学位論文要旨



No 216577
著者(漢字) 田邉,裕美
著者(英字)
著者(カナ) タナベ,ヒロミ
標題(和) 固結溶岩流上に成立したアカマツ(Pinus densiflora)林の窒素利用に関する研究
標題(洋)
報告番号 216577
報告番号 乙16577
学位授与日 2006.09.04
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第16577号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 丹下,健
 東京大学 教授 寳月,岱造
 東京大学 教授 梶,幹男
 東京大学 講師 松下,範久
 東京大学 講師 益守,眞也
内容要旨 要旨を表示する

 養分、特に窒素(N)は植物体に約1%の割合で含まれ、植物の成長を規定する重要でかつ他の元素に比べて大量に必要な養分である。リンやカリウムなどの養分が岩石由来であるのに対し、Nのみが大気中のNガスを生物が固定することによって生態系にもたらされる。そのため、生態系にNが蓄積するには時間がかかることから、一次遷移系列上の初期段階で植物の成長を規定するのはNであるとされ、N利用機構を明らかにすることが、一次遷移初期過程における森林成立機構を明らかにするうえで重要である。

 本論は、日本を代表する一次遷移系列上の先駆樹種であるアカマツが土壌が未発達な立地でどのようにNを吸収し、森林を成立維持しているのかを明らかにすることを目的とした。

 第1章では、既存の論文を概観し、これまでこの命題がどのように議論され、どのようなデータが不足しているのかを整理し、研究の方向性を示した。特に既存の研究で評価されることが少なかった細根のN動態を含めてアカマツ林のN利用の実態を精査し、研究を進めることを明言した。

 第2章では、調査対象としたアカマツ林を概観し、気候条件、立地の履歴や林分構造、土壌条件について整理した。調査対象としたアカマツ林は、約1000年前に噴出した富士山北麓の剣丸尾溶岩流上に成立した、樹齢約85年生(1998年当時)の林分である。林冠はすでに閉鎖した成熟林分である。土壌は鉱質土層が未発達で、固結した溶岩の上にA0層が約20cmの厚さに堆積した状況にある。4月に測定した全N濃度は1.25%、炭素(C)とNの%比(C/N比)は34と、腐生菌によるNの無機化の目安となる25を上回る。実際4月に測定されたA0層の無機態N濃度はNH4+が2.75μgN g(-1)、NO3-は検出されず、Nの無機化速度が遅いことが推測された。

 第3章では、第4章以下で用いた試料木の樹幹解析を行い、調査林分の成長経過について考察を行った。調査林分では、およそ25年前に林冠が閉鎖し、この時期から個体間の淘汰が始まったと推定された。しかし優勢木の樹高成長は調査時点でも頭打ちを示していなかった。

 第4章では、調査対象のアカマツ林の純生産量、物質分配を調べ、同じ気候帯に属する鉱質土層の発達した立地に成立したアカマツ林と比較しながら、純生産や物質分配が低Nの環境に対し変化するか否かについて議論を行った。一般に低N環境下の植物は、純生産量が小さく、地下部、特に細根に対する物質分配が増大するとされる。調査林分のアカマツの現存量は192.6 Mg ha(-1)であり、67.3%を幹が、24.6%を構造根(直径>5mm)がそれぞれ占めていた。アカマツの純生産量は11.4 Mg ha(-1) year(-1)であり、褐色森林土や黒色土上に成立した同じ冷温帯域のアカマツ林の純生産量(平均20.7 Mg ha(-1) year(-1)(10.3〜38.2 Mg ha(-1) year(-1)))の下限であった。調査林分の細根(直径<5mm)の現存量は2.2Mg ha(-1)、純生産量は3.8Mg ha(-1) year(-1)で、地下部(細根+構造根)の純生産量は全体の約41.2%を占め、細根現存量や地下部への物質分配は褐色森林土や黒色土上に成立した同じ冷温帯域のアカマツ林の細根現存量(平均1.9Mg ha(-1)(1.0〜5.7Mg ha(-1)))や物質分配(平均27.2%(23.6〜34.5%))に比べ大きい傾向にあった。

