学位論文要旨



No 216574
著者(漢字) 中原,慎二
著者(英字)
著者(カナ) ナカハラ,シンジ
標題(和) ネパール都市部における育児支援と子どもの栄養状態の関係に関する研究
標題(洋) Availability of childcare support and nutritional status of children of non-working and working mothers in urban Nepal
報告番号 216574
報告番号 乙16574
学位授与日 2006.07.19
学位種別 論文博士
学位種類 博士(保健学)
学位記番号 第16574号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 牛島,廣治
 東京大学 助教授 黒岩,宙司
 東京大学 教授 甲斐,一郎
 東京大学 教授 赤林,朗
 東京大学 助教授 梅崎,昌裕
内容要旨 要旨を表示する

目的

途上国の多くの家庭において、育児を含む家事労働は女性の役割とされている。先進国に比べて燃料集め、水汲み、食事の支度などには多大な時間を要するため、収入を得るための就労をしていない場合であっても、労働時間は男性と同等かさらに長いと報告されている。彼女らの自由に使える時間は非常に少なく、新たな活動、例えば現金収入を得るために仕事を始めるなど、に従事するためには他の活動に使用している時間、例えば育児の時間、を割くことになる。子どもの栄養失調のおもな原因として、食物の不足と疾病の他に、適切な育児(ケア)の不足があげられる。先行研究ではこの点に注目し、母親の就労が育児時間と子どもの栄養状態に与える影響について、また、育児支援の有無が就労の影響をどのように修飾するのかを検討している。これらの分析においては、就労していない母親の子どもを対照群として、就労している母親の子どもの栄養状態を評価しているが、これは専業主婦であれば十分な時間を育児に当てられるという前提に立っている。しかし、母親が就労しない、あるいは、できない理由は、経済的な余裕だけではなく、時間的余裕や育児支援が無いこともありうる。他の家事労働にかかる時間の長さを考えれば、育児時間と家事労働時間の間の葛藤もありうる。とすれば、専業主婦の子どもに対しても育児支援は必要であり、育児支援が子どもの栄養状態に資する可能性がある。そこで、本研究では、就労する母親の子どもと就労していない母親の子どもを比較するのではなく、それぞれの群(就労群と非就労群)において、育児支援の有無と子どもの栄養状態との関係を明らかにすることを目的としている。

方法

 ネパール王国ポカラ市において、2003年11月から12月に公立保育園の子どもの栄養に与える影響に関する縦断研究のためのベースラインデータを収集した。本研究ではこのデータを用いて分析を行った。ポカラ市ではUNICEFの援助を受けて17の公立保育園を運営しており、それぞれ25人程度の未就学幼児を受け入れている。各保育園の待機児童リストから、年齢の若い方から15人ずつ縦断研究への参加を求めた。リストが15人に満たない場合には全員に参加を求めた。選択された249人のうち、栄養失調のリスクが高い月齢24ヶ月以下の155人を本研究の対象とした。保育園は乳児を受け入れていないため、対象者の最年少者の月例は10ヶ月であった。そのうち、4人は縦断研究に参加拒否し、1人はデータの不備のため分析から除外した。

 結果変数はWeight-for-age z-score(WAZ)とHeight-for-age z-score(HAZ)とし、それぞれ−2以下を、underweight とstuntingと定義する。身長と体重は保育園のスタッフが保育園で、WHOの定める標準的測定方法によって、それぞれ1mm、100g単位で測定した。予測変数は母親の労働中(家事労働含む)に育児支援(substitute caregiver)が得られるかどうかで、15歳以上の支援者が得られる場合を支援あり、15歳未満の支援者が得られる場合を子どもによる支援あり、それ以外を支援なしとした。調査の時点で母親が現金収入を得ている場合に就労ありと定義し、事務仕事をformal、肉体労働などの非熟練労働をinformal、家内工業はdomesticと就労カテゴリを分類した。予測変数及びその他の社会経済的要因については、保育園のスタッフが家庭訪問して、母親に対して面接調査をおこなった。身体測定と面接調査について保育園スタッフに対して2日間のトレーニングを行った。

