学位論文要旨



No 216544
著者(漢字) 石井,正好
著者(英字)
著者(カナ) イシイ,マサヨシ
標題(和) 海洋データ客観解析手法の開発と歴史的観測データへの適用
標題(洋) Development of Objective Analysis Schemes for Oceanographical Data and Their Application to Historical Observations
報告番号 216544
報告番号 乙16544
学位授与日 2006.05.15
学位種別 論文博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 第16544号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 遠藤,昌宏
 東京大学 教授 住,明正
 東京大学 教授 木本,昌秀
 東京大学 助教授 升本,順夫
 東京大学 教授 安田,一郎
内容要旨 要旨を表示する

 気候変動のメカニズムを理解するためには、大気に比べて熱的な慣性が大きい海洋変動の長期変動の実態を把握する必要がある。これまでに海洋変動を解析するためのデータベースがいくつか提案されてきたが、データベースの期間が20年程度と短いことや海洋データのノイズを十分に除去できていないために、気候研究での利用には限界があった。そこで本研究では、気候研究のための基礎データを作成することを目的として、海洋観測データから時空間に一様に張られた格子点での水温、塩分、海上気象要素の値を合理的に生成する客観解析スキームを開発した。さらに、このスキームを歴史的な海洋データおよび海上気象データに適用し、最近の50年から100年を対象として、海洋内部水温と塩分ならびに海上の気象要素の年々から数10年スケールの変動を再現する客観解析データベースを作成した。客観解析の対象とした複数の海洋物理要素は海洋変動研究において基本的なものであり、これらの要素について同一手法で客観解析を行ったという点においては、従来のデータベースと一線を画している。ただしこれらの客観解析の場合、解析値の品質は海洋観測データがあるところで高く無いところでは低くなるので、データの少ない海域での海洋変動が十分に表現できない。そこで、同解析スキームを力学モデルを使用する海洋データ同化に適用し、最近の20年の期間についてデータ同化実験を併せて行なった。このように力学モデルの物理と観測データの情報を融合させるデータ同化は海洋現象を高精度で再現する手法として有効で、さらに海洋観測データの希少さを補うものと期待される。しかしながら現状では、全球的に見れば、海洋モデルの不完全さとモデルを駆動する熱、運動量、淡水の海面フラックスデータの誤差がもたらす同化結果への影響は大きい。以上のことから、信頼性の高い海洋客観解析データベースを作成するためには、モデルを使用しない客観解析手法とデータ同化手法の双方の開発を相補的に行なっていく必要があるという立場で研究を進めた。

 海洋には半径が数100kmほどの中小規模渦が卓越して存在し、海洋における運動エネルギーの大半を占める。海面下の観測データはこの中小規模渦の影響を受けるため、データには渦による大きな変動成分が含まれる。この渦を明示的に解析するためには、高密度の観測データが必要となる。しかしながら、1979年以降の衛星観測時代を除き海洋・海上の現場観測データは一般に観測数が少ない。そこで、中小規模渦は今回の客観解析の対象とせず、渦を除去した水温と塩分の場を推定するような客観解析および品質管理スキームを構成した。さらに、観測データが少ないことによる客観解析結果の信頼性の低下は不可避であるから、各時刻、各格子点での客観解析値の誤差(解析誤差)を推定し、信頼性を議論する際の尺度とした。客観解析スキームは歴史的に洗練されてきており、近年の手法では、先ず精度の高い背景場を選択し、次に背景場と観測データの誤差を評価し、最後に背景場からの偏差を統計的な意味で最適に推定する。いくつかある手法の中から、本研究では変分原理に基づく客観解析スキームを採用し、モデルを使用しない客観解析と使用する客観解析の背景場には、それぞれ、気候値と力学モデルの出力を採用した。また、信頼性の高い海面下の水温場と塩分場を求めるために、豊富なデータが存在する海面での水温と塩分の観測、および海面高度観測データから海洋内部の水温と塩分を推定するスキームを開発した。

 客観解析を行なう前に、客観解析に要する計算時間の短縮のために、また時空間で均一な品質の客観解析結果を得るために、品質管理手続きによる観測データの前処理が必要である。そこで、水温、塩分、海上気象要素の現場観測と衛星の海面高度観測についての品質管理手続きを構成して、観測データの異常値の検出、客観解析に使用される観測データの時空間分布の均一化、要素別のバイアスの除去や要素間での整合性の確認を行なった。さらに観測方法の違いや観測データの分布状況を斟酌して、個々の観測データに適切な観測誤差を付与した。このような観測誤差を与えて客観解析を行なうことは、上記したような観測データの欠点が解析結果へもたらす影響を最小限とするために有効な方法である。以上の手続きの多くは従来の研究や気象の現業機関で採用されているものであるが、海洋観測データの問題を考慮して、手続きの子細を決定した。

