学位論文要旨



No 216542
著者(漢字) 和田,吉弘
著者(英字)
著者(カナ) ワダ,ヨシヒロ
標題(和) 新規p38 MAP キナーゼ阻害剤の関節疾患に対する薬理作用の検討
標題(洋)
報告番号 216542
報告番号 乙16542
学位授与日 2006.05.12
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第16542号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 清水,誠
 東京大学 教授 福井,泰久
 東京大学 教授 高橋,直樹
 東京大学 教授 佐藤,隆一郎
 東京大学 助教授 戸塚,護
内容要旨 要旨を表示する

1緒言

 関節リウマチは関節軟骨及び骨組織の破壊を特徴とする慢性の全身性疾患である。また,変形性関節症は関節軟骨の局所的な変性を特徴とする関節疾患である。関節リウマチの国内患者数は60万人,変形性関節症は膝関節部位の発症患者だけでも毎年約90万人に上り,両疾患は医療福祉上の重大な問題となっている。いずれも病因は不明であるが,プロスタグランジンやサイトカインなどの炎症性メディエーターが病態形成に関与することが示唆されている。特に,インターロイキン(IL)-1は関節組織におけるマトリックスメタロプロテアーゼ(MMP)の産生を誘導し,軟骨組織の破壊を亢進することが示唆される。

 マイトジェン活性化プロテインキナーゼ(MAPキナーゼ)は細胞増殖因子やストレス刺激などの細胞外からの刺激に応答して活性化されるキナーゼ群である。そのひとつp38はストレス応答性MAPキナーゼと呼ばれ,炎症反応のシグナル伝達に関与することが報告されている。

 本研究の目的は(1)p38が関節リウマチ及び変形性関節症の病態形成において,どのような機能を果たしているか,及び(2)p38の阻害がこれら関節疾患に対する新規の治療法となりうるか,の2点を検討することである。実験には新規に合成された低分子化合物R-130823 {2-(4-fluorophenyl)-4-(1-phenethyl-1,2,3,6-tetrahydropyridin-4-yl)-3-(pyridin-4-yl)-1H-pyrrole}を用い,両関節疾患を想定したin vitro及びin vivoモデルにおいてp38の特異的な阻害を試みた。

2新規p38 MAPキナーゼ阻害剤R-130823の抗炎症作用

 R-130823はp38 MAPキナーゼのαアイソフォームに対して選択的な阻害活性を示した(IC(50)値22 nM)。Lipopolysaccharideにより刺激したヒト全血において,R-130823はtumor necrosis factor(TNF)-α及びIL-1β,IL-6,IL-8の産生を抑制した(IC(50)値はそれぞれ0.089,0.066,0.95,0.16 μM)。

 ラットアジュバント関節炎モデルの関節浮腫に対して,R-130823(1〜30 mg/kg/day)は用量に依存した治療効果を示した。その効果は,同一投与量のレフルノミド(疾患修飾性抗リウマチ薬;1,3 mg/kg/day)と同程度であった。一方,メトトレキサート(疾患修飾性抗リウマチ薬;0.20 mg/kg)はほとんど効果を示さなかった。

 また,同関節炎モデルにおいてR-130823(1〜30 mg/kg)は用量に依存した鎮痛作用を示した。その鎮痛作用は投与1時間以内に速やかに発現し,30 mg/kgの用量では非ステロイド性鎮痛抗炎症薬であるセレコキシブと同様に投与24時間後まで作用が持続した。

 マウスコラーゲン誘導関節炎モデルにおいてR-130823(3〜30 mg/kg/day)は関節組織破壊の進展を抑制した。罹患膝関節を病理組織学的に評価したところ,R-130823は繊維芽細胞・滑膜細胞の増殖,好中球の浸潤などを抑制した。

3ヒト軟骨細胞におけるプロスタグランジンE2及びMMP産生抑制効果

 変形性関節症におけるp38 MAPキナーゼの関与を調べるため,ヒト軟骨細胞及びウシ軟骨組織におけるR-130823の薬理作用を検討した。ヒト軟骨初代培養細胞では,IL-1β刺激によりMMP-13,MMP-1及びプロスタグランジンE2(PGE2)の産生が誘導された。R-130823はこれらの産生をそれぞれIC(50)値20,230,3.9 nMで抑制した。同様に,MMP-13産生に対する抑制効果はヒト軟骨肉腫細胞株SW 1353においても認められた(IC(50)値17 nM)。

