学位論文要旨



No 216521
著者(漢字) 齊田,恭子
著者(英字)
著者(カナ) サイタ,キョウコ
標題(和) アルツハイマー病モデルマウスにおける脳内アミロイドプラークと神経変性突起の解析
標題(洋)
報告番号 216521
報告番号 乙16521
学位授与日 2006.04.19
学位種別 論文博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 第16521号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 松木,則夫
 東京大学 教授 新井,洋由
 東京大学 教授 入村,達郎
 東京大学 教授 岩坪,威
 東京大学 講師 池谷,裕二
内容要旨 要旨を表示する

 アルツハイマー病(Alzheimer's disease: AD)は中年期以降に発症する進行性の神経変性疾患で、臨床的には記憶障害、見当識障害、判断力・思考力・実行機能の低下などの中核症状の他に、妄想、幻覚、不安、依存、徘徊、攻撃的行動、抑うつ症状、睡眠障害などの周辺症状を示す。アルツハイマー病は老齢化に伴って罹患率が上昇することが知られており、本邦においても2015年までには痴呆性老人自立度II以上(介護・支援を必要とする)の患者数は、約250万人に達すると予想されている(2003年高齢者介護研究会報告書)。薬物療法において、症状改善薬としてはコリンエステラーゼ阻害薬のアリセプト(塩酸ドネペジル)が軽-中等度の患者に、また、NMDA受容体拮抗薬のナメンダ(塩酸メマンチン)が欧米においてのみ重症度の患者に使用されているが、進行抑制薬は未だ上市されていない。患者のquality of lifeの観点、介護の問題からも、進行抑制薬開発のための病態解明が強く望まれている。

 アルツハイマー病患者脳における病理学的な特徴として、アミロイド前駆蛋白(amyloid precursor protein:APP)から切り出されて生成されるアミロイドβ蛋白(amyloid β:Aβ)を主構成成分とする老人斑(アミロイドプラーク)が挙げられる。その他に、神経細胞内に生じる線維状蓄積物である神経原線維変化および顕著な神経細胞脱落が認められる。異常形態を示す神経突起である神経変性突起の共存が認められるアミロイドプラークはneuriticプラーク(コンゴレッド陽性プラーク)と呼ばれ、その出現頻度がAD患者の臨床スコアと相関することが報告されている。

 我々は進行抑制薬開発を目標として、ADの代表的な病理像であるアミロイドプラークと神経変性突起に着目し、これらの加齢に伴う量的及び質的変化、すなわちアミロイドプラークの数、体積、物理密度及び神経変性突起量を指標とした神経変性に対する影響に関する検討を行うこととした。実験には2種類のADモデルマウス(Tg2576マウス:変異APP[K670N,M671L]トランスジェニックマウス、PSAPPマウス:変異プレセニリン1[M146L]と変異APP[K670N,M671L])のダブルトランスジェニックマウス)を用いた。

第1章 Tg2576マウスおよびPSAPPマウスにおける脳内アミロイド蓄積と神経変性突起の加齢依存的定量解析

 Tg2576マウスの脳内神経変性突起はADの神経変性突起を染色することが報告されている抗リン酸化タウ抗体2種(抗Ser396抗体、AT8)、抗ユビキチン抗体、抗APP抗体で染色された。また、リン酸化タウ陽性神経変性突起はコンゴレッド陽性、Aβ40陽性プラークとは共存していたが、Aβ42陽性プラークとは共存していなかった。

 次に画像処理ソフトを用い、コンゴレッド陽性プラーク及びリン酸化タウ陽性神経変性突起の定量解析系構築を行った。11-13、17-19、20.5ヶ月齢Tg2576マウスにおいて、神経変性突起総面積、コンゴレッド陽性プラーク総面積、コンゴレッド陽性プラーク数は加齢により顕著に増加した。一方で、平均プラーク面積、個々のプラークにおけるプラーク面積あたりの神経変性突起面積の割合も月齢によって変化せず、一定の値を示した。

