学位論文要旨



No 216519
著者(漢字) 臼井,佐知子
著者(英字)
著者(カナ) ウスイ,サチコ
標題(和) 徽州商人の研究
標題(洋)
報告番号 216519
報告番号 乙16519
学位授与日 2006.04.19
学位種別 論文博士
学位種類 博士(文学)
学位記番号 第16519号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 岸本,美緒
 東京大学 教授 吉田,光男
 東京大学 助教授 吉澤,誠一郎
 東洋文化研究所 教授 黒田,明伸
 東洋文化研究所 教授 高見澤,磨
内容要旨 要旨を表示する

 徽州とは、主に明清時代に徽州府に属していた地域、すなわち、現在安徽省黄山市に属する歙県、休寧県、〓県、祁門県、績溪県(現宣城市)、そして〓源県(現江西省)の六県を指す。中華人民共和国成立後、土地改革を契機として、この徽州地域で多くの文書資料が発見され収集された。これが、甲骨文、漢簡、敦煌文書、故宮明清档案とともに近代中国における歴史文化の「五大発見」の一つとされる徽州文書である。この徽州文書の収集と整理とによって、中国では徽州の歴史と文化とを対象とする学問研究、すなわち「徽学」が形成され、1980年代には重点研究の一つとされるに至った。ところで、「徽学」すなわち徽州研究は、単に徽州という一地域の歴史や社会、文化を明らかにするというに止まらない意味をもつ。それは明清時代、徽州出身の商人もしくはその後裔が全国規模で活躍し、とりわけ長江一帯で「無徽不成鎭」といわれたように、揚州、杭州、蘇州、南京、蕪湖、漢口など江南デルタ地帯を中心とした長江沿岸、さらには全国各地に進出し、その地の経済や社会、ひいては中国全体の経済と社会のしくみに大きな影響を与えたからである。本書は、その徽州商人が明清史時代の社会において果たした役割と意味、そしてその特性についてとについて考察したものである。

 徽州研究の意義について更に言えば、次のことが言えよう。戦後日本における中国明清時代の社会経済史研究は、主に江南デルタ地域を対象として進められてきた。それは明清時代にこの地域がとくに経済面で最も発展した地域であったことと、これらの地域に関する資料が日本では圧倒的に多かったことによる。そして、その他の地域を対象とした研究をも含めて、これら一定地域を対象とした研究は、その対象とする地域の社会ないし経済構造の特性の探求、或いは地域それ自体の内在的発展ないし変化に関心を向け、他の地域との比較という視点から中国前近代社会を総体としてとらえ、その普遍的性格を追求することを目指すことが行われてきた。他方、近年通貨問題を含めた商業や流通に関する研究も多くの成果をあげてきた。これらの研究は対象たる通貨、商品、商人が一定の地域に止まらないだけに、研究それ自体もまた鳥瞰図を描くように広域にわたることになる。徽州とくに徽州商人研究の特性は、地域研究であると同時に後者の要素をも併せもつ。すなわち、比較という分析する側が対象に距離を置く方法をとらなくても、対象それ自体が移動し変化して多様な中国社会の具体像を示してくれるのである。徽州商人は江南デルタ地帯を中心として中国各地に赴き、これらの地域に居住し内側からこれら地域の社会と経済構造を変えることになった。しかも彼等自身や彼等を送り出した地域を含めて総体としての変化をもたらしたのである。勿論こうした特徴は必ずしも徽州だけに限ったものではない。徽州研究の大きな特徴はやはりその豊富な資料にあるといえる。徽州文書を含めた膨大な資料の存在は、これまで個別に研究されてきた様々な課題、例えば土地所有関係、商工業、宗族と家族、地域社会、国家権力と地域行政システム、社会身分や階級、さらには思想、文化等を関連づけて総合的に研究することを可能にし、個別の課題に関する研究である限りにおいてもたらされやすい誤解を正し得る可能性をもつ。しかも、これらの資料は中華民国期に至る継続的なものであり、前近代社会と近代社会に連続する中国社会の特性、或いはその変化について考察するための重要な手懸りを与えてくれるものでもあるといえよう。

