学位論文要旨



No 216566
著者(漢字) 竹山,聖
著者(英字)
著者(カナ) タケヤマ,キヨシ
標題(和) 建築という思考 : 建築的欲望をめぐる臨床建築学的考察
標題(洋)
報告番号 216566
報告番号 乙16566
学位授与日 2006.07.14
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第16566号
研究科 工学系研究科
専攻 建築学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 藤井,明
 東京大学 教授 難波,和彦
 東京大学 教授 藤森,照信
 東京大学 教授 加藤,道夫
 東京大学 助教授 千葉,学
内容要旨 要旨を表示する

I.エロスの位相

A.文化という装置

「エロスこそが文化を築いた」とフロイトは考えた。生の欲動/エロスから死の欲動/タナトスが導き出される。死とは個としての生命体に共同体の側から突きつけられた想像力の形である。文化はエロスにタナトスの発動をもって対抗することによって、結果的にエロスの強度を増す。拘束によって生命力を活性化する。ここに「エロスの狡知」を見出すことができる。

B.形とエロス

エロスは形に反応する。形は地から浮かぶ図、コントラストだ。人間は強烈な快感のためにコントラストとリスクを求める。エロスが死のイメージを通過するとき、コントラストとリスクは最大となる。だからこそ人類は死をめぐる想像力を、文化へ、そして建築へと鍛え上げた。

C.エロスとタナトス

クロノスは流れゆく時間、アイオーンは刹那のなかの永遠の時間。死の想像力はアイオーン的思考を経て、建築に結晶する。死は生命現象というより文化現象である。言葉が、建築が、死の意味をつくり出す。生の充実のために。人類は象徴として、さらには享楽として、建築を構想してきた。それは死の象徴であり、生命を超えた死というフィクションの結晶体である。

II.可能世界の構想

A.世界の改変可能性に気づく

人類は世界改変に対する意志と計画をもち、<圧縮・保存・輸送>の技術をもった。抽象化された形を通して世界を読み、形が世界改変の鍵となった。人類はそこに自然を超える仮想世界を発見し、自身の感覚を再編成することができるのに気づく。身体を超えるスケールの空間に世界観を込める。これをアルタミラ・モデルと呼ぼう。そこでは生と死の関係が、形のエロスを通して思考されていたことだろう。建築という行為のはじまりは「死」に触れる遊びであり、聖なるものに出会う空間の創造であった。

B.シミュレーションをおこなう/世界へ

人間はシンボルの思考によって<同一・虚構・不在>という可能世界のセットを獲得した。「可能性としての死」が人間に言葉を話させ、「可能性としての死」が建築を生んだのか。シンボルによって圧縮された世界の構想を人類は欲望する。建築という行為は<世界を収容する欲望>に支えられ、身体を世界へと拡張する行為でもある。原初の建築的欲望はここに根ざす。世界モデルとしての空間は<思考の身体性>のなかに開かれる。

C.遊ぶ

事物と事物の関係を古代ギリシアではロゴスと呼んだ。建築は事物の関係を転写するから、人類はそこに思考の似姿を見た。遊びとは、象徴体系の受容によって失われた自然との一体感に再び触れる行為であり、建築も遊びの領域に端を発している。

D.行為としての建築

建築<行為>は現在をアイオーンにつなぎこむ。<行為>は「切断」であり、「切断」の余白に無意識は現れる。ラカンは「切断」を「シニフィアンそれ自体との間に構成的な関係を持つ主体そのもの」と見ている。フロイトは「そこで無意識の主体があらわれて突如消えるのが見える、そのようなすきま、あるいは切れ目」と語る。無意識の欲望が形をとり、個をエロスの流れに溶融して共同体のタナトスにつなぎこむ。享楽はタナトスたる共同体の意志に自らを合体させる身体=思考の運動である。建築とは、過剰なシニフィアンを身に纏った物を既存の象徴の枠組みから解放し、自由の、可能性の位相に持ち込み、加工する「遊び」である。始原の建築は死と性のモニュメントであり、至高のニルヴァーナであり、無気味な廃虚であった。