 更に病理変化が促進した状況下での神経変性突起とアミロイドプラークの形成様式を探るため、PSAPPマウスにおけるアミロイド蓄積の加齢変化を検討した。自社繁殖の5ヶ月齢PSAPPマウスの脳内Aβ40量は、20ヶ月齢Tg2576マウスとほぼ同程度であり、12ヶ月齢PSAPPマウスでは20ヶ月齢Tg2576マウスで達するレベルの約10倍以上の値を示した。すなわち、PSAPPマウスではTg2576マウスと比べて、より早期から、より顕著なアミロイド蓄積が起こっていることを確認した。PSAPPマウス4、6、9、12ヶ月齢において任意に抽出したコンゴレッド陽性プラークに関し、プラーク面積に対する神経変性突起面積の割合を算出すると、やはり加齢によって割合は変化しなかった。

 以上より、(1)Tg2576マウス脳内神経変性突起はAD神経変性突起を染色することが報告されている抗体で染色されることより、Tg2576マウスは神経変性突起解析モデルとして有用である。(2)神経変性突起は、コンゴレッド陽性、Aβ40陽性プラークと高い共存性を示した。(3)神経変性突起面積の定量系を構築した。(4)コンゴレッド陽性プラーク総面積、神経変性突起総面積は加齢によって顕著に増加した。(5)コンゴレッド陽性プラーク面積あたりの神経変性突起量(割合)や平均プラーク面積は加齢によって変化しなかった。(6)PSAPPマウスでは、Tg2576マウスと比べて、より早期から、より顕著なAβ40量の増加が認められた。(7)PSAPPマウスにおいても、コンゴレッド陽性プラーク面積あたりの神経変性突起量は、加齢により変化せず、一定に保たれているということが明らかとなった。

第2章 位相差X線computed tomography(CT)法を用いたPSAPPマウス脳内アミロイド蓄積と物理密度の加齢依存的解析

 位相差X線CT法は、生体を構成している水素、炭素、窒素、酸素などの軽元素中では吸収よりも位相差によるシグナルが約1000倍高くなるという性質を利用し、従来のX線CT法よりも高感度に生体組織内の微細な密度分布を可視化する方法である。アミロイドプラークは凝集性の高いAβを主構成成分とし、電子顕微鏡下の観察において、βシート構造を有する凝集体として観察される。そこで、我々は新たなアミロイドプラーク解析の指標として物理密度に着目し、位相差X線CT法を用いて、PSAPPマウスのアミロイドプラーク可視化を試みた。

 12ヶ月齢PSAPPマウスの摘出脳を用いた位相差X線CTにおいて、大脳皮質、海馬領域を中心とする広範な領域で高密度斑点の存在が認められた。この高密度斑点は、12ヶ月齢の野生型マウスでは全く認められなかった。同位置の免疫染色切片像との比較により、高密度斑点は、Aβ40陽性/Aβ42陽性プラーク、コンゴレッド陽性プラークと非常に良く一致し、Aβ40陰性/Aβ42陽性プラークとは一致しないということが明らかになった。

 次に、位相差X線CTにより検出されるアミロイドプラークの加齢変化を検討した。アミロイドプラークは4、6、9、12ヶ月齢PSAPPマウスにおいて、加齢依存的な増加を示した。アミロイドプラーク数と総体積を3次元的に定量解析すると、アミロイドプラーク数は4から9ヶ月齢までは増加するが、12ヶ月齢では9ヶ月齢とほぼ同数であった。一方、アミロイドプラークの総体積は4から12ヶ月齢まで一貫して顕著な増加を示した。また、平均プラーク体積は、4から9ヶ月齢まではほぼ一定の値を示し、12ヶ月齢では4から9ヶ月齢と比べて顕著に増すということが明らかとなった。

