学位論文要旨



No 216529
著者(漢字) 川津,琢也
著者(英字)
著者(カナ) カワヅ,タクヤ
標題(和) 量子ドット埋め込みヘテロ構造チャネルにおける2次元電子とその伝導特性
標題(洋)
報告番号 216529
報告番号 乙16529
学位授与日 2006.04.20
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第16529号
研究科 工学系研究科
専攻 電子工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 榊,裕之
 東京大学 教授 荒川,泰彦
 東京大学 教授 高木,信一
 東京大学 教授 平川,一彦
 東京大学 教授 田中,雅明
 東京大学 助教授 高橋,琢二
内容要旨 要旨を表示する

1. 研究の背景

 近年、分子線エピタキシー法や有機金属気相成長法などの薄膜成長技術はめざましい発展を遂げ、原子層オーダーで制御可能な平坦性の高い薄膜を形成できるようになった。これらの技術を用いると、2種類以上の物質を原子層単位で交互に積み重ねることにより、超格子構造や量子井戸構造をはじめとするさまざまな半導体2次元構造を形成することが可能となる。また、最近では、これらの技術をもとに、2次元系をさらに低次元化し、電子や正孔を1次元(量子細線)や0次元(量子ドット)に閉じ込める試みが盛んに行われている。この低次元化は、レーザーををはじめとする半導体デバイスの性能の向上とともにメモリ素子や光検出器などの新機能素子への発展が期待されている。例えば、メモリ素子では、1997年に、量子ドットを2次元チャネル近傍に埋め込み、ドット中の電子の有無を制御する77Kで動作可能なメモリ素子が試作検討されている。また、2000年には、積層した量子ドットを埋め込むことにより、室温で動作可能なメモリ素子が報告されている。一方、光検出素子では、1997年に、バンド間の光励起でドット内の電子を消去し正孔を捕獲する蓄積型の光検出器が考案されている。また、1999年には、2次元電子チャネルの近傍のInAsドット内の電子を中赤外光で消去するタイプの赤外検出器が検討されている。2000年には、InAs量子ドットを埋め込んだ幅2μm×ゲート長4μmのFETを用いて、単一光子検出が可能であることが報告されている。

 これらのメモリや赤外検出器では、量子ドットと2次元チャネルが共存する構造であるため、量子ドットが2次元チャネルにどのような影響を及ぼすかを定量評価する必要がある。そこで、本研究では、量子ドットが近傍に埋め込まれた2次元電子の電気伝導特性をさまざまな手法により測定し、実験と理論との比較から、量子ドットが2次元電子に与える影響を解明することを試みた。

2. 本論文の構成

 本論文は7つの章より構成される。第1章は序論であり、研究の背景および目的について述べる。第2章では、第3章および第4章で必要となる量子ドットによる2次元電子の弾性散乱理論の定式化を行う。第3章、第4章では、InAlAsアンチドットおよびInGaAsドットを埋め込んだn-AlGaAs/GaAsヘテロ接合チャネルの移動度を調べ、理論との比較から、量子ドットによる2次元電子の弾性散乱過程を検討する。第5章では、局在効果に起因した負の磁気抵抗とその解析から、InGaAsドットによる2次元電子の非弾性散乱過程を調べる。第6章では、InGaAsドットを埋め込んだHEMT試料の磁場キャパシタンスを測定し、理論との比較から、量子ホール状態における2次元電子のエッジステートやバルク領域の電気伝導度を議論する。第7章では、本研究で得られた結果をまとめるとともに、エレクトロニクスとの関連について簡単に述べる。

3. 量子ドットによる2次元電子散乱の理論(第2章)

 量子ドットは、その近傍の2次元電子に対し、さまざまな散乱ポテンシャルを生ずる。母材に埋め込まれた量子ドットは、それらの伝導帯のバンド不連続性によりポテンシャルを形成する。また、荷電した量子ドットはクーロンポテンシャルを引き起こす。

 第2章では、これらのポテンシャルをモデル化し、理論的側面から、2次元電子の弾性的な散乱を検討した。その結果、クーロンポテンシャルでは、高角度散乱に比べて低角度散乱が非常に大きいのに対し、バンド不連続性によるポテンシャルは、どの散乱角度にも同程度に寄与することが示された。また、高密度のドットが形成するバンド不連続性によるポテンシャルでは、低密度のそれと比べると、散乱への寄与の角度依存性が大きいことが明らかとなった。これらの振る舞いは、古典散乱時間と量子散乱時間の比τc/τqに強く反映され、散乱ポテンシャルを特定する上で、τc/τqの測定が非常に有効であることがわかった。

4. 自己形成InAlAsアンチドット埋め込みヘテロ接合チャネルにおける電子散乱(第3章)

 Al組成の高いInAlAsドットをGaAs中に埋め込むと、ドットは電子を排除するアンチドットのように振舞う。このようなアンチドットでは、電子を捕獲しないため、伝導帯のバンド不連続性によるポテンシャルのみが2次元電子の弾性散乱を引き起こす。

