学位論文要旨



No 216510
著者(漢字) 石田,亘広
著者(英字)
著者(カナ) イシダ,ノブヒロ
標題(和) 遺伝子組換え酵母による乳酸の効率生産に関する研究
標題(洋) A study on the efficient production of lactic acid with metabolically engineered Saccharomyces cerevisiae
報告番号 216510
報告番号 乙16510
学位授与日 2006.04.14
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第16510号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 北本,勝ひこ
 東京大学 教授 太田,明徳
 東京大学 教授 五十嵐,泰夫
 東京大学 教授 依田,幸司
 東京大学 助教授 有岡,学
内容要旨 要旨を表示する

 近年の地球温暖化問題により、化石燃料に依存したCO2排出型社会からCO2循環型(カーボンニュートラル)社会への転換が、21世紀の重要課題として取り上げられている。特にポリ乳酸に代表される植物由来プラスチックは、循環型社会に貢献できる材料として大きく注目されている。

 ポリ乳酸は、植物由来のでんぷん・糖などを原料に、乳酸発酵を経て生産されるL-乳酸を重合して得られるポリマーであり、農業用シートや家電の一部に採用されるなどして実用化されている。しかし、耐熱性および耐衝撃性が低く、製造コストも高いことから、あまり普及していないのが現状である。そのため、ポリ乳酸を汎用プラスチック並みに展開するためには、耐熱性、耐衝撃性の向上とコストの低減が不可欠であると指摘されている。一般的に、原料であるL-乳酸の生産技術としては、乳酸菌を用いた手法が主流である。しかし乳酸菌の場合、高い栄養要求性や高密度培養が難しいといった課題がある。さらに、ポリ乳酸の高性能化に必須であるといわれているL-乳酸の光学純度が低い(約95%程度)ことも指摘されており、これらの問題点がポリ乳酸のコストを上げる要因となっている。

 一方で、Saccharomyces cerevisiaeに代表される酵母は、高密度培養が可能で、ケーンジュースなどの低コスト培地からでも発酵が行えることから、エタノールを中心とする発酵産業に欠かせない真核生物として知られている。一般的に酵母は、乳酸脱水素酵素遺伝子(lactate dehydrogenase; 以下LDHと称す)を持たないことから、乳酸は生産されない。しかし、LDH遺伝子を発現させることにより、酵母での乳酸生産は可能である(図1)。この場合、発酵生産される乳酸の光学純度は高いことが予想されると同時に、酵母は低pHにも比較的耐性を示すことから、非中和条件下でフリー乳酸を生産できる可能性もある。さらに酵母は、高密度培養が可能であり、培養における栄養要求性も乳酸菌ほど高くない。このような期待から、S. cerevisiaeでL-LDH遺伝子を発現させL-乳酸を発酵生産させる試みが、これまでに数件報告されている。しかし、いずれの報告においても10〜20g/liter程度のL-乳酸しか得られず(グルコースからの変換効率として20%前後)、高い生産効率は認められなかった。元来S. cerevisiaeは強いエタノール生産能を有することから、酵母で効率的な乳酸生産を実現するためには、エタノール生産に関わるピルビン酸脱炭酸酵素遺伝子 (pyruvate decarboxylase; 以下PDCと称す)の発現を制御することが指摘されていた。そこで、高光学純度のL-およびD-乳酸を高効率で生産させることを目的に、代謝工学的手法を基盤とした乳酸生産酵母構築に関する以下の研究に取り組んだ。

1、 酵母染色体のPDC1部位へのL-LDH遺伝子導入は、効率的なL-乳酸生産をもたらす

 遺伝子組換え酵母によるL-乳酸の生産は、従来、2μm DNAを含んだマルチコピー型ベクターを利用した試みが主流であった。しかしその場合、高い乳酸生産は確認されていない。そこで、S. cerevisiae 第12番染色体上に位置するPDC1 プロモーター下流にL-LDH 遺伝子を導入し、PDC1 ORF遺伝子のみが破壊される新しい遺伝子発現系を試みた。本手法で作製した組換え酵母は、導入されたL-LDH遺伝子が内在性のPDC1プロモーター制御下で発現される特徴をもつ。作製した組換え酵母と、マルチコピー型ベクターを使って作製した従来株とを比較した結果、PDC1遺伝子部位への染色体導入株では、L-LDH遺伝子が染色体中に2コピーしか挿入されていないにも関わらず、高いLDH活性を示した。さらに、100g/literグルコース含有YPD培養液による発酵試験の結果、58g/literの高いL-乳酸生産を確認することができた(図2)。