 位相差X線CT法を用いた解析により、アミロイドプラークの物理密度が定量可能となった。アミロイドプラークの平均物理密度は、加齢に伴い有意に増加した。アミロイドプラークの物理密度に対する度数分布を各月齢ごとにプロットすると、加齢により高密度側へのシフトが認められ、高密度側へのシフトの度合いは、9から12ヶ月齢の間で特に顕著であった。すなわち、12ヶ月齢においては9ヶ月齢以下では殆ど認められないような高密度なアミロイドプラークが形成されていることが明らかとなった。そこで、12ヶ月齢で特異的に認められる高密度(Δρ(=backgroundとの密度差)≧3.5mg/cm3)なアミロイドプラークを高密度プラーク、それ以下(Δρ≦3.4mg/cm3)のアミロイドプラークを低密度プラークと分類した。高密度プラークに共存するリン酸化タウ陽性神経変性突起量は、低密度プラークに共存する神経変性突起量と比して有意に増加していた。また、高密度プラークは低密度プラークに比べて有意に平均体積が大きいという性質を示すことが明らかとなった。

 以上より、(1)位相差X線CT法を用いて、物理密度を測定することにより、PSAPPマウスのアミロイドプラークを3次元的に可視化することに成功した。(2)Aβ40陽性/Aβ42陽性プラークが脳内で高密度に存在することが明らかになった。(3)高密度アミロイドプラークの定量系(数と体積)を構築した。(4)アミロイドプラークの物理密度は加齢により増加していた。(5)12ヶ月齢PSAPPマウスで特異的に認められる高密度プラークでは、若齢で認められる低密度プラークと比べて、体積が大きく、共存する神経変性突起量が多いという性質を示すことが明らかになった。

総括

 本研究により、アミロイドプラークの蓄積過程を明らかにした。すなわち、第一段階として、「個々のアミロイドプラークの性質(神経変性突起の共存割合、プラーク面積/体積)は一定に保たれたまま、アミロイドプラークの数が増加する」という数的増加を示す期間、第二段階として、「アミロイドプラークの数は増加せず、非常に高密度なアミロイドプラークが形成される」という質的変化が起こる期間が想定された。今後、ADサンプルを用いた検証により、AD病態解明がより進むと期待される。また、その結果に応じて、最適な創薬ストラテジーが策定可能であると考えられる。位相差X線CT法による物理密度変化を指標としたアミロイドプラークの新規イメージング法は、アルツハイマー病の病態解明、アルツハイマー病の診断および治療薬の薬効評価に有用であると考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

 アルツハイマー病(AD)は中年期以降に発症する進行性の神経変性疾患で、臨床的には記憶障害、見当識障害、判断力・思考力・実行機能の低下などの中核症状の他に、妄想、幻覚、不安、依存、徘徊、攻撃的行動、抑うつ症状、睡眠障害などの周辺症状を示す。症状改善薬としてはコリンエステラーゼ阻害薬の塩酸ドネペジルが軽-中等度の患者に、また、NMDA受容体拮抗薬の塩酸メマンチンが欧米においてのみ重症度の患者に使用されているが、進行抑制薬は未だ上市されていない。患者のquality of lifeの観点、介護の問題からも、進行抑制薬開発のための病態解明が強く望まれている。

 AD患者脳における病理学的な特徴として、アミロイドβ蛋白(amyloid β:Aβ)を主構成成分とする老人斑(アミロイドプラーク)が挙げられる。その他に、神経細胞内に生じる線維状蓄積物である神経原線維変化および顕著な神経細胞脱落が認められる。異常形態を示す神経突起である神経変性突起の共存が認められるアミロイドプラークはneuriticプラーク(コンゴレッド陽性プラーク)と呼ばれ、その出現頻度がAD患者の臨床スコアと相関することが報告されている。

 進行抑制薬開発を目標として、ADの代表的な病理像であるアミロイドプラークと神経変性突起に着目し、これらの加齢に伴う量的及び質的変化(アミロイドプラークの数、体積、物理密度及び神経変性突起量)を指標とした検討を行った。実験には二種類のADモデルマウス用いた。

脳内アミロイド蓄積と神経変性突起の加齢依存的変化の定量解析

 Tg2576マウスの脳内神経変性突起は抗リン酸化タウ抗体、抗ユビキチン抗体、抗APP抗体で染色された。また、リン酸化タウ陽性神経変性突起はコンゴレッド陽性、Aβ40陽性プラークとは共存していたが、Aβ42陽性プラークとは共存していなかった。