 第3章では、InAlAsアンチドットを埋め込んだn-AlGaAs/GaAsヘテロ接合チャネルの移動度を計測し、実験と理論の比較から、バンド不連続性によるポテンシャルが引き起こす弾性散乱の特性について検討した。その結果、Al組成が低く、比較的ドット密度の低い試料のホール移動度は、個々のドットに対して散乱ポテンシャルを考え、それらを足し合わせることにより説明出来ることがわかった。一方、Al組成が高く、ドットの密度の高い試料では、ドットを全体として扱う必要があり、そのホール移動度は界面凹凸散乱の理論で説明する出来ることが明らかとなった。

4. 自己形成InGaAsドット埋め込みヘテロ接合チャネルにおける電子散乱(第4章)

 InGaAsドットをGaAs中に埋め込むと、ドットは電子を捕獲し荷電される。よって、InGaAsドットに起因する散乱ポテンシャルは、(a)バンド不連続性によるポテンシャルと(b)占有電子からのクーロンポテンシャルの2つが考えられる。

 第4章では、実験と理論の比較から、(a)および(b)のポテンシャルが引き起こす弾性散乱の特性について検討した。自己形成InGaAsドットを埋め込んだn-AlGaAs/GaAsヘテロ構造の試料を作製し、ホール測定およびSdH振動の観測から、ホール移動度μcと量子移動度μqをドットに捕らえられた電子数N(0D)の関数として調べた。その結果、N(0D)が増えるにしたがって、μcおよびμc/μqが増加することがわかった。また、この実験結果を説明するためには、引力的な(a)と斥力的な(b)のポテンシャルの打ち消し合いを考慮する必要があることが示された。

5. InGaAsドット埋め込みヘテロ接合チャネルにおける負の磁気抵抗効果と電子の局在(第5章)

 量子ドットのような局在準位は、さまざまな過程により2次元電子の非弾性散乱を引き起こす。非弾性散乱は、局在効果と密接な関係があり、低温での2次元電子の電気伝導に大きな影響を与える。

 第5章では、InGaAsドットを埋め込んだn-AlGaAs/GaAsヘテロ接合チャネルの負の磁気抵抗を調べ、ドットが引き起こす非弾性散乱時間τ(in)を求めた。その結果、InGaAsドットの埋め込まれた試料では、電子波同士の量子干渉を阻害する非弾性散乱の頻度1/τ(in)が増し、局在効果が弱められることが明らかとなった。また、占有電子数P(oc)の関数として非弾性散乱時間τ(in)の計測を行った結果、P(oc)が大きくなるにつれて1/τ(in)が増加することが示された。このことから、ドットに捕らえられた電子が2次元電子の非弾性散乱を促進することが判明した。

6. InGaAsドット埋め込みヘテロ接合チャネルにおける磁場キャパシタンス(第6章)

 2次元電子に強磁場を印加するとランダウ準位が形成される。この時、フェルミエネルギーがランダウ準位の間にある量子ホール状態では、2次元電子は局在し、バルク領域の電気伝導度σ(xx)は非常に小さな値となる。

 第6章では、量子ドットが量子ホール状態にある2次元電子に与える影響を、磁場キャパシタンスの方法により検討した。InGaAsドットを埋め込んだn-AlGaAs/GaAsヘテロ接合チャネルのキャパシタンスを磁場中で調べ、抵抗板モデルとの比較を行った。その結果、量子ドットは、ホッピングサイトとなるポテンシャルを形成し、バルク領域の電気伝導度σ(xx)のAC成分を増加させる効果があることが示された。

 また、本研究では、磁場キャパシタンスから、バルク領域の電気伝導度σ(xx)のAC成分を調べる方法を確立した。磁場キャパシタンスのロス成分を抵抗板モデルと比較することにより、σ(xx)の周波数依存性が求められることを示した。

7. 結言

 本研究では、量子ドットが近傍に埋め込まれた2次元電子系を詳細に調べ、さまざまな電子物性を明らかにした。3章、4章では、移動度を調べ、量子ドットによる弾性散乱過程を明らかにした。ここで得られた知見は、量子ドットを利用したメモリ素子や赤外検出器など次世代のナノ構造のデバイスの設計や動作解析において有用な知見を提供したものと考えられる。

 また、5章では、負の磁気抵抗から量子ドットによる非弾性散乱過程を調べた。これは、量子情報処理デバイスなど、量子干渉を利用したデバイスの設計や動作限界の解明などに有用な情報を与える。また、6章では、磁場キャパシタンス測定から、ドットによる量子ホール効果への影響を調べた。ここで得られた情報は、量子ホール効果を用いた標準抵抗など各種素子への利用の際に有用な知見を提供するものと考えられる。

 近年の技術発展にともなって、より高度なデバイスが考案され、さらなる物性情報が必要とされるようになってきている。たとえば、量子ドットのスピンを利用したデバイスでは、スピン散乱の知見が必要とされる。また、配列した量子ドットを使ったデバイスでは、周期性を反映した影響がその電子物性に現れる。これらの現象の解明や制御法の確立には、さらなる研究が必要であり、本研究での成果を基盤とした今後の研究の重要課題となろう。

