要旨 要旨を表示する

ホスホジエステラーゼ(PDE)は,アデニレートシクラーゼによって産生されるサイクリックAMP(cAMP)を分解する酵素で,PDE阻害薬は細胞内のcAMPシグナルを増強させる作用を有することから,喘息の治療に用いられている.PDE阻害薬の毒性として,血管炎および唾液腺肥大が知られているが,後者についてはこれまで詳細な研究がほとんどされていない.そこで,本研究では,代表的なPDE阻害薬であるテオフィリン(1,3-dimethylxanthine)を用いて,唾液腺に対する影響を病理組織学的および分子生物学的に明らかにした.

テオフィリン投与後の唾液腺の経時変化

7週齢のオスF344ラットにテオフィリンを50 mg/kgの用量で単回および反復4日間(1日2回)腹腔内投与した後,臨床症状,耳下腺と顎下腺の臓器重量および病理組織学的変化を経時的に検査した.

単回投与では,投与後4時間まで流涎がみられた.それに一致して,耳下腺および顎下腺の重量が一過性に減少し,病理組織学的には腺房の細胞内分泌顆粒が減少した.投与後24時間の耳下腺および顎下腺の重量は対照群に比べてわずかに増加した.反復投与でも,単回投与と同様に,毎投与後4時間まで流涎がみられた.最終投与の投与直前の耳下腺および顎下腺の重量は対照群の約1.3倍に増加した.重量は,投与後4時間まで減少し,8時間には投与直前値に戻った.細胞内分泌顆粒の変動は,唾液腺の重量の変化とよく一致していた.

以上の結果から,テオフィリンによる唾液腺の肥大は,テオフィリンを投与するたびに腺房の分泌顆粒の放出と再充填のサイクルを繰り返すことにより,唾液分泌機能が亢進した結果と考えられた.また,耳下腺および顎下腺ともに投与後4時間の腺房上皮細胞では,タンパク合成の亢進を示唆する核の淡明・大型化,核小体の明瞭化,および基底膜側の好塩基性領域の拡大がみられた.

筋上皮細胞,導管および水分泌タンパクの唾液分泌への関与

唾液の分泌には,腺房のみならず,筋上皮細胞,導管および細胞膜の水透過チャンネル(アクアポリン,AQP)が関与していることが知られている.そこで,7週齢のオスF344ラットにテオフィリンを50 mg/kgの用量で反復4日間(1日2回)腹腔内投与し,最終投与後に経時的に耳下腺と顎下腺を採取し,α-Smooth Muscle Actin(筋上皮細胞のマーカー)およびAQP5(唾液腺に特異的なAQP)に関する免疫組織化学的検査,共焦点レーザー顕微鏡および電子顕微鏡検査をおこなった.

筋上皮細胞が最も多く分布していたのは,耳下腺および顎下腺ともに介在部導管の周囲であった.耳下腺の腺房周囲にはほとんど分布していなかった.顎下腺の腺房周囲には分布はしていたが,数は少なかった.テオフィリン投与により,耳下腺および顎下腺の腺房は分泌顆粒を放出して小型化したが,筋上皮細胞の組織学的変化はあきらかではなかった.対照群のAQP5シグナルは,耳下腺では腺房の内腔で,顎下腺では腺房内腔に加えて介在部導管の内腔で,それぞれ強かった.テオフィリンを投与しても,耳下腺および顎下腺の腺房のシグナルに変化はみられなかったが,顎下腺の介在部導管では,テオフィリン投与によりAQP5のシグナルが増強することが共焦点レーザー顕微鏡検査により明らかになった.顎下腺の介在部導管上皮細胞では,テオフィリン投与後1時間に空胞が多くみられ,この空胞は電子顕微鏡観察で細胞間の開大であることが確かめられた.この変化は耳下腺ではみられなかった.

