学位論文要旨



No 216561
著者(漢字) 佐藤,修司
著者(英字)
著者(カナ) サトウ,シュウジ
標題(和) 教育の自由と統制に関する法制度論的検討 : キャンデルの内外事項区分論と日本への制度的・理論的影響
標題(洋)
報告番号 216561
報告番号 乙16561
学位授与日 2006.06.21
学位種別 論文博士
学位種類 博士(教育学)
学位記番号 第16561号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 小川,正人
 東京大学 教授 佐藤,学
 東京大学 教授 汐見,稔幸
 東京大学 教授 佐藤,一子
 東京大学 助教授 勝野,正章
 東京大学 教授 西原,博史
内容要旨 要旨を表示する

 戦後、教育基本法第10条の解釈をめぐって、政府・文部(科学)省側と、教職員組合を含めた民間教育運動側との理論的対立が続いてきた。国家、及び地方も含めた行政機関による教育内容への介入を容認するか否かが中心的争点となり、介入を否定する理論が国民の教育権論と称されてきた。国民の教育権論では、第2項の教育行政の条件整備規定に関し、キャンデルの内外事項区分論が宗像誠也によって参照され、教育行政機関の役割は外的事項に限定され、内的事項への介入が否定された。

 これまで教師を中心とした国民の教育の自由を導くため、戦後教育改革の研究が行われてきた。教育基本法の立法過程、教育刷新委員会、米国教育使節団、そして、戦間期アメリカにおけるカウンツらの理論、判例の状況などについて、先行研究が積み上げられてきた。キャンデルがイギリスをモデルとしたこともあって、1944年教育法を中心とした研究も行われてきた。しかし、キャンデルそのものについての検討は空白のままであり、わずかに、1933年の『比較教育』の該当部分が取り上げられてきたに過ぎない。区分論の外形的枠組みだけが取り上げられ、歴史的、理論的背景にまで立ち至った解明はなされてこなかった。

 本論文では、まずキャンデルの生涯にわたる理論活動の中で、区分論が析出される過程を明らかにした。1918年の時点から内外事項の概念を使用していたが、まだ行政上の中央と地方との事務配分の論理として使用していたこと、戦間期におけるイギリスの教育院総裁の発言だけでなく、むしろドイツのワイマール改革から理論的な示唆を多く受けていること、1929年のラッセルの講演から本格的に内外事項区分論を展開し始めるが、その際には、以前のキャンデルや、ラッセルとは違い、教師の教育の自由を主眼として区分論を展開していることが明らかになった。

 キャンデルの区分論は、機会均等概念によって中央当局と地方当局との関係を規律すると同時に、条件整備概念によって行政機関と学校・教師との関係を規律する制度原理として位置づけられていた。教師の教育の自由が求められる理由として、キャンデルは、個々人の知的自由、知的権利の実現を挙げ、国家による教育の提供と統制を分け、統制を禁じる論を展開していた。また、20世紀初頭における教育学と心理学の発展や、教育機会の拡大、統一学校運動などによる就学者層の多様化も、教師の専門職としての自由を要請するものと位置づけられていた。

 キャンデルは国家統制、行政機関による統制ばかりでなく、民衆統制に対しても否定的であった。一時的な熱狂などにより、専門職の領分、自由が脅かされていることを非難していた。また、企業経営的な管理により、効率原理が教師に強制されることや、教育の標準化、画一化が進行することに対しても否定的であった。逆に、専門職支配に対しても否定的であり、教師が専断的な権利を持つことに反対していた。キャンデルが提唱した統制形態は、高度の養成と人事管理を通じた専門職性の形成と維持・向上のシステムであった。免許に期限が付けられ、一定期間毎に教師は専門的基準に基づく審査を受ける。区分論においては、教師の専門的能力の行使と能力の管理とが分けられ、能力管理は外的事項に位置づけられる。

