学位論文要旨



No 216549
著者(漢字) 張,喜英
著者(英字) Zhang,Xiying
著者(カナ) チャン,シイイン
標題(和) 中国太行山麓華北平原での作物栽培における水利用効率の向上に関する研究
標題(洋) Studies on improvement of water use efficiency in crop production in the piedmont of Mt. Taihang in the North China Plain
報告番号 216549
報告番号 乙16549
学位授与日 2006.06.12
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第16549号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 森田,茂紀
 東京大学 教授 小林,和彦
 東京大学 助教授 山岸,徹
 東京大学 助教授 山岸,順子
 東京大学 助教授 米川,智司
内容要旨 要旨を表示する

 中国華北省の太行山の麓には土壌肥沃度が高い平原地帯が広がり、古くから農業が盛んである。この地域では、コムギ(Triticum aestivum L.)とトウモロコシ(Zea mays L.)が栽培されることが多い。これらの作物を栽培するためには800mm以上の水消費があるが、年平均降水量は約500mmしかない。そのため、これらの作物を栽培するために灌漑が不可欠となり、主として地下水が灌漑に利用されている。しかし、地下水の利用が急速に進んだため、1950年代には土壌表面からの約5mの深さであった地下水位が約30mまで低下し、最近も年間約1.0〜1.5mの割合で低下を続けている。このような過剰な地下水利用は、この地域の農業の持続可能な発展を脅かしている。

 そこで、本研究においては、華北平原の中央に位置しているルエチン農業試験場(中国科学院農業現代化研究所所属)において、異なるレベルのフィールド実験とポット実験とを組み合わせて、コムギとトウモロコシの二毛作における水利用効率を向上させるための研究を行った。研究を進めるにあたり、(1)土壌表面からの水分蒸発を減少させる、(2)効率的な水の利用のための根系管理を行う、(3)最適の灌漑計画を計画する、という3つの視点から検討を進めた。

1.土壌表面からの水分蒸発の削減

 コムギとトウモロコシを灌漑栽培した場合の蒸発散量を、大型ライシメーターを使用して1995〜2000年の5年間に渡って測定した。また、土壌面から蒸発量は、小型ライシメーターを用いて1年間測定した。その結果、水分不足を起こさないでコムギとトウモロコシを栽培するには、それぞれ453mmと423mmの蒸発散量が必要であることが明らかとなった。また、生長期間を通しての平均の作物係数は、トウモロコシで1.1、コムギで0.93であった。蒸発散量全体に対する土壌表面からの蒸発量の割合は、コムギで29.7%、トウモロコシで30.3%を占めていた。蒸発散の総量に対する蒸発量の比率には、葉面積指数および表層における土壌水分含量が大きな影響を与えることが確認できた。

 土壌表面からの蒸発量を削減する方法としては、ワラマルチと土壌表層の耕起が考えられる。そこで、ワラマルチについて検討した結果、現在の収量レベルを維持したまま、生育期間の水分利用効率を10%増加させることができることが明らかとなった。これを灌漑に換算すれば40mmの節水ができることを意味している。また、土壌表面を耕起することで、土壌表面からの蒸発を約20mmを減少させることができることも明らかとなった。したがって、マルチと土壌表層の耕起を組み合わせて実施することでかなりの節水ができる。

2.効率的水利用のための根系管理

 フィールドにおける根系調査を行った結果、コムギおよびトウモロコシが大型の根系を持つことが明らかとなった。コムギの根系の到達深度は約2.0mであり、トウモロコシでは約1.2mであり、両者の根域の深さは、相互補完的であると考えられる。ただし、根量の大部分は土壌表層の40cmに集中しており、60cm以下の土層における根長密度は1.0 cm cm(-3)未満であることが多い。このような場合は、土壌深層に根が少ないために土壌水分を十分に利用できないことになり、土壌深層において根系が発達していないことは、土壌水分を有効に利用することを制限する主要な要因となる。

 そこで、深耕して硬盤層を破壊したところ、根系の生育を改善して土壌深層まで根を分布させることができた。また、灌漑する水量および回数も、土壌中における根系分布に影響を与える。多量の灌水を行うことは、土壌深層まで根の到達させることに役立つ。施肥も根の生長に影響を及ぼす。コムギを使ったポット実験の結果から、窒素とリンが不足している場合は根の生長が促進され、茎葉部に対する根系の比率が低下することが明らかとなった。また、カリウムが不足した場合は、作物の生育反応を規定するのは土壌中の陽イオンであることが分かった。さらに、作物を条栽培する場合は、条間の根長密度は条より小さい。そこで、散播して土壌表層における根の分布を均一化し、しかも根長密度を増加させることで根による吸水を増加させ、土壌表面からの蒸発を減少することができることが確認できた。

