学位論文要旨



No 216515
著者(漢字) 齊加,志津子
著者(英字)
著者(カナ) サイカ,シヅコ
標題(和) ムンプスウイルスの神経病原性に関する動物モデル
標題(洋) Animal model of mumps virus neuro virulence
報告番号 216515
報告番号 乙16515
学位授与日 2006.04.14
学位種別 論文博士
学位種類 博士(獣医学)
学位記番号 第16515号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 甲斐,知恵子
 東京大学 教授 土井,邦雄
 東京大学 教授 小野寺,節
 東京大学 教授 吉川,泰弘
 熊本大学 特任教授 小原,恭子
内容要旨 要旨を表示する

 ムンプスウイルスは発熱と耳下腺腫脹を主徴とする流行性耳下腺炎(ムンプス)の起因ウイルスである。小児期に好発し、予後は一般に良好であるが、無菌性髄膜炎、睾丸炎、膵炎など種々の合併症をおこし重症化する場合もある。また、成人がムンプスに罹患すると小児に比べて重篤になるといわれ、特に思春期を過ぎた男性では、高率に睾丸炎を併発し、不妊症の1つの原因になる。

 ムンプス弱毒生ワクチンは1967年アメリカ合衆国で初めて開発された。その後、欧米諸国ではムンプス、麻疹、風疹の3種類のワクチンを混合したMMRワクチンとして広く使用されてきたことにより、これら3疾患の発生は激減している。一方、我国では1980年代にムンプス弱毒生ワクチン5株が開発され、1989年よりMMRワクチンとして定期接種に導入された。しかしながら、その後MMRワクチンに含まれていたムンプスワクチンに起因する無菌性髄膜炎が高頻度におこることが明らかとなり、1993年MMRワクチンの使用は中止され現在に至っている。現在、ムンプスワクチンは任意接種として使用されているが、その接種率は低くムンプスの流行を抑えるには至っていない。感染症の制圧にはワクチンは最も有効な手段であるが、接種率向上のためには、ワクチンの安全性(ムンプスワクチンの場合は特に神経病原性)に関する情報が必要不可欠である。

 ムンプスウイルスの自然宿主はヒト以外にはしられていない。動物モデルとして、古くから、ハムスター、サルを使った多くの実験が行われてきた。しかしながら、ハムスターを使った試験ではヒトにおける神経病原性を反映する成績は得られなかった。また、サルを使った試験は、ワクチンの安全性試験としてWHOの基準に採用され、日本をはじめ各国がこの基準に沿ってワクチンの検定を行ってきたが、ワクチン株の持つ神経病原性を検出することはできなかった。より安全なムンプスワクチンを開発し、供給するためには、ムンプスワクチン株の持つ神経病原性を判断するための新しい動物モデルの開発が必要不可欠である。

 最近、哺乳ラット脳内接種試験により、ワクチン株の持つ神経病原性を検出することができると報告されている。

 本研究では、マーモセットを用いてムンプスワクチンの安全性試験に用いうる感度の高い動物モデルの開発を試みた。さらに、この動物モデル系を使って、安全なムンプスワクチン株の作出を試みた。本論文は以下の3章で構成されている。

第1章:Pathogenicity of mumps virus in the marmoset

(マーモセットにおけるムンプスウイルスの病原性)

 マーモセットに野外分離株(大館株)を静脈内及び腹腔内接種した。その結果、静脈内接種により、試験した動物の約30%に髄膜炎が惹起された。病理組織学的変化、ウイルス抗原の検出及びウイルスRNAの検出状況から判断して、解剖時期は接種後4週目が最適であった。腹腔内接種では、視床に軽度のリンパ球浸潤がみられたのみであった。一方、無菌性髄膜炎発生率の低いワクチン株(Leryl Lynn株)の静脈内接種試験では、中枢神経系病変は全く認められなかった。

 自然感染に近い末梢からの感染により髄膜炎が惹起されたことは、マーモセットはムンプスウイルスに対して高い感受性を持ち、ムンプスウイルスの中枢神経系感染機構の解明に有用であることを示している。また、野外株とワクチン株の持つ神経病原性を区別できたことから、マーモセットがワクチンの安全性試験に用いうる可能性が示唆された。

第2章:Neurovirulence of mumps virus: Intraspinal inoculation test in marmosets.

(ムンプスウイルスの神経病原性:マーモセット脊髄内接種試験)

 マーモセット静脈内接種試験は野外分離株の神経病原性を検出することはできたが、無菌性髄膜炎発生率の高いワクチン株(NK-M46株)について試験したところ、この株の持つ神経病原性を検出することはできなかった。そこで、より高い感度で神経病原性を検出するため、マーモセットを用いて脊髄内接種試験を行った。その結果、3種類のワクチン株(Jeryl Lynn株、占部株、NK-M46株)のヒトでの無菌性髄膜炎発生頻度を反映する結果が得られた。ワクチンの安全性試験に有用であると考えられた。

第3章:Development and biological properties of a new live attenuated mumps vaccine.

