学位論文要旨



No 216541
著者(漢字) 湯本,史明
著者(英字)
著者(カナ) ユモト,フミアキ
標題(和) トロポニン原因心筋症の分子機構における構造機能研究 : ヒト心筋および貝類閉殻筋トロポニンの研究
標題(洋) Structural and functional studies of the molecular mechanism of troponin-causing cardiomyopathy : The study of human cardiac and scallop adductor troponins
報告番号 216541
報告番号 乙16541
学位授与日 2006.05.12
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第16541号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 田之倉,優
 東京大学 教授 渡部,終五
 東京大学 教授 吉村,悦郎
 東京大学 助教授 足立,博之
 東京大学 助教授 永田,宏次
内容要旨 要旨を表示する

1. 拘束型心筋症原因トロポニンIの機能と構造

 脊椎動物の骨格筋や心筋などの横紋筋の収縮は、トロポニン(Tn)へのCa(2+)の結合・解離によって制御されている。Tnは、Ca(2+)結合成分であるトロポニンC(TnC)、アクトミオシンATPase活性を抑制する成分であるトロポニンI(TnI)、トロポミオシン(Tm)に結合し、Tnをアクチン-トロポミオシンフィラメントに会合させるトロポニンT(TnT)の3つのポリペプチドによって構成されている。江橋らによるトロポニン発見以来、約40年が経過した今も多くの機能解析、構造解析が進められてきた。特に、最近のヒト心筋Tnコアドメインの結晶構造解析は、Tnの機能を理解する上で、多くの情報を与えた。しかしながら、Tnによる筋収縮制御機構を明らかにする上で、重要なTnIのN端、C端領域の構造情報は不十分なものであり、より詳細なメカニズムの解明が待たれている。

 近年、遺伝子解析によってTnI, TnTの変異が肥大型(Hypertrophic cardiomyopathy, HCM)あるいは拡張型心筋症(Dilated cardiomyopathy, DCM)に関係することが示されてきた。心筋症は、心室壁の肥厚によって十分な弛緩が困難になる肥大型心筋症と心室拡大により収縮不全を引き起こす拡張型心筋症とに大きく分類されるが、Tnの変異部位の違いにより、両方の型の心筋症につながるということは大変興味深い。大槻・森本らは、スキンドファイバーを用いたTn変異体の機能解析によって、HCM原因Tn変異は、TnのCa(2+)感受性の増大に、また、DCM原因Tn変異は、TnのCa(2+)感受性の減弱につながることを示してきており、現在、このCa(2+)感受性の変化が、心筋症を引き起こす初期因子であると考えられている。

 このような状況の中、遺伝子解析からTnIの6つの変異(L144Q, R145W, A171T, K178E, G190D, R192H)が拘束型心筋症(Restrictive cardiomyopathy, RCM)という拡張不全を引き起こす心筋症の原因となることが示された。これらの変異部位のアミノ酸残基は、脊椎動物の骨格筋、心筋TnIで保存されており、重要な機能を担っていると考えられる。また、L144Q、R145WはTnIの抑制領域中に、A171T、K178Eはアクチン-Tm結合領域の直前とその中に、D190G、R192HはC末端領域と、それぞれが機能単位として考えられている領域中に存在することから、変異はこれらの機能に影響を与えることが予想される(図1)。また、変異体の機能を明らかにすることによって、これらの機能領域が担う役割もより詳しく明らかにできるものと期待できる。

 そこで、私は、これらの6つのTnI遺伝子変異によるTnの機能と構造の変化について解析した。機能解析では、大腸菌による大量生産系によって調製したリコンビナントTnIを用い、再構成スキンドファイバーのCa(2+)感受性、再構成アクトミオシンATPアーゼ活性のCa(2+)感受性に対する変異の影響を調べた。その結果、両解析系で、ともに各種変異体は程度の差はあるもののCa(2+)感受性の増強作用を示した。また、6つの変異体は、スキンドファイバーの系ではK178E>R192H〓R145W>L144Q〓A171T>D190Gの順にCa(2+)感受性増強作用を示し(図2)、ATPアーゼ活性の系ではK178E>R192H〓R145W〓L144Q>A171T〓D190Gの順にCa(2+)感受性の増強作用を示し、別の手法間で良く似た結果であった。また、これらの変化量は、HCMで観察されていたものよりも極めて大きなものであった。RCMは、HCMと比較して重篤なものであり、これらのCa(2+)感受性増強作用の大きさと予後の悪さとは関連があるかもしれない。

 また、最も大きなCa(2+)感受性増強作用を示したK178Eの性質をより詳細に調べるために、C端領域ペプチド(TnI(129-210))を調製した(図1)。TnIは単独では生理的条件下で会合することが知られているが、TnI(129-210)は抑制領域からC末端領域までを含み、生理的条件下で十分に溶解し、C端領域の機能解析に使うことができる。このペプチドを用い、ミオシンBのATPアーゼ活性に対する抑制能とTnC添加時の中和作用に対する変異の影響を調べたところ、IC(50)値が、野生型の227±7 nMに対してK178E変異は543±8 nMと大きく、また、TnC添加による中和作用では、野生型の957±23 nMに対して、K178E型の600±56 nMと小さくなっている。これらの結果から、K178E変異は、TnIのアクチン-Tmへの親和性を減弱させ、その結果として、抑制が弱く、TnCによる中和がしやすい(脱抑制しやすい)ということにつながっていると考えられる。これらの影響が全体として、スキンドファイバー、ATPアーゼ活性を指標とした解析において、Ca(2+)感受性の増大として現れたものを言える。