 分析はWAZとHAZを従属変数とするロジスティック回帰を用いた。前述のUNICEFモデルに基づいて独立変数の選択を行い、ロジスティック回帰モデルを作った。給餌行動と疾病の有無は、育児支援の有無と栄養状態との間の媒介変数である可能性から、これらを含まないモデル(model1)と含むモデル (model2) とを検討した。

結果

 対象となった150人のうち、男児が66人、母親が就労していない「非就労群」が78人、就労している「就労群」は72人であった。就労していない母親は就労している母親よりも、若く、教育レベルが高く、同居家族が多く、子どもの数が少なく、世帯合計現金収入が少なかった(全て統計的に有意)。両群で子どもの月齢と、カースト構成に差は無かった。就労している場合はinformal workが65%と大半を占めていた。

 育児支援の有無は、両群で有意差は無かったが、非就労群では大人による支援を得られるのが47%、就労群では38%であり、子どもによる支援に頼っていたのは非就労群で17%、就労群で32%と、就労群で子どもに頼る傾向が見られた(p=0.09)。給餌行動では、就労群で有意に固形食の回数が少なかった(中央値:就労群3回;非就労群4回)が、母乳の継続、粉ミルク使用、離乳食開始時期に差は無かった。

 母親の申告による過去一週間の疾病経験については、下痢が15%、発熱が35%に見られ、underweight とstuntingの割合はそれぞれ36%と43%で、これらに関して両群で差は無かった。

 非就労群では、model1でunderweightと stunting のリスクともに、育児支援のない場合は大人による支援のある場合に比べて有意に高く、オッズ比はそれぞれ3.9、5.8となった(Table)。子どもによる育児支援では、有意ではないがオッズ比はそれぞれ4.4と2.2であった。Model2で給餌行動と疾病を考慮にいれた場合に、これらの関係に変化は無く、支援のない場合のオッズ比はunderweightと stuntingでそれぞれ5.8と9.1であった。

 就労群ではmodel1で、育児支援のない場合とこどもによる支援の場合にunderweight のリスクが有意に高く、オッズ比はそれぞれ17.4と11.4となったが、stuntingについてはオッズ比が1.9と3.3であったが有意にはならなかった。Model2でこれらの値に大きな変化は無かった。就労カテゴリと栄養状態の関係では、informal workerの子どもはformal workerの子供に比べて、underweightのリスクが有意に高くオッズ比はmodel1で20.1、model2で31.1であった。就労カテゴリはstuntingと関連は示さなかった。

考察

 就労の有無とは関係なく、大人による育児支援を得られるほうが子どもの栄養状態が良いことが示された。就労していない場合であっても、家事労働の負担が大きく、支援がない場合には十分な育児を行い得ないということを示唆している。母親が現金収入を得ていない場合には、世帯において利用できる資源が少ないため、家事労働と育児の間の資源配分をめぐる葛藤は激しくなる可能性が考えられる。

 子どもによる支援は、就労群では栄養状態の悪化と有意な関係が見られたが、非就労群では有意な関係は無かった。就労群では母親が不在の間に、兄姉が幼い弟妹の世話をすることになるが、子どもが独力で乳幼児の育児を適切に行うのは困難である。一方、非就労群では母親の監督下に世話をさせることができるし、育児以外の家事労働の手伝いをさせることもできる。

 子どもによる育児支援さえ得られない場合には、就労している母親は仕事に乳幼児を連れて行くか、最悪の場合家に乳幼児だけ残していかなければならない。本研究の対象者は、路上での物売りや建設現場などの肉体労働に従事するものが多く、子どもを連れて行ったところで適切な育児を行えるとは考えられない。

