学位論文要旨



No 216550
著者(漢字) 侯,徳興
著者(英字) Hou, De-Xing
著者(カナ) コウ,ノリオキ
標題(和) アントシアンの癌化学予防作用の分子機構に関する研究
標題(洋) Molecular characterization of cancer chemopreventive effects of anthocyans
報告番号 216550
報告番号 乙16550
学位授与日 2006.06.14
学位種別 論文博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 第16550号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 松木,則夫
 東京大学 教授 長野,哲雄
 東京大学 教授 入村,達郎
 東京大学 助教授 紺谷,圏二
 東京大学 助教授 東,伸昭
内容要旨 要旨を表示する

 アントシアン(anthocyan、花青素)は、フラボノイド系色素の一種で、花や果実における赤、青および紫などの多様な色調を発現する一群の化合物であり、自然界に広く分布している植物色素である。アントシアンはアントシアニジン(anthocyanidin)とアントシアニン(anthocyanin)の総称名であり、結合糖がはずれたアグリコン(aglycon)をアントシアニジン、その配糖体をアントシアニンと呼ぶ。

 アントシアンの癌予防機能性については、早期の疫学調査の結果によると、ストローベリー大量摂取の高齢集団が、そうしなかった集団に較べて、癌発生のオッズヒは、0.3であった。また、有色の果物や野菜の摂取とヒト乳癌や大腸ポリプの発生の低減、アントシアンの豊富な食品の摂取と冠状動脈性心臓病のリスク低減という相関結果が報告されている。最近、アントシアンの癌細胞増殖抑制作用とモデル動物の二階段発癌抑制作用も報告されている。代謝実験ではアントシアンは経口投与後、配糖体の形で吸収され、血中に移行することも報告されている。したがって、アントシアンが生体に吸収されて生体調節機能を果たす可能性が示唆されている。しかし、その機能性に関するする細胞および分子レベルでの解析はあまりなされていない。

 一方、発癌は多段階を経て起こるが、基本的には、変異原物質や発癌物質によるイニシエーション過程とプロモーターによる損傷細胞の癌化プロモーション過程を経て前癌細胞になる。さらに前癌細胞がプログレーションによって癌に至る。その過程に多くの分子イベントやメディエーターが関与していることと考えられている。

 そこで、本研究は、多段階発癌に深く関与する細胞形質転換、炎症およびアポトーシス等についてアントシアンの作用およびその分子機構を細胞および分子レベルで解析した。

1. アントシアンの細胞形質転換の抑制作用およびその分子機構の解析

 細胞形質転換解析のモデル系として知られるマウス新生児上皮細胞(JB6)は、発癌プロモーター(TPA等)による細胞増殖に関する細胞内シグナル伝達系(MAPK)や癌原遺伝子(AP-1等)が活性化され、細胞形質転換を引き起こす。そこで、アントシアンによる細胞形質転換の抑制作用の有無およびその分子機構を検討した。まず、数種類のアントシアニンを用いて細胞形質転換の抑制作用を調べた。その結果、抑制作用はアントシアニジンの構造と深く関与することが示唆された。次に、主要な6種類のアントシアニジンを用いて構造と活性の関連を検討した。Delphinidin,cyanidinおよびpetunidinのようなB環に2つ以上の水酸基を持つアントシアニジンは、細胞形質転換およびAP-1転写活性を著しく抑制した。一方、Pelargonidin,peonidinおよびmalvidinは、そのような構造を持たず、抑制作用を示さなかった。さらに、最も強い抑制作用を示したdelphinidinを用いてその抑制作用の分子機構を細胞内シグナル伝達系および転写制御の方面から解析した。Delphinidinが、MAPキナーゼであるERKおよびJNKのリン酸化を特異的に阻害したが、p38のリン酸化を阻害しなかった。その上流のMAPKキナーゼへの阻害作用も同様な結果が得られた。しかし、細胞形質転換抑制作用を示さなかったpeonidinはMAPキナーゼに対する阻害作用が認められなかった。以上の結果から、delphinidinが、細胞内シグナル伝達系p38の経路を介せずにERKおよびJNKの経路を介してAP-1の転写活性を阻害し、TPA誘発性細胞形質転換を抑制することが明らかとなった。

