学位論文要旨



No 216531
著者(漢字) 小栗,克弥
著者(英字)
著者(カナ) オグリ,カツヤ
標題(和) レーザ励起超短パルスX線源を用いた超高速軟X線吸収分光法の研究
標題(洋)
報告番号 216531
報告番号 乙16531
学位授与日 2006.04.20
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第16531号
研究科 工学系研究科
専攻 物理工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 渡部,俊太郎
 東京大学 教授 黒田,和男
 東京大学 教授 志村,努
 東京大学 教授 辛,埴
 東京大学 教授 雨宮,慶幸
内容要旨 要旨を表示する

1.背景

 近年の超短パルスX線発生技術の進展により、X線発生・計測技術を基礎に強力な物性測定手法として発展してきたX線科学分野と、超短パルスレーザ技術から発展した超高速光物理分野が融合した「超高速X線科学」と言われる新しい分野が生まれつつある。従来のX線科学分野では、X線回折法・X線吸収分光法・X線光電子分光法などの測定手法により平衡状態にある静的な系を主に測定対象としてきたのに対し、超高速X線科学分野は、ピコ秒やフェムト秒スケールの時間変化をする非平衡な系の動的変化にまでその測定対象を拡張することが期待されている。超高速現象を時間軸上で測定する最も基本的な手法は、超高速光物理分野で発展してきたポンプ・プローブ時間分解計測法である。超高速X線科学では、ポンプ(励起)光をレーザパルス、プローブ(検出)光をX線パルスとして利用し、レーザパルスの照射により開始した物性変化の時間発展をX線パルスによる内殻励起分光、回折効果、光電子放出等を通して検出する。この手法により、化学反応や相転移などの中間状態におけるX線物性測定が可能となれば、物質のダイナミクス解明の強力な手法となるであろう。これまでのところ、このような研究は、時間分解型のX線回折技術の開発に主眼が置かれて研究が進展しているが、X線回折法に対して相補的な手法であるX線吸収法、特にX線吸収微細構造法に関しては、時間分解型手法の開発が進展いない状況である。

 本研究の目的は、超短パルスX線を用いたポンプ・プローブ時間分解計測法、特に時間分解X線吸収分光法を実証することにより、この超高速X線科学分野の開拓に貢献することである。本研究では、超短パルスX線光源として、高強度超短パルスレーザ光と物質の相互作用を利用したレーザ励起X線源を用いた。レーザ励起X線源は、加速器を利用したパルスX線光源であるシンクロトロン放射光や自由電子レーザ等に比べて、容易に超短パルスX線が発生できると同時に、一つのレーザパルスを分岐してポンプ光並びにX線発生用のレーザパルスとして利用すればよいため、両者は本質的に同期がとれているなどポンプ・プローブ型時間分解計測法の光源として優れた特性を持っている。本論文では、レーザ励起超短パルスX線源を用いて行った二つの研究について述べる。一つ目は、超短パルスX線発生技術の評価パラメータとして最も重要であり、ポンプ・プローブ型実験系の時間分解能を決定するパラメータでもあるX線パルスの時間波形計測法の開発である。二つ目は、本研究の主目的であるX線吸収法のポンプ・プローブ時間分解計測法への応用とその有効性の実証である。