 ヒト軟骨初代培養細胞において,R-130823はIL-1β刺激により誘導されるMMP-13,MMP-1及びシクロオキシゲナーゼ-2(PGE2産生の律速酵素の一つ)のmRNAレベルを抑制し(IC(50)値はそれぞれ4.2,79,21 nM),R-130823は上記因子をmRNAレベルで抑制していることが示唆された。

 軟骨はコラーゲンとプロテオグリカン(ムコ多糖類グリコサミノグリカンがタンパク質に結合した糖タンパク質)からなる線維性組織である。ウシ鼻中隔軟骨の器官培養において,R-130823はIL-1αとoncostatin Mにより誘導されるコラーゲン分解を抑制した(IC(50)値510 nM)。一方,R-130823はIL-1βにより誘導されるグリコサミノグリカン遊離を抑制しなかった。

4ヒト滑膜細胞における炎症性サイトカイン及びMMP産生抑制効果

 パンヌス(滑膜が変性した肉芽様組織)は関節リウマチの主徴であり,罹患関節において骨・軟骨組織を浸食する。パンヌス内部の滑膜細胞は形質転換細胞に類似した形質を示し,炎症性サイトカイン,PGE2及びMMPを産生する。この形質がパンヌス内部の微小環境により誘導されることを仮定し,スフェロイド(細胞塊)培養系によるパンヌスのシミュレーションを試みた。また,スフェロイド状態の滑膜細胞におけるp38 MAPキナーゼの機能を検討した。

 ヒト滑膜肉腫細胞株SW 982は非接着性培養プレートにおいてスフェロイドを形成した。SW 982細胞のスフェロイドはIL-1β,IL-6,IL-8,PGE2及びMMP-2,MMP-13を産生した。スフェロイド内の細胞接着によるシグナル伝達を検討するため,インテグリン阻害オリゴペプチド(GRGDSP)並びにビトロネクチン受容体阻害剤SB-265123を添加したが,これらの産生は抑制されなかった。

 スフェロイド状態のSW 982細胞において,p38 MAPキナーゼのリン酸化が認められた。R-130823はIL-6,IL-8及びMMP-13の産生を抑制したが(IC(50)値はそれぞれ51,86,30 nM),IL-1β及びMMP-2の産生を抑制しなかった。リアルタイムRT-PCR測定により,IL-6,IL-8及びMMP-13の産生はmRNAレベルで抑制されていることが確認された。

 スフェロイド状態のSW 982細胞において,R-130823はPGE2産生を抑制しなかった。一方,SW 982細胞を単層培養したとき,R-130823はIL-1β刺激で誘導されるPGE2産生を抑制した。両培養系においてR-130823のPGE2産生抑制効果に差が認められ,スフェロイド培養系は滑膜細胞におけるp38 MAPキナーゼのシグナル伝達経路を検討するにあたり,従来の単層培養系を補完する実験系となりうることが示された。

5結論

 R-130823はp38aアイソフォームに対し高い特異性を示す阻害剤である。ヒト全血を用いたサイトカイン産生抑制試験では強い抑制効果を示し,アジュバント関節炎モデルでは現在臨床で用いられるセレコキシブ,メトトレキサート及びレフルノミドに比して同程度以上の治療・鎮痛効果を示した。関節リウマチの動物モデルであるマウスコラーゲン誘導関節炎では,関節組織破壊に対する進展抑制効果が認められた。

 R-130823は軟骨細胞におけるMMP-13やMMP-1の産生を抑制し,ウシ鼻中隔軟骨の器官培養ではコラーゲンの遊離量を減少させた。R-130823はさらにPGE2の産生も抑制することから,変形性関節症においてp38阻害剤が軟骨破壊抑制と疼痛緩和の作用を併せ持つことが期待される。

 滑膜細胞のスフェロイドにおいてp38 MAPキナーゼのリン酸化が観察され,R-130823の添加によりIL-6,IL-8及びMMP-13の産生が抑制された。よって,関節リウマチのパンヌスでは,p38 MAPキナーゼが滑膜細胞における上記因子の産生に関与することが示唆される。

 以上から,関節疾患においてはp38 MAPキナーゼが炎症性メディエーター及びMMPの産生制御に関与することが示され,p38阻害剤は関節リウマチ及び変形性関節症に対して既存薬にはない治療効果をもたらすことが期待される。