以上の結果から,テオフィリンを投与すると,耳下腺および顎下腺ともに分泌顆粒が放出されて腺房が小型化するが,腺房周囲には筋上皮細胞は少なく,筋上皮細胞が腺房を収縮させていることを示す組織学的変化もみられなかった.このことから,分泌における筋上皮細胞の寄与はそれほど大きくないと考えられた.顎下腺の介在部導管では,AQP5シグナルがもともと強いこと,および,テオフィリン投与後に同部のシグナルが増強して空胞化(細胞間の開大)がみられることから,唾液の水分泌に関しては,耳下腺よりも顎下腺,また,顎下腺の中でも特に介在部導管が重要な役割を果たしている可能性が考えられた.

テオフィリンによる唾液分泌シグナル

唾液分泌の生理的なメカニズムに関しては,特にβアドレナリン受容体を介する経路がよく知られている.βアドレナリン受容体が刺激されると,細胞膜のGタンパクによりアデニレートシクラーゼが活性化され,cAMPが合成されてシグナルが伝達される.このシグナルにより唾液が分泌される.従って,PDE阻害薬による唾液分泌亢進にもcAMPシグナルが関与している可能性が考えられた.そこで,ラット唾液腺の組織内cAMP濃度およびPDE酵素活性がテオフィリン投与により変化するかどうか調べた.すなわち,7週齢のオスF344ラットにテオフィリンを50 mg/kgの用量で単回腹腔内投与して,経時的に耳下腺と顎下腺を採取した.組織内cAMP濃度についてはEnzyme Immunoassay法により測定し,PDE酵素活性については酵素組織化学的手法により調べた.加えて,テオフィリン投与による唾液分泌にβアドレナリン受容体が関与しているか否かを調べるため,プロプラノロール(βアドレナリン受容体拮抗薬)とテオフィリンを併用投与し,投与後4時間の耳下腺および顎下腺の重量を測定した.

耳下腺および顎下腺のcAMP濃度は,テオフィリン投与により増加した.耳下腺のPDE酵素活性には,テオフィリン投与により明らかな変化は認められなかったものの,顎下腺ではPDE酵素活性の低下がみられた.プロプラノロールとテオフィリンの併用投与により,テオフィリン単独投与に比べ,耳下腺および顎下腺の重量の減少を部分的に抑制した.

以上の結果から,テオフィリンによるラットの唾液腺の変化には,PDE活性の抑制に伴うcAMPシグナルが関連していることが示された.また,βアドレナリン受容体遮断がテオフィリンによる唾液腺重量の低下を軽減したことから,β受容体を介した経路も部分的に関与していると考えられた.

唾液腺の遺伝子発現

cAMPは遺伝子の転写因子のひとつであること,および,テオフィリン投与後の腺房細胞ではタンパク合成の亢進を示唆する組織所見がみられたことから,テオフィリンにより遺伝子発現が増加している可能性が考えられた.そこで,cAMPによって転写が制御されていることが知られている唾液腺の主要な遺伝子のうち,分泌タンパクの中から消化酵素のアミラーゼ(AMY1)および口腔内の殺菌作用を有するCystatin S(CysS),PDEサブファミリーの中から唾液腺に多く発現しているPDE3AとPDE4D,さらに,水分泌チャネルのアクアポリン5(AQP5)について,これらの遺伝子の発現量の変化を調べた.すなわち,7週齢のオスF344ラットにテオフィリンを50 mg/kgの用量で単回および反復4日間(1日2回)腹腔内投与した.経時的に耳下腺と顎下腺を採取し,Real-time RT-PCR法を用いて遺伝子発現量の変化を調べた.アミラーゼに関しては免疫組織化学的検査もおこなった.

