学位論文要旨



No 216536
著者(漢字) 庄島,正明
著者(英字)
著者(カナ) ショウジマ,マサアキ
標題(和) 数値シミュレーションを用いた脳動脈瘤とその近傍に発生する血行力学的ストレスの研究
標題(洋)
報告番号 216536
報告番号 乙16536
学位授与日 2006.04.26
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第16536号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 大友,邦
 東京大学 教授 辻,省次
 東京大学 助教授 宮田,哲郎
 東京大学 助教授 川原,信隆
 東京大学 講師 大西,五三男
内容要旨 要旨を表示する

背景:脳動脈瘤が破裂することで生じるクモ膜下出血は脳梗塞及び脳出血と並ぶ三大脳血管障害の一つであり、予後が極めて不良な疾患である。非侵襲的画像診断技術の進歩に伴って脳動脈瘤は破裂する前に診断できるようになり、開頭術や血管内治療を施すことでクモ膜下出血を未然に防ぐことが可能となったが、未だクモ膜下出血の発症率や死亡率を下げることはできていない。その一因として、現在の未破裂脳動脈瘤の破裂リスクおよび治療適応を判断する基準(患者の年齢・脳動脈瘤の大きさ・形状・血管リスクファクター・遺伝的因子など)が不十分であることが指摘できる。

脳動脈瘤は血管の分岐部や屈曲部に好発するため、血流がその発生・成長から破裂へ至る過程に大きな影響を及ぼすと考えられている。このため、脳動脈瘤近傍の血行動態と血行力学的ストレスを解明することで、脳動脈瘤の破裂予知に貢献できる可能性がある。

研究目的:破裂リスクの高い脳動脈瘤を選別するという臨床的目標を達成するための基礎的研究として、血流が脳動脈瘤にもたらす力学的ストレス、特に動脈瘤近傍での血流衝突部位とそこに生じる血行力学的ストレスの大きさを明らかにして将来の臨床応用への礎とする。

研究方法:臨床症例から得られた破裂及び未破裂脳動脈瘤の三次元ボリュームデータから血管形状を忠実に再現した数値シミュレーション用血管モデルを症例毎に作成し、動脈瘤とその近傍脳血管における流れをコンピューターシミュレーションを用いて解析した。シミュレーションに際して、血液はニュートン性流体と仮定し、血管壁の粘弾性は無視した。血行力学的ストレスを血管壁と垂直に作用する「局所的圧力上昇」と血管壁と平行に作用する「壁面せん断応力(WSS:wall shear stress)」の2つに分け、それぞれに対して個別に定量的解析を行った。

結果:局所的圧力上昇に関しては26症例29動脈瘤を対象に解析を行った((1)、(2))。WSSに関しては19症例20動脈瘤を対象に解析を行った((3)、(4))。

(1)血流の衝突部位と局所的な圧力上昇:動脈瘤壁に直接血流が衝突したのは2動脈瘤のみで、残り27動脈瘤では、血流は動脈瘤入口近傍の血管管腔部分に衝突した後に動脈瘤内に流入した。動脈瘤先端部に血流が直接衝突することはなかった。血流衝突部位では局所的に圧力が上昇し,その大きさは収縮期ピーク時で231.2±198.1Pa(100Pa=0.75mmHg、平均±標準偏差)であった。

(2)脳動脈瘤における局所的圧力上昇:動脈瘤内部の流速は管腔部に比べて緩やかであった。動脈瘤内部でも局所的に圧力が上昇していたが,その大きさは119.3±91.2Paにすぎなかった。破裂動脈瘤(116.1±99.7Pa、n=13)と未破裂動脈瘤(122.6±85.6Pa、n=16)の間で、動脈瘤部に認められた局所的圧力上昇の大きさに差は認められなかった(P=0.85,non-paired t-test)。

(3)高WSSの出現部位:高WSSは血流衝突部位の若干下流側に出現した。殆どの動脈瘤(90%)では動脈瘤の入口近傍に高WSSが出現していたが、動脈瘤先端部に高WSSが出現した症例はなかった。

