学位論文要旨



No 216555
著者(漢字) 金治,英貞
著者(英字)
著者(カナ) カナジ,ヒデサダ
標題(和) 既設長大トラス橋の地震リスク評価と損傷制御設計による対震性能向上
標題(洋)
報告番号 216555
報告番号 乙16555
学位授与日 2006.06.15
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第16555号
研究科 工学系研究科
専攻 社会基盤学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 藤野,陽三
 東京大学 教授 魚本,健人
 東京大学 教授 小長井,一男
 東京大学 教授 藤田,隆史
 神戸大学 教授 高田,至郎
 京都大学 教授 家村,浩和
内容要旨 要旨を表示する

 本研究の主たる目的は,

1. 既設長大橋のレベル2地震動に対する性能向上に対して,性能設計の枠組みの中で確率論を用いて地震作用と構造性能の組み合わせを検討し,これを踏まえた要求性能に基づく説明責任の果たせる合理的な投資戦略を示すこと

2. その戦略を支える設計概念である損傷制御設計論の橋梁への適用性と合理性を論じるとともに,複数の構造系の中から最適構造を合理的に選定し,長大橋に適した制震,免震技術の提案とその有効性を示すことである.

 既設長大橋の耐震性能向上の置かれている状況と本論文の方向性について簡潔に述べる.兵庫県南部地震以降,日本全国において既設構造物の耐震性能向上が鋭意実施されてきている.特に都市部の高速道路橋は,直接被害,間接の経済損失を考慮するリスクマネジメントの見地から耐震性能向上への投資効果の高いインフラであり,優先的な予算配分がなされていると言える.しかし,長大橋に限定すると都市部の高速道路ネットワークを形成していても,その投資額,技術的難易度から一般高架橋の耐震補強に遅れをとっているのが現状である.わが国の長大橋の耐震性能向上はこのように多くの課題を抱えているものの,地震活動度の高まっている日本の現状を熟慮すると,安全性と使用性を合理的かつ定量的に説明できる(「説明責任」の果たせる)対策が一刻も早く実現されることが必要な状況である.

 このような背景のもと,本論文では,長大トラス橋である港大橋を対象に,性能設計体系に基づき合理的な要求性能を設定し,この要求値をできるだけ効率的に満足するための対震性能向上に関する一連の設計論をまとめている.ここでは,確率論的地震ハザードと耐力ばらつきを考慮した構造特性を考慮した部材損傷度特性に基づき,ライフサイクルコストを指標としたリスクマネジメントの手法を用いて要求性能を設定した.地震作用に関しては,断層モデルを用いて架橋地点の特性を最大限評価するとともに,その不確定性への配慮に対しては,パラメトリックな解析を実施し,構造物特性への配慮に対しては,支配モードの固有周期付近に影響を及ぼす地震動設定を行なった.次に,この地震動を用いて元構造の耐震性能評価のため,時刻歴応答解析を実施し,要求値を満たさない部材に対して,床組免震と制震ブレースを用いた損傷制御構造を主とした性能向上策を種々検討した.さらに,損傷制御技術である床組免震と制震ブレースに関して,本橋の要求性能を満たすデバイスの開発を行い,それらに対する性能評価を実験的かつ解析的に行なった.各章ごとのまとめは下記のとおりである.

 第1章では,兵庫県南部地震における長大橋の被災を考察し,海外の長大橋対震レトロフィットの現状と,長大橋の耐震性能向上に向けた性能設計,入力地震動,および応答制御技術の現状を踏まえた課題を列挙し,本論文の目的を示した.

 第2章では,ライフサイクルコストを指標とした費用便益計算により,一定の対策費用による耐震性能向上のリスク低減実行の意義を示した.中でも,巨大地震後の交通開放,復旧性を考慮した合理的な構造系である損傷制御構造において,主構部材をほぼ弾性とし,非主構部材に非弾性を許容する構造が最適であることを示した.ライフサイクルコストにおける社会的割引率の影響についても考察し,リスクが大きいシナリオはこれを考慮することによりライフサイクルコストが低減するが,最適シナリオは変わらないことを示した.