耳下腺および顎下腺の主要な分泌タンパクは,それぞれAMY1およびCysSであった.単回投与では,分泌タンパク遺伝子の発現量の一過性の増加がみられた.反復投与では,CysSの発現量の著しい増加がみられた.AMY1遺伝子の発現量の変化は明らかでなかったが,免疫組織化学的検査ではテオフィリン投与により耳下腺腺房のアミラーゼの枯渇と再充満がみられた.テオフィリンによる唾液腺肥大は,cAMPシグナルに関連すると考えられる分泌タンパクの合成亢進によることが示された.PDE3A遺伝子の発現量は耳下腺で,PDE4Dは顎下腺で,それぞれ発現が多かった.単回投与では,PDE3A遺伝子の発現量は一過性に増加した.反復投与では,顎下腺では発現量の持続的増加がみられ,テオフィリン投与により更に発現量が増加した.一方,PDE4Dの遺伝子発現量には変化はみられなかった.PDE3A遺伝子の発現量の増加は,過剰なcAMPに対するフィードバックと考えられ,また,同じPDEでもサブファミリーごとに遺伝子発現のメカニズムが異なることも示唆された.AQP5遺伝子の発現量は耳下腺および顎下腺でほぼ等しく,テオフィリン投与による変化も明らかではなかった.顎下腺の介在部導管では,免疫組織化学的検査ではテオフィリン投与によりAQP5シグナルの発現増強がみられたにもかかわらず,遺伝子の発現量に変化がないことから,テオフィリン投与により,細胞内のリザーバーからAQP5が細胞膜へ移動していることを示唆しているものと考えられた.

上述した本研究の結果,以下のことが明らかとなった.テオフィリンをラットに投与すると,唾液腺のPDE活性が阻害されてcAMPシグナルが増強される(βアドレナリン受容体を介した経路も一部関与している).このシグナルにより腺房から分泌顆粒が放出され,分泌タンパク遺伝子の発現増加などによりタンパク合成が亢進し,再び分泌顆粒が腺房細胞の細胞質に蓄えられる.このとき,投与前よりもわずかに多めに蓄えられる,という一連のサイクルの存在が示された.また,テオフィリンを反復投与すると,この一連のサイクルが繰り返されることにより,一部の遺伝子の発現量が持続的に増加して腺房内に分泌顆粒が過剰に蓄積し,腺房が肥大することが示された.このように,テオフィリンによる唾液腺の肥大は,唾液分泌の機能亢進を示す変化と考えられた.また,耳下腺と顎下腺との比較に関しては,耳下腺はアミラーゼなどの消化酵素タンパクの分泌をおこない,顎下腺は口腔内の殺菌に関連したタンパクとともに唾液の水分泌をおこなうという機能分担が示された.さらに,顎下腺の介在部導管が唾液分泌に重要な役割を果たしている可能性が示唆された.

審査要旨 要旨を表示する

ホスホジエステラーゼ(PDE)は,アデニレートシクラーゼによって産生されるサイクリックAMP(cAMP)を分解する酵素で,PDE阻害薬は細胞内のcAMPシグナルを増強させる作用を有する。PDE阻害薬の毒性の一つである唾液腺肥大については詳細な研究がされていないことから,本研究では代表的なPDE阻害薬であるテオフィリン(1,3-dimethylxanthine)を用いて,唾液腺肥大のメカニズムを明らかにした。いずれの実験も動物は7週齢のオスF344ラットを用い,テオフィリンは50 mg/kgの用量で腹腔内投与した。唾液腺は,耳下腺と顎下腺を検査対象とした。

まず,テオフィリンを単回および反復4日間(1日2回)投与し,臨床症状,両唾液腺の臓器重量および病理組織学的変化を経時的に検査した。単回投与では,投与後4時間まで流涎がみられた。それに一致して,両唾液腺の重量が一過性に減少し,病理組織学的には腺房の細胞内分泌顆粒が減少した。反復投与でも,毎投与後4時間まで流涎がみられた。最終投与の投与直前の両唾液腺の重量は対照群の約1.3倍に増加した。重量は,投与後4時間まで減少し,8時間には投与直前値に戻った。細胞内分泌顆粒の変動は,唾液腺の重量の変化とよく一致していた。また,両唾液腺ともに投与後に腺房上皮細胞では,タンパク合成の亢進を示唆する所見(核小体の明瞭化,基底膜側の好塩基性領域の拡大)がみられた。

