学位論文要旨



No 216545
著者(漢字) 大久保,純一
著者(英字)
著者(カナ) オオクボ,ジュンイチ
標題(和) 広重と浮世絵風景画
標題(洋)
報告番号 216545
報告番号 乙16545
学位授与日 2006.05.24
学位種別 論文博士
学位種類 博士(文学)
学位記番号 第16545号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 佐藤,康宏
 東京大学 教授 小佐野,重利
 東京大学 教授 長島,弘明
 秋田県立近代美術館 館長 河野,元昭
 学習院大学 教授 小林,忠
内容要旨 要旨を表示する

 本論は、広重を中心とした浮世絵風景画について、以下に示す二つの視点にもとづいて考察をすすめたものである。

 ひとつは、浮世絵風景画を、それを生み出し、あるいは需要した当時の人々の意識との関わりで理解しようとするものである。本来、錦絵などの浮世絵版画は、不特定多数の大衆を購買層として絵双紙屋の店頭で販売された商品であるが、従来の浮世絵研究は必ずしもこの点に十分留意してきたとは言い難い。浮世絵風景画を生み出し、また消費した当時の人々の意識を探るため、本論では、川柳、狂歌、戯作、日記、随筆などの文字資料を積極的に利用したが、それにより得られた、作品を生み出す背景に関する知見は、名所絵を画像史料として活用しようとする近年の歴史学にとっても、有用かつ不可欠なものになると考える。

 いまひとつは、広重を中心とした江戸末期の浮世絵風景画を、同時代の他の絵画領域との関係でとらえるものである。従来、浮世絵の造形面での研究は、おもに浮世絵内部での様式発展史や、個々の絵師の画風変遷でとらえられることが多く、時間を共有している他の絵画諸領域との影響関係が主たる関心事であったとは必ずしも言い難い。風景画に関しては、江戸系洋風画の発展史の延長に位置づける研究はあるが、新しい表現様式にきわめて敏感であった浮世絵師たちが、洋風画派の作品にのみ目を向けていたわけではないはずである。浮世絵風景画の造形性を同時代の他の絵画ジャンルの影響という観点で解析しようとする手法は、個々の風景画作品の成立要因に新たな視点を提供するだけではなく、江戸後期画壇のダイナミックな画風の交流をも解き明かす鍵になると考えられる。

 上記のような二つの視点にもとづいて考察した各章の要旨は、以下のとおりである。

序章「浮世絵風景画研究史と本論の視点」

 序章では、浮世絵風景画に関する総論的研究、浮絵、広重、の三点を中心に従来の研究史を概観し、その上で上述したような本論がとるべき研究視点について提示した。

第一章「浮絵の精神史」

 浮世絵風景画の発展を考える上で重要な「浮絵」を、透視図法の受容と咀嚼・吸収という発展史的文脈でとらえるのではなく、江戸後期の人々が浮絵に対して抱いていた仙界あるいは異界イメージに着目して読み解いた。鑑賞者と画面内の空間とを明確に隔てる初期浮絵の強固な枠の意識が、覗き機関に由来するところの、画面内に仙境あるいは異界を見る意識が反映したものであると考えた。そして、画中に仙境あるいは異界を覗き見る意識の減退が、浮絵が現実の名所空間を取り入れていく過程と表裏をなすことを指摘し、浮絵の枠の消滅あるいは変質が、浮世絵風景画の完成と不可分の関係であることを示した。

第二章「広重の名所絵の種本と空間構成」

 本章は、従来、情趣性ばかりが着目されてきた広重の風景画を、その空間構成の合理性から再検討しようとする論である。広重の名所絵の図様と、彼が種本として用いた名所図会や風景絵本の挿絵を詳細に比較した上で、彼が二点透視法をはじめとする高度な透視図法や空気遠近法を駆使して、元絵に用いた挿絵以上にリアリティーに富む画面空間をつくりあげる手腕を明らかにした。また、図会類の挿絵中の一点に新たに視座を仮構して、そこから風景をとらえなおすという高度な操作をおこなっていることも見出した。