2、 pdc1 pdc5 二重破壊株において、高いLDH発現が発酵速度改善に寄与する

 S. cerevisiaeは、エタノール生産に関与するPDC1の破壊に応答して、相同性の高いPDC5が高発現するオートレギュレーション機構が存在している。上記1での組換え酵母は、乳酸生産収率60%と高い生産効率を示しているものの、依然としてエタノールの生産は確認されており、これがPDC5に起因することが予想された。そこで、PDC1およびPDC5遺伝子を破壊した組換え酵母を作製し、乳酸生産酵母におけるpdc1 pdc5 二重破壊の効果を検証した。その結果、対糖収率80%以上と、これまでの報告をはるかに上回る高い乳酸生産効率の向上効果を確認した(図3)。しかし同時に、極端な増殖、発酵速度の低下が観察された。2種類のL-LDH(ウシ由来、乳酸菌由来)を個々に導入したpdc1 pdc5破壊株での検証の結果、ウシ由来L-LDH導入株において、速度改善効果があったことから、高いLDH活性が細胞内レドックスバランスの改善に寄与していることが考察された。

3、 L-LDH遺伝子を染色体中に複数コピー導入することでL-乳酸生産能は向上する

 上記2では、効率的な乳酸生産収率を達成したものの、菌体増殖速度が低下するという新たな課題が発生した。そこでPDC5破壊ではなく、ウシ由来L-LDH遺伝子を酵母染色体中に複数コピー導入し、乳酸生産量への影響を調べた。L-LDH遺伝子を染色体中に6コピーまで導入した組換え酵母での解析の結果、導入コピー数の向上とともに、LDH活性の向上が観察された。同時に、乳酸生産量もコピー数に比例して上昇することが確認された(図4)。L-LDH遺伝子を6コピー導入した株は、ケーンジュースより作成した低コスト培地であっても120 g/liter以上のL-乳酸生産能を示し、生産されるL-乳酸の光学純度は、99.9%以上を示していた。これらの結果から、乳酸菌でのL-乳酸生産において課題となっていた、低コスト培地の利用や光学純度に関する問題が、乳酸生産酵母によって、解決できることが明らかになった。

4、 本技術は、D-乳酸の高効率生産へも利用可能である

 ポリL-乳酸は、製造コストが高いという問題のほかに耐熱性が低いという点も指摘されている。近年、L-乳酸の光学異性体として知られるD-乳酸のポリマーをポリL-乳酸と混合させると、ポリL-乳酸の耐熱性が58℃から120℃にまで向上することが報告されている。しかし一方で、純粋なD-乳酸生産に関する報告例は少ない。そこでL-乳酸生産で行った技術を利用して、D-乳酸を高生産する酵母の構築を試みた。D-乳酸を生産する乳酸菌Leuconostoc mesenteroidesよりD-LDH遺伝子を取得し、これを染色体中のPDC1プロモーター下流に導入したところ、L-乳酸の場合と同様に、高いD-乳酸生産を確認することができた。また中和条件下のみならず、非中和条件下でもフリー乳酸を生産していることも確認された(図5)。

5、 まとめ

 ポリ乳酸の低コスト生産を目指し、高光学純度を有するL-およびD-乳酸を効率的に生産可能な遺伝子組換え酵母の研究に取り組んだ。その結果、染色体のPDC1プロモーター下流領域にL-LDH遺伝子を導入することによって、高効率でL-乳酸を生産できることを証明した(本文第2章)。さらに、エタノール生産への代謝経路の制御(本文第3章)や、L-LDH活性の増強(本文第4章)などの手段により、L-乳酸の生産効率を飛躍的に高めることに成功した。また本手法は、L-乳酸だけに限らず、D-乳酸の高生産においても利用可能であり、ポリ乳酸のもう一つの課題である耐熱性向上への糸口を見出した(本文第5章)。これらの研究成果により、乳酸菌を用いた従来の生産法とは異なる新しい乳酸生産手法を開発することができた。乳酸菌で指摘されていた問題点が本アプローチによって解決され、低コストでの乳酸生産が可能になると考えられる。

 なお本研究には、宿主として2倍体酵母S. cerevisiae OC-2株を利用した。S. cerevisiae OC-2株は、東京大学名誉教授 坂口謹一郎博士によって単離されたワイン酵母であり、生育速度が速く、培養適性に優れた酵母として広く知られている。S. cerevisiaeは、アルコール製造を中心とする発酵産業に欠かせない微生物であると同時に、古くより遺伝学のモデル生物としても扱われている。さらに近年のゲノム解読や遺伝子破壊ライブラリーなどの充実により、基礎的な知見の進展も目覚しい。今後は、本成果をさらに発展させ、基礎並びに応用的な側面から、乳酸生産酵母に関する研究を深めていきたいと考えている。