 キャンデルは、進歩主義教育に対する厳しい批判でも知られており、むしろ教師の自由に反対する「反動」「伝統主義者」として位置づけられていた。進歩主義の児童中心主義的傾向に行き過ぎに対して、社会から切り離された形での教育の自立や、子どもに絶対的自由を与えることを否定し、教科や規律を重視するなど、社会過程としての教育を強調していた。また、政治と教育との分離にも反対し、自由主義や民主主義のための教育を積極的に求めていた。さらに、社会改造主義的な主張に対しても批判を加え、学問の自由の要求や終身在職権の要求を否定していた。その主な理由は、アメリカの現実における教師の専門職性の低さ、専門的能力の低さ、社会に対する奉仕者としての学校や教師の位置づけであった。キャンデルは、教育の中立性、社会性、専門性の観点から、教師の自由の制約を問題としていた。

 キャンデルの理論は、教育の目的と手段を区別し、前者では自由主義や民主主義などの点から教師の自由を制約し、後者では子どもの興味関心や環境に適合させるため教師の自由を求めていた。内容面は社会学的手法で導かれ、方法面は心理学的手法で導かれる点でも、二元性が明らかであった。また、親や子どもの権利、自由の問題は軽視されており、子どもの現在的な自由が、将来的な自由の実現のために教師によって制限される構図となっていた。教育的価値、専門的基準は一元的に決定されうるとの前提に立っていたことや、啓蒙の客体として住民、親がとらえられていた点でも、当時の時代的な制約を抱えていたと考えられる。教師の労働者性、市民性を消極的にとらえていた点や、当時の社会経済問題を、単に自由主義や民主主義の精神の問題に還元する点でも限界を有していた。

 戦間期アメリカ、特に世界大恐慌以降において、教師の教育の自由に関し支配的な位置を保っていた理論はデューイやカウンツを中心とする進歩主義左派の理論であった。カウンツは教師が教室内で社会的論争問題を扱い、集産主義の価値観を教え込むこと、教師が組合に団結し、外部の団体と同盟することで新社会秩序の構築に主導的な役割を果たすことを求めていた。キャンデルの批判は主にこのカウンツの主張に向けられたものであった。カウンツの主張においては、学校や教師は社会改造の道具として扱われ、教育の論理が存在しない点や、集産主義を目指すことが強制され、個人の自由が集団によって抑圧される点など、理論的に問題を抱えていた。

 キルパトリックは、カウンツに比べて穏健な立場から教師の教育の自由を主張していた。子どもの知的自由が最も重視され、その自由を保護するために国家や行政機関による統制が禁じられる。さらに、教師にも、その自由を侵害しないことが求められ、子どもの自由は二重の保護を受けることとなる。社会変化の激しい時代においては、子ども自らが社会的論争問題に取り組み、自らの社会的知性を構築しなければならない。キルパトリックの主張において、教師の自由は子どもの自由から導かれたものでしかなく、教師が自由を持つべき積極的な理由付けは存在しない。また、子どもの自由がどのようにして社会的知性の構築、知的自由の実現につながるのか、その関連が明らかでない。つまり、キルパトリックにおいても、教育の論理から自由の必要性が導かれているわけではなかった。

 バグリーをはじめとする本質主義の主張と、キャンデルの主張とは基本的に一致している。適応主義的な教育観は、単に伝統主義、保守主義というよりも、社会変化への適応を目指す点から、企業経営的な効率原理にも親和的であるはずだが、戦間期における本質主義者はバグリーも、キャンデルも、教育への効率原理の適用に批判的であった。教師に対して専門職としての自由を付与すること、専門職として教師を確立しようとする点でも、一致している。ただし、バグリーが初等中等学校の教師の自由を、大学教師との対比で制限しようとしていることに比して、キャンデルは、研究の論理からではなく、教育の論理から教師の自由を導き出す点で、大きな相違が存在した。

 米国教育使節団報告書の第1章部分は、キャンデル自身が小委員会の委員長兼起草委員であったことこともあり、中央当局によるカリキュラム、指導要領等への権力的介入を禁じ、条件整備を求めていること、専門的な養成を前提として教師の教育の自由を要請していることなど、キャンデルの所説とほぼ一致していた。また、教育と社会との関係を重視し、伝統や宗教を強調する一方で、集産主義を明確に否定しており、本質主義の考えが色濃く反映していた。教育刷新委員会での議論、教員身分法案に関わる議論は、教師の自由を打ち出す一方で、一定期間毎との適格審査制度や、組合運動への否定的見解など、キャンデルと共通する部分が見られた。その後の教育政策、教育法制の展開は、戦後教育改革とは方向を異にする形で進み、さらに1990年代後半以降は、規制緩和、地方分権の流れの中で、内的事項、過程管理よりも外的事項、評価管理、結果管理が重視され、実質的には今まで以上に内的事項の統制が進行する事態が生じている。