 第5章では、調査対象のアカマツ林のN利用、特に細根を含めた林分のN利用を考察するため、林分のN貯留量、N要求量、N吸収量、N無機化速度、および湿性沈着量を見積もった。細根におけるN要求量とN吸収量はそれぞれ55.5、39.7 kgN ha(-1) year(-1)で、細根におけるN吸収量はN要求量の71.5%に達した。葉と比べ、細根における要求量に対する吸収量の割合が高い理由は、葉と異なり、細根においては枯死脱落前のNの再吸収率が低いためであった。林分全体のN要求量とN吸収量はそれぞれ92.7、61.9kgN ha(-1) year(-1)で、N吸収量はN要求量の66.8%であった。湿性降下物量は林分のN要求量のわずか6.1%、N吸収量の9.1%であった。以上の結果から、細根を除いて林分のN利用を計算した既存の報告が、種によっては翌年の成長(主に新葉の展開)に必要なNの90%以上がすでに樹体にプールされているNによって賄われるとした結果と異なり、細根を考慮した場合、成長(主に細根の伸長)のために必要なNの67%を毎年新たに土壌から吸収していることが明らかとなった。さらに、ヨーロッパの森林と異なり、湿性降下物として供給されるNが調査林分のN要求量に占める割合はそれほど高くないことも示された。

 A0層のN無機化速度は、春(NH4-Nが0.20kgNha(-1)mon(-1)、NO3-Nが0.01kgNha(-1)mon(-1))、夏(NH4-Nが0.37kgNha(-1)mon(-1)、NO3-Nは生成が観察されず)、秋(NH4-Nが0.29kgNha(-1)mon(-1)、NO3-Nが0.00kgNha(-1)mon(-1))となり、年間を通してアカマツのN吸収量に遥かに足りない値であった。さらにリター層のN濃度の季節変化を調べたところ、アカマツの展葉や細根の伸長に呼応してリター層のN濃度が低下し、それに伴ってC/N比が増大していた。腐生菌によるNの無機化の過程では、呼吸によって基質のCがCO2として放出されるため、C/N比は低下する。リター層のC/N比が増大していることから、調査林分のアカマツは成長に必要なNとして、リターに含まれる有機態のNを直接利用している可能性が考えられ、二栄養生物(宿主と分解基質の両方からCを受け取ることができる生物)である菌根菌の関与が考えられた。

 そこで第6章では、マツ林に分布する外生菌根菌を材料として培養菌糸と、アカマツ実生―外生菌根菌共生系にアカマツリターを付与し、菌糸やアカマツ実生の成長にリターの付与が影響するのかを調べた。

 調査林分に生育が確認されている外生菌根菌を中心に、14種の外生菌根菌を低Nの寒天培地で培養し、リターを付与した時としない時で菌糸の成長を比較した。培養を行った14種の菌根菌の内、ショウロ(Rhizopogon rubescens)やアミタケ(Suillus bovinus)では、針葉を混ぜたシャーレにおけるコロニー成長が針葉を混ぜないシャーレの成長を有意に上回った。またコツブタケ(Pisolithus sp.)、ヌメリイグチ(Suillus luteus)、シーノコッカム(Cenococcum geophilum)では、針葉を付与しないシャーレのコロニー成長が大きいか、コロニー成長では両者に有意差が認められないが、菌糸の密度が針葉を混ぜたシャーレにおいて明らかに高かった。以上の結果から、調査林分に生育が確認されている外生菌根菌の内の少なくともいくつかの種は、アカマツの針葉リターの付与による成長促進が認められた。

 さらに調査林分に生育する外生菌根菌を感染させたアカマツ実生を低Nの培養土に植栽し、リターを付与した時としない時のアカマツ実生の成長量、N含有量を比較した。16週間後の地上部(針葉と茎)の乾重量に処理区間の違いは認められなかったが、リターを付与した処理区(鉢)の個体全体と根の乾重量はリターを付与しなかった区のものよりも有意に大きかった。

 N含有量では、乾重量同様、地上部は処理区間で差がなかったが、根はリターを付与した処理区で大きく、個体全体でも、大きい傾向にあった。実験期間中にアカマツ実生が吸収したN量は、リターを付与した区が4.64±0.25mgN、付与しなかった区が3.78±0.52mgNであり、リターを付与した区の個体は付与しなかった区の個体に比べ、平均で0.86mgN多くのNを吸収していた。付与したリターの実験後の全N濃度は、有意差は認められないものの、実生を植栽したプロットで若干低下していた。C/N比についても、有意差は認められないものの、実験後に実生を植栽したプロットで若干の増加傾向、実生を植栽しなかったプロットで僅かな減少傾向にあった。これらの結果は、リターや腐植に含まれるタンパク質は、リグニンやタンニンに代表されるポリフェノールと強く結合しており、温帯林に分布する外生菌根菌は細胞外酵素のポリフェノール分解能が腐生菌やエリコイド菌に比べて低いことから、有機態Nの利用は潜在的なものとされていたが、アカマツが無機化の仮定を経ずに、A0層からNを直接吸収利用している可能性を否定するものではなかった。