 育児支援と栄養状態の媒介因子(適切なケアの具体的内容)と考えられる給餌行動と過去一週間の疾病をモデルに加えた場合でも、育児支援と栄養状態の関係は変化しなかった。食事の内容や量については聞いていないこと、これらの測定が自己申告に基づくなどのため、測定精度の低いことが原因かもしれない。他にも媒介因子と考えられる、予防接種、疾病に対する治療内容、母親の時間配分などをモデルに入れることができなかった。その結果、どのようなメカニズムで育児支援が栄養状態の改善に結びつくかは検討できなかった。

まとめ

 本研究において、就労の有無に関係なく育児支援が子どもの健康な成長に役立つ可能性が示唆された。就労していない母親は支援が無くとも十分な育児が行えるという前提は現実的ではない。子どもの成長発達を支援する介入には育児支援の構成要素が必要であり、就労していない母親の子どももその対象に含むべきであろう。

Table Effects of availability of child care support on child nutrition among children of non-working and working mothers

The models include househols cash weekly income, proportion of mothers's income in total household income if working, mother's work hour if working, No. of children, No. of adult family members, mother's age, mother's education level, child age, and child sex. In addition to them, model 2 includes diseases episode during the previous week and feeding practices.

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は、専業主婦であっても長い家事労働時間と育児時間との葛藤が起こりうると考えられる発展途上国都市部の貧困層において、就労している母親と就労していない母親(専業主婦)の子どもそれぞれについて、育児支援の有無と子どもの栄養状態との関係を明らかにすることを目的としたものである。ネパール王国ポカラ市の市立保育園17園の待機児リストから選んだ24ヶ月以下の150人を対象として、身体測定と、保護者に対する質問紙を用いた面接調査を行って、就労群と非就労群それぞれにおいて、育児支援の有無と、子どもの栄養不良(underweight: Weight-for-age z-score <= -2あるいはstunting: Height-for-age z-score <= -2)の有無との関係を分析し以下の結果を得ている。

 育児支援の有無は、非就労群では大人による支援を得られるのが47%、就労群では38%であり、子どもによる支援に頼っていたのは非就労群で17%、就労群で32%と、就労群で子どもに頼る傾向が見られた(p=0.09)。給餌行動では、就労群で有意に固形食の回数が少なかった(中央値:就労群3回;非就労群4回)が、母乳の継続、粉ミルク使用、離乳食開始時期に差は無かった。 母親の申告による過去一週間の疾病経験については、下痢が15%、発熱が35%に見られ、underweight とstuntingの割合はそれぞれ36%と43%で、これらに関して非就労群、就労群で差は無かった。

 多変量ロジスティック回帰モデルで交絡因子をコントロールした結果、非就労群78人では、大人による育児支援がえられない場合に、支援がある場合に比べてunderweight とstuntingのオッズ比がそれぞれ3.9、5.8であり、ともにリスクが有意に高かった。子どもによる育児支援がある場合には、これらのリスクは有意に高くはなっていないが、オッズ比はそれぞれ4.4と2.2であった。モデルに給餌行動と過去一週間の疾病を投入してもこれらの関係に変化は見られなかった。就労群72人では、大人による支援が得られない場合と子どもによる支援がある場合ともに、underweightのリスクが有意に高くオッズ比はそれぞれ17.4と11.4となったが、stuntingについてはオッズ比が1.9と3.3で有意な関係はなかった。モデルに給餌行動と過去一週間の疾病を投入してもこれらの関係に変化は見られなかった。

 以上、本論文では、就業していない母親は独力で十分な育児が行いうるという従来の前提が途上国貧困層では正しくないことが示唆され、これまで明らかにされてこなかった貧困層における、就労していない母親に対する育児支援の必要性が始めて明らかにされた。従来の研究では、母親が就業している場合のみに注目しており、就業していない母親の子どもを対照群として、就業している母親子どもに対する育児支援が十分かどうかを検討してきた。就労していない場合であっても育児支援を必要とする場合があり、本研究の結果は今後途上国において、子どもの栄養状態改善プログラムを構築するために寄与すると考えられ、学位の授与に値するものと認められる。

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