唾液の分泌には,腺房のみならず,筋上皮細胞,導管および細胞膜の水透過チャンネル(アクアポリン,AQP)が関与していることが知られている。そこで,テオフィリンを反復投与して両唾液腺を採取し,α-Smooth Muscle Actin(筋上皮細胞のマーカー)およびAQP5(唾液腺に特異的なAQP)に関する免疫組織化学的検査をおこなった。筋上皮細胞は,両唾液腺ともに介在部導管の周囲に多く分布していた。耳下腺の腺房周囲はごくわずかであった。テオフィリン投与による流涎時においても,筋上皮細胞の組織学的変化はあきらかではなかった。対照群のAQP5シグナルは,耳下腺では腺房の内腔で,顎下腺では腺房内腔と介在部導管の内腔で強かった。顎下腺の介在部導管では,テオフィリン投与によりシグナルが増強した。顎下腺の介在部導管上皮細胞では,テオフィリン投与後1時間に光顕的に空胞が多くみられ,電顕的には細胞間の開大であった。

テオフィリンによる流涎は,その薬理作用であるcAMPシグナルが関与している可能性が考えられた。そこでテオフィリンを単回投与し,両唾液腺の組織内cAMP濃度とPDE酵素活性をそれぞれEnzyme Immunoassay法と酵素組織化学により調べた。両唾液腺のcAMP濃度はテオフィリン投与により増加した。PDE酵素活性は,耳下腺では変化がみられなかったものの,顎下腺では酵素活性の低下がみられた。

生理的な唾液分泌の調節は,主にβアドレナリン受容体を介する経路が知られている。そこで,プロプラノロール(βアドレナリン受容体拮抗薬)とテオフィリンを併用投与し,投与後4時間の両唾液腺の重量を測定した。プロプラノロール併用群は,テオフィリン単独群に比べ,両唾液腺とも重量の減少が部分的に抑制された。つまり,テオフィリンによるラット唾液腺の変化には,PDE活性の抑制に伴うcAMPシグナルに加え,β受容体も関与していることが示された。

cAMPは遺伝子の転写因子のひとつであること,および,テオフィリン投与によりタンパク合成の亢進を示唆する組織所見がみられたことから,cAMPによって転写が制御される唾液腺の主要な遺伝子である,アミラーゼ(AMY1,分泌タンパクの消化酵素),およびCystatin S(CysS,口腔内の殺菌作用を有する分泌タンパク),PDE3A,PDE4D,AQP5について,テオフィリンを単回および反復投与して両唾液腺を採取し,Real-time RT-PCR法を用いて遺伝子発現量を調べた。単回投与では,分泌タンパクのAMY1とCysSの遺伝子発現量が一過性に増加した。反復投与では,CysS発現量の著しい持続的増加がみられ,投与によりさらに増加した。単回投与では,PDE3A遺伝子の発現量は一過性に増加した。反復投与では,顎下腺では発現量の持続的増加がみられ,テオフィリン投与により更に発現量が増加した。一方,PDE4DおよびAQP5の遺伝子発現量に変化はみられなかった。

以上の結果から,テオフィリンをラットに投与すると,唾液腺のPDE活性が阻害されてcAMP濃度が増加し,腺房から分泌顆粒が放出されるとともに遺伝子の発現の増加およびタンパク合成が亢進する,という一連のサイクルの存在が示された。また,反復投与すると,このサイクルが繰り返されることにより,一部の遺伝子の発現量が持続的に増加して腺房内に分泌顆粒が過剰に蓄積し,腺房が肥大することが示された。このように,テオフィリンによる唾液腺の肥大は,唾液分泌の機能亢進を示す変化と考えられた。本研究の成果は,唾液線疾患の病態発現機序を考える上での基礎的知見として極めて重要である。よって審査委員一同は本論文が博士(獣医学)の学位を授与するに値するものと認めた。

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