(4)脳動脈瘤に作用するWSS:脳動脈瘤壁に作用するWSSの大きさについて20動脈瘤を対象に解析したところ、収縮期のピーク時に脳動脈瘤壁に作用したWSSの大きさ(1.64±1.16Pa)は同時期の血管管腔壁に作用したWSSの大きさ(3.64±1.25Pa)と比べて有意に小さかった(paired t-test、P<0.0001)。脳動脈瘤の形状を反映するアスペクト比(高さ/入口径)と脳動脈瘤壁面に作用するWSSの間には、有意な負の相関が認められた(r=-0.67、P=0.003)。

考察:血行力学的ストレスは従来、直感的にしか理解されていなかったが、コンピューターシミュレーションを導入することで脳動脈瘤近傍の複雑な流れとそれに伴う血行力学的ストレスを具体的に可視化・定量化することができた。

血流の衝突部位と局所的な圧力上昇に関して:脳動脈瘤は血管の分岐部や強い屈曲部に存在する。従来は脳動脈瘤壁に直接、血流が衝突すると考えられていたが、本研究の結果、血流が脳動脈瘤に直接衝突することは少ないことが判明した。また、血流が衝突したときに局所で発生する圧力上昇の大きさは2mmHg程度にすぎなかった。これは、脳動脈瘤が発生する脳底部脳血管の血管内圧(橈骨動脈と同等と報告されている)の2%弱にすぎず、血流衝突部位に発生するエネルギーの大きさは従来の直観的な想像よりも小さいことが明らかとなった。

脳動脈瘤内部の局所的圧力上昇に関して:脳動脈瘤内部で局所的に圧力が上昇していたのは従来の報告通りであったが、その大きさは1mmHg程度にすぎないことが本研究で明らかになった。また、破裂発症例と未破裂例で局所的圧力上昇の程度に差は見られなかった。このため、従来の報告とは異なり、脳動脈瘤における局所的圧力上昇が脳動脈瘤の破裂への関与する可能性は低いと考えられた。

高WSSの出現部位に関して:高WSSは血流衝突部位の若干下流側に出現した。脳動脈瘤の初期病変は血管分岐部そのものではなく若干下流に出現すると報告されている。本研究で明らかにした血流衝突部位と高WSS出現部位の位置関係は、血管分岐部と動脈瘤初期病変出現部位の位置関係に対応しており、脳動脈瘤の発生に高WSSが密接に関与しているとする過去の報告を支持した。

脳動脈瘤に作用するWSSに関して:脳動脈瘤に作用するWSSは小さく、生理的範囲(2〜4Pa)を下回ることを明らかにした。生理的範囲を下回る小さなWSSしか作用しない環境では、内皮細胞にアポトーシスやアテローム硬化性のリモデリングなどの退行性変化が誘導されることが知られている。WSSが低すぎることが、動脈瘤壁の劣化と壁強度の低下をもたらして、動脈瘤が成長(増大)する過程に影響している可能性が示唆される。アスペクト比の大きな脳動脈瘤は破裂リスクが高いという報告をふまえると、本研究で認めたアスペクト比と壁面せん断応力の間で見られた逆相関は、低WSSと脳動脈瘤破裂の関連を示唆していると考えられる。

静圧に関して:動脈瘤の成長や破裂は壁強度の低下だけでは説明できない。成長や破裂は、血管壁の材料強度と血管壁に作用する物理的な力の大きさの均衡が崩れた時に生じると思われる。本研究の結果、流れに由来する力学的ストレスの大きさは小さいことが示されたため、血管壁に作用する物理学的な力の大きさは静圧、つまり血管内圧により決定されると考えられる。血管内圧に応じて血管壁に生じる内部応力が壁組織固有の降伏応力値を超えると不可逆的な伸展や破裂が生じる。動脈瘤が破裂へ至る過程を解明するためには、動脈瘤壁の内部応力シミュレーションも今後の興味深い研究課題と思われる。

数値シミュレーションの妥当性に関して:数値シミュレーションから得られる結果は、幾つかの仮定の下で導かれており、実際に生体内で生じている現象との解離は避けられない。Magnetic resonance velocimetryを用いた生体内流速計測結果と本研究と同様の仮定の下に行われた数値シミュレーション結果が比較された過去の報告では、両者の間に定性的な差は見られておらず、本研究で得られた結果は現実の生体内における流れ現象を十分に反映したものと考えられる。また、シミュレーションでは流速や血行力学的ストレスの定量値を過大評価する可能性が報告されているものの、「血行力学的ストレスの大きさは小さい」とする本研究で得られた結果は妥当性を失わないと考えられる。