 また、TnI(129-210)を用い、CDおよびNMRにより、K178E変異の構造に対する影響を調べた。CD解析から野生型、K178Eの間で、2次構造はほとんど変わらないことがわかった。安定同位体標識TnI(129-210)を用いたNMR解析から、K178E変異は、K178近傍の数アミノ酸残基の間でのみという局所的な構造変化を引き起こすことがわかった(図3)。これらの解析から、K178E変異は局所的な小さい構造変化を引き起こし、大きなCa(2+)感受性の増強作用を与えることが明らかとなった。

 以上のことから、このような大きなCa(2+)感受性の増強作用を相殺する低分子性化合物を見出すことができれば、心筋症治療のための候補化合物あるいはリード化合物となり得るだろう。

2. アカザラガイ閉殻筋TnCにおける金属イオン配位構造および立体構造解析

 肥大型心筋症においては、TnTの遺伝子変異体について、大槻・森本らによるスキンドファイバー解析の結果、ほとんどがCa(2+)感受性の増強作用を示した中、Ca(2+)感受性には影響を与えずに最大Ca(2+)張力を上昇させたものが2例観られている。これは偶然にも、以前から観察されていた貝類閉殻筋由来TnによるCa(2+)依存性のアクトミオシンATPアーゼ活性の調節機構と同じ変化である。したがって、貝類トロポニンによるCa(2+)制御機構を明らかにすることは、比較生物学的な価値があるばかりでなく、心筋症につながるCa(2+)調節機構の変化について知見が得られると期待できる。また、貝類Tnは、1分子当りたった1つしかCa(2+)を結合せず、さらに結合部位もC端側のローブに存在するという珍しい特徴をもっていることから、Ca(2+)制御機構を理解する上でも非常に興味深い。

 大腸菌を用いた大量調製系によって得たリコンビナントアカザラガイTnCを用い、FT-IRによるMg(2+)、Ca(2+)配位構造を解析した。その結果、Asp131、Asp133がMg(2+)に対して擬ブリッジングモードで相互作用し、また、Ca(2+)に対しては、さらにGlu142が二座配位にて相互作用していることがわかった。このGlu142をGlnに置換すると、この対応するバンドの消失から2座配位では相互作用できないが、擬ブリッジングモードで相互作用していることが考えられた。

 さらに、TnC C端ローブへのCa(2+)結合による制御機構を明らかにするために、TnCのC端ローブへのCa(2+)結合による制御機構を明らかにするために、NMRによる立体構造解析を行った。TnC Cローブは、脊椎動物骨格筋速筋由来TnIではN端領域に相当するTnI(129-183)とCa(2+)結合の有無にかかわらず相互作用して安定化することがわかり、この複合体を用いて溶液構造解析を行った。(15)Nおよび(13)C/(15)N標識TnC Cローブ-非標識TnI(129-183)複合体を調製し、一連の多核多次元NMR測定を行った。距離および角度制限情報を収集し、DYANA1.4による構造解析を行った。TnC Cローブは、EFハンド型タンパク質としては、2つのEFハンドモチーフ共に開いたコンフォメーションをとっていた。一般に、TnCはCa(2+)非結合時の閉じた構造から、Ca(2+)結合時に開いた構造にコンフォメーション変化を起こし、この変化によって、疎水性パッチが開き、ここにTnIの第二TnC結合領域が結合することで、TnIによるアクトミオシンATPアーゼ活性の阻害を解除すると考えられている。ゲルろ過実験から、アカザラガイTnCはCa(2+)結合に伴い、よりコンパクトなコンフォメーションをとることがわかっており、これらの結果を考え合わせると、アカザラガイTnCのC端ローブはCa(2+)結合に伴い、開いたコンフォメーションに変化し、これが活性制御の引き金になっていると考えられる。

図1. HcTnIおよびhcTnI(129-210)のドメイン構造と機能単位. RCMの変異部位を矢印にて示す.

図2. RCM関連Tn変異体によるスキンドファイバーにおけるpCa-張力曲線.