III.場の思考

A.他者の位相/replacement

「場所とは、置換の可能性、期待、あるいは脅威にほかならない」とデリダの語るreplacementとは他者の位相の潜在性、可能性を到来させることだ。「私が書くのは誘惑するためです」とデリダは書く。誘惑するため、他者の位相を到来させるために建築もまた生み出される。

B.環境との応答/response

自然は建築の母であり、建築に素材を提供し、メタフォアを与えた。天と地の似姿を建築はつくり上げ、人類は自然の彼方に父を見た。大地に実りがあふれ天空からは叡知が降りてくる。建築は他者に対する抵抗の形式である。他者は抑圧であり、同時に自由への道しるべでもある。

C.他者に対する抵抗の形式

閾が空間を決定する。裂け目に欲望はあらわれる。壁は欲望を生成する空間装置であり、自由を描き出すキャンパスである。壁は、開口を、侵入を、開道を、削道を、屈折・切断・穿孔を待っている。裂け目に他者が誘導され通過し抵抗を受けて、空間は活性化される。

IV.思考の可能性としての建築

A.ロゴスの位相

1.存在の声

ハイデガーによれば、ロゴスとはまずパルメニデスのいう「存在者そのものの集約態」であり、ヘラクレイトスのいう「存在の声」であり、個物を統合する力である。フロイトによればエロスもまた統合する力である。ロゴスは関係を収束しエロスは発散する。ロゴスは自然の論理に根ざしエロスは個の欲望に根ざす。ロゴスは超越でありエロスは内在である。建築的思考は両者を視野におさめる。個のロゴスはまた倫理でもある。他者との関係-ロゴス-のみが個の欲望-エロス-を作動させる。個のエロスに根ざさぬ建築は貧しい。エロスは分岐しロゴスはただ一つの解答に向かう。ロゴスは自然からやってくる存在の声でありエロスは存在の声への身体的応答である。エロスは自由の可能性でありロゴスは世界の了解の形である。

B.真理への意志

建築の「救い」は「真理への意志」に汚されていないことにある。建築の真理は一つではない。建築的思考にあっては存在が思考をはみ出るからだ。建築は自然の原理に従う。ロゴスに従う。ただ人間の原理/エロスと自然の原理/ロゴスの交錯のする中、合理に非合理が介入する。

C.アンチバベル

永遠の存在と神の領域をめざした人類は天にも達する塔の建設をはじめた。言葉を知った人間が死の可能性を自覚して永遠の存在に憧れた。ロゴスの欠如がエロスを、そしてエロスが建築を要求した。建築は物質化されたロゴスであり、百万の言葉より雄弁に世界観を表現した。死への畏れと死の形象化は表裏の関係にある。共同の祈りはタナトスを喚起する。建築を還元すればタナトスの形象化そのものだ。バベルの塔は建築の、時間の凍結、死の結晶化への志向性をよく表している。「塔が未完に終わったからこそ、建築も多様な言語も歴史をもつことが可能となった」とデリダは語る。<唯一の建築>建設の失敗が<さまざまな建築>の可能性を開いた。建築は「建築的瞬間、欲望、創造に属する未知なる思考の道」である。それは思考の可能性そのものである。建築/エロスは言語/ロゴスに向かって動く道であり、言語/ロゴスは建築/エロスに織り込まれて発現を待つ。建築的思考は超越的なシステムでなく道を歩みつつおこなわれる内在的な行為だ。バベルは超越的ロゴスの象徴であり内在的ロゴスのラビリンスに対立する。ラビリンス、それは途上にあり渦中にある道を切り開く思考、無限の可能性に向けて開かれた思考、唯一絶対から逸脱する思考、超越でなく内在を生きる思考、言語に漸近しつつ物に即する思考、意識に導かれながら身体を通過する思考である。建築は宇宙を構想する思考の結晶/バベルでありながらつねに洞窟/アルタミラの暖かさのなかにあった。エロスとタナトスは循環しロゴスがその底を支える。そこに生成するフィクションを構想者は横断する。

