学位論文要旨



No 216509
著者(漢字) 関,隆行
著者(英字)
著者(カナ) セキ,タカユキ
標題(和) 20-Hydroxyeicosatetraenoic acid (20-HETE)産生酵素阻害薬に関する研究
標題(洋)
報告番号 216509
報告番号 乙16509
学位授与日 2006.04.14
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第16509号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 長澤,寛道
 東京大学 教授 祥雲,弘文
 東京大学 教授 橋本,祐一
 東京大学 助教授 葛山,智久
 東京大学 助教授 作田,庄平
内容要旨 要旨を表示する

 アラキドン酸(AA)代謝経路としてはprostaglandinsを産生するcycloxygenase系、leukotrienesを産生するlipoxygenase系が古くから知られているが、近年、cytochrome P450s(CYP)によって、hydroxyeicosatetraenoic acids(HETEs)やepoxyeicosatrienoic acids(EETs)を産生する経路が脚光を浴びており、その生理作用が次第に明らかにされつつある。20-HETEは血管平滑筋細胞等で産生される強力な血管収縮物質で、腎臓内の微小動脈および、脳動脈において筋原性の反応を媒介していることが知られており、腎血流量および脳血流量の自動調節において、重要な役割を司っていることが報告されている。AAから20-HETEを産生するω水酸化酵素として、ラットにおいては4つの異なるCYP4の分子種が知られており、それら4つの分子種CYP4A1-3、およびCYP4A8は全て腎臓や脳に発現していることが報告されている。また、ヒトに関してはCYP4F2、CYP4F3、CYP4A11が主な20-HETE産生酵素であると考えられており、肝臓、腎臓、脳、好中球に発現している。これまでの報告では虚血性脳血管疾患、心臓の虚血再潅流障害、腎臓疾患、高血圧症、糖尿病、尿毒症、妊娠中毒症において20-HETEの産生量が変化することが報告されているが、これらの病態時における20-HETEの役割は未だに明らかになっていない。これまで、20-HETE産生阻害薬に関してはいくつか報告されているが、いずれも酵素阻害活性が弱く、特異性も有していない。そこで、20-HETEの生理作用を明らかにする目的で、AA−20-HETE産生経路の特異的阻害薬を見い出し、その特異性、酵素阻害機構を解析した。また、20-HETEの病態時における役割を明らかにする目的で、腎疾患モデルおよび脳血管疾患モデルにおける病態解析および20-HETE産生酵素阻害薬の薬理作用を検討した。これまでのところ、20-HETE産生酵素を標的分子とした治療薬の開発は例がなく、本研究の検討結果から治療薬開発の可能性が見い出された。

 大正製薬(株)医薬研究所においてhigh throughput screeningにより、20-HETE産生を強力かつ特異的に阻害する化合物N-hydroxy-N'-(4-n-butyl-2-methylphenyl) formamidine(HET0016)を見い出した。このHET0016の20-HETE産生酵素に対する阻害活性は、自然発症高血圧ラットの腎臓から抽出したミクロソームを用いてAA代謝試験を行った結果、そのIC(50)値は35.2±4.4nMと阻害活性が非常に強力であった。また、HET0016は高い濃度域でEETsの産生をも阻害していたが、そのIC(50)値はおよそ100倍弱く、20-HETE産生酵素に対する特異性を有していた。また、ラットと同様にヒト腎臓由来ミクロソームに対しても強力に20-HETE産生を阻害した(IC(50)値:8.9±2.7nM)。HET0016は主たる薬物代謝酵素である他のCYP群やシクロオキシゲナーゼに対する阻害効果は極めて弱いことが明らかになり、HET0016はラットおよびヒトにおいて強力かつ選択的な20-HETE産生酵素阻害薬であることが明らかとなった。

 ラットリコンビナントCYP4A酵素を用いて、3つの分子種(CYP4A1-3)の20-HETE産生に対するHET0016の阻害活性を確認した結果、HET0016のIC(50)値はそれぞれ17.7nM、12.1nM、22.3nMであった。一方、CYP4A2、3の11,12-EET産生に対するHET0016のIC(50)値はそれぞれ12.7nM、26.6nMであった。HET0016のCYP4A酵素に対する特異性を調べるために、ラットリコンビナントCYP2C11を用いた11,12-EET産生阻害試験を実施した結果、CYP2C11のエポキシ化反応に対するHET0016の阻害活性はCYP4A酵素に対する阻害活性の約30倍高い値であった。リコンビナントCYP4A1酵素を用いた酵素速度論的検討の結果、2つの異なるHET0016濃度(20、40nM)におけるミカエリス定数が不変であったことからHET0016が非競合阻害であることが明らかとなった。また、CYP4A1の酵素量と酵素反応の初速度をプロットした結果、阻害様式は不可逆的な阻害を示していた。以上の結果から、HET0016は非競合阻害であり、不可逆的な阻害様式を持つ強力な20-HETE産生阻害薬であることが明らかになった。