図3. 野生型およびK178E TnI(129-210)ペプチドの(15)N-1H HSQCスペクトル

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、横紋筋の収縮制御タンパク質であるトロポニンを対象として、1) 拘束型心筋症原因トロポニンIの機能と構造の解析、ならびに、2) アカザラガイ閉殻筋トロポニンCにおける金属イオン配位構造および立体構造解析を行ったものであり、4章からなる。

 第一章では、横紋筋の収縮制御に関する歴史的背景や分子メカニズムについて述べるとともに、本論文の主な解析手法である多核多次元NMRの歴史や現状について述べている。

 第二章では、心筋症関連トロポニンの解析において、拘束型心筋症(Restrictive cardiomyopathy, RCM)という拡張不全を引き起こす心筋症がトロポニンIの6つの変異(L144Q, R145W, A171T, K178E, G190D, R192H)によって引き起こされている事実を基に、分子レベルでの機能と構造の変化について詳細を議論している。機能解析では、大腸菌による大量生産系によって調製した組換えトロポニンIを用い、再構成スキンドファイバーのCa(2+)感受性、再構成アクトミオシンATPアーゼ活性のCa(2+)感受性に対する変異の影響を調べた。両解析系でともに、各種変異体は程度の差があるもののCa(2+)感受性の増強作用が観察されることを示した。また、6つの変異体はスキンドファイバーの系ではK178E>R192H〓R145W>L144Q〓A171T>D190Gの順にCa(2+)感受性増強作用を示し、ATPアーゼ活性の系ではK178E>R192H〓R145W〓L144Q>A171T〓D190Gの順にCa(2+)感受性の増強作用を示し、両手法間で同じ傾向の変動を観察した。また、これらの変化量は、肥大型心筋症(Hypertrophic Cardiomyopathy, HCM)で観察されていたものよりも極めて大きなものであることを示し、RCMの予後の悪さとこれらのCa(2+)感受性増強作用の大きさとが関係することを指摘した。また、最も大きなCa(2+)感受性増強作用を示したK178E変異体の性質をより詳細に調べるために、これら6種の変異部位を全て含むC端領域ペプチド(TnI(129-210))を調製し、トロポニンI全長では不溶性のために困難であった構造解析を実現できるように工夫している。このペプチドを用い、ミオシンBのATPアーゼ活性に対する抑制能とトロポニンC添加による中和作用に対する変異の影響を調べ、K178E変異は、トロポニンIのアクチン−トロポミオシンへの親和性を減弱させ、その結果、抑制作用が弱くなり、TnCによる中和作用が得られ易いことにつながっていることを明らかにした。これらの影響が全体として、スキンドファイバー、ATPアーゼ活性を指標とした解析において、Ca(2+)感受性の増大として現れたものと結論づけている。また、TnI(129-210)を用い、CDおよびNMRにより、K178E変異の構造に対する影響を調べており、CD解析から野生型、K178Eの間で、2次構造はほとんど変わらないことを示した。安定同位体標識TnI(129-210)を用いたNMR解析から、K178E変異は、K178近傍の数アミノ酸残基の間のみで局所的な構造変化を引き起こすことを明らかにした。これらの解析から、K178E変異は局所的な小さい構造変化を引き起こし、アミノ酸置換による分子表面の性質変化と相まって、大きなCa(2+)感受性の増強作用を与えていると結論づけた。

 第三章では、貝類トロポニンにおいて、トロポニンCとMg(2+)あるいはCa(2+)イオンとの相互作用メカニズムを明らかにし、さらに、トロポニンCのC端ローブの立体構造を決定することで、構造機能相関について詳細に議論している。大腸菌を用いた大量調製系によって得られた組換えアカザラガイトロポニンCを用い、FTIRによるMg(2+)、Ca(2+)配位構造を解析し、Asp131、Asp133がMg(2+)に対して擬ブリッジングモードで相互作用し、また、Ca(2+)に対しては、さらにGlu142が二座配位にて相互作用していることを示した。このGlu142をGlnに置換すると、この対応するバンドの消失から2座配位では相互作用できないが、擬ブリッジングモードで相互作用していることを見出した。さらに、トロポニンCのC端ローブへのCa(2+)結合による制御機構を明らかにするために、NMRによる立体構造を解析した。トロポニンCのC端ローブは、脊椎動物骨格筋速筋由来トロポニンIではN端領域に相当するトロポニンIペプチド(TnI(129-183))とCa(2+)結合の有無にかかわらず相互作用することによって安定化することを明らかにし、この複合体を用いて溶液構造解析を実現化させるという工夫をしている。(15)Nおよび(13)C/(15)N標識トロポニンCのC端ローブと非標識TnI(129-183)との複合体を調製し、一連の多核多次元NMRスペクトルを測定し、距離および角度制限情報から、溶液構造を決定した。トロポニンCのC端ローブは、EFハンド型タンパク質としては、2つのEFハンドモチーフが共に開いたコンフォメーションをとっていたことから、アカザラガイトロポニンCのC端ローブは、Ca(2+)結合に伴い開いたコンフォメーションに変化し、これが活性制御の引き金になっていると結論している。

 第四章では、全体を通したディスカッションを行い、トロポニン研究の成果と意義について述べている。

 以上、本論文は、拘束型心筋症を引き起こすトロポニン変異が、局所的な構造変化によるタンパク質表面の性質変化を引き起こし、重大なCa(2+)感受性増強作用、すなわち大きな機能変化を誘起することを示したものである。また、貝類トロポニンの溶液構造解析から、トロポニンCの活性化機構について重要な知見を得ており、これらは、学術上の価値のみならず、将来的な心筋症治療法の開発に向けて、基礎研究として貢献し得るものである。よって、審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値があるものと認めた。

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