 本書の構成は、序章と、商人に対する認識の変化および徽州商人とその活動について論じた第一部、徽州における典当と典当経営について論じた第二部、徽州における宗族関係について論じた第三部から成る。

 本論に先立つ序章では、第一節で、徽州地域の歴史を概観した。次いで第二節では、中国、日本、その他各国におけるこれまでの徽州研究を紹介し、徽州研究の現状と課題に言及し、徽州文書、族譜、日用類書など徽州研究を行う上で重要な歴史資料について記した。

 第一部第一章は、徽州商人とその商業活動について論ずる前に、中国において商人や商業に対する認識や政策がどのようなものであり、どのように変化したかを示した章である。第一節では第一に、「重農軽商」、「農本商末」として表現される認識と「抑商」政策との関連を示し、第二に、近代以前の中国において最も商工業が発展した明清時代に焦点をあて、この時期商業に従事することに対する人々の認識がどのように変化したかを示した。更には商人子弟の科挙への対応について検討し、商人と権力との関係を考えた。第二章は、第一節で、明清時代に徽州商人が全国的に拡大展開するに至った背景と経緯とを、この時期の商工業の発展の様相を示しつつその中に位置づけ、第二節で、彼等徽州商人の商業活動とは具体的にどのようなものであったかを、彼らの長江中下流域における活動を中心に述べ、第三節では、徽州商人がいかなる特性をもっていたか、更にはその過程で作り出されたネットワークとはいかなるものであったのかを検討した。また第四節において、乾隆末年以降、どのような変化が彼等に生じたかを塩業及びその他の事業における変化など四つの面からとらえ、その変化をもたらした中国社会の変化とは、いかなるものであったか、更に、そうした変化によって再構成された中国社会は、中国の「近代」をいかに方向づけることになったのかについても考察を加えた。第三章では、徽州に最も多い姓である汪氏の族譜の記事を資料として、彼等の六世紀以降中華民国期に至るまでの商業活動とそれにともなう移動や移住、更には新たな地での活動について、各地の汪氏の族譜を史料として検討した。補論として、中国商人の商業倫理がいかなる特性をもっていたかを、家訓や家規などを通して、日本の近江商人の商業倫理や西欧の商業倫理と比較しつつ考察した。

 第二部第四章は、徽州文書及びその他の地域の典當関係文書を資料として、徽州における「典」と「当」という行為がどのように行われていたかを検討した章である。ここで明らかにしたのは、第一に、「典」と「當」の違いであり、時代による両者の変遷であり、第二に、貸付金の通貨の時代による変遷である。第三に、担保物件の中で田皮が増えていくのはいつからであり、そのことがどのような意味をもつかについてである。第四に、金利の支払い方法についてである。不動産の使用権が移転しない場合、借り手は貸し手に金利を支払うことになるが、租佃契約を並行して結び、租の形で支払う例が少なくない。貨幣で支払うか租の形で支払うかの違いは何によるかということである。第五章では、『清康熙三十六年徽州程氏應盤存収支總帳』を資料として、程氏の典当業経営と利益配分、貸し金のとり扱い方などについて検討した。

