学位論文要旨



No 216576
著者(漢字) キェタップチュー スパープ
著者(英字) Kietthubthew Suparp
著者(カナ) キェタップチュー スパープ
標題(和) タイ国南部の口腔癌と関連遺伝子の分子疫学的研究
標題(洋) Molecular epidemiology of oral cancer susceptibility genes in Southern Thailand
報告番号 216576
報告番号 乙16576
学位授与日 2006.07.24
学位種別 論文博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 第16576号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 石田,貴文
 宮崎大学 教授 加藤,貴彦
 東京大学 講師 井原,泰雄
 東京大学 教授 徳永,勝士
 東京大学 助教授 諏訪,元
内容要旨 要旨を表示する

 口腔扁平上皮癌は世界中、特に発展途上国で、男女を問わずよく見られる悪性腫瘍であるため、広く関心が持たれている。口腔扁平上皮癌は東南アジアでも好発するが、タイでは男性の癌のうちで上位4番目に数えられている。タイでは口腔扁平上皮癌は南部において発症頻度が最も高くなっており、タイ南部における10万人当りの年齢規準化罹患率(ASR)は、男性と女性で、それぞれ12.9と3.5とになる。この地域における口腔扁平上皮癌発症の危険因子として、生活様式、習慣、特に喫煙、飲酒、およびビンロウ椰子噛みが挙げられる。しかしながら、実際に癌を発症するのは、これらの危険因子に暴露されている人の中でもごく一部であり、従って、個々の人が持つ癌になり易さに関わる遺伝的背景が重要な役割を果たしていると考えられる。すなわち、喫煙による煙や他の有毒物質から発生する発癌物質や発癌物質前駆体を代謝する酵素の分解能、DNA損傷を修復する修復能、細胞周期のチェックポイント能が口腔扁平上皮癌発症に関与していると考えられ、これらを担う遺伝子の変異と口腔扁平上皮癌発症に注目し本研究をおこなった。

 本研究では、口腔癌患者106人と対照健常者164人を研究対象とした。生活様式、習慣、食餌等の聞き取り調査をおこなったところ、より多くの喫煙者、飲酒者、特にビンロウ椰子愛好者が患者群に見いだされた。ビンロウ椰子を噛む習慣はタイのみならず南アジア・東南アジア・オセアニアに古くからある。この習慣はタイではここ10年の間に急速に廃れて来ているが、南部タイでは高齢者にいまだ愛好者は多く口腔癌の発症に要因の一つとなっていると考えられた。

 発癌物質の代謝活性化(フェーズI)と解毒(フェーズII)にかかわる酵素(XMEs)に活性変化をもたらす遺伝的多型が知られている。多くのXMEsの遺伝子多型が、口腔扁平上皮癌を含む癌の発症感受性に関与していることが報告されてきた。 同様に、多くのDNA修復遺伝子も多型性を示し、癌との関連が報告されてきた。しかしながら疫学的研究によりもたらされたデータは矛盾する結果を示していた。それらの矛盾の背景として、研究対象である民族集団の違いや、癌の種類が考えられた。本研究は、タイにおける口腔扁平上皮癌と関連する遺伝的多型との関連を見いだすことを目的とした。XMEs遺伝子に関しては7遺伝子8多型について検索した。 すなわち、phaseI酵素群に見られる、CYP1A1Ile462Val、CYP2E1 5'フランキングPstI多型、MPO-463多型、およびphaseII酵素群では、GSTM1欠損、GSTT1欠損、GSTP1 Ile105Val、EPHX1 Try113His、EPHX1 His139Argについてである。DNA修復遺伝子に関しては、5遺伝子、9多型、XRCC1(Arg194Trp、Arg399Gln)、XRCC3 Thr241Met、XPD(exon6、Lys751Gln)、XPC(-PAT、exon15)、MGMT(Trp65Cys、Leu84Phe)を検索した。がん抑制遺伝子の1つp53については、 コドン72多型を調べた。実験手法としては、PCR-RFLP法を用い、遺伝子型の判定をおこなった。