 また,性能設計に必要となる架橋地点特有の地震動を評価するために,内陸型と海溝型に対して断層モデルを用いた入力地震動の作成を行なった.その上で,潜在的な不確定性に対しては擬似的なハイブリッド法を用いた感度解析を実施し,対象橋梁の支配的周期帯SI値を用いて支配的となる地震動を設定した.また,動的相互作用の考慮,包絡適合スペクトルの設定を行ない,免震などの最適設計においてその諸元の設定のずれが橋全体の応答に大きく影響を及ぼすことを回避する構造系,かつ断層モデルの位相特性も考慮した構造系の設計に寄与する地震動とした.

 第3章では,元構造の固有値解析と動的解析により,動的挙動を把握するとともに,既設部材の部材性能を当初設計計算書に基づき照査し,レベル2地震動に対して部材耐力が不足する重要モードの抽出を行った.その結果,橋軸方向では1次モードが,橋軸直角方向では2次モードが支配的であることを示した.部材性能の評価値として,道路橋示方書の曲げと軸力を受ける部材の応力照査式を基本的に用いることとしたが,対象橋梁の部材製作法,品質管理を考慮し,溶接箱断面柱の耐荷力曲線を用いることでこれを修正し,合理的な応力比照査式を用いた.照査の結果,応力比1.0を超える主部材数の全部材数に対する比率は,橋軸方向卓越地震動に対して圧縮側で5.6%,引張側で7.5%,橋軸直角方向卓越地震動に対して圧縮側で26.2%,引張側で9.3%であることがわかった.

 解析モデルの妥当性を検証する目的で,元構造の常時微動解析および地震記録解析を実施することにより,常時微動観測の橋軸方向の卓越モードを除きいずれにおいても固有値に良い一致をみた.また,この微動観測の橋軸方向固有値の誤差の原因はアイバーピン部の拘束であること,減衰に関して,4.4秒となる橋軸直角方向の1次モードに対する減衰定数が一般値2%より低い1%であることを解析的に示した。

 第4章では,種々考案した対策構造に対して地震応答解析を実施することにより,主部材等の最大ひずみエネルギーおよび応答変位を算定し,その効果の定量的評価を行った.その結果,橋軸方向の対策である床組免震,橋軸直角方向の対策である床組連続化,制震ブレースはともに大きな低減効果をもたらすことを示した.

 すべり免震支承システムを適用した床組免震の最適化に関して,2自由度系モデルを用いて,種々の組み合わせにより応答低減効果の違いを調べ,床組周期3秒〜4秒,減衰定数0.2程度に最適な解があることを示した.さらに,全橋モデルにより地震応答解析を実施した結果,床組応答変位の制約条件も考慮すると,摩擦係数0.05程度の低摩擦型の支承と周期3.0秒のゴムばねが適切な組み合わせであることを示した.制震ブレースの最適化において,設置箇所の最適化と部材特性の最適化に着目し,3次元全橋解析モデルによる地震応答解析により検討した結果,ひずみエネルギー比率に基づき設定した主塔の対傾構と,主塔近傍の下横構が有効であること,また,設計降伏力は弾性応答値の0.2程度が最も有効であることを示した.

 多次元入力の影響解析では,1方向と水平2方向入力および3方向入力による応答の差異は小さいことを確認し,重ね合わせの原理が成立することを確認した.また,中間支承反力は橋軸直角地震が支配的なことから多次元入力の影響はなく,制震ブレースに関しても多次元入力の影響はほとんど見られないことを確認した.

