学位論文要旨



No 216537
著者(漢字) 山根,章
著者(英字)
著者(カナ) ヤマネ,アキラ
標題(和) ラットflt-1(血管内皮細胞増殖因子受容体-1遺伝子)のクローニングと組織特異的発現、およびラット肝臓における血管内皮細胞増殖因子-受容体系を通じた肝細胞-類洞内皮細胞間の情報伝達に関する研究
標題(洋)
報告番号 216537
報告番号 乙16537
学位授与日 2006.04.26
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第16537号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 長瀬,隆英
 東京大学 教授 矢冨,裕
 東京大学 講師 石井,聡
 東京大学 講師 大石,展也
 東京大学 講師 高井,大哉
内容要旨 要旨を表示する

 血管新生は個体発生・性周期・種々の炎症・創傷治癒・糖尿病性細小血管症・腫瘍血管増生など様々な生理的あるいは病理的な過程に深く関与している。血管内皮細胞増殖因子A(VEGF-A以下VEGFと略す)は強い内皮細胞増殖刺激活性を有し上記のような種々の過程において血管新生のためのシグナル伝達物質として作用していることが明らかになって来ている。

 またFlt-1(Fms-like tyrosine kinase-1)はc-Fms(コロニー刺激因子-1受容体)ファミリーに属するチロシンキナーゼ型受容体として渋谷らによって発見された。当初,そのリガンドは不明であったが,VEGFに高い親和性を持つ受容体(VEGFR-1)であることが判明した。またKDR/Flk-1はFlt-1と類似した構造を持っており,これもVEGFの受容体である(VEGFR-2)と考えられた。これらの受容体を発現する細胞に関して,1993年にflt-1とKDR/flk-1のmRNAがほ乳類・鳥類の胎生のごく早期に血管内皮細胞に発現されていることが報告され,また成熟体でも1992年にはRIでラベルしたVEGFの結合部位が血管内皮細胞に限局していることが示された。従ってこれらの受容体の発現は血管内皮に限局していることが予想されたが,実際に成熟体においてflt-1などのVEGF受容体がどの細胞に発現しているかを検討する必要があった。そこで2つの主要な構成細胞(肝細胞と肝類洞内皮細胞)をコラゲナーゼの潅流とそれに引き続く遠心分離によって分けることができるラットの肝臓を実験系に選び,flt-1とその関連遺伝子が成体の組織でどの様に発現調節されているかを検討した。

 ラットのflt-1の蛋白コード部分の全長を含むcDNAをラット肺由来のcDNAライブラリーからクローニングし,その全塩基配列を決定した。ラットFlt-1はヒトFlt-1と高い相同性があり,アミノ酸残基の一致率は細胞外ドメインでは78%,チロシンキナーゼドメインでは96%,C-末端部では79%だった。ラットflt-1をプローブとして成熟ラットの諸組織でのflt-1mRNA発現を調べたところ,肺・胎盤・肝臓・腎臓・心臓・脳などの組織で発現がみられた。その中でも最も高い発現を示した組織は肺だった。

 次に6週齢の正常ラットの肝臓由来の細胞を田中らの方法に従って肝細胞画分と類洞内皮細胞を多く含む非実質細胞画分(NP cell fraction)に分け,それぞれの画分から抽出したRNAと,胎児から6週齢までの正常ラットの肝臓全体から抽出したRNAを用いてVEGF-Flt-1受容体ファミリー系と,HGF-Met受容体系の遺伝子発現を調べた。その結果flt-1のmRNAは類洞内皮細胞に強く発現していたが,肝細胞ではほとんど検出できなかった。肝臓全体のflt-1mRNAレベルは胎生期以降には大きな変化が見られなかった。もう一つのVEGF受容体であるKDR/Flk-1も同様の発現パターンであった。一方VEGF遺伝子の発現は肝細胞に弱く認められたが,NP cell fractionには認められなかった。

 また,HGF遺伝子の発現はNP細胞にほぼ特異的に発現しており,肝細胞では検出できず,HGF受容体は肝細胞のみで発現が認められた。これらの結果はラット肝臓において細胞特異的に各増殖因子・受容体の発現調節が起こっていることを示した。

 次にVEGF受容体が高いレベルで発現されている類洞内皮細胞に対するVEGFの生理活性を調べるために,VEGF存在下・非存在下でNP細胞の培養を行った。VEGFの添加により類洞内皮細胞は増殖し4-5日でconfluentになった。一方VEGF非存在下ではこれらの細胞は2-3日で死滅した。類洞内皮細胞のVEGFに対する反応は特異的で,高濃度FBSやacidic FGF, basic FGFのような血管新生促進作用のある増殖因子でさえもこれらの細胞の増殖や生存を支持することはできなかった。類洞内皮細胞はin vitroで培養することが難しいことが知られているが,この類洞内皮細胞のVEGFに対する厳密な依存性は非常に興味深く,また内皮細胞のシグナル伝達の解析に有用である。