 Cyclosporine A(CsA)は、現在まで自己免疫疾患や臓器移植の際の免疫抑制剤として広く使用されている薬剤であるが、典型的な腎臓毒性を有する化合物でもある(160,161)。これまでのところ、CsAによる腎障害に対する治療薬は見出されていない。腎臓における血管収縮物質である20-HETEがこの病態における腎機能障害の原因のひとつとなっている可能性があると考え、CsA誘発腎障害モデルにおける20-HETEの病態生理学的役割を明らかにする目的で、20-HETEの尿中排泄量とCYP4A蛋白発現の経時的変化について解析した。CsA処置により、血清中尿素窒素値、クレアチニン値は経日的に顕著な上昇を示した。CsA処置後の尿中20-HETE排泄量に対する影響を測定した結果、尿中20-HETE排泄量はvehicle投与群と比較して15倍も高い値を示した。また、CsA処置後20-HETEの尿中排泄量の増加と腎機能障害を示すパラメータの数値(血清中クレアチニン値、尿素窒素、尿量)の上昇は非常によく相関していることが明らかとなった。さらに免疫組織化学染色を用いた検討を行った結果、9日間のCsA投与後での腎臓には組織病変を認め、腎皮質での抗CYP4A抗体の陽性反応は、近位尿細管や遠位尿細管に認められ、Vehicle投与群と比較してタンパク質発現が亢進していた。以上の結果から、CsA誘発腎障害モデルでは腎障害と20-HETEの間に非常に密接の関係があることが証明された。そこで、CsA誘発腎障害モデルラットにおけるHET0016の薬効評価試験を行ったが顕著な腎臓保護作用は認められず、CsA誘発腎不全モデルの腎機能低下には20-HETEが直接的な原因ではないことが明らかとなった。CsA誘発腎障害ラットにおいては腎臓におけるANGIIやET-1の上昇により、CYP4A酵素が誘導された結果として20-HETEの産生が増加していたと考えられる。すなわち、20-HETEは他の原因物質と同様に血管収縮作用を発揮するだけでなく、尿細管においてはNa+再吸収の阻害によって利尿効果を発揮し、またNa+-K+-ATPaseを阻害することによってATPの消費を抑制して細胞死を防ぐ効果も発揮している可能性があることが推察された。

 新規20-HETE産生酵素阻害物質であるHET0016の類縁化合物TS-011のヒト、ラット腎臓由来ミクロソームおよびヒトリコンビナントCYP4A、CYP4F酵素による20-HETE産生に対する阻害活性の諸性質を解明し、他の主なCYP酵素や様々な受容体、広範囲にわたる酵素に対する選択性を確認したところ、新規20-HETE産生酵素阻害薬TS-011はHET0016を含めても、これまで同定された20-HETE産生阻害薬の中で最も強力かつ特異性が高い阻害薬であることが明らかとなった。

 最近の研究から虚血性脳梗塞の発症時には脳脊髄液中のAA濃度が高くなっている(184)ために20-HETEの濃度が増加し、側副血流の動員を妨害することにより脳障害を引き起こしている可能性があると考えられる。そこで脳梗塞モデルにおける20-HETEの役割を明らかにするために、脳虚血後の脳梗塞体積を指標にTS-011の薬効評価を行った。その結果、TS-011(0.01mg/kgおよび0.1mg/kg)の投与により、脳虚血1時間、再潅流24時間後の脳梗塞体積を35%減少させることが明らかとなった。また、ラットの頸動脈より20-HETEを注入して脳に与える影響を検討した結果、20-HETEの頸動脈内投与が、脳虚血再潅流後に起こる脳梗塞と類似した梗塞層を形成することが明らかとなり、20-HETEにより実験的脳梗塞が惹起されることを初めて明らかとした。さらに、脳梗塞モデルにおける脳組織内20-HETE濃度の変化を検討した結果、脳梗塞モデルにおける脳組織内20-HETE濃度は梗塞側が非梗塞側より、上昇していることが確認された。さらに、虚血再潅流6時間後においては、TS-011投与群(0.15mg/kgおよび0.3mg/kg投与)で、vehicle投与群と比較して用量依存的に有意な脳組織中20-HETE濃度の低下効果を示すことを明らかにした。また、脳梗塞モデルラットの梗塞側と非梗塞側、両側の脳切片を免疫組織化学染色することにより、ラットの脳にはCYP4A酵素が存在しており、脳梗塞モデルにおける梗塞部位では脳血管におけるCYP4A酵素の発現量が上昇していることが明らかとなった。TS-011は梗塞側、非梗塞側ともに20-HETE産生抑制効果を発現し、それぞれ同等レベルまで脳組織中20-HETE濃度を低下させた。したがって、TS-011は脳梗塞モデルにおいて、脳実質内の血管に存在し20-HETEを産生しているCYP4A酵素を阻害することによって、20-HETEの脳内濃度を低減させていると推定された。以上のことから、TS-011は脳梗塞モデルにおいて脳内に存在する20-HETE産生酵素CYP4Aを阻害し、20-HETEの脳内濃度を減少させることによって、脳梗塞体積の縮小作用を発現した可能性が高いことが示唆された。