2. アントシアンのシクロオキシゲナーゼ-2の抑制作用およびその制御機構の解析

 シクロオキシゲナーゼ(cyclooxygenase,COX)は、アラキドン酸からプロスタグランジン類の合成を触媒する律速酵素であり、二つのアイソフォームが存在する。COX-1は胃粘膜、腸、腎臓および血小板など多くの組織に常に存在し、主として生体の恒常性維持機構にはたらくプロスタグランジンを産生する。COX-2は主として炎症部位で誘導された炎症性サイトカインやリポ多糖体(lipopolysaccharide,LPS)などに反応して、炎症や癌などに関わるプロスタグランジンを産生する。

 本研究は、マウスマクロファージRAW264細胞を用いてアントシアンのLPS誘発性COX-2発現の抑制作用およびその分子機構を解析した。まず、ビルベリーから抽出したアントシアンを用いて検討した結果、アントシアンは、COX-2たんぱく質の発現に抑制作用を示した。次に、主要な5種類のアントシアニジンを用いて構造と活性の関連を検討した。DelphinidinおよびcyanidinのようなB環に2つ以上の水酸基を持つアントシアニジンは、COX-2たんぱく質の発現を著しく抑制した。しかし、Pelargonidin,peonidinおよびmalvidinは、そのような構造を持たずにCOX-2タンパク質の発現に対する抑制作用を示さなかった。さらに、最も強い抑制作用を示したdelphinidinを用いてその抑制作用の分子機構を転写因子およびMAPキナーゼシグナル伝達系から解析した。Delphinidinは、COX-2を制御する転写因子においてIκBの分解、c-Junのリン酸化、p65およびC/EBPδの核内移行をそれぞれ抑制したが、CREBのリン酸化やC/EBPβの核内移行は抑制しなかった。また、delphinidinはLPS誘発性MAPK(ERK,JNKおよびp38)のリン酸化を濃度依存的に抑制した。MAPKインヒビターを用いてCOX-2の阻害特異性を調べた結果、SP600125、SB203580およびU0126はすべてCOX-2たんぱく質の発現を特異的に抑制した。以上の結果より、delphinidinはMAPKのシグナル伝達系を介して転写因子NF-κB、C/EBPδおよびAP-1の活性化を抑制することによって、COX-2の発現を制御していることが示唆された。

3.アントシアンの癌細胞アポトーシス誘導作用およびその分子機構の解析

 ヒト急性前骨髄性白血病細胞(HL-60)を用いてアントシアンのアポトーシス誘導作用を検討した。まず、主要な6種類のアントシアニジンを用いて構造と活性の関連を検討した。Delphinidin、cyanidinおよびpetunidinのようなB環に2つ以上の水酸基を持つアントシアニジンは、HL-60細胞のアポトーシスを顕著に誘導した。一方、Pelargonidin,peonidinおよびmalvidinは、そのような構造を持たず、誘導作用を示さなかった。さらに、最も強い誘導作用を示したdelphinidinおよびその配糖体Dp3-Samを用いてその誘導作用の分子機構を解析した。活性をもつアントシアンは、濃度および時間的にHL-60細胞に活性酸素を産生させ、ストレスシグナル伝達経路のJNKリン酸化およびc-Junの発現を誘導した。その結果、ミトコンドリアの膜電位低減、シトクロムcの放出およびBidのトランケーションを引き起こすことによって、アポトーシス実行系であるタンパク質分解酵素カスパーゼが活性化され、DNA断片化が誘導された。一方、抗酸化剤NACやカタラーゼはアントシアンによる活性酸素の産生、JNKのリン酸化、カスパーゼの活性化およびDNAの断片化などを全て抑制した。これらの結果、誘導活性をもつアントシアンが活性酸素-JNK経路を介したミトコンドリアの機能障害によってHL-60細胞のアポトーシスを誘導することが明らかとなった。