 広重はこのような高度な空間構築によって、実見したことのない遠隔の地の風景を臨場感豊かに描き出そうと腐心しているが、そうした作画姿勢の背景に、江戸後期の旅行体験の深化がもたらした人々の風景に対する興味の高まりや、名所図会が大衆的な読み物として普及したことによる風景画に対する人々の眼の成熟などがあることを推測した。

第三章「広重に見る江戸名所絵の定型」

 広重の江戸名所絵においては、個々の名所ごとに同じ図様や視点が繰り返し用いられている。従来はこの点が濫作によるマンネリ化という文脈で理解されてきた。本章ではそうした通説に対して、江戸後期には江戸の町の発展と成熟を背景に、個々の名所ごとに人々の間で共有される景観イメージが定型化し、広重はそれを意識的に作品中に取り込もうとしたものであるという考えを、川柳、狂歌、洒落本など豊富な文字資料も用いて提示した。そして、いったん定型化し人々の間に共有された景観イメージが、現実の名所景観が変貌した後までも、名所絵の中に保持されている事実も明らかにした。広重の江戸名所絵が商品として成功した理由の一つが、名所の定型イメージを作品中に積極的に取り込み、当時の人々が名所絵に対して抱いていた期待に応えたことにあると考えたのである。

第四章「《名所江戸百景》考-大都市江戸の伝統へのまなざし-」

 広重晩年の大シリーズ《名所江戸百景》の全図を改印順に配列し、構図変化および取材地点の地域的分布と重ね合わせることで、全体の構想と制作意図が、『江戸名所図会』を強く意識したものであることを論証。さらに、代表的な江戸名所のいくつかを欠く一方で、非名所的な場所を描く図が散見されるなど、それ以前の江戸名所絵シリーズと比して、異色であることを指摘した。また、江戸の伝統神事や仏事、名所の由来などに関わる主題が散見されることを指摘し、それを都市として成熟した江戸に生きる人々の中で育まれた伝統意識との関連で解釈した。従来の江戸名所絵とは異なる名所選択や、江戸の伝統性を意識した主題などから、このシリーズが、たんに江戸土産として生み出されただけではなく、江戸という都市に生きる人々をも顧客層として企画されたものと位置づけた。

第五章「浮世絵風景画における四条派の影響」

 顕著な対角線構図や大胆な余白、あるいは画面内のモティーフ配置の偏在による均衡の否定など、四条派絵本に見られる構図が、広重や国芳の名所絵の構図法に大きな影響を与えていることを指摘。また、近像型構図を用いた四条派絵本の図様を作品の骨組みに取り入れた国芳作品を見出し、秋田蘭画など洋風画の影響で説明されてきた末期浮世絵の特異な構図法もまた、四条派絵本に由来するものと考えた。浮世絵風景画の上に四条派絵本の構図法の影響を見出しえたことは、透視図法などの洋風表現の咀嚼・吸収といった従来の単線的な浮世絵風景画発展史に対し、複線的な視点を提供するものである。

第六章「銅版画と浮世絵風景画」

 本章は、従来から浮世絵風景画発展の主要因のひとつとされてきた司馬江漢や亜欧堂田善らの銅版画の影響について、様式および主題の両面でより詳細な検討を加えた。とくに田善の作品に焦点を絞った議論を試みた。すなわち、これまで指摘されてきたような江漢の銅版画の影響よりも、時代的に近い田善の銅版画の方が、ハッチング密度の高い重厚な画風、あるいは風俗画的な人物重視の作画姿勢などの諸点において、北斎、広重、国芳らの名所絵により直接的な影響を及ぼしていることを、具体的な作例を提示して論証した。

 また旧来の浮絵的な視点に囚われていた江漢の江戸名所銅版画よりも、まったく斬新な視点で風景をとらえた田善の江戸名所銅版画のほうが、国芳や広重らの新しい名所絵を生み出す上で、より大きな刺激となったことも明らかにした。