V.空間加工のイメージ

A.臨床建築事例/「独身者の住まい」の設計プロセス

建築的欲望Λを以下のように書き表すことができる。

:内在

:超越

 ここで、λ:ロゴス、ε:エロス、τ:タナトス

B.空間加工

建築は身体の運動のイメージをともない<空間加工のイメージ>として立ち現れる。それは<思考の身体性>に触れている。意志は欲望を裏切ることも死を選び取ることもできる。タナトスもまた自由な意志の表出でありうる。死の想像力に支えられ、人間は自由を実感し言葉が生まれ建築が生まれた。そこに見出される思考の形がタナトスである。

C.スクリーンの余白

われわれは「象徴界」に生きているから記号を通してしか物を見ることができなくなっている。建築は記号であり、記号でない。世界を開く記号であるとともに世界を封印する記号でもあり、世界を遮断する物でもある。建築という思考のスリリングな運動は、物そのものに出会おうとして出会い損ね、しかし出会う瞬間-<建築的瞬間>-にときおり出会ってしまう。世界はスクリーンに媒介されてやってくる。スクリーンの考案こそが世界の可能性を広げる。西田幾多郎はこれを、生物的身体に重ねられたロゴス的身体の形成に見た。現実を「表現的」に把握する身体である。身体は欲望と物語が織り込まれた潜在的活動体であり、可能世界を開く空間加工の主体である。世界は与えられるものでなく、その渦中を泳ぎきりつつ思考する場である。アルタミラの闇にほとばしるエロス、バベルの崩壊で散乱するロゴス、それは建築の誕生であり、その怖れと驚きはいまなお建築構想の現場のものである。われわれはなお神話を生きざるをえない。正義のために戦い、理念のために命を捨て、恋に狂い、美に酔う。神話もまた人類の生み出したスクリーンであり、建築もまた世界を映し出すスクリーンである。その生成展開の原動力はフィクションの力である。

D.自由の位相

設計することの喜びは個人的なものである。建築は社会の所産であり、「象徴界」に即して語られうる。しかし同時に「現実界」に駆動された個人の享楽の行為でもある。

E.建築的瞬間の訪れ

人間は不条理かつ無気味な欲動に導かれて生きている。禁忌をものともせず享楽に身を浸す喜び。建築はこれと無縁でない。建築という<道を開く思考>はつねに無気味なものとの邂逅が宿命づけられている。<建築的瞬間>はいわば<無の場所>における出来事であり、ジジェクの言う「絶対的な死」に触れる瞬間である。生の場面を待つ死の形式、これが建築を還元した果ての始原の風景である。凍結された時間、未完結な形象、自閉的静寂、すなわち<モニュメント/廃墟/ニルヴァーナ>。ここに身体=欲望をつなぎ込む。建築はタナトスの形象化であって、それはエロス発動の装置であり、それ自身がエロスによる活性化を待ち受けている。<建築的瞬間>は生の流動と死の平面を合わせ鏡にして映し出す瞬間であり、歴史のなかに非歴史的時間が、クロノスにアイオーンが、ロゴスにエロスが、共同の物語に個人の詩が、挿入される。スクリーンの余白に、他者たちの語らいの裂け目に、エロスが出現しなめらかな面を撹乱して、ついにはタナトスである死の形式、静寂の秩序に下降する。建築的思考の運動は飛翔を繰り返しつつ反復し、<形式>と<他者>と<物>の間を往還するのであって、それらはついに終わることがない。

審査要旨 要旨を表示する

 18世紀にカントが提唱した理性のモデルに対して、20世紀の度重なる戦争はその有効性に疑義を唱えた。こうした事態に対しフロイトは、「死の欲望」という概念を提示し、非合理的な思考を顕在化させ、無意識の重要性を指摘した。この思考を継承したのがラカンで、彼は言語化されない、いわば言語の余白に現れる無意識の構図に着目し、論を展開した。建築の設計も必ずしも合理的・理性的な判断の下に行われているわけではない。本論文は、建築設計における無意識の思考プロセスを対象に、古代ギリシャ哲学から現代フランス思想に至るまでの広範な哲学思想に論及しつつ、筆者のいう<建築的瞬間>がどのような情動に基づいて喚起されるかについて論考したものである。