 国民の教育権論における区分論とキャンデルのそれとの間には枠組みとしての共通性があるとしても、国民の教育権論においては統制権の帰属をめぐる原理として区分論が位置づけられ、教師は専門的能力の行使と、能力管理の双方を専管する形となっていた。戦後、国家統制に否定的な論者から、区分論に対して加えられてきた批判を検討する中で、能力主義の社会的浸透などを、教育と政治の分離、内的事項の独立だけで対応できるのか、親や子どもの権利、自由をどのように確保し、また制限するのか、個人の自由と集団の自由とが混在していないか、価値の多元化の中で、一元的な専門職基準、価値基準が可能なのか、など課題が浮かび上がってきた。

審査要旨 要旨を表示する

 国は教育にどこまで、どのように関わることが容認されるのかという問いは、戦後日本の教育政策や教育行政上の一大争点である。この争点をめぐる重要な理論の一つが、教育の外的事項・内的事項区分論(以下、区分論)である。区分論は、教育法・教育行政研究上に留まらず、実際の教育政策や教育裁判等にも大きな影響を及ぼしたが、その評価を巡っては多くの論者の間で見解が分かれその論議も錯綜している。その主要な原因は、区分論の提唱者であるキャンデル(I.L.Kandel)の理論の全体像とその中における区分論の構造や意味を明確にしないまま、その区分論の一部を各論者が自分の文脈のなかに都合良く切り取り援用し強調してきたことにある。本論文は、転換期にあった20世紀前半における米国公教育制度の問題と改革課題を検証するなかで、これまで本格的に取り組まれてこなかった比較教育学者・キャンデルの理論形成の過程を実証的に追いながらその理論の全体像とその特徴を明らかにしている。

 序章では、戦後日本の教育政策上における区分論の意味とその展開、それを巡る先行研究の総括を通じて課題、方法が設定されている。そして、1章でキャンデルの比較教育研究史を追いながら区分論が形作られてくる過程が浮き彫りにされ、2章・3章で、キャンデル区分論の構造(中央政府と地方政府、機会均等概念と条件整備概念、教育の統制の諸形態と関係性)が析出されている。続けて、キャンデル理論・区分論の特徴を理解するために、キャンデルの進歩主義教育への批判(4章)、進歩主義左派・社会改造主義(カウンツやキルパトリックなど)や本質主義(バグリー)とキャンデル理論との関係、異同等が検討されている(5章、6章、7章)。以上の検討のうえに、戦後日本の教育理論におけるキャンデル理論・区分論の受容のされ方とその問題、そして、継承すべき課題を明らかにしている。8章において、戦後改革に大きな役割を果たした米国教育使節団報告書や教育刷新委員会等の改革構想とキャンデルの理論・区分論との関係が検証され、9章では区分論の正統な継承理論とされる「国民の教育権」論とキャンデル理論・区分論との対比分析とその異同を検討することを通じて、区分論が提起した諸課題を今日どのように批判的に再構成し発展させていくのかを整理している。

 以上の分析を通じ、本論文は、日米でも最初といえるキャンデル理論の全体像の浮き彫りに成功しており、その中で区分論の構造とその歴史的位置を明確にしたこと、キャンデルの区分論は従来強調された中央と地方の事務配分論だけでなく、民衆統制と教師の「自由」との関係を問う教育統制論をあわせ持ちながらも、教師専門職の「自律性」の文脈からではなく人事管理制度構築による職能向上を通じた「自由」保障を唱えるもので単純な内的事項への権力関与排除論ではなかった点を明らかにしたこと、更に、本質主義的立場に立つキャンデル理論の戦後教育改革に対する影響を明らかにすることを通じて、戦後教育改革を米国進歩主義思想の実現と見る従来の捉え方を相対化すると同時に、戦後改革構想を原点に据える区分論の評価を再検討したこと等で大きな意義があり、今後の教育研究に重要な貢献をなすものと評価できる。このような観点から、博士(教育学)の学位論文として十分な水準に達しているものと認められる。

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