学位論文要旨



No 216551
著者(漢字) 浜本,洋
著者(英字)
著者(カナ) ハマモト,ヒロシ
標題(和) カイコ幼虫を用いた抗生物質の定量的な治療効果の評価に関する研究
標題(洋)
報告番号 216551
報告番号 乙16551
学位授与日 2006.06.14
学位種別 論文博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 第16551号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 関水,和久
 東京大学 教授 入村,達郎
 東京大学 助教授 折原,裕
 東京大学 助教授 楠原,洋之
 東京大学 助教授 伊藤,晃成
内容要旨 要旨を表示する

 メシチリン耐性黄色ブドウ球菌(MRSA)に代表される耐性菌が出現し、それらによって引き起こされる院内感染は社会問題となっている。さらに、近年、毒性の高い市中感染型MRSAの存在が明らかとなり、脅威となっている。そのMRSAに対する抗生物質の切り札として、バンコマイシンが用いられているが、最近バンコマイシンに対し高度耐性を示す黄色ブドウ球菌の出現が報告された。従って、新規抗生物質の開発は、非常に重要かつ喫緊の課題となっている。一般に抗生物質の開発に当たっては、まず試験管内における抗菌活性を指標としたスクリーニングが行われる。そこで見出された抗菌物質で有望な物は、マウス等の哺乳動物を用いた感染症モデルで治療効果があるか否か検討される。試験管内での試験で抗菌活性を示す検体数は膨大となるため、哺乳動物を用いた感染実験はコストがかかる。さらに、近年ヨーロッパを中心として、倫理的な観点から哺乳類を用いた動物実験に対して法律による規制が行われており、世界的な流れとなり始めている。これらの問題を解決するために、哺乳類以外で、飼育コストが低く、簡便に治療効果を検討できる系の確立は有用であると考えられる。私は、哺乳類以外の感染実験が可能な動物として、カイコ幼虫に着目した。昆虫には哺乳類の薬物代謝、薬物動態に関わる臓器である肝臓・腎臓・腸に相当する器官として、脂肪体・マルピーギ管・中腸が存在する。さらに昆虫には哺乳動物と同様にCYP450や、抱合酵素などの薬物代謝酵素が存在することが知られている。しかも、カイコ幼虫は実験者に対して攻撃性を示すことがなく、また飼育容器から逃走することはない。また、カイコ幼虫の一個体あたりの飼育に要する単価はマウスに比べ低く、体重がマウスの10分の1と小さいため、アッセイに必要な薬剤量も少なくてすむ。従って、カイコ幼虫は飼育コストが非常に安く、大量の候補化合物の治療効果のアッセイを行う実験動物として非常に有用であると考えられる。そこで、私はこのカイコ幼虫を用いた抗生物質の定量的な評価が可能ではないかと考え研究に着手した。

病原性細菌に感染したカイコ幼虫における抗生物質の治療効果の評価

 黄色ブドウ球菌あるいはS.maltophiliaによるカイコ幼虫の感染死に対する、ヒト臨床で有効とされている抗生物質の治療効果の有無を検討した。それぞれの抗生物質を、各細菌に感染させたカイコ幼虫に、種々の用量の薬剤を投与し、2日後のカイコ幼虫の生存率を求めたところ、すべての薬剤について、用量の増加に伴った生存率の上昇が見られ、その生存曲線からED(50)値を定量的に求めることができた(Fig.1)。その結果、カイコ幼虫における抗生物質のED(50)値は、マウスで報告されている値とおよその一致を示した(TABLE 1)。また、ヒトの臨床にける日和見感染症の原因菌であるカンジダなどの真菌に対しても、カイコ幼虫は感受性を示し、さらに抗真菌剤によって治療効果された。そのED(50)/MIC比はマウスで報告された値とおよその一致を示した。これらの結果から、カイコ幼虫を用いて抗生物質、及び抗真菌剤の治療効果を評価できることがわかった。

カイコ幼虫の感染モデル系における抗生物質の経口投与による治療効果の有無

 ヒト臨床においてカナマイシン(KM)やバンコマイシン(VM)は、敗血症の治療に対して経口投与では無効である。次に、カイコ幼虫での黄色ブドウ球菌感染モデル系におけるこれらの抗生物質の経口投与による治療効果について、ヒト臨床との対応の有無を検討した。黄色ブドウ球菌に感染させたカイコ幼虫の腸管内に抗生物質を投与し2日後のカイコ幼虫の生存率を求めた(TABLE 2)。クロラムフェニコール(CP)及びテトラサイクリン(TC)では腸管投与(i.m.)においては治療効果が見いだされたが、KM及びVMでは腸管内注射でも、餌に混ぜて経口投与(p.o.)した場合でも700μg以上で治療効果が見られなかった。また、生きたカイコ幼虫の腸管内に投与後、血中濃度上昇の有無を検討したところ、CPは投与後速やかに血中濃度が上昇後、薬物濃度が維持されたのに対し、VMの場合は血中濃度の上昇は起こらなかった。さらに、CP及びTCは試験管内の摘出腸管において高い透過性を示したが、VM及びKMはほとんど透過性を示さなかった。以上の結果は、カイコ幼虫の感染モデル系においてVM及びKMが経口投与で治療無効であるのは、腸管吸収性が低いためであることを示しており、哺乳動物の結果と一致する。