審査要旨 要旨を表示する

 近年、エレクトロニクスやフォトニクス分野では、種々の素子の性能や機能を飛躍的に高めるために、半導体のナノ構造を活用する試みが活発化している。例えば、量子ドットに閉じ込められた電荷の量を電気的あるいは光学的に変化させ、この変化をドット近傍においた極薄伝導層(チャネル)を流れる2次元電子のコンダクタンスの増減として検知する試みがなされ、これらの現象のメモリー素子や光検出器へ応用可能性も内外で活発に探索されつつある。本論文は、「量子ドット埋め込みヘテロ構造チャネルにおける2次元電子とその伝導特性」と題し、ドット内の電子とチャネル内の2次元電子の相互作用を活用した先端素子の可能性を明らかにするための研究が記されており、7章から構成されている。

 第1章は「序論」であり、量子ドットを含む半導体ナノ構造に関する研究の経緯を記すとともに、本研究の目的を述べている。

 第2章は、「量子ドットによる2次元電子散乱の理論」と題し、中性および荷電した量子ドットによる2次元電子の散乱過程を理論的に定式化する研究について記述している。量子ドットの近傍の極薄伝導層を流れる2次元電子は、量子ドット自身が持つ引力的なポテンシャルの作用を受けるだけでなく、荷電したドットが持つクーロン的な斥力ポテンシャルの影響などを受ける。本章では、これらのポテンシャルによる電子の散乱過程をモデル化し、2次元電子の移動度を算出する枠組みを構築し、後述の実験データの解釈の基盤を与えている。

 第3章は、「自己形成InAlAsアンチドット埋め込みヘテロ接合チャネルにおける電子散乱」に関する研究を記している。Al組成の高いInAlAsドットをGaAs中に埋め込むと、ドットの周辺には電子を排除する斥力ポテンシャルができる。この種のアンチ(反)ドットをn-AlGaAs/GaAs変調ドープFET伝導層の近傍に埋め込んだ試料において、伝導層中を流れる2次元電子の移動度および強磁界下の磁気抵抗振動(シュブニコフ・ドハース効果)を計測し、散乱理論との対比から、アンチ・ドットの作る散乱ポテンシャルの特色を定量的に明らかにしている。

 第4章は、「自己形成InGaAsドット埋め込みヘテロ接合チャネルにおける電子散乱」と題し、GaAs/n-AlGaAヘテロ接合伝導層の近傍にInGaAsドットを埋め込んだ試料を対象に、2次元電子の移動度および強磁界下の磁気抵抗振動をゲート電圧の関数として系統的に計測し、理論計算との対比から、InGaAsドットによる電子の弾性過程を定量的に明らかにしている。この系では、当初はドットに固有の引力ポテンシャルが作用するが、ドットに捕獲される電子が増すにつれて、クーロン的な斥力ポテンシャルが支配的となること、その移行領域で両者の相殺効果の生じることなどを明らかにしている。

 第5章では、「InGaAsドット埋め込みヘテロ接合における負の磁気抵抗効果と電子の局在」に関する研究が記されている。半導体では、極低温においては、不純物などによる弾性散乱によって電子の波が出発点に戻り、干渉する効果が無視できなくなる。この(アンダーソン)局在効果は、磁場を加えて、時間反転性を失わせると抑制されるため、抵抗が減少する。ドット埋め込みヘテロ接合において、この負の磁気抵抗効果をゲート電圧や温度の関数として測定し、その解析(および付録に記載した理論モデルとの対比)から伝導層内の電子が受ける非弾性散乱過程を明らかにし、ドット内電子と伝導層内の2次元電子との相互作用について考察している。

 第6章は、「InGaAsドット埋め込みヘテロ接合チャネルにおける磁場キャパシタンス」と題し、強い磁場を印加した状態でのヘテロ接合伝導層(チャネル)のキャパシタンスをゲート電圧や磁場の関数として計測し、理論モデルと対比する研究を記している。特に、計測結果の周波数依存性から、量子ホール状態にある2次元電子系のエッジ状態とバルク状態を介する伝導過程を調べ、量子ドットの存在がこれらの伝導に及ぼす影響を、(付録に述べたモデルとの対比などから)明らかにしている。

 第7章は、「結言」であり、本研究で得られた主要な知見とその意義を記すとともに、ドットと2次元電子伝導層を併用する先端的なエレクトロニクス素子の将来性について論じている。

 以上、これを要するに、本論文は、量子ドットを電荷蓄積素子や光検出器などに応用する際に不可欠となる基礎的知見を確立するために、自己形成量子ドットの近傍に置いた極薄伝導層中の2次元電子の伝導現象を理論・実験の両面から調べ、ドットとその荷電状態が電子伝導に及ぼす効果を定量的に明らかにしたものであり、量子ドット構造を活用するナノエレクトロニクス素子の進展に寄与し、電子工学に貢献するところが少なくない。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/42878