2.実験

(1)光電界イオン化を利用した超短パルス軟X線の時間波形計測法の実証

 超短パルスX線の時間波形計測法の開発では、光電界イオン化を利用した相互相関法を提案した。従来、X線パルス波形は、検出器の高速応答性を利用したX線ストリークカメラ等による直接計測が行われてきたが、その時間分解能は通常数ピコ秒程度であるため、X線の短パルス化に伴い、新たな計測方法が必要になってきた。レーザ光パルスとX線パルスの相互相関をとる本方法は、高強度レーザ光を物質に照射した際に普遍的に起こる光電界イオン化によるイオンの超高速密度変化をX線の吸収変化として利用することでX線パルスの時間情報を得るものである。本方法は、光電界イオン化の強い非線型性のため高い時間分解能が期待できると同時に、強度の十分大きなレーザ光によりイオン化を起こさせることにより高い測定感度も兼ね備えている。我々は、光電界イオン化の一般的な時間発展を簡単なモデルで考察することにより、イオン化に伴う密度変化が、X線パルス波形計測においてスイッチとして動作する場合とゲートとして動作する場合の二つの可能性があることを見出した(図1)。我々は、本方法の有効性を実証するために、レーザプラズマX線とレーザ高次高調波と呼ばれる二つのレーザ励起超短パルスX線の波形計測を行った。レーザプラズマX線は、固体ターゲット表面に高強度超短パルスレーザ光を照射した際に誘起される高温・高密度プラズマからのX線放射であり、その波長は硬X線領域にまで達する。我々は、本方法におけるスイッチ動作のスキームを用いて、15.6nmのタングステンプラズマX線を計測し、パルス幅約4psが得られた(図2)。この結果はX線ストリークカメラによる計測においても裏付けられ、本方法のスイッチスキームの妥当性が検証できた。一方、レーザ高次高調波は、ガスターゲット中に高強度超短パルスレーザ光を照射した際に誘起される高次の非線型分極により発生し、その波長は極端紫外から軟X線領域にまで渡る。我々は、スイッチスキーム並びにサンプリングゲートスキームを用いることによって51次高調波のパルス波形計測に成功し、パルス幅が約220fsと計測できた(図3)。特に、サンプリングゲートスキームは、光電界イオン化過程において、中性原子から一価イオン、二価イオンとイオン化が段階的に進行する際に生じる一価イオンの過渡的状態を利用している。従って、本方法の実証は、逆にそのような一価イオンの過渡的状態の存在を初めて実時間上で観測したことに対応し、光電界イオン化の超高速ダイナミクス解明の研究につながる意義深い実験結果と言える。

(2)レーザプラズマX線を用いた超高速時間分解軟X線吸収分光法の実証

 X線吸収法のポンプ・プローブ時間分解計測法への応用については、波長3-20nmのタンタルレーザプラズマ軟X線をX線源として用いて、2つの実験を行った。一つ目はX線吸収端微細構造(XAFS)に着目した時間分解XAFS計測である。XAFSは、X線吸収端構造(XANES)と広域X線吸収微細構造(EXAFS)の2つに分類されるが、両者とも物質の局所構造解析法として非常に有用であり、X線回折の得意とする結晶の構造解析に加えて非晶質や液体などの構造の乱れた系にも適用可能であるという特徴を持っている。我々はこのXAFSを時間分解計測にまで拡張することを目指し、時間分解XAFS計測システムの構築を行った。本システムを用いて、Si薄膜のレーザ融解過程の時間分解XAFS計測を行い、パルス幅100fs、ピーク強度5×10(12)W/cm2のレーザパルス照射に伴って、SiのL吸収端近傍のスペクトルとEXAFSが変化する様子を観察することに成功した(図4)。その結果、(i)XANES構造の変化によりSiの半導体的電子構造が、融解の結果金属的電子構造に変化したこと、(ii)Si-Si原子間距離が融解のため膨張していることが明らかになった。これらの変化は、X線のパルス幅約7ps以内に起こっており、レーザ励起の超高速融解は、極めて短時間のうちに原子の移動が伴う大きな変化であることが明らかになった。この結果は、従来レーザ融解の研究に用いられてきた超短パルスレーザによるポンプ・プローブ反射率計測では観測することが不可能であった原子構造に関する情報を直接計測可能であることを初めて実証できた点で大変意義深い。