カイコ幼虫腸管における抗生物質の透過速度に与える油水分配係数の影響

 VMやKMがカイコ幼虫の腸管を透過しないのは、それらの抗生物質の親水性が高く、分子量が大きいからであると考えられる。このことを検証するため、特異的なトランスポーターを介さない非特異的経路を透過していると考えられる親水性化合物を用いて、カイコ幼虫の摘出腸管における物質の透過速度に対する分子量の影響を検討した。その結果、分子量400を超える化合物は例外なくカイコ幼虫の腸管の内側から外側へ透過しないことが分かった(Fig.2A)。以上の結果は、カイコ幼虫腸管には高分子量の親水性物質に対する透過障壁が存在することを示している。

 腸管からの物質の透過性には、分子量のほかに油水分配係数が影響することが知られている。そこで次に、カイコ幼虫の腸管透過速度に与える物質の疎水性の影響を検討した。様々な油水分配係数を示す、分子量が300〜700の非特異的経路を透過すると考えられる色素及び抗生物質について、摘出腸管における透過速度を検討した。その結果、油水分配係数と腸管透過速度の間には正の相関性が見られることが分かった(Fig.2B)。この結果は、物質のカイコ幼虫の腸管の透過性には哺乳動物における場合と同様に、透過する化合物の分子量と油水分配係数が影響することを示している。

 次に、抗生物質の腸管透過性と治療効果に対する、化合物の疎水性の影響について検討した。セフカペンナトリウム(CFPN-Na)は、ヒト臨床において、腸管吸収性が低く経口投与では治療効果が得られないことが知られている。セフカペンピボキシル(CFPN-PI)は、経口での治療効果を持たせるために開発されたCFPN-Naのプロドラックである。CFPN-Naのカルボキシル基に疎水性基がエステル結合することにより油水分配係数が上昇し、腸管からの吸収性が上昇すると考えられている。そこで、カイコ幼虫の腸管におけるCFPN-PIとCFPN-Naの透過性をin vitroおよびin vivoで比較した。その結果、カイコ幼虫の摘出腸管では、CFPN-PIはCFPN-Naに比べ3倍速く透過した。さらに、CFPN-Na及びCFPN-PIの生きたカイコ幼虫における腸管吸収性を比較した結果、CFPN-PIは投与後すみやかに腸管から吸収され、CFPN-Naとして血中に存在しており、3時間以降においても血中濃度は保たれていた。一方、CFPN-Naは、腸管内投与後の血中濃度はCFPN-PIを投与した場合に比べ低い値を示した。さらに、カイコ幼虫における黄色ブドウ球菌感染モデルおけるCFPN-NaとCFPN-PIの治療効果の差異を検討した。血管内投与の場合には、両薬剤のED(50)値はほぼ同じ値であった(TABLE 3)。一方、腸管内投与においては、CFPN-PIのED(50)値は、CFPN-Naに比べ6分の1の値を示した(TABLE 3)。従って、カイコ幼虫感染モデルにおいても、哺乳動物の場合と同様にCFPN-PIはCFPN-Naに比べ腸管吸収性が高く、その結果として治療効果が高まっていると考えられる。

結論

 カイコ幼虫は、取り扱いが容易で、飼育コストが安く、一度に多数の個体を扱うことが可能であるなど、哺乳動物に比べ優れた利点を有している。また、カイコ幼虫はマウスなどに比べ倫理的な問題が少ない。臨床で用いられている抗生物質は、カイコ幼虫でも黄色ブドウ球菌やカンジダなどの病原性細菌に対し治療効果を示し、ED(50)値による定量的な評価が可能であった。その上、カイコ幼虫の系でのED(50)値はマウスを用いたときの値とおおよそ一致していた。また、本研究から抗生物質のカイコ幼虫の腸管透過性は、哺乳動物と同様に、分子量及び油水分配係数が影響することが分かった。さらにカイコ幼虫における抗生物質の経口投与での治療効果及び腸管透過性の有無は、哺乳動物の結果と一致していた。従って、カイコ幼虫は血液内投与及び経口投与での、治療効果を指標とした抗生物質のスクリーニング系として有用であると考えられる。この系は、新規の抗生物質の探索・開発に応用できると期待される。