 次に画像処理ソフトを用い、コンゴレッド陽性プラーク及びリン酸化タウ陽性神経変性突起の定量的解析を行った。加齢により神経変性突起総面積、コンゴレッド陽性プラーク総面積、コンゴレッド陽性プラーク数は加齢により顕著に増加したが、平均プラーク面積、個々のプラーク面積あたりの神経変性突起面積の割合は一定であった。

 Tg2576マウスよりも病理変化が速く進行するPSAPPマウスを用いても、プラーク面積あたりの神経変性突起面積の割合は一定であった。

 以上より、神経変性突起の総量は加齢とともに増加するが、コンゴレッド陽性プラーク面積あたりの値は一定であり、個々のneuriticプラークが加齢に伴い増大するのではなく、プラークの数が増えていることが示唆された。

位相差X線computed tomography (CT)法を用いたマウス脳内アミロイド蓄積と物理密度の加齢依存的解析

 位相差X線CT法は、生体を構成している水素、炭素、窒素、酸素などの軽元素中では吸収よりも位相差によるシグナルが約1000倍高くなるという性質を利用し、従来のX線CT法よりも高感度に生体組織内の微細な密度分布を可視化する方法である。アミロイドプラークは凝集性の高いAβを主構成成分とし、電子顕微鏡下の観察において、βシート構造を有する凝集体として観察される。そこで、我々は新たなアミロイドプラーク解析の指標として物理密度に着目し、位相差X線CT法を用いて、PSAPPマウスのアミロイドプラーク可視化を試みた。

 12ヶ月齢PSAPPマウスの摘出脳を用いた位相差X線CTにおいて、大脳皮質、海馬領域を中心とする広範な領域で高密度斑点の存在が認められた。この高密度斑点は、12ヶ月齢の野生型マウスでは全く認められなかった。同位置の免疫染色切片像との比較により、高密度斑点は、Aβ40陽性/Aβ42陽性プラーク、コンゴレッド陽性プラークと非常に良く一致し、Aβ40陰性/Aβ42陽性プラークとは一致しないということが明らかになった。

 次に、位相差X線CTにより検出されるアミロイドプラークの加齢変化を検討した。アミロイドプラーク数は4から9ヶ月齢までは増加するが、12ヶ月齢では9ヶ月齢とほぼ同数であった。一方、アミロイドプラークの総体積は4から12ヶ月齢まで一貫して顕著な増加を示した。また、平均プラーク体積は、4から9ヶ月齢まではほぼ一定の値を示し、12ヶ月齢では4から9ヶ月齢と比べて顕著に増すということが明らかとなった。

 アミロイドプラークの物理密度に対する度数分布を各月齢ごとにプロットすると、加齢により高密度側へのシフトが認められ、高密度側へのシフトの度合いは、9から12ヶ月齢の間で特に顕著であった。すなわち、12ヶ月齢においては9ヶ月齢以下では殆ど認められないような高密度なアミロイドプラークが形成されていることが明らかとなった。12ヶ月齢で特異的に認められる高密度なアミロイドプラークと共存するリン酸化タウ陽性神経変性突起量は、低密度プラークに共存する神経変性突起量と比して有意に増加していた。また、高密度プラークは低密度プラークに比べて有意に平均体積が大きかった。

 本研究により、アミロイドプラークの蓄積過程を明らかにした。すなわち、第一段階として、「個々のアミロイドプラークの性質(神経変性突起の共存割合、プラーク面積/体積)は一定に保たれたまま、アミロイドプラークの数が増加する」という数的増加を示す期間、第二段階として、「アミロイドプラークの数は増加せず、非常に高密度なアミロイドプラークが形成される」という質的変化が起こる期間が想定された。位相差X線CT法による物理密度変化を指標としたアミロイドプラークの新規イメージング法は、アルツハイマー病の病態解明、アルツハイマー病の診断および治療薬の薬効評価に有用であると考えられる。今後、AD患者脳で本仮説を検証することが必要である。本研究は神経病理学の進歩に貢献しただけでなく治療薬の評価パラメーターを新たに提示するものであり博士(薬学)の学位を授与するに値するものと認められた。

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