 第三部第六章では、明代に始まる宗族の新たな組織化がもたらした具体的な動きや影響について検討した。まず第一節で、徽州における族譜編纂の経緯と意義とについて、現存する族譜、とりわけ「通譜」、「統宗譜」などと称された拡大系統化型族譜のうち、程、汪など十五の姓をとりあげて分析し考察を加えた。次いで第二節で、明代嘉靖年間に推し進められた朝廷の礼制改革などの政策と宗族の拡大組織化とが人々にどのような変化をもたらし、仏教寺院と祖先祭祀との関係をどのように変化させたかについて、徽州文書などの文書中の仏教寺院に関わるものを史料として考察した。中国における相続とは、始祖から未来永劫の子孫へと血統ないし気脈を繋げていく中継者として、祖先の祭祀を行う義務を受け継ぎ、家産を受け継ぐことをその内容とする。第七章では、徽州における宗族と家族の特性について、「承継」すなわち「宗」の継承がいかに行われたかを通して検討した。とくに、男の実子がいない場合、いかなる方法、目的、過程によって継承者が選ばれたかということに焦点をあてた。但し、この「承継」が現実の行為として行われた場合、それは単に一家族ないし同族の範囲にとどまらない意味をもつ。それは「入贅」問題、「賣身」問題、さらには「佃僕」等になることを含めた「應主・應役」の問題等社会における身分地位の問題と密接に関係してくる。そこで本章では、その中心検討課題は「承継」問題に置きつつ、「承継」に関わる「入贅」、「賣身」、「應主・應役」に関わる文書も提示して考察を進めた。第八章では、中国社会科学院経済研究所等が収蔵する徽州文書中の家産分割関係文書を資料として、徽州における家産分割の具体的過程を分析検討し、次のことを明らかにした。すなわち、少なくとも徽州においては、「分家」ないし家産分割は、分割すべき家産があってはじめて実行に移されていること、家業の経営上分割が不利益をもたらす場合には、仮に「分家書」が作成されても実際には実行されないことがあったこと、更に「分家」に際して、「存衆」すなわち共同保有部分として残される部分は少なくなく、とくに分割されることによって家族の生計の維持が困難になるものは、あくまで「存衆」とされたこと、祀田など「存衆」部分を除いて田地のほとんどは分割されるが、同時にそれらの多くは租米を得るための田でもあり、均分しても生産と収入とに直接何等影響は生じないものであったこと、そして「分家」が行われても、家族の協力が必要な場合には協力関係は維持されていたことである。換言するならば、少なくとも徽州における家産分割は、理念が先行するものではなく、現実に即したものであったということである。

審査要旨 要旨を表示する

 明・清時代の徽州府(現在その主要部分は安徽省黄山市に属す)は安徽省南部の山間地帯に位置し、塩の専売などに従事する有力商人を輩出した地方であるとともに、当時の社会経済の状況を生き生きと伝える地方文書や族譜などの文献を大量に残しており、今日の明・清史研究の一つの焦点として多くの研究者の関心を集めている地域である。本研究は、明・清時代の徽州に関する従来の研究蓄積を踏まえ、さらに中国における徽州研究の最先端を担う研究者たちとの密接な交流のもとに、大量の族譜や未公刊の徽州文書を駆使して、徽州商人及びその子孫たちの活動の諸側面を明らかにしようとしたものである。

 本研究は三部から構成される。第一部「徽州商人とその商業活動」では、明・清時代における商業観の変化、商人と国家権力との関係、徽州商人の商業ネットワーク、等の問題が鳥瞰的に論じられる。第二部「徽州における典当と典当業経営」では、特に「典当」(質入に近似した概念)に焦点を当て、契約文書史料の詳細な分析を通じて、不動産の典当及び典当業(質屋)経営の具体像が提示される。第三部「徽州における宗族関係」は、宗族(男系出自集団)に関する考察であり、多くの支派を統合する「拡大系統化型」族譜の編纂、「承継」(祖先祭祀・家産の継承)に関する各種契約関係、家産分割に関する契約、などが克明に分析されている。

 他の徽州研究と比較して本研究の特色は、徽州地方のみを分析の対象とするのでなく、徽州出身の商人たちが長江中・下流域の各地に定着し、新たな社会関係を作り上げてゆく動態的な過程を広い視野から扱っていること(第一部)、及び豊富な原文書を使用して、土地契約、商業経営、家産継承・分割などの多彩なヴァリエーションが提示されていること(第二部、第三部)にあるといえよう。特に、第一部の分析がやや概論的であるのに対し、第二部・第三部の分析は、従来一般的に論じられてきた明・清時代の民事慣行に関して、具体的な史料に基づく再検討を行なったもので、今後の学界において必ず参照されるべき着実な成果と評価することができる。

 各部・各章の所論が十分に有機的に接合されておらず、その結果、本研究全体としての論旨が読者に明確に伝わりにくくなっている点、中国語の先行研究が網羅的に参照されている反面、日本や欧米の先行研究の把握にやや不備がある点、など問題点も残されているが、長年にわたる大量の史料収集とその整理に基づく実証的な研究成果として、日本のみならず国際的な明・清社会経済史研究に寄与しうる業績ということができる。以上より、審査委員会は、本論文が博士(文学)の学位に相当すると判断するものである。

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