 XMEs遺伝子の対照健常者における遺伝子型頻度は、以下のごとくであった。CYP1A1 ILe462Valでは、Ile/Ile、Ile/Val、Val/Valがそれぞれ54.7%、37.9%、7.9%であった。 CYP2E1 5'フランキングPstI多型では、c1/c1、cl/c2、c2/c2がそれぞれ79.9%、18.9%、1.2%であった。MPO-463多型では、GG、GA、AAがそれぞれ64.6%、31.1%、GG、4.3%であった。GSTM1欠損は65.9%、GSTT1欠損は36.0%であった。GSTP1 Ile105Valでは、Ile/Ile、Ile/Val、Val/Valがそれぞれ59.7%、40.2%、1.8%であった。EPHX1 Try113Hisでは、がTry/Try、Try/His、His/Hisがそれぞれ23.9%、55.2%、20.9%であった。EPHX1 His139Argでは、His/His、His/Arg、Arg/Argがそれぞれ59.8%、38.4%、1.8%であった。患者におけるそれぞれの遺伝子型頻度で対照群と有意に異なるものはなかった。XMEs多型と口腔扁平上皮癌に関する危険率について回帰分析をおこなったところ、統計的に有意な違いは見いだされなかった(p>0.05)。また、危険因子となる習慣とXMEs多型とが関連し、口腔扁平上皮癌発症に関する危険率を左右することもなかった。以上のことから、タイにおいてはXMEs遺伝子多型で口腔扁平上皮癌発症感受性に関連するものは無いことが判った。

 DNA修復遺伝子の多型と口腔扁平上皮癌のリスクに関しては、XRCC3 241Metが有意な危険因子として見いだされた(OR=3.3、95%CI=1.31-8.36、p=0.01)。危険因子と考えられている対立遺伝子の3つの組合せ、XRCC3 241Met、XRCC1 194Trp、およびXPD exon6は危険度を有意に増加させることが判明した(OR=9.43、95%CI=1.98-44.9、p<0.01)。さらに、喫煙者と飲酒者において、XRCC1 194Trpがリスクを有意に上昇させていることが観察された(OR=3.37、95%CI=1.41-8.02、p<0.01)。XPD exon6多型は非喫煙者と非飲酒者において危険因子として同定された(OR=4.10、95%CI=1.20-14.0、p=0.03)。男性では、XRCC1 194TrpとXRCC3 241Met変異型を持つことが、かなり高いリスクとなり(OR=2.72、95%CI=1.34-5.52、p<0.01、OR=2.95、95%CI=1.12-7.75、p<0.05)、一方、女性ではXPD exon6が危険因子として認められた(OR=3.93、95%CI=1.14-13.6、p<0.05)。

 p53コドン72多型と口腔扁平上皮癌のリスクには関連が見いだされなかった。また、喫煙習慣、飲酒習慣とも関連は見いだされなかった。

 本研究はタイ人集団における口腔扁平上皮癌の発症に関する最初の分子人類学的研究である。解毒・代謝関連酵素遺伝子、DNA修復遺伝子、癌抑制遺伝子p53を含む13遺伝子18多型について検索した結果、タイにおける口腔扁平上皮癌の発症危険多型として、DNA修復に関連したXRCC1 194Trp、XRCC3 241Met、およびXPD exon6が見いだされた。興味深いことに、これらの3つの遺伝子は異なるDNA修復の経路に関与しており、このことは、喫煙による煙や他の有毒物質から発生する発癌物質や発癌物質前駆体が誘発するDNA損傷には異なるタイプの損傷が存在することと対応していた。これらの変異型を保有する、口腔扁平上皮癌を発症しやすい個体では、環境毒の遺伝子損傷に対し、DNA修復が不十分となり癌化へとつながると考えられた。以上より、本研究ではタイにおける口腔癌発症には、従来提起されていた、解毒・代謝関連酵素遺伝子、DNA修復遺伝子、癌抑制遺伝子p53のなかで、DNA修復遺伝子多型が重要な役割を果たしていることが示された。これら宿主の感受性遺伝子多型情報を用いることで、タイの口腔癌の早期診断に貢献が期待できる。また、本研究を遂行する過程で得られた13遺伝子18多型のデータセットは、これからのタイにおけるヒトゲノム多様性研究に資するところが大と思われる。