今後の展開:本研究は破裂リスクの高い脳動脈瘤を選別するという臨床目標を達成するための基礎的研究として行われ、壁面せん断応力を算出することで脳動脈瘤の破裂リスクを予測できる可能性が示唆された。しかし、retrospective studyであるため、その因果関係は証明されない。この仮説を証明するにはprospective studyが必要で、多数の症例に対して破裂する前に発見された脳動脈瘤の壁面せん断応力を算出し、長期的に経過を観察する必要がある。

結論:脳動脈瘤に加わる血行力学的ストレスの大きさは、物理学的には小さく、瘤を力学的に破裂させるとは考えづらい。ただ血行力学的ストレスの中でWSSはその高・低が内皮細胞の機能を変化させる生物学的シグナルとなり、壁面の構造や強度に変化をもたらすことで、脳動脈瘤の発生と成長に関与している可能性がある。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は破裂リスクの高い脳動脈瘤を選別するという臨床的目標を達成するための基礎的研究として、血流が脳動脈瘤にもたらす血行力学的ストレス、とくに脳動脈瘤近傍での血流衝突部位とそこに生じる血行力学的ストレスの大きさを数値シミュレーションを用いて解析したものであり、下記の結果を得ている。

1.血管内の流れを数値シミュレーションしてその結果をコンピューターグラフィックスを用いて可視化することで、脳動脈瘤近傍における血流の衝突部位が明らかにされた。血流の衝突部位は大部分の症例(93%)で動脈瘤入口近傍の血管管腔部分であった。血流が脳動脈瘤壁面に直接衝突する症例は少なかった(7%)。

2.血流の衝突部位では周囲の血管壁に比べて局所的に圧力が上昇しており、その大きさは収縮期において231.2±198.1Pa(100Pa=0.75mmHg、平均±標準偏差)であることが示された。血流衝突部位で発生する血管壁に垂直に作用する血行力学的ストレスは、脳主幹動脈の血管内圧(橈骨動脈と同等と報告されている)の2%弱にすぎず、脳動脈瘤の破裂には直接的には関与していない可能性が示唆された。

3.脳動脈瘤内部の流速は管腔に比べて遅いことが示された。脳動脈瘤内部では周囲の血管壁に比べて局所的に圧力が上昇していたが,その大きさは119.3±91.2Pa(約1mmHg)にすぎなかった。破裂動脈瘤(116.1±99.7Pa、n=13)と未破裂動脈瘤(122.6±85.6Pa、n=16)の間で、動脈瘤部に認められた局所的圧力上昇の大きさに差は認められなかった(P=0.85,non-paired t-test)。この結果から、脳動脈瘤における局所的圧力上昇が脳動脈瘤の破裂への関与する可能性は低い可能性が示唆された。

4.血流は血管管腔壁に衝突することで、衝突部位の若干下流側に局所的に大きな壁面せん断応力を出現させることが示された。解析された全症例で動脈瘤の近傍で高壁面せん断応力が出現しており、脳動脈瘤発生に高壁面せん断応力が関与している可能性を支持する結果が示された。

5.脳動脈瘤壁に作用する壁面せん断応力の大きさは収縮期ピーク時において、1.64±1.16Paであった。これは、同時期に血管管腔壁に作用した壁面せん断応力(3.64±1.25Pa)と比べて有意に小さかった(paired t-test、P<0.0001)。脳動脈瘤に作用する壁面せん断応力が内皮細胞が生理的機能を維持するのに必要な大きさ(2〜4Pa)を下回ることが示された。生理的範囲を下回る壁面せん断応力しか受けていない内皮細胞にはアポトーシスやアテローム硬化性のリモデリングなどの退行性変化が誘導されることが知られている。本研究の結果、動脈瘤壁面に作用する壁面せん断応力が低すぎることが、動脈瘤壁の劣化と壁強度の低下をもたらして、動脈瘤が増大する過程に影響している可能性が示唆された。

以上、本論文はにおいて、数値シミュレーションを用いた動脈瘤とその近傍における流れの解析から、血行力学的ストレスは脳動脈瘤の発生および増大の過程に壁面せん断応力の大小を介して関与している可能性が示された。本研究はこれまで未知に等しかった、脳動脈瘤が増大して破裂へ至る過程における血行力学的ストレスの役割の解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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