図1 遺伝子組換え酵母による乳酸生産

図2 染色体導入によるL-乳酸生産の効果

図3 pdc1 pdc5 二重破壊株におけるL-乳酸生産の効果

図4 L-LDH遺伝子導入コピー数の検討

図5 中和および非中和条件下におけるD-乳酸生産

審査要旨 要旨を表示する

 近年の地球温暖化問題により、化石燃料に依存したCO2排出型社会からCO2循環型(カーボンニュートラル)社会への転換が21世紀の重要課題として取り上げられている。特にポリ乳酸に代表される植物由来プラスチックは、循環型社会に貢献できる材料として大きく注目されている。ポリ乳酸は乳酸発酵を経て生産されるL-乳酸を重合して得られるポリマーであり、農業用シートや家電の一部に採用されるなどして実用化されている。しかし、耐熱性および耐衝撃性が低く、製造コストも高いことからあまり普及していないのが現状である。

 一般に原料であるL-乳酸の生産技術としては乳酸菌を用いた手法が主流である。しかし、乳酸菌は高い栄養要求性を示し、高密度培養が難しく、生産されるL-乳酸の光学純度が低いなどの欠点を有している。これに対してSaccharomyces cerevisiaeに代表される酵母は、高密度培養が可能で、低コスト培地からでも発酵が行えること、乳酸脱水素酵素 (LDH) 遺伝子を発現させることにより光学純度の高い乳酸の生産が期待されるなどの利点を有する。しかし、S. cerevisiaeでの高効率名L-乳酸の発酵生産はこれまで報告されていない。

 本論文は、代謝工学的手法を基盤とした乳酸生産技術の開発を目的として、S. cerevisiaeのピルビン酸脱炭酸酵素 (PDC) 遺伝子の発現制御によってエタノール生産を抑制し、高光学純度のL-およびD-乳酸を効率的に生産させることを試みたものであり、序章および4章から構成されている。

 序章では、研究の背景と様々な宿主を用いた乳酸生産の現状を紹介し、本研究の意義と目的について述べている。

 第一章では、S. cerevisiae染色体のPDC1部位へのL-LDH遺伝子導入による効率的なL-乳酸生産について述べている。従来、遺伝子組換え酵母によるL-乳酸の生産は多コピーベクターを利用した試みが主流であったが、高い乳酸生産は確認されていない。そこで、S. cerevisiaeのPDC1プロモーター下流にウシL-LDH遺伝子を導入した新しい遺伝子発現系を試みた。作製した組換え酵母は従来株に比べ高いLDH活性を示し、58 g/literという高いL-乳酸生産が確認された。

 第二章ではpdc1 pdc5二重遺伝子破壊が乳酸生産に及ぼす効果について述べている。S. cerevisiaeにはPDC1の破壊に応答して相同性の高いPDC5が高発現するオートレギュレーション機構が存在する。第一章での組換え酵母は60%という高い乳酸生産収率を示したものの、依然としてエタノールの生産が認められ、これがPDC5に起因すると予想された。そこで、PDC1およびPDC5を破壊した組換え酵母を作製し乳酸生産への効果を検証した。その結果、対糖収率80%以上と、これまでの報告をはるかに上回る高い乳酸生産効率を示すことを確認した。しかし同時に、極端な増殖の低下が観察された。

 第三章ではL-LDH遺伝子の染色体上でのコピー数を増加させることによるL-乳酸生産能の向上について述べている。第二章では高効率な乳酸生産が達成されたものの、増殖速度が低下するという新たな課題が生じた。そこでPDC5破壊は行わず、L-LDH遺伝子を酵母染色体中に複数コピー導入した株での乳酸生産量を調べた。その結果、導入コピー数の増加とともにLDH活性および乳酸生産量の上昇が確認された。この株はケーンジュースより作成した低コスト培地においても120 g/liter以上のL-乳酸生産能を示し、生産されるL-乳酸の光学純度は99.9%以上を示した。以上の結果から、乳酸菌でのL-乳酸生産において課題となっていたコストや光学純度に関する問題が乳酸生産酵母によって解決できることが明らかになった。

 第四章では第三章までの手法をD-乳酸の生産へ適用した結果について述べている。ポリL-乳酸は製造コストが高いという問題のほかに、耐熱性が低いという点も指摘されている。近年、D-乳酸のポリマーをポリL-乳酸と混合させるとポリL-乳酸の耐熱性が向上することが報告されている。しかし、純粋なD-乳酸生産に関する報告例は少ない。そこでL-乳酸生産で行った技術を利用してD-乳酸を高生産する酵母の構築を試みた。D-乳酸を生産する乳酸菌Leuconostoc mesenteroidesよりD-LDH遺伝子を取得し、これを染色体中のPDC1プロモーター下流に導入したところ、L-乳酸の場合と同様に高いD-乳酸生産を確認することができた。

 以上、本研究はポリ乳酸の低コスト生産を目指し、高光学純度を有するL-およびD-乳酸を効率的に生産するための酵母発現系の開発に取り組み、乳酸菌を用いた従来法とは異なる新しい乳酸生産手法を提示したものであり、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/49022