 二つ目の実験としては、この時間分解X線吸収分光法をさらに発展させ、空間情報を組み合わせた時間・空間分解X線吸収分光システムの構築を行った。X線吸収スペクトルを時間だけなく空間情報も同時に計測することが可能となれば、集光されたレーザパルスのように大きな強度勾配を持つ光子場に晒された分子・原子・プラズマといった系や超短パルスレーザ光により試料表面から噴き出すアブレーションプルームのような時間空間発展する系を観察・測定する有用な手法となることが期待できる。我々は透過型回折格子とKirkpatrick-Baez型斜入射反射型結像光学系を組み合わせることで2次元検出器上の1軸に空間情報、残りの1軸に波長情報が得られるシステムを構築した。本システムの時間分解能・空間分解能評価を行い、それぞれ10ps以下、12.5μmであることが確認できた。このシステムを用いて、Alサンプル表面から噴出するレーザアブレーションプルームの軟X線吸収の時空間分解計測を行った。アブレーションによるイオン化の結果、固体状態の場合と比べて、AlのL吸収端が高エネルギー側へシフトしていることが明瞭に観察され、プルーム中のアブレーション粒子の空間分布のスナップショットを取得することに成功した(図5)。この結果により、本計測法がフェムト秒レーザアブレーションにおけるプルーム中の粒子挙動の計測に有効であることが実証された。

3.結論

本研究で行った主要な項目と得られた知見は、次の二点にまとめられる。一つ目は、希ガスの光電界イオン化過程における一価イオンのダイナミクスを利用した相互相関X線パルス波形計測法の提案し、本計測法によりフェムト秒の時間分解能でレーザプラズマX線並びに高次高調波のパルス波形計測に成功した点である。二つ目は、フェムト秒レーザプラズマ軟X線のピコ秒パルス幅並びに広帯域連続スペクトルを利用した時間分解XAFS計測システムとそれを発展させた一次元空間分解・時間分解XAFS計測システムを構築し、L吸収端のXAFSから得られる局所構造・電子状態の時間発展を追跡することによって、レーザプロセスと関連の深いレーザアニール並びにレーザアブレーション過程のダイナミクス計測に適用可能であることを実証した点である。以上の研究から得られた本論文の最も重要な意義は、時間分解X線回折法と並んで超高速X線分野の柱の一つになるであろう時間分解XAFS計測法にいち早く取り組み、その発展の可能性を指摘した点であると結論できる。

図1.尖頭強度4×10(14)W/cm2(a)と9×10(14)W/cm2(b)のレーザパルス照射時におけるKrイオン密度の時間発展

図2.Kr+と中性Krの軟X線吸収量の遅延時間依存性

図3.Kr+イオンの吸収を利用したサンプリングスキームによる51次高調波パルス波形計測

図4.フェムト秒レーザ光照射時におけるSiのL吸収端EXAFSスペクトルの時間発展

図5.Alアブレーションプルームの空間分解吸光度スペクトルの遅延時間依存性

審査要旨 要旨を表示する

 近年の超短パルスX線発生技術の急速な進展により、極端紫外から硬X線の波長域においてピコ(10(-12))秒からフェムト(10(-15))秒スケールの時間幅を持つパルスが発生可能となってきている。そのような超短パルスX線をプローブ光として利用して、X線と同期したレーザパルスによって励起された物質の時間発展をX線パルスによる内殻励起分光、回折効果、光電子放出等を通して検出するという時間分解X線計測技術が注目を集めている。このような分野は、従来のX線科学分野と超短パルスレーザ技術から発展した超高速光物理分野が融合した新しいフロンティアであり、「超高速X線科学」と呼ばれている。本論文の目的は、レーザ励起超短パルスX線源を利用し、時間分解X線吸収分光法を実証することである。特に、X線吸収分光法の中でもX線吸収微細構造に着目することによって、物質の局所構造や電子状態のダイナミクス計測へと拡張することである。この目的のために、筆者はまず時間分解X線吸収分光法の時間分解能を制限するX線のパルス幅計測技術の研究を行い、その後時間分解X線吸収微細構造計測の研究へと展開させており、この二本柱が本論文の主題である。

 第1章では、序論としてレーザ励起超短パルスX線発生に関わる重要な背景、すなわち高強度超短パルスレーザ技術、高強度超短パルスレーザ光と物質の相互作用の物理、そして超短パルスX線発生技術とその応用研究の動向等などが記述された後、本論文の目的と構成について述べられている。