 論文は、序論とI〜IVの部分から成るが、その要旨は次の通りである。

 序論

 本論文の課題について述べた後に、建築的思考がいかにランガージュの構造をもつかについて、ロゴス、エロス、タナトスという、本論の基調となる概念を用いて説明している。

 I.エロスの位相

 前提となる主要な概念の説明と、論旨の展開の方向性に関する解説である。フロイトのエロスと「文化」の関係性について考察し、エロスに対する障害として立ちはだかる「文化」が、結果的にエロスの強度を高めていることに着目し、「文化」は、<自然に対する制御システム>であるのと同時に、<人間関係の調整システム>であるとしている。これらは、<物と人の関係>と<人と人の関係>の在り方を示し、<支配の知>と<分配の知>として社会化されるが、この関係性は正に、建築に要請されている機能である。生への欲動であるエロスは、同時に死への欲動であるタナトスを相補的に伴なうが、前者が個としての充足を求めるのに対して、後者は共同体としてのそれを希求している。この関係性は、エロス−形、タナトス−形式と置き換えると、建築という行為に転換される。

 II.可能世界の構想

 建築という行為が、どのような世界観の下に動機づけられ、展開しているかについての考察である。人間はその進化の過程において道具や言語を獲得し、<圧縮・保存・輸送>の技術を確立したが、その結果として、世界は所与のものではなく、可変的なものであるとの認識に至った。建築という行為は、身体を世界へ拡張する行為と位置づけられるが、重要なのは、事物と事物の関係性、すなわちロゴスである。ロゴスの存在により、エロスとタナトスを動因とする設計行為を統御することが可能になる。

 III.場の思考

 外部との関係性、とりわけ、自然が建築のメタフォアになる場合が多いが、境界の形態を規定する閾により空間は活性化される。建築を訪れる自然や人間の諸相に対し、抵抗する閾の形式を決定することにより、設計主体の意図が機能する。

 IV.思考の可能性としての建築

 ハイデガーのロゴスと、フロイトのエロスとの対比である。前者が、宇宙と人間の間に働く法則で、全体から個に向かう統合であるのに対し、後者は、メタフォア、メトニミーとして個から全体に向かう発散になる。ロゴスは超越を、エロスは内在を志向するが、建築的志向はエロスとロゴスの相克によりダイナミズムを獲得する。個のロゴスが倫理を生み、それがエロスの発露となり、やがてタナトスに収斂する。バベルの塔は、建築に対して時間的な凍結を挑んだが、<唯一の建築>の失敗が<さまざまな建築>の地平を切り開いた。ダリダは「建築的瞬間」という用語で建築という思考の可能性についで言及しているが、それは正にロゴスとエロスの相克において、思考の回路が切り替わる瞬間である。

 V.空間加工のイメージ

 実際の設計過程においてどのように思考が変遷したかという臨床例である。は2000年に完成した住宅であるが、その設計過程においてどのように思考が展開し、また変化していったかをスケッチから辿り、思考の転換点から<建築的瞬間>の訪れについて検証したものである。

 建築的欲望Λを、

εはエロス、τはタナトス、λはロゴスで、

◇はラカンのポワンソン

と定義すると、<建築的瞬間>はこの逆数になる。建築的瞬間は生の流動と死の平面とを合わせ鏡にしたようなもので、そこでは相対立する諸概念が同時に映し出されるが、この空間加工を深化させることにより建築的思考が次第に空間化される。

 以上要するに、本論文は、建築という行為が人間の深層心理においてどのような動機に基づき発動し、それがどのような思考回路を経て実際の建築物になってゆくのかについての考察で、そこでは、古代ギリシャから現代に至るまでの形而上学的な諸概念が援用され、<建築的瞬間>がどのようなメカニズムに基づく思考であるのかが明らかにされている。

 これは、森田慶一、増田友也、加藤邦男氏らが展開してきた、建築とは何かを問う建築論・設計論に対して、設計行為そのものを直接的に問いかける新たな設計論を開示するものである。筆者の提示した、ロゴス、エロス、タナトスをキーワードとする情動論的設計論は、思考過程における本質を捉える試みとして極めてユニークで、設計という行為の断面を鮮やかに再現したものである。これは建築計画学の分野に新たな方法論を提示するもので、その意義は大きいと判断される。

 よって、本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/38193