 本研究の結果から、20-HETEは脳梗塞モデルにおいて、脳梗塞発症原因の一つとなっている可能性が明らかとなった。また、20-HETE産生酵素阻害薬TS-011は顕著な脳梗塞体積縮小作用を示したことから、脳梗塞治療剤として有用となる可能性があり、2005年現在、米国にて臨床試験を実施中である。

審査要旨 要旨を表示する

 アラキドン酸代謝経路としてプロスタグランジンを産生する系およびロイコトリエンを産生する系が古くから知られているが、近年、チトクローム P450(CYP)によって、ヒドロキシエイコサテトラエン酸(HETE)やエポキシエイコサトリエン酸(EET)を産生する経路が注目されている。20-HETEは強力な血管収縮物質で、腎臓内の微小動脈および脳動脈において腎血流量および脳血流量を調節している。本論文は、20-HETEの生理作用を明らかにするとともに、アラキドン酸−20-HETE産生経路の特異的阻害薬を見い出し、その特異性、酵素阻害機構を解析し、さらに腎疾患モデルおよび脳血管疾患モデルにおける病態解析および20-HETE産生酵素阻害薬の薬理作用を検討したもので、序論とそれに続く4章からなる。

 序論において、研究の背景を述べた後、第1章において大正製薬(株)医薬研究所で見出された20-HETE産生を強力かつ特異的に阻害する化合物N -(4-n-butyl-2-methylphenyl)-N'-hydroxyformamide(HET0016)について阻害活性を検討した。自然発症高血圧ラットの腎臓から抽出したミクロソームおよびヒト腎臓由来ミクロソームを用いてHET0016のアラキドン酸代謝試験を行った結果、強力な阻害活性を示した。HET0016は主たる薬物代謝酵素である他のCYP群やシクロオキシゲナーゼに対する阻害効果は極めて弱いことがわかった。

 第2章では、ラット組換えCYP4A酵素を用いて阻害活性を解析している。3つの酵素分子種(CYP4A1-3)の20-HETE産生に対するHET0016の阻害活性を確認した結果、HET0016のIC(50)値は極めて低い値(12-22nM)であった。一方、ラット組換えCYP2C11を用いて11,12-EET産生阻害を調べた結果、エポキシ化反応に対するHET0016の阻害活性はCYP4A酵素に対する阻害活性の約30倍高い値であった。ラットリコンビナントCYP4A1酵素を用いて阻害様式を検討した結果、非競合阻害であることがわかった。

 第3章では、シクロスポリン A(CsA)誘発腎障害モデルラットにおける20-HETEの尿中排泄量とCYP4Aタンパク発現の経時的変化について解析している。CsA処理により、血清中尿素窒素値、クレアチニン値は顕著に上昇した。また、その時の尿中20-HETE排泄量は対照と比較して15倍も高い値を示し、この20-HETEの排泄量の増加と腎機能障害を示す血清中クレアチニン値、尿素窒素、尿量の上昇は非常によく相関していることが明らかとなった。そこで、CsA誘発腎障害モデルラットに対するHET0016の薬効評価試験を行ったが、顕著な腎臓保護作用は認められず、CsA誘発腎不全モデルの腎機能低下は20-HETEが直接的な原因ではないことが明らかとなった。

 第4章では、HET0016の類縁化合物であるTS-011(N-(3-chloro-4-morpholin-4-yl)phenyl-N'-hydroxyformamide)の20-HETE産生阻害活性について検討している。ヒト、ラット腎臓由来ミクロソームおよびヒトリコンビナントCYP4A、CYP4F酵素による20-HETE産生に対する阻害活性を検討したところ、TS-011はHET0016を含めて、それまでに同定されていた20-HETE産生阻害薬の中で最も強力かつ特異性が高い阻害薬であることが明らかとなった。次に、TS-011の虚血性脳梗塞に対する効果を検討した。その結果、TS-011の投与により、脳梗塞体積を35%減少させることが明らかとなった。また、20-HETEのラット頸動脈内投与が、脳虚血再潅流後に起こる脳梗塞と類似した梗塞層を形成することが明らかとなり、20-HETEにより実験的脳梗塞が惹起されることを初めて明らかとした。さらに、脳梗塞モデルにおける脳組織内20-HETE濃度は梗塞側が非梗塞側より、上昇しており、TS-011投与によって用量依存的に脳組織中20-HETE濃度の低下がすることを明らかにした。したがって、TS-011は脳梗塞治療剤として有用な薬剤となる可能性があり、現在、米国にて臨床試験を実施中である。

 以上、本論文はアラキドン酸から20-HETEへの酸化反応を触媒するP450酸化酵素に対する阻害薬を開発し、その新たな脳梗塞治療薬としての可能性を示したもので、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって、審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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