第七章「『日本名山図会』と浮世絵の風景表現」

 本章は、広重らの名所絵の種本として、引用例が断片的に指摘されてきた谷文晁の『日本名山図会』について、より多くの具体例を見出した上で、図像のみならず、リアリティーある山岳描写という点でも、浮世絵の風景表現に少なからぬ影響を与えていることを明らかにした。『日本名山図会』が、風景画ではなく武者絵のほうにより直接的図像を提供しているという意外な現象を明らかにしたのだが、皴法など、山体の描写手法に関しては、浮世絵の風景表現を下支えしたものであることを浮かび上がらせた。

終章「まとめと課題」

 終章では、第一章から第七章までの内容を総括し、さらに本論で主要な考察対象とした錦絵の風景画以外の浮世絵諸ジャンル、たとえば美人画の背景や戯作の挿絵などについて、風景表現という観点から将来の考察対象としうる可能性を提示し、締めくくりとした。

審査要旨 要旨を表示する

 江戸時代後期の浮世絵師、歌川広重の版画を中心に、浮世絵における風景描写という主題を論じたものである。序章「浮世絵風景画研究史と本論の視点」は、研究史をきわめて明快に整理した上で、(1)浮世絵風景画を、それを生み出し受容した当時の人々の意識との関わりで理解する、(2)同時代の他の絵画領域との関係でとらえる、といういまだじゅうぶんに適用されていないふたつの視点を導き出している。以下の各章は、これらの視点を保持しつつ、平明で読みやすい文章によって具体例を分析し、序章の考察の姿勢を徹底しているといってよい。

 第一章「浮絵の精神史」は、線遠近法を強調して室内や風景を描写する浮絵に、しばしば〈枠〉が描かれているのに注目する。そして枠の存在は、浮絵の母胎である覗き機械が持っていた、箱の中の仙境を覗き込む行為が、浮絵そのものに対する意識として根強く残っていることを示すと解釈される。浮絵の意味と機能を考える議論であり、従来の浮絵研究に欠けていた重要な論点を持つといえよう。第二章「広重の名所絵の種本と空間構成」では、広重の取材源を明らかにした後に、透視図法的な空間の理解に関しては広重は北斎よりも巧みだったと考え得る、という意外で新鮮な、しかし説得力のある指摘がなされる。第三章「広重に見る江戸名所絵の定型」を踏まえて展開する第四章「《名所江戸百景》考」は、かつて浮世絵研究には用いられたことのない『東武日記』のような新しい史料も活用しながら、「名所江戸百景」の名所の選択のしかたや構成法などを分析し、このシリーズが江戸土産として制作されたのみならず江戸の住民をも鑑賞者として想定していたという仮説を、細かくすぐれた考証で示す。また、広重の風景画や花鳥画に四条派の絵画を思わせる特徴があるとは、かねてより漠然と考えられていたことではあったが、それを確かに実証するのが第五章「浮世絵風景画における四条派の影響」である。絵本というイメージを複製するメディアによって何が伝えられたのか、主として構図に関して詳細に明らかにされ、江戸後期の文化東漸の現象の一例としても非常に興味深い章となっている。第六章「銅版画と浮世絵風景画」では、亜欧堂田善が銅版画で描写した江戸名所図の特徴が、北斎、国芳、広重らの浮世絵に継承されていることを的確に論じる。

 さらに望むならば、終章「まとめと課題」は要約に終わらず、そこにおいて全七章の論点を総合した総論が書かれてもよかったろうが、全体として見れば他日を期してもよい些細な瑕疵ということになろう。各章の中でいくつもの重要な指摘がされ、広重と浮世絵風景画に関する研究を大きく前進させた本論文が、博士学位論文にふさわしい高い質を持つことは、何の留保もなく審査委員会が認めるところである。

UTokyo Repositoryリンク