R-130823の構造式

審査要旨 要旨を表示する

 関節リウマチは関節軟骨及び骨組織の破壊を特徴とする慢性の全身性疾患である。また,変形性関節症は関節軟骨の局所的な変性を特徴とする関節疾患である。いずれもプロスタグランジンやサイトカインなどの炎症性メディエーターが病態形成に関与すること,特にインターロイキン(IL)-1は関節組織におけるマトリックスメタロプロテアーゼ(MMP)の産生を誘導し,軟骨組織の破壊を亢進することが示唆されている。p38は炎症反応のシグナル伝達に関与することが知られているマイトジェン活性化プロテインキナーゼ(MAPキナーゼ)の1種である。本論文は、関節リウマチ及び変形性関節症の病態形成に対する新規p38MAPキナーゼ阻害剤の作用に関する研究をまとめたもので,6章から成る。

 研究の背景、目的等を記載した第1〜3章に続いて,第4章では新規に合成されたp38MAPキナーゼ阻害剤R-130823の酵素阻害活性と抗炎症作用が述べられている。R-130823{2-(4-fluorophenyl)-4-(1-phenethyl-1,2,3,6-tetrahydropyridin-4-yl)-3-(pyridin-4-yl)-1H-pyrrole}はp38 MAPキナーゼのαアイソフォームに対して選択的かつ高い阻害活性を示した。またlipopolysaccharideにより刺激したヒト全血においてR-130823はtumor necrosis factor(TNF)-α,IL-1β,IL-6,IL-8の産生を抑制し,ラットアジュバント関節炎モデルにおいては用量に依存した治療効果及び鎮痛作用を示した。マウスコラーゲン誘導関節炎モデルではR-130823は関節組織破壊の進展を抑制した。マウスの罹患膝関節を病理組織学的に評価したところ,R-130823は繊維芽細胞・滑膜細胞の増殖,好中球の浸潤などを抑制することが明らかになった。

 第5章では,ヒト軟骨細胞及びウシ軟骨組織におけるR-130823の薬理作用が述べられている。ヒト軟骨初代培養細胞において,R-130823はIL-1β刺激により誘導されるMMP-13,MMP-1及びプロスタグランジンE2(PGE2)の産生を抑制した。この抑制はR-130823によるMMP-13,MMP-1及びシクロオキシゲナーゼ-2のmRNAレベルでの抑制に起因していることが示唆された。ウシ鼻中隔軟骨の器官培養では,IL-1αとoncostatin Mの刺激により軟骨組織内のコラーゲン分解が誘導されたが,R-130823はこのコラーゲン分解を抑制することも見出された。

 パンヌスは関節リウマチの主徴であり,パンヌス内部の滑膜細胞は炎症性サイトカイン,PGE2及びMMPを産生する。第6章では,スフェロイド(多細胞凝集塊)状態に培養した滑膜細胞におけるp38 MAPキナーゼの機能とそれに及ぼすR-130823の作用を検討している。ヒト滑膜肉腫細胞株SW 982は非接着性培養プレートにおいてスフェロイドを形成し,このスフェロイドはIL-1β,IL-6,IL-8,PGE2及びMMP-2,MMP-13を産生することを見出した。スフェロイド状態のSW 982細胞ではp38 MAPキナーゼのリン酸化が認められ、これが炎症性サイトカイン産生亢進を誘導していると考えられたが,R-130823は濃度に依存してIL-6,IL-8及びMMP-13の産生をタンパク質レベル、mRNAレベルで抑制することが確認された。一方、スフェロイド状態のSW 982細胞においては,R-130823はIL-1β刺激で誘導されるPGE2産生を抑制しなかったが,SW 982細胞を単層培養したときにはPGE2産生を抑制した。両培養系においてR-130823のPGE2産生抑制効果に差が認められたことから,滑膜細胞におけるp38 MAPキナーゼのシグナル伝達経路を検討するにあたり,スフェロイド培養系は従来の単層培養系を補完する実験系となりうることが示された。

 これらの結果より,関節疾患の罹患組織においてはp38 MAPキナーゼが炎症性メディエーターやMMPの産生制御に関与することが示唆された。R-130823のようなp38阻害剤は関節リウマチ及び変形性関節症に対して既存薬にはない治療効果をもたらすことが期待される。

 以上、本論文は新規なp38MAPキナーゼ阻害剤R-130823を用いて関節組織の炎症にMAPキナーゼが関与することを示すとともに、R-130823の各種薬理作用をin vitro, in vivo実験系によって明らかにしたもので、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって、審査委員一同は本論文が学位(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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