 第5章では,本橋に要求される低摩擦型のすべり支承に関して,すべり材に繊維強化熱硬化樹脂を,上沓相手面にフッ素樹脂コートを施したステンレス鋼板を用いた組み合わせを最適と判断した.また,すべり免震支承とゴムばねを取り付けた試験体の振動台試験を実施し,主構造によって増幅された鉛直加速度を考慮したシステムとしての特性を明らかにした.つまり,これまで明らかとされていなかったゴムばねを併設したシステムにおける低摩擦型すべり支承の速度および面圧依存性を明らかとするとともに,速度の速いケースにおける履歴曲線が鼓形を呈することを確認した.次に,低摩擦型すべり支承に関して,面圧および速度依存性を考慮した数式モデルを構築し,振動台試験結果と比較した結果,桁変位,摩擦力,履歴曲線において比較的良い適合性をみた.また,この妥当性の認められたモデルを用いた鉛直動の影響解析により,設計地震動レベルでは影響はほとんどないこと,および,鉛直面圧変動と死荷重時面圧の比率が0.5を上回ると桁変位増大の傾向が見られることがわかった.さらに,静止時から設計最大応答速度における,速度・摩擦係数曲線の面積と等価な面積を与える摩擦係数を等価摩擦係数とすることを提案し,この摩擦力を塑性値とした剛塑性モデルを設計に用いて良いことを示した.

 第6章では,制震ブレースに関して,既設長大橋に適用する上で重要な施工性とガセット取り付け構造を考慮した種々の座屈拘束ブレースを提案した.芯材形状として平板形と十字形を実験的に検討した結果,十字形の方が局部座屈抑制効果は高く,安定した荷重変位関係を描くことを示した.また,移動硬化型バイリニアモデルを用いた履歴特性は,減衰特性に着目すれば安全側か実用的であることを確認した.

 さらに,フレーム内でのブレース性能を確認するフレーム試験からは,対象とした既設橋梁の構造諸元範囲では下横梁が部分的に塑性変形する可能性があるが,フレーム系の等価減衰定数に有意な差をもたらさないこと,および,ブレースの累積塑性変形倍率の観点から見て,想定地震を数回受けたとしても機能上問題がないことを確認した.フレームモデルを用いた解析からは,圧縮・引張応答軸力の不均等性により,引張側にひずみが集中し,対称形と考えた場合の約1.4倍の最大ひずみが引張側に発生する可能性があることや,支持横梁の大幅な剛性増加により,BRB履歴非対称性や最大ひずみを抑制することが可能であることを示した.さらに,フレームモデルにおけるブレースモデル化に関して,対称バイリニア,非対称バイリニア(移動硬化),非対称バイリニア(移動硬化+等方硬化)に減衰性能の大きな差異は見られないことを示した.

 第7章では,以上の章で得られた知見を結論として取りまとめるとともに今後に残された課題を考察した.

審査要旨 要旨を表示する

 兵庫県南部地震以降,既設構造物の地震時性能向上化が実施されてきているが,長大橋に限ると高速道路ネットワークのきわめて重要なリンクにも関わらず,その投資額,技術的難易度から一般高架橋の対策に遅れをとっているのが現状である.地震活動度の高まっている日本の現状を考えると,合理的かつ定量的に長大橋の地震時性能向上化の妥当性を説明できるようにすることとともに,工学的に優れかつ費用負担の少ない対策法を確立させることが必要な状況にある.本論文はこの立場から,長大トラス橋である港大橋を対象に,性能設計体系に基づき合理的な要求性能を設定し,この要求値をできるだけ効率的に満足するための地震時性能向上化策のための技術開発を実施し,これらに関する一連の設計論をまとめている.なお,本論文では,従来の耐震構造ではなく免震,制震構造による応答制御を重視した研究内容となっていることから,対震性能向上化という言葉を用いて耐震補強や耐震性能向上化と区別している.