Fig.1 黄色ブドウ球菌に感染させたカイコ幼虫に対する抗生物質の治療効果

TABLE 1. カイコ幼虫感染モデルにおける黄色ブドウ球菌及びS.maltophiliaに対する抗生物質のED(50)値

TABLE 2. カイコ幼虫感染モデルにおける抗生物質の経口投与による治療効果

Fig.2 カイコ幼虫腸管の物質透過性に対する、親水性化合物の分子量、及び化合物の疎水性が与える影響

TABLE 3. カイコ幼虫黄色ブドウ球菌感染モデルにおけるCFPN-PI及びCFPN-NaのED(50)値

審査要旨 要旨を表示する

 申請者の浜本洋による、「カイコ幼虫を用いた抗生物質の定量的な治療効果の評価に関する研究」と題する本論文では、カイコ幼虫を感染モデルとして、血液内投与または経口投与における抗生物質の治療効果の評価、及びカイコ幼虫腸管における抗生物質等の物質透過に与える因子について解析した結果が述べられている。従来の抗生物質の開発においては、試験管内での抗菌活性を指標として探索が行われてきた。しかしながら、抗菌活性を有する殆どの化合物は、体内動態の問題のため、感染症治療においては効果を示さない。この問題を解決するため、従来はマウスなどの哺乳動物による実験動物の感染モデルにおける治療効果の評価がなされてきた。しかしながら、哺乳動物を用いる場合には、コストの問題や倫理的問題が生じる。本研究では、抗生物資の治療効果を評価するモデル動物として、マウスに比べて、はるかに飼育コストが小さいカイコ幼虫に着目した。カイコ幼虫は、すでに無脊椎動物の感染モデルとして用いられているショウジョウバエや線虫に比べ大型であるので、病原体や薬物の注射が容易である。さらに腸などの薬物動態に関わる臓器を取り出して、薬物動態実験を実施することが可能である。しかしながら、カイコ幼虫を実験動物として用いて薬物の治療効果を評価しようとする試みはこれまで全くなかった。むしろ、昆虫で得られた結果は、ヒトでの結果と大きく乖離すると考えられてきた。本研究ではカイコ幼虫の細菌感染モデルを用いて、ヒトの臨床で使用されている様々な抗生物質の治療効果について検討した。本論文は序章及び三つの章から構成されている。序章では、この研究を着想した背景と、カイコ幼虫の薬物の治療評価をおこなうための実験動物としての利点が述べられている。第1章は「カイコ幼虫を用いた抗生物質の治療効果の定量的な評価」、第2章は「カイコ幼虫を用いた経口投与における抗生物質の治療効果の評価」、第3章は「カイコ幼虫の腸管の物質透過に与える化合物の分子量及び油水分配係数の影響」である。

 第1章では、黄色ブドウ球菌Staphylococcus aureusやステノトロフォモナスマルトフィリアStenotrophomonas maltophiliaのような感染症の原因細菌、及びカンジダなどの病原性真菌の血液内注射によりカイコ幼虫が殺傷されること、並びに、ヒト臨床で治療薬として用いられている抗生物質が治療効果を示すことが述べられている。それぞれの抗生物質について50%治療有効量(ED(50)値)を求めることが可能であった。さらに、その値は、マウス感染モデルにおける値とよく一致していた。これらの結果から申請者は、カイコ幼虫の細菌・真菌感染モデルが、抗生物質の血液内注射による治療効果を評価する上に有用であると主張している。無脊椎動物を用いてヒト臨床で用いられる抗生物質の治療効果を評価する方法を確立したのは、本研究が初めてである。また、ヒトの臨床で使用されている抗生物質について、例外なく、カイコ幼虫での治療に必要な量(ED(50)値)の、菌増殖阻害に必要な量(MIC値)に対する比が10以下になることが分かった。この比の値は、抗生物質の体内動態を判定する上で有用な指標となると考えられる。

 第2章では、カイコ幼虫の感染モデルにおける抗生物質の経口投与による治療効果について、検討がなされている。カナマイシン及びバンコマイシンは、ヒトにおいて、経口投与では治療効果を示さない。これらの抗生物質は、カイコ幼虫においても経口投与では治療無効であった。一方、ヒトで経口投与が有効であるテトラサイクリン及びクロラムフェニコールについて、カイコ幼虫においても経口投与により効果が示された。さらに申請者は、これら抗生物質のカイコ幼虫での経口投与の治療効果の有無は、腸管透過性が支配していることを見いだした。この点は、ヒトの場合と共通している。

 さらに第3章では、カイコ幼虫腸管における化合物の透過性は、哺乳動物の腸管の場合と同様に、その化合物の分子量及び疎水性が大きく影響していることが述べられている。カイコ幼虫から摘出した腸管を用いて種々の化合物の透過アッセイを行った結果、分子量が400を超える親水性の物質は、腸管膜を透過しないことが明らかとなった。また、疎水性が高い化合物は透過性が高くなる傾向にあった。腸管吸収性が低く、経口投与では治療効果を示さない抗生物質の中には、疎水性基を付加しプロドラックとして経口投与される場合がある。本論文において申請者は、このような臨床で用いられるプロドラッグの経口投与での治療効果が、カイコ幼虫においても現れることを示している。さらに、このプロドラッグのカイコ幼虫の腸管吸収性は、元の抗生物質よりも高かった。これらの結果から申請者は、カイコ幼虫の経口投与モデルは、経口投与が可能な化合物の探索にも利用できる、と提案している。

 本研究は、カイコ幼虫を感染モデルとして利用し、治療薬の薬効評価が可能であることを初めて示した。本研究によって得られた成果は、治療有効な新規抗生物質の発見に寄与し、化学療法学の発展に寄与するところが大であると評価される。従って、申請者の浜本洋は博士(薬学)の学位を受けるにふさわしいと判断した。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/50125