 本研究で開発した海洋データ同化システムは、Kimoto et al.(1997)の改良版である。近年開発が続けられているKalmanフィルターや四次元変分法を採用することは、それらが開発段階にあること、膨大な計算時間を要することから見送ることにした。また、充実した観測データが得られる近年の観測システムを前提とする解析スキームも採用しなかった。その代わり、長期間の海洋現象の再現を目的とする実用的な海洋データ同化という観点で実績のある手法を選択した。モデルを観測に適合させるためのスキームは、Bloom et al.(1996)が大気のデータ同化実験で採用したIAU(Incremental Analysis Update)と称される手法を用いた。この手法は従来の海洋データ同化システムでも広く利用されている。

 海上気象要素の客観解析では、上記の変分原理に基づいて月々の場を再構成する手法(再構成解析)を開発した。再構成解析では、近年の比較的潤沢な海洋データを用いて求めた、統計的に卓越する複数の空間変動パターンが歴史的に不変であるとし、各月における各変動パターンの寄与量を最適に推定した上で、空間パターンとその寄与量の積和として各月の客観解析場を構成する。ここでは、経験的直交関数を用いて変動モードを定義した。通常の客観解析では全ての格子点での値が未知数になるが、再構成解析における未知数の数は使用するモード数に相当し、総格子数よりも極めて少ない。このため、観測データの少ない期間についても合理的な解析場が得られると期待される。

 開発した客観解析手法を用いて、まず最初に、1950年から1998年までの期間について海面から500mまでの月平均水温の客観解析を行った。太平洋赤道域におけるエルニーニョや北太平洋でのサブダクションなどの主要な海洋現象の時間発展が客観解析結果に再現されていることを確認した。一般に、客観解析結果を気候研究に利用する際には、解析値に含まれる誤差を低減するために格子点値を時空間で平均する方法がとられる。こうすることで研究対象としている海洋現象についての議論を一層確からしいものにすることができる。今回の客観解析データベースから平均する時空間スケールを変えてシグナル―ノイズ比を求め、時間スケールを大きくするよりも空間スケールを大きくする方が平均された客観解析値の誤差を効果的に減少させることができることを示した。また、1980年代以降定置ブイにより高密度な海洋観測網が展開された太平洋の赤道域以外では、客観解析結果の信頼性に大きな変化が見られないことが分かった。

 本研究で採用した品質管理と客観解析スキームを用いることで、海洋内部の歴史的変動を的確に再現できた例を以下に挙げる。今回の客観解析結果には、亜熱帯循環に沿って熱膨張効果による水位上昇が有意に存在していた。黒潮域では広範に海面下150m以浅の混合層の水温も上昇していたが、水位上昇の地理的分布の様相は混合層深度以深の水温上昇のそれと良く対応した。一方、Levitus et al.(2005)らの作成した解析データベースでは同様の傾向は見られなかった。彼らは矩形領域にある観測データを算術平均する方法を採用しているが、観測データに含まれる誤差を考慮しない点や解析対象とする海洋現象の時空間スケールを明確にしていない点が本解析方法との大きく異なっている。

 次に、1945年から2003年の期間の海面から700mまでの水温と塩分についての客観解析を行ない、地球温暖化に伴なう歴史的な海洋表層の水温と塩分変動について調べた。海面水位の変動の量的な評価には議論の余地が大いに残されており、ここでは、水温や塩分の変動によってもたらされる海面水位の変化に着目した。今回の水温の解析結果から見積もられた海水の熱膨張効果による全球平均水位の変動には、先行研究(Antonov et al. 2005)と同程度の大きさの、地球温暖化による上昇トレンドが認められた。一方、1993年以降の衛星観測データによる水位変化と比べると、水温変動から推定した水位の上昇はどの緯度帯でも小さく、特に、南半球側では3分の1程度と顕著であった。塩分変動による水位のトレンドは水温のものの1割程度と推定されるが、観測データが少ないため不確定量は大きい。潜在的には、塩分の水位変動への影響は高緯度側や閉鎖性海域で大きく、月々の水位変動への寄与も小さくはない。衛星観測との相違については、水温や塩分の観測データが乏しいことが理由の一つとして挙げられる。また、水位変化をもたらすもう一つの要因である降水や氷河の融解による海洋への淡水移入の効果を一緒に考慮した量的な議論が今後必要であると考える。

 海洋データ同化実験においては、気象庁の日々の天気予報に使用されている全球大気客観解析システムの出力から大気強制データを求めモデルを駆動し、水温、塩分、海面高度観測データを同化した。先行研究が指摘するとおりモデルの塩分は淡水フラックスに敏感に応答する。今回用いた淡水フラックスにより年平均塩分の地理的分布が受容できる程度に再現され、西部太平洋赤道域でのブイ観測による塩分データに見られる年々変動との対応が良いことが示された。また、熱フラックスを与えることで混合層水温の季節変化を現実的に再現できることが分かった。このような海面フラックスを用いてデータ同化を行ない、モデルを使用しない客観解析結果よりもデータ同化結果の方が、潮位や海面高度観測データとの対応が良いという結果を得た。この結果からデータ同化の優位性が示唆された。さらに、データ同化に使用する観測データの種類の組み合わせを変えた実験を行ない、使用する観測データを変えたことによるデータ同化結果の不確定量を評価した。塩分観測データが希少であることから力学モデルの塩分変動の検証は制限される。そこで、モデル塩分を気候値に緩和する実験と気候値や観測データへの拘束を全く行なわない実験を行ない、同化モデルにおける塩分の役割について調べた。この実験により、モデル塩分の取り扱いを変えたことで水温場の再現性にも無視できない影響がもたらされることが分かった。現状では、モデルの塩分が観測の気候値から乖離しないようにデータ同化を構成する必要があると考える。