 まず,確率論的地震ハザードと構造特性を考慮した部材損傷度特性をベースに,ライフサイクルコストを指標として,その最小化から要求性能を設定している.地震入力に関しては,断層モデルを用い,橋梁の地震時性能評価のため,時刻歴応答解析を実施し,要求値を満たさない部材に対して,床組免震と制震ブレースを用いた損傷制御構造を主とした対策を種々検討している.さらに,損傷制御技術である床組免震と制震ブレースに関して,本橋の要求性能を満たすデバイスの開発を行い,それらに対する性能評価を実験的かつ解析的に行なっている.論文は以下の7章から構成されている.

 第1章では,兵庫県南部地震における長大橋の被災特性,海外の長大橋地震時性能向上化の現状,長大橋の地震時性能向上化に向けた性能設計,入力地震動,および応答制御技術の現状と課題を列挙し,本論文の目的を述べている.

 第2章では,リスクマネジメント手法を用いたライフサイクルコストによる地震リスク評価を行い,対震性能向上化によるリスク低減実施の経済的合理性を明らかにしている.それにより,巨大地震後の交通開放,復旧性を考慮した合理的な構造系である損傷制御構造,つまり,主構部材にはほぼ弾性挙動を期待し,非主構部材には非線形挙動を許容する構造系が最適であることを示した.また,性能設計に必要となる架橋地点特有の地震動を評価するために,地震危険度解析から上町断層地震と南海・東南海地震が支配的であることを示し,これらを対象に断層モデルを用いた入力地震動を作成した.

 第3章では,解析により動的挙動を把握するとともに,現橋の性能を当初設計に基づき照査し,レベル2地震動に対して部材耐力が不足する重要モードの抽出を行っている.次に,現橋梁の常時微動解析および地震観測記録の解析から,検討に用いた解析モデルの妥当性を議論している.

 第4章では対策構造案に対して3次元地震応答解析を実施し,主部材等の最大ひずみエネルギーおよび応答変位の面から,その効果の定量的比較評価を行った.その結果,橋軸方向の対策である床組免震,橋軸直角方向の対策である床組連続化および制震ダンパーはともに大きな低減効果をもたらすことを示した.

 第5章では,低摩擦型すべり免震支承とゴムばねの振動台試験を実施し,すべり支承の面圧および速度依存性を明らかとするとともに,面圧および速度依存性を考慮した数式モデルを構築している.設計モデルとして,静止時から設計最大応答速度における,速度-摩擦係数曲線の面積と等価な面積を与える摩擦係数を等価摩擦係数とすることを提案し,この摩擦力を塑性値とした剛塑性モデルを用いて良いことを示した.

 第6章では,座屈拘束制震ブレースを既設長大橋に適用する上で重要となる施工性とガセット取り付け構造を考慮した種々の制震ブレースを提案した.芯材形状として平板型と十字型を実験的に検討した結果,十字型の方が局部座屈抑制効果は高く,安定した荷重変位関係を実験的に描くことを示した.さらに,実橋のフレームを模擬した小型試験を実施し,対象とした既設橋梁の構造諸元範囲では下横梁が部分的に塑性変形する可能性があるものの,フレーム系の等価減衰特性には有意な差が出ないこと,ならびにブレースの累積塑性低サイクル疲労の観点からも実験的検討を行っている.第7章では,得られた知見を取りまとめるとともに今後に残された課題を記述している.

以上のように,本論文は,性能設計体系の概念に基づき,長大トラス橋を対象に長大橋の地震時性能向上化の妥当性を合理的かつ定量的に明らかにし,要求性能のレベルを定量化するともに,工学的に優れかつ費用負担の少ない,床免震と座屈拘束部レースの組み合わせという新しい対策法を考案し,解析ならびに一連の実験から「一つの技術」としてまとめている.本論文での成果は,内外の長大橋梁の地震時性能向上にも大きなインパクトを与えるものといえる.以上により,本研究の成果は極めて学術的価値の高いものと判断される.よって,博士(工学)の学位請求論文として合格と認める.

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