 第2章では、本論文全体を通して使用されるチタンサファイアレーザチャープパルス増幅システムについて記述され、その波長・パルス幅特性が議論されている。

 第3章前半では、時間分解X線吸収分光法の実証に先立ち、超短パルスX線発生技術の評価パラメータとして最も重要であるX線のパルス幅を計測する技術に取り組んでいる。筆者は、高強度レーザ光をガス等に照射した際に起こる光電界イオン化によるイオンの超高速密度変化を利用する相互相関法を提案している。その中で、光電界イオン化の時間発展を簡単なモデルで考察することにより、イオン化で生成する一価イオンの密度変化が、X線パルス波形計測においてスイッチとして動作する場合とゲートとして動作する場合の2つの可能性があることを見出している。後半では本方法の有効性を実証するために、レーザ励起X線源の代表的な軟X線源であるレーザプラズマX線のパルス波形計測を行い、スイッチ動作のスキームを用いてタングステンプラズマX線の計測を実証している。

 第4章では、さらに上記の方法の有効性を示すため、より短いパルス幅を持つレーザ高次高調波のパルス波形計測を行っている。ここでは、ゲート動作のスキームを用いて51次高調波のパルス波形を計測しており、220fsという計測結果を得ることにより本方法が少なくとも100fs程度の時間分解能を有していることを明らかにしている。また、このゲート動作のスキームは、光電界イオン化過程において、中性原子から一価イオン、二価イオンとイオン化が段階的に進行する際に生じる一価イオンの過渡的状態を利用しているため、本方法の実証は、逆にそのような一価イオンの過渡的状態の存在を初めて実時間上で観測したことを意味し、興味深い結果と言える。

 第5章では、物質の局所構造計測法として重要であるX線吸収端微細構造(XAFS)に着目し、それを時間分解計測へ拡張した時間分解XAFS計測法の実証について述べている。筆者は吸収分光に最適な連続スペクトル特性と数ピコ秒のパルス幅を持つ短パルス特性を兼ね備えたレーザプラズマ軟X線を利用して、Si薄膜のレーザ融解過程の時間分解XAFS計測を行っている。レーザパルス照射に伴って、SiのL(II,III)吸収端近傍のスペクトル形状とL(II,III)吸収端EXAFSが変化する様子を観察することに成功し、レーザ溶融の結果、Siの半導体的電子構造が、金属的電子構造に変化し、Si-Si原子間距離が膨張していることが明らかにした。この結果は、従来レーザ溶融の研究に用いられてきた超短パルスレーザによる時間分解反射率計測等の時間分解光計測法では観測することが不可能であった原子構造に関する情報を直接計測可能であることを初めて実証できた点で意義深い。

 第6章では、この時間分解X線吸収分光法を拡張し、空間情報を組み合わせた時間・空間分解X線吸収分光システムの構築とそれを用いたレーザアブレーションプルームの時空間発展計測について報告している。筆者は透過型回折格子とKirkpatrick-Baez型斜入射反射型結像光学系を組み合わせることで2次元検出器上の1軸に空間情報、残りの1軸に波長情報が得られるシステムを構築し、Alサンプル表面から噴出するレーザアブレーションプルームの軟X線吸収の時空間分解計測を行っている。この手法により、アブレーションプルーム中の粒子の時間空間分布が計測可能であることを実証している。

 第7章では、結論として各章の実験結果をまとめ、残された研究課題と今後の展望について述べている。

 以上要するに、筆者は今後の超高速X線科学分野に必須な手法であるピコ秒領域の時間分解X線吸収分光法をレーザプラズマX線源を用いて実証し、これから汎用的な手法として発展していくための足がかりを築いた。この研究は、極端紫外や軟X線領域における時間分解計測による物性研究の端緒を切り開くものである。この研究は物理工学に大きく寄与するものであり、よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

UTokyo Repositoryリンク