 類洞内皮細胞の増殖におけるFlt受容体ファミリーの関与をさらに検討するために,(125)I標識VEGFの内皮細胞への結合をScatchard解析で調べた。これらの細胞はKd=3×10(-12)M,104 per cellの高親和性のVEGFに対する受容体を発現していた。Kd=100×10(-12)M,105 per cellの結合部位もみられ,前者はFlt-1後者はKDR/Flk-1に相当すると考えられた。またVEGFの受容体のサイズを確定するため,細胞表面に結合した[(125)I]VEGFをDSSでクロスリンクしSDS-PAGEで解析したところ,Flt-1,KDR/Flk-1受容体とのVEGFの複合体に相当すると思われるブロードなバンドが検出された。さらに,このバンドは抗Flt-1抗血清で免疫沈降された。この沈降は免疫に使用したFlt-1ペプチドでブロックされた。このことから,少なくともこの複合体と思われるバンドの一部にはFlt-1が含まれていることが示された。KDR/Flk-1に対する特異抗血清は入手できなかったが,この複合体にはKDR/Flk-1とVEGFの複合体も含まれていると推測している。

 VEGFによる刺激後の細胞蛋白のチロシンリン酸化を調べるために類洞内皮細胞の培養にVEGF添加後,経時的にcell lysateを作り,抗リン酸化チロシン抗体をプローブとしてウェスタンブロッティングを行った。250から40kDaの大きさの数種類の蛋白が速やかにそして一過性にチロシンリン酸化を受けた。しかし,Flt-1に相当する175-185kDaの位置のチロシンリン酸化は非常に微弱だった。Flt-1受容体を免疫沈降して,抗リン酸化チロシン抗体でウェスタンブロッティングを行ったがこの受容体の自己リン酸化は検出されなかった。Flt-1の自己リン酸化作用は,もし存在したとしても非常に弱いことが示された。

 結論 以上の結果から,VEGF-受容体系を通じて肝類洞内皮細胞の増殖・生存を肝細胞がパラクリン形式で制御していると推定される。これはHGF-受容体系を通じて内皮を含む間葉系細胞が肝細胞の増殖を制御するのと逆方向の制御系であり,肝臓では間葉系と実質細胞の間の両方向の制御系が働いていることが想定できる。

審査要旨 要旨を表示する

 血管内皮細胞増殖因子A(VEGF-A以下VEGF)とその受容体(Flt-1並びにKDR/Flk-1)は,血管系の新生・維持・再構成において重要な役割を果たしていることが明らかになってきている。本研究はVEGFの受容体が実際に成熟体においてどの細胞に発現しているかを明らかにするため,ラットの肝臓におけるVEGF-受容体系の細胞特異的発現調節・生理活性に関し検討し,下記の結果を得ている。

1.ラットflt-1の蛋白コード部分の全長を含むcDNAをクローニングし,その全塩基配列を決定した。ラットFlt-1はヒトFlt-1と高い相同性を示した。成熟ラットでは,flt-1mRNAは肺・胎盤・肝臓・腎臓・心臓・脳などの組織で発現がみられ,その中でも肺において最も高い発現を示した。

2.ラット肝臓を肝細胞画分と類洞内皮細胞を多く含む非実質細胞画分に分け,VEGF-受容体系とHGF-Met受容体系の遺伝子発現とを調べたところ,VEGF受容体のmRNAは類洞内皮細胞に強く発現していたが,肝細胞ではほとんど検出できなかった。一方VEGF遺伝子の発現は肝細胞に弱く認められたが,非実質細胞画分には認められなかった。また,HGF遺伝子の発現は非実質細胞画分にほぼ特異的に発現しており,肝細胞では検出できず,HGF受容体は肝細胞のみで発現が認められた。これらの結果はラット肝臓において細胞特異的に各増殖因子・受容体が発現調節されていることを示した。

3.VEGF存在下・非存在下で類洞内皮細胞の培養を行ったところVEGF存在下では類洞内皮細胞は増殖したが,VEGF非存在下ではこれらの細胞は2-3日で死滅した。他の血管新生促進作用のある増殖因子(高濃度FBS,acidic FGF,basic FGF)ではこの細胞の増殖や生存を支持することはできず,類洞内皮細胞はVEGFに対し特異的に反応し増殖した。この結果により培養が難しいとされている肝類洞内皮細胞の培養法が確立できた。

4.類洞内皮細胞の表面にはKd=3×10(-12)M,104 per cellおよびKd=100×10(-12)M,105 per cellの2種類の結合部位が存在しており,それぞれFlt-1,KDR/Flk-1に相当すると考えられた。

5.クロスリンク並びに免疫沈降実験によりFlt-1とVEGFの複合体は約220kDaのサイズであることが示された。

6.類洞内皮細胞にVEGFを添加すると細胞内の数種類の蛋白がチロシンリン酸化されたが,Flt-1の自己リン酸化は検出できなかった。Flt-1の自己リン酸化作用は,もし存在したとしても非常に弱いことが示唆された。

 以上,本論文はラット肝臓においてVEGF-受容体系が細胞特異的に発現調節を受けていること,ラット肝類洞内皮細胞にVEGFの高親和性結合部位が存在し,同細胞はVEGF依存性に増殖することを明らかにした。本研究はそれまでほとんど未知であった成熟体におけるVEGF-受容体系の細胞特異的発現調節の解析の端緒となったとともに,肝類洞内皮細胞培養系という内皮細胞におけるシグナル伝達解析の有用な実験系を開発したと考えられ,学位の授与に値すると考えられる。

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