3.灌漑計画の最適化

 限られた灌漑用水を効率的に利用して最大の収量と最高の品質を得るためには、灌漑計画を最適化することが不可欠である。この点について検討した結果、水利用効率を改善して収量を向上させるためには、灌漑のタイミングが重要であることが明らかとなった。すなわち、コムギを使ったポット実験の結果、回復期に中程度の水ストレスがかかったり、登熟期に軽度な水ストレスがかかると、収量が増加した。一方、節間伸長期から開花期までの間に水ストレスがかかると収量が減少するが、粒重がわずかに増加した。また、節間伸長期と穂ばらみ期に中程度あるいは重度の水ストレスがかかると、小穂数と小穂当たりの粒数が著しく減少した。フィールド実験の結果では、回復期と登熟後期における灌漑を省略すると収量が向上するとともに、水利用効率も上昇することが明らかとなった。

 灌漑計画について比較検討を行ったところ、節間伸長期と、穂ばらみ期から開花期までとの2回、灌漑を行った場合に収量が最大となった。節間伸長期、穂ばらみ期および登熟期は最も重要な灌漑時期であり、灌漑を3回行うとすれば、これらの生育時期が適切であった。この地域においては通常、4回の灌漑が行われているが、3回あるいは2回まで減らす灌漑計画が可能である。灌漑用水量に基づいたモデルを利用してコムギ栽培で利益が最大となる灌漑用水量は、収量が最大となる用水量より少ないことが明らかとなった。したがって、農民は最大利益を得るため、経済効果が大きい灌漑計画を採用すべきだと考えられる。

4.作物水状況の指標

 灌漑のタイミングを決める主な指標としては、土壌水分含量と植物の生育状況がある。フィールド実験の結果から、灌漑指標としての土壌水分量は作物の生育段階によって異なることが明らかとなった。また、正午の気温と葉温との差が土壌水分条件と密接に関係していることが分かった。コムギを栽培した場合の深さ1mまでの土壌断面における土壌水分が圃場容水量の60%である場合、対応する温度差はマイナスからプラスまでの範囲で変動する。水ストレスがない場合、温度差と大気水蒸気圧差(vapor pressure difference VPD)の間には負の相関関係が認められる。作物水ストレス係数(crop water stress index CWSI)を計算するため、水ストレスがない場合の温度差を計算するための関係式を求めた。穀物収穫量と平均CWSIの関係は非線形であり、CWSIが減少すると収量は増加する。CWSIが約0.1〜0.2のときにコムギの収量は最大であった。したがって、平均のCWSIの値が0.1〜0.2となるように灌漑を行う必要である。

 葉の水ポテンシャル(Leaf Water Potential LWP)は葉位によって異なるし、日変化を示す。夜明け前のLWPは気象の影響を受けにくいため、作物の水状態の指標として有効である。早朝に土壌含水が圃場容水量の60%まで減少すると、対応するLWPは0.3〜0.4MPaまで低下する。LWPおよび温度差は、灌漑計画の指標として有効と考えられる。また、夜明け前の葉の水ポテンシャルは土壌の水ポテンシャルとほぼ平衡となるため、作物の水分状態の指標となる。

 以上のように、土壌蒸発を減少するためのワラマルチ、土壌深層の水分を効率的に吸収するための根域の改善、効果的な灌漑計画による灌漑回数の削減によって、作物の水分利用効率を改善できることが明らかとなった。また、この3つの方法を組み合わせれば、トウモロコシとコムギの二毛作における灌漑用水を節約することが可能となる。雨期にトウモロコシを栽培する場合にワラマルチをすれば、そこで節約できた水分が、コムギの播種前に土壌中に確保できる。また、コムギの根系によって土壌深層に残った水分を効率的に利用することができれば、灌漑水への依存を改善し、最適化された灌漑計画を効果的に適用することができる。これらの方法を広く採用すれば水利用効率を10%上昇させることができるが、これは60-120mmの節水に相当し、この地域における地下水資源の持続可能な利用が可能となることが期待できる。