まとめ

 第1章は、アントシアンの化学性質、食品資源、癌予防の疫学調査および生物活性の研究現状と、化学発癌の過程・機構および植物化合物による癌化学予防の研究概況について文献総説を行った。第2章は、マウス新生児上皮細胞(JB6)においてはアントシアンが細胞形質転の換抑制作用を示した。第3章では、マクロファージにおけるLPS誘発性COX-2の発現に対するアントシアンが抑制作用を示した。第4章では、ヒト急性前骨髄性白血病細胞においてアントシアンがアポトーシスの誘導を引き起こした。これらの作用はアントシアニジンのB環水酸基の数と深く関与し、少なくとも2つ以上の水酸基が必要であることが明らかとなった。さらに、分子機構を解析した結果、これらの作用は活性酸素および細胞シグナル伝達系MAPKを介した転写因子AP-1、NF-κBやC/EBPδの制御と深く関わっていた。第5章では、以上の結果を総合的に論じ、アントシアンは発癌の多段階においてこれらのメディエーターをターゲットとし、癌化学予防作用を果たしていると考えられた。

 本研究は、アントシアンの癌化学予防作用において初めての分子エビデンスであり、その作用機構を理解する上で重要な発見である。

審査要旨 要旨を表示する

 アントシアン(anthocyan、花青素)は、フラボノイド系色素の一種で、花や果実における赤、青および紫などの多様な色調を発現する一群の化合物であり、自然界に広く分布している植物色素である。アントシアンはアントシアニジン(anthocyanidin)とアントシアニン(anthocyanin)の総称名であり、結合糖がはずれたアグリコン(aglycon)をアントシアニジン、その配糖体をアントシアニンと呼ぶ。アントシアンの癌予防効果については、疫学調査や動物実験などにより示唆されているが、細胞および分子レベルでの解析はほとんどなされていない。代謝実験ではアントシアンが経口投与後、配糖体の形で吸収され、血中に移行することが報告されており、アントシアンが吸収されて生体調節機能を果たすことが予想される。

 一方、発癌は多段階を経て起こるが、基本的には、変異原物質や発癌物質によるイニシエーション過程とプロモーターによる損傷細胞の癌化プロモーション過程を経て前癌細胞になる。さらに前癌細胞がプログレッションによって癌に至る。その過程に多くの分子イベントやメディエーターが関与していることと考えられている。本研究は、多段階発癌に深く関与する細胞形質転換、炎症およびアポトーシス等についてアントシアンの作用およびその分子機構を解析した。

1. アントシアンの細胞形質転換の抑制作用およびその分子機構の解析

 細胞形質転換解析のモデル系として知られるマウス新生児上皮細胞(JB6)は、発癌プロモーター(TPA等)による細胞増殖に関する細胞内シグナル伝達系(MAPK)や癌原遺伝子(AP-1等)が活性化され、細胞形質転換を引き起こす。数種類のアントシアニンに細胞形質転換抑制作用があることを確認し、その抑制作用にはアントシアニジンの構造が深く関与することを示唆した。次に、主要な6種類のアントシアニジンを用いて構造と活性の関連を検討した。Delphinidin,cyanidinおよびpetunidinのようなB環に2つ以上の水酸基を持つアントシアニジンは、細胞形質転換およびAP-1転写活性を著しく抑制した。一方、pelargonidin,peonidinおよびmalvidinは、そのような構造を持たず、抑制作用を示さなかった。さらに、最も強い抑制作用を示したdelphinidinを用いてその抑制作用の分子機構を細胞内シグナル伝達系および転写制御の方面から解析した。Delphinidinが、MAPキナーゼであるERKおよびJNKのリン酸化を特異的に阻害したが、p38のリン酸化を阻害しなかった。その上流のMAPKキナーゼへの阻害作用も同様な結果が得られた。しかし、細胞形質転換抑制作用を示さなかったpeonidinはMAPキナーゼに対する阻害作用が認められなかった。以上の結果から、delphinidinが、細胞内シグナル伝達系p38の経路を介せずにERKおよびJNKの経路を介してAP-1の転写活性を阻害し、TPA誘発性細胞形質転換を抑制することが明らかとなった。