 第7章では、以上の結果を総合的に考察した。Nの無機化が滞る土壌条件に成立したアカマツ林では、器官脱落時のNの回収による樹体内のN貯蔵の役割はこれまで言われている程大きくなく、リターとして樹体外に放出されたNの回収において、無機化の過程を経ずに、つまりアンモニアまで分解される前に、アカマツにより吸収利用されていると考えられた。

審査要旨 要旨を表示する

 窒素は植物の生育にとって重要かつ他の元素に比べて大量に必要な養分であり、窒素の供給能は、植物の成長を規定する主要な土壌要因の一つである。特に土壌が未発達な一次遷移初期の立地に進入定着する植物にとっては、窒素をいかに獲得するかが重要である。アカマツは、一次遷移初期の立地に進入定着し、純林を形成する先駆樹種として、また劣悪な土壌条件の立地でも生育可能な環境耐性の大きい樹種として知られている。本論文は、富士山剣丸尾の固結溶岩流上に成立したアカマツ林を対象に、有機物分解による窒素の無機化が抑制されている立地におけるアカマツ林の窒素動態の実態を詳細に明らかにし、このような土壌環境におけるアカマツの窒素獲得について考察を加えたものである。

 第1章では、これまでの関連研究をまとめ、細根の更新による窒素動態の評価が欠けていることを指摘し、細根を含めて窒素動態を評価する必要性を論じている。

 第2章では、調査林分の樹種構成及び土壌特性として、胸高断面積比で98%をアカマツ(平均樹高15m)が占めること、鉱質土層が未発達で堆積有機物層(厚さ20cm)のみからなること、堆積有機物のC/N比が大きく腐生菌による窒素の無機化に適さないこと、無機態窒素濃度が著しく低いことを示している。

 第3章では、樹幹解析によるアカマツの成長経過を示し、平均樹高成長速度は約20cm/年と小さいが、この数十年間に大きな成長速度の変化がなく林分としての物質生産が安定していることを示している。

 第4章では、調査林分の純生産量及び物質分配の調査結果を示し、土壌の発達した立地に生育するアカマツ林の既報データと比較している。調査林分の純生産量は、既報データの下限値であること、根の生産に使われる生産物の割合が41%と大きいことを示した。特に細根の成長には、純一次生産量の33%が使われており、針葉の生産に使われる割合(24%)よりも大きく、細根の更新における窒素動態を評価することの重要性を論じている。

 第5章では、調査林分における窒素動態を調べ、器官が枯死脱落する際に樹体に回収される窒素の割合が成長に必要な窒素量の33%にすぎず、残りの67%は土壌、本調査林分の場合には堆積有機物層から取り込む必要があることを明らかにしている。従来、貧栄養な土壌条件では、脱落器官から回収され再利用される窒素の重要性が指摘されてきたが、これは針葉に比べて回収率が低い細根を評価に加えていないことによって過大評価されている可能性を指摘している。調査林分において年間に湿性降下物と堆積有機物の無機化によって供給される無機態窒素量は、アカマツが土壌から吸収する窒素量の約15%であったことから、大半は堆積有機物から無機化を経ずに吸収利用されていることを示唆している。また堆積有機物層の窒素濃度とC/N比(炭素と窒素の比)の季節変化を調べた結果から、アカマツの肥大成長や針葉の展開、細根の成長等が盛んな春から夏にかけて、リターと粗腐植の窒素濃度が低下しC/N比が増大するという、通常の有機物分解過程で見られる傾向とは逆の傾向を示すことを明らかにした。この結果も、堆積有機物中の有機態窒素が無機化を経ずに利用されている可能性を示唆するものである。

 第6章では、アカマツと共生関係にある外生菌根菌を用いて、培養菌糸と外生菌根菌を感染させたアカマツ実生の成長が、アカマツのリターを培地に付与することによって促進されることを実験的に示し、アカマツによる有機態窒素の利用において共生関係にある外生菌根菌の関与の可能性について考察している。

 第7章では、以上の結果を総合的に考察し、窒素の無機化が抑制された立地にアカマツが生育可能なのは、器官脱落時に窒素を脱落器官から樹体に高率で回収していることによるのではなく、落葉や落枝、枯死根に含まれて樹体外に放出した有機態窒素を効率よく回収する仕組みを備えていることに大きく依存していると結論づけている。

 以上、本論文では固結溶岩流上に成立した一次遷移初期のアカマツ林の窒素利用の実態を詳細に調べ、堆積有機物層に含まれる有機態窒素を効率よく利用することによって窒素の無機化が抑制された立地でも生育可能であることを明らかにし、一次遷移初期の土壌が未発達な立地や貧栄養な立地で生育可能な植物の窒素獲得機構に関する知見を提供したものであり、学術上応用上寄与するところが少なくない。よって、審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

UTokyo Repositoryリンク