審査要旨 要旨を表示する

 中国河北省の太行山麓の平原地帯では、コムギとトウモロコシが栽培されることが多い。この二毛作には800 mm以上の水が必要であるが、年間降水量は約500 mmしかないため、地下水を利用した灌漑が行われている。大量の灌漑用水の利用によって地下水位が低下を続けており、持続可能な発展を脅かしている。そこで本研究では、コムギとトウモロコシの二毛作における水利用効率を向上させるための研究を行った。

1.土壌表面からの水分蒸発の削減

 ライシメーターを用いて蒸発散量を測定した結果、コムギとトウモロコシを栽培するには、いずれも450 mm程度の蒸発散量が必要であった。また、生長期間中の平均作物係数は、いずれも約1であった。蒸発散量に占める蒸発量の割合は両作物で30%程度であったが、これには、葉面積指数と土壌表層の水分含量が大きな影響を与えた。

 土壌表面からの蒸発量を削減する方法として、ワラマルチと土壌表層の耕起を検討した。ワラマルチでは現在の収量レベルを維持しながら、水分利用効率を10%増加させることができた。これは灌漑なら40 mmの節水にあたる。また、土壌表層の耕起は、土壌表面からの蒸発を約20 mmを減少させた。

2.効率的水利用のための根系管理

 フィールドでの根系調査で、コムギとトウモロコシの根系は大型であった。到達深度はそれぞれ約2.0 mと約1.2 mで、両者の根域は相互補完的と考えられる。ただし、根量の大部分は土壌表層に集中しており、土壌深層で根系が発達していないことは、土壌水分の有効利用を制限することになる。

 深耕して硬盤層を破壊したところ、土壌深層まで根を分布させることができた。また、多量の灌水を行うと、土壌深層まで根が達する。窒素とリンが不足すると根の生長が促進され、茎葉部に対する根系の比率が低下した。カリウムが不足すると、作物の生育反応を規定するのは土壌中の陽イオンであった。条播を散播にすると土壌表層における根の分布を均一化し、しかも根長密度が増加して吸水が増え、土壌表面からの蒸発が減少した。

3.灌漑計画の最適化

 灌漑計画の最適化について検討した結果、水利用効率を改善して収量を向上させるためには、灌漑のタイミングが重要であった。回復期や登熟期に軽度な水ストレスがかかると、収量が増加した。節間伸長期から開花期に水ストレスがかかると収量が減少するが、粒重がわずかに増加した。節間伸長期と穂ばらみ期に中程度か強度の水ストレスがかかると、小穂数と小穂当たりの粒数が著しく減少した。回復期と登熟後期の灌漑をやめると収量が向上し、水利用効率も上昇した。

 節間伸長期と、穂ばらみ期から開花期の2回、灌漑を行った場合に収量が最大となった。3回灌漑できれば、節間伸長期、穂ばらみ期、登熟期が最も重要である。ここでは通常、4回の灌漑が行われているが、3回か2回まで減らせる。コムギ栽培で利益が最大となる灌漑用水量は、収量が最大の場合より少なかった。

4.作物水状況の指標

 灌漑時期の指標として土壌水分含量と植物の生育状況があるが、土壌水分含量は作物の生育段階によって異なり、正午の気温と葉温との差が土壌水分条件と密接に関係していた。水ストレスがない場合の温度差を計算する関係式を求め、作物水ストレス係数(CWSI)を計算した。CWSI の平均値が0.1〜0.2となるように灌漑を行う必要である。

 葉の水ポテンシャル(LWP)は葉位によって異なるし、日変化を示す。夜明け前のLWPは気象の影響を受けにくいため、作物の水状態の指標として有効である。LWPおよび温度差は、灌漑計画の指標として有効と考えられる。

 以上、土壌蒸発を減少するためのワラマルチ、土壌深層の水分を効率的に吸収するための根域の改善、効果的な灌漑計画による灌漑回数の削減によって、作物の水分利用効率を改善できることが明らかとなった。この3つを組み合わせれば、トウモロコシとコムギの二毛作における灌漑用水を節約することができる。雨期にトウモロコシを栽培する場合にワラマルチをすれば、そこで節約できた水分が、コムギの播種前に土壌中に確保できる。また、コムギの根系によって土壌深層に残った水分を効率的に利用することができれば、灌漑水への依存を改善し、最適化された灌漑計画を効果的に適用できる。これらの方法を広く採用すれば水利用効率を10%上昇させることができるが、これは60-120 mmの節水に相当し、この地域における地下水資源の持続可能な利用が可能となることが期待できる。これらの知見は学術上また応用上、きわめて価値が高い。よって審査委員一同は本論文が博士(農学)に値するものと認めた。

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