2. アントシアンのシクロオキシゲナーゼ-2の抑制作用およびその制御機構の解析

 シクロオキシゲナーゼ(cyclooxygenase,COX)は、アラキドン酸からプロスタグランジン類の合成を触媒する律速酵素であり、二つのアイソフォームが存在する。COX-1は胃粘膜、腸、腎臓および血小板など多くの組織に常に存在し、主として生体の恒常性維持機構にはたらくプロスタグランジンを産生する。COX-2は主として炎症部位で誘導された炎症性サイトカインやリポ多糖体(lipopolysaccharide,LPS)などに反応して、炎症や癌などに関わるプロスタグランジンを産生する。

 本研究は、マウスマクロファージRAW264細胞を用いてアントシアンのLPS誘発性COX-2発現の抑制作用およびその分子機構を解析した。アントシアンは、COX-2たんぱく質の発現を抑制した。次に、主要な5種類のアントシアニジンを用いて構造と活性の関連を検討した。DelphinidinおよびcyanidinのようなB環に2つ以上の水酸基を持つアントシアニジンは、COX-2たんぱく質の発現を著しく抑制した。しかし、pelargonidin,peonidinおよびmalvidinは、そのような構造を持たずにCOX-2タンパク質の発現に対する抑制作用を示さなかった。さらに、最も強い抑制作用を示したdelphinidinを用いてその抑制作用の分子機構を転写因子およびMAPキナーゼシグナル伝達系から解析した。Delphinidinは、COX-2を制御する転写因子においてIκBの分解、c-Junのリン酸化、p65およびC/EBPδの核内移行をそれぞれ抑制したが、CREBのリン酸化やC/EBPβの核内移行は抑制しなかった。また、delphinidinはLPS誘発性MAPK(ERK,JNKおよびp38)のリン酸化を濃度依存的に抑制した。MAPKインヒビターを用いてCOX-2の阻害特異性を調べた結果、U0126、SP600125およびSB203580はすべてCOX-2たんぱく質の発現を特異的に抑制した。以上の結果より、delphinidinはMAPKのシグナル伝達系を介して転写因子NF-κB、C/EBPδおよびAP-1の活性化を抑制することによって、COX-2の発現を制御していることが示唆された。

3. アントシアンの癌細胞アポトーシス誘導作用およびその分子機構の解析

 ヒト急性前骨髄性白血病細胞(HL-60)を用いてアントシアンのアポトーシス誘導作用を検討した。まず、主要な6種類のアントシアニジンを用いて構造と活性の関連を検討した。Delphinidin、cyanidinおよびpetunidinのようなB環に2つ以上の水酸基を持つアントシアニジンは、HL-60細胞のアポトーシスを顕著に誘導した。一方、pelargonidin,peonidinおよびmalvidinは、そのような構造を持たず、誘導作用を示さなかった。さらに、最も強い誘導作用を示したdelphinidinおよびその配糖体delphinidin 3-sambubiosideを用いてその誘導作用の分子機構を解析した。活性をもつアントシアンは、濃度および時間的にHL-60細胞に活性酸素を産生させ、ストレスシグナル伝達経路のJNKリン酸化およびc-Junの発現を誘導した。その結果、ミトコンドリアの膜電位低減、シトクロムcの放出およびBidのトランケーションを引き起こすことによって、アポトーシス実行系であるタンパク質分解酵素カスパーゼが活性化され、DNA断片化が誘導された。一方、抗酸化剤NACやカタラーゼはアントシアンによる活性酸素の産生、JNKのリン酸化、カスパーゼの活性化およびDNAの断片化などをすべて抑制した。これらの結果により、誘導活性をもつアントシアンが活性酸素-JNK経路を介したミトコンドリアの機能障害によってHL-60細胞のアポトーシスを誘導することが明らかとなった。

 本研究において、アントシアンが細胞形質転換抑制作用、LPS誘発性COX-2の発現抑制作用およびヒト急性前骨髄性白血病細胞のアポトーシス誘導作用があることを明らかにした。さらに、これらの作用発現にはアントシアニジンのB環水酸基の数が少なくとも2つ以上必要であることを示した。さらに、分子機構として、活性酸素および細胞シグナル伝達系MAPKを介した転写因子AP-1、NF-κBやC/EBPδの制御と深く関わっていることを示唆した。以上のように、アントシアンの癌化学予防作用を細胞・分子レベルで初めて明らかにした研究であり、博士(薬学)の授与に値するものと判断した。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/38183