(新しい弱毒生ムンプスワクチンの開発とその性状)

 既に開発されている弱毒生ムンプスワクチン株は、野外分離ムンプスウイルス株をニワトリ受精卵や細胞培養に馴化・継代を繰り返すことにより弱毒化されている。しかしながら、ムンプスウイルスは細胞培養で継代することにより免疫原性を失い易いため、比較的少ない継代数でワクチン株が開発されている。このことが、不十分な弱毒化をもたらす可能性が考えられる。そこで、著者は、野外分離ウイルス株を細胞培養に馴化・継代を繰り返すことを避け、ニトロソグアニジンと紫外線処理でウイルス株に変異を積極的に誘発することで多くの変異株を得た。その中から、安定した温度感受性を持つY125とY213株を得た。

 Y125株はマーモセット脊髄内接種試験、哺乳ラット脳内接種試験で中枢神経系病変を起こさなかった。また、カニクザル皮下接種試験で高い中和抗体が誘導された。これらのことから、Y125株は安全で有効なワクチン候補株と考えられた。一方、Y213株はマーモセット脊髄内接種試験、哺乳ラット脳内接種試験で野外分離株と同等の高い神経病原性を示した。同一の親株に由来するこれらの2株は、今後ムンプスウイルスの神経病原性に関わる遺伝子部位の解析に有用な情報を与えると考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

 ムンプス弱毒生ワクチンは1967年アメリカ合衆国で初めて開発された。現在、ムンプスワクチンは主にMMR(麻疹、風疹、おたふくかぜ混合)ワクチンとして全世界の57%の国で定期接種に組み入れており、これら3疾患の発生は激減している。一方、我国では1980年代にムンプス弱毒生ワクチンが開発され、1989年よりMMRワクチンとして定期接種に導入されたが、その後MMRワクチンに含まれていたムンプスワクチンに起因する無菌性髄膜炎が高頻度におこることが明らかとなり、1993年MMRワクチンの使用は中止され現在に至っている。現在、ムンプスワクチンは任意接種として使用されているが、その接種率は低くムンプスの流行を抑えるには至っておらず、3〜4年毎に大きな流行がみられている。感染症の制圧にはワクチンは最も有効な手段であるが、接種率向上のためには、ワクチンの安全性(ムンプスワクチンの場合は特に神経病原性)に関する情報が必要不可欠である。WHOのMinimum Requirementに記載されているオナガザル科のサルを使った神経毒力試験に沿って日本を始め各国がワクチンの検定を行ってきたが、ワクチン株の持つ神経病原性を検出することはできなかった。より安全なムンプスワクチンを開発し供給するため、また、ムンプスウイルスの神経病原性の解明のためにも、ムンプスワクチン株の持つ神経病原性を判断するための新しい動物モデルの開発は重要な課題である。

 本研究では、ムンプスワクチンの安全性試験に用いうる感度の高い動物モデルの開発を試みている。さらに、この動物モデル系を使って、安全なムンプスワクチン株の作出を試みている。

 第1章では、マーモセットにおけるムンプスウイルスの病原性についての解析を行なった。マーモセットに野外分離株(大館株)を静脈内接種したところ、試験した動物の約30%に髄膜炎が惹起された。この報告はヒト以外の霊長類にムンプスウイルスを末梢から感染させることにより髄膜炎を惹起させた初めての報告であり、今後、ムンプスウイルスの中枢神経系感染機構を解明する上で有用な発見である。また、無菌性髄膜炎発生率の低いワクチン株(Leryl Lynn株)の静脈内接種試験では、中枢神経系病変は全く認められておらず、野外株とワクチン株の持つ神経病原性を区別できたことは、マーモセットがワクチンの安全性試験に用いうる可能性を示唆する重要な知見である。

 第2章では、マーモセット脊髄内接種試験により、ムンプスウイルスの神経病原性を解析したところ、静脈内接種よりもより高い感度でムンプスウイルスの神経病原性が検出された。3種類のワクチン株(Jeryl Lynn株、占部株、NK-M46株)のヒトでの無菌性髄膜炎発生頻度を反映する結果が得られており、ワクチンの安全性試験に有用であると考えられた。

 第3章では、新しい弱毒生ムンプスワクチンの開発を試み、その性状を解析した。ムンプスウイルスは細胞培養で継代することにより免疫原性を失い易いため、比較的少ない継代数でワクチン株が開発されている。このことが、不十分な弱毒化をもたらす可能性が考えられる。それを解決するため本研究では、野外分離ウイルス株を細胞培養に馴化・継代を繰り返すことを避け、ニトロソグアニジンと紫外線処理でウイルス株に変異を積極的に誘発することで多くの変異株を得、その中から、安定した温度感受性を持つY125とY213株を得た。この内、Y125株はマーモセット脊髄内接種試験、哺乳ラット脳内接種試験で中枢神経系病変を起こさず、かつ、カニクザル皮下接種試験で高い中和抗体を誘導している。これらのことから、Y125株は安全で有効なワクチン候補株と考えられる。一方、Y213株はマーモセット脊髄内接種試験、哺乳ラット脳内接種試験で野外分離株と同等の高い神経病原性を示している。同一の親株に由来するこれら2株の塩基配列を解析することによりムンプスウイルスの神経病原性に関わる遺伝子部位の解析に有用な情報が得られると期待される。

 以上の研究成果は安全なムンプスワクチンの開発を可能にするものであり、公衆衛生上の意義は大きい。また、変異原物質を使った生ワクチンの開発方法は他のワクチン開発にも応用可能であり、獣医学及び公衆衛生学の発展に寄与するものである。よって審査委員一同は、本論文が博士(獣医学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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