審査要旨 要旨を表示する

 口腔扁平上皮癌は世界中、特に発展途上国で、男女を問わずよく見られる悪性腫瘍である。タイでは男性の癌のうちで上位4番目に数えられているが、南部において発症頻度が高くなっている。この地域における口腔扁平上皮癌発症の危険因子として、生活様式、習慣、特に喫煙・飲酒・ビンロウ椰子噛みが挙げられる。しかしながら、実際に癌を発症するのは、これらの危険因子に暴露されている人の中でもごく一部である。従って、個々の人が持つ癌になり易さに関わる遺伝的背景が重要な役割を果たしていると考えられる。すなわち、喫煙による煙や他の有毒物質から発生する発癌物質や発癌物質前駆体を代謝する酵素の分解能、DNA損傷を修復する修復能、細胞周期のチェックポイント能が口腔扁平上皮癌発症に関与していると考えられ、これらを担う遺伝子の変異と口腔扁平上皮癌発症について研究したのが本論文である。

 本論文は3つの部分から構成されている。第1部で研究全体の背景の説明と位置づけ、及び、調査研究対象集団のプロフィールが示されている。第2部は本論文の主要な部分であり研究成果が提示されている。第3部が全体のまとめに充当されている。

 第2部は3章からなる。発癌物質の代謝・解毒関連酵素(XMEs)遺伝子に関しては7遺伝子8多型(CYP1A1Ile462Val、CYP2E1 5'フランキングPstI多型、MPO-463多型、GSTM1欠損、GSTT1欠損、GSTP1 Ile105Val、EPHX1 Try113His、EPHX1 His139Arg)について解析し、タイにおいてはこれらのXMEs遺伝子多型で口腔扁平上皮癌発症感受性に関連するものは無いことを示した。次に、DNA修復遺伝子に関しては、5遺伝子9多型( XRCC1(Arg194Trp、Arg399Gln)、XRCC3 Thr241Met、XPD(exon6、Lys751Gln)、XPC(-PAT、exon15)、MGMT(Trp65Cys、Leu84Phe))を解析し、まずXRCC3 241Metを単独危険因子として同定した。これまで危険因子と考えられている3つの対立遺伝子座の多型の組み合せ、XRCC3 241Met+XRCC1 194Trp+XPD exon6は危険度を有意に増加させることも示した。これらの3つの遺伝子は異なるDNA修復の経路に関与している。このことは、喫煙による煙や他の有毒物質から発生する発癌物質や発癌物質前駆体が誘発するDNA損傷には異なるタイプの損傷が存在することと対応し、これらの変異型を保有する口腔扁平上皮癌を発症しやすい個体では、環境毒の遺伝子損傷に対し、DNA修復が不十分となり癌化へとつながるとの解釈を提示することが出来た点は興味深い。一方、細胞周期チェックポイントp53のコドン72多型とタイの口腔扁平上皮癌のリスクに関しては関連性を否定した。

 以上より、解毒・代謝関連酵素遺伝子、DNA修復遺伝子、癌抑制遺伝子p53を含む13遺伝子18多型について統合した検索をおこない、タイにおける口腔扁平上皮癌の発症危険多型として、DNA修復に関連したXRCC1 194Trp、XRCC3 241Met、およびXPD exon6に注目すべきであることを示した点は高く評価された。本論文はタイ人集団における口腔扁平上皮癌の発症に関する最初の分子人類学的研究であり、DNA修復遺伝子多型が重要な役割を果たしていることが初めて示した点は、今後の研究の方向性を示すもので重要と判断された。また、これら宿主の感受性遺伝子多型情報を用いることで、タイの口腔癌の早期診断に貢献するという社会への成果の還元にもつながるものと期待された。本研究を遂行する過程で得られた13遺伝子18多型のデータセットは、これからのタイにおけるヒトゲノム多様性研究に資するところが大きいと高く評価された。

 本論文は、Sriplung、Au、石田貴文との共著であるが、石田は指導教員として、Sriplungは統計解析指導者として、Auは実験指導者として加わっており、本論文の実験・解析は論文提出者が終始主体となっておこないその論文への寄与は十分と判断される。

したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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