 100年以上の期間に亘って整備されている船舶による海上気象観測データを用いて、海面水温と、海面気圧、海上における気温、露点、ベクトル風、スカラー風速、そして雲量の7要素について、最適内挿法と再構成解析手法による同一の手法で客観解析を行なった。この解析結果を元に、従来の研究で得られている海上気象データの特性を再検討した。特に、従来あまり注目されてなかった露点データについては、1960年以前の高温バイアスの存在とその除去方法を提示し、その客観解析結果には、海面水温や気温と同様の地球温暖化のシグナルが見られることを示した。また、戦前の観測データの希少さを大きく改善することで注目された神戸コレクション(Manabe 1999)と称される観測データベースを使用し、このデータベースが客観解析結果の誤差の低減に大きく寄与することを示した。

審査要旨 要旨を表示する

 気候変動のメカニズムを理解するためには、大気に比べて格段に熱容量が大きい海洋の長期変動(10〜100年規模以上)の実態を把握する必要がある。これまで海洋長期変動を解析するために提案されてきたデータベースは期間が20年程度と短く、中規模渦に代表される海洋の短期変動成分を十分に除去できていないために、海洋の長期変動の研究には適していなかった。本研究は、気象観測データに比べ粗であり、時間的・空間的に一様でない海洋観測データから、一様な格子点での水温、塩分、海上気象要素(熱、塩分の鉛直フラックス計算に必要な風速・気温・湿度など)の長期変動成分を合理的に推定できる手法を開発し、最近の10年から100年にわたる歴史的海洋観測データに適用し、長期変動解析に適したデータセットを提供したものである。

 論文は6章からなっている。第1章では、これまで提案されてきた単純な統計補間による解析データセットの問題点が指摘され、本研究の目的が述べられている。第2-3章では、新しく開発された解析方法が示され、最近50年の歴史的海洋データ、海上気象データに対して適用した結果が示される。第4章では、更に進んだ解析手法であるデータ同化手法を用いた実験の結果が示される。第5章では、最近100年における海面水温と海上気象要素の歴史データ解析結果が示されている。第6章では、全体のまとめの他に、本研究で得られた「海面水位の50年変化傾向」の有効性が示されている。

 本研究で新しく考案された解析法では、各格子点で計算される観測誤差、背景誤差の評価関数に用いる格子点間の共分散に、中規模渦スケール以上のフィルターをかけておくことにより、海洋でもっとも大きな短期変動要因である中規模渦が除去され長期変動の研究に有効なデータセットが誤差付きで提案された。また、過去のデータセットでは不十分であった観測状況に基づく入念なデータの品質管理をおこなったことにより、データの解析値が大きく改良された。海洋表層混合層の水温や塩分を推定する為に、海面水温や海面水位の観測値を解析に取り入れたことも提案された方法の特徴で、豊富な海面データを用いることにより、海洋の長期変動のシグナルをより精度よく取り出すことができる。これらの解析法によって得られたデータセットは、標準偏差のみでの品質管理と単純な補間により格子点の解析値を推定した従来のデータセットに比べ格段の優位性を持つことが、実例を挙げて示されている。

 さらに、観測データだけではなく数値モデルを併用した「データ同化」と呼ばれる、より高度な手法を用いた解析実験も行われた。この実験は、海洋モデルを駆動するための信頼性のある海面気象データの得られる近年15年間について行われた。信頼できる海面の運動量、熱のフラックス境界条件を課すことができる場合には、モデル固有のバイアスが減り、モデルを用いたデータ同化は、観測値のみを用いた解析より優位であることが示された。このデータ同化手法は、気象庁のエルニーニョ予報現業モデルの初期値を生成することに用いられている。

 また、戦前の日本周辺データとして最近デジタル化された神戸コレクションを含む100年以上の海上気象と海面水温の歴史的データが解析された。近年の比較的データの豊富な時期を選んで求めた変動モード(経験直交関数)を用いた「再構成解析法」を用いた結果得られるデータセットは、20世紀気候再現実験の境界条件として今後の気候変動研究に有効な材料である。

 これらの成果は、海洋における歴史的データセットの客観解析という、海洋・気候の長期変動研究に必須であるデータアーカイブ手法の、実証的な開発に大きく貢献するものであり、今後の気候変動予測研究の礎を与えるものである。このため、学位論文として十分な成果であると判断できる。

 なお、本論文における成果は、木本昌秀・可知美佐子・小司晶子・杉本悟史松本隆則・坂元賢治・岩崎伸一等との共著論文(4篇)として、印刷済み、あるいは、投稿予定であるが、論文提出者が主体となって研究を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。したがって、論文提出者に博士(理学)の学位を授与できると認める。

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