学位論文要旨



No 216578
著者(漢字) 夏,志松
著者(英字) Xia,Zhi-song
著者(カナ) シャ,ツーソン
標題(和) 中国におけるクワ萎縮病の病原とその防除に関する研究
標題(洋)
報告番号 216578
報告番号 乙16578
学位授与日 2006.09.04
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第16578号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 難波,成任
 東京大学 教授 宇垣,正志
 東京大学 助教授 山下,修一
 東京大学 助教授 鈴木,匡
 東京大学 寄付講座教員 客員助教授 濱本,宏
内容要旨 要旨を表示する

クワ萎縮病(mulberry dwarf)は中国、日本、韓国、ロシア(旧ソ連)、ベトナムなどの多くの蚕業国においてその発生が認められ、クワ(Morus spp.)の重要病害のひとつとなっている。特に、中国、日本、韓国など主要養蚕国では古くから甚大な被害を生じ、蚕業上大きな脅威となっている。本病は中国明時代(1600年頃)に最初に沈氏農書で「隆桑」との病名で記載されたが、特に問題となったのは20世紀後半になって(1960年代)からのことである。

 本病の原因は、当初、生理障害、ウイルスなど諸説が浮上したが、1967年に動物マイコプラズマに似た微生物がクワ萎縮病など各種の植物萎黄叢生病の篩部細胞内に見出され、マイコプラズマ様微生物(mycoplasma-like organism:MLO)と命名された(土居ら、1967)。また同時に石家ら(1967)により動物マイコプラズマに卓効を示すテトラサイクリン系抗生物質がMLOに治療効果のあることを明らかにし、MLOが本病の病原とされた。その後、世界各国で各種の萎黄叢生症状を示す植物病害より同様なMLOが見出され、植物におけるMLO病の広い存在が確認された。その後、1990年代に入って分子生物学的な研究が急速に進み、MLOの16S rRNA遺伝子の塩基配列を用いた分子系統学的な解析が進められた(Namba et al., 1993a)。その結果、MLOは動物マイコプラズマよりもむしろ、アコレプラズマやアナエロプラズマに近縁であることが明らかとなりMLOはファイトプラズマ(phytoplasma)と改称されるに至った。また、PCR法を利用した分子診断法も確立され、検出診断・同定技術は飛躍的な進歩を遂げた(Namba et al., 1993b)。

 本研究は、中国におけるクワ萎縮病の発生・被害・分布および病徴を調べ、その病因および発病、伝染の様式などを疫学的に解明するとともに、分子系統学的な解析を行った。また、伝統的な診断法に加え、分子診断法を確立すると共に、媒介昆虫の駆除・薬剤による病樹の治療・抵抗性品種選抜・無病苗の育成・罹病樹の除去などを検討し、さらに効果的な防除技術体系の確立を目的に行ったものである。結果の概要は以下の通りである。

1.病徴、発生、被害および伝染機作

 中国におけるクワ萎縮病は当初、病徴により黄化型萎縮病、萎縮型萎縮病および花葉型萎縮病の3タイプに分けられていた。このうち黄化型萎縮病および萎縮型萎縮病は今日では併せて日本の萎縮病に相当すると考えられ、花葉型萎縮病はウイルスあるいはウイロイド病の可能性が指摘されており、いわゆるクワ萎縮病は前二者の総称であると考えられる。黄化型萎縮病と萎縮型萎縮病はともに萎黄叢生症状を生じるが、前者のほうが重症を示し、発生も多く、被害も大きい。そこで、本研究では黄化型萎縮病を中心に萎縮型寄宿病も併せて検討した。本病に感染した罹病クワ樹では1〜2本の枝条にまず病徴が出現し、発病枝条は伸長を停止するとともに節間は短縮し、葉は著しく矮化して黄化するが、下位葉は正常に展開し全体的として菊花状を呈した。やがて、先端芽は枯死し、枝条の腋芽が発芽後側枝を生じた。側枝にはさらに多数の再生側枝を生じ、てんぐ巣症状となった。病株は翌年夏刈後枯死した。

 本病は中国では広域に発生し、江蘇省、山東省など主要蚕業省の11省で認められ、全国桑園の約1/4で被害が確認された。一般の病桑園では10〜30%のクワ樹が発病したが、激発桑園では60〜90%であった。

 本病はヒシモンヨコバイ(Hishimonus sellatus)とヒシモンモドキ(Hishimonoides sellatiformis)により伝搬され、これらの媒介昆虫が唯一の自然界での伝染経路であり、また発病苗を無発病桑園に持ち込むことが広域な伝播・蔓延の原因となった。

2.病原の同定

 クワ萎縮病罹病株の新梢および葉片の篩部組織の電子顕微鏡観察をおこなったところ、健全株の篩部組織には認められないファイトプラズマ粒子が全ての罹病株で認められた。また、本病の媒介昆虫であるヒシモンモドキの保毒虫体内にもファイトプラズマ粒子が確認された。また、本病罹病株はオキシテトラサイクリン(oxytetracycline)処理による治療効果が認められた。さらに、罹病クワ組織よりファイトプラズマを抽出・精製して、媒介昆虫に虫体内注射したのち、健全クワ苗に接種吸汁させ戻し接種を行ったところ、原病徴が再現された。また、この発病株からも電子顕微鏡観察でファイトプラズマ粒子が確認された。以上の知見より、中国産クワ萎縮病の病原はファイトプラズマであると結論された。

3.抵抗性品種の選抜とその抵抗性機構

 60余種のクワ品種について本病に対する抵抗性を検定したところ、育2号および湖桑7号において高度抵抗性かつ高度生産性が認められ、両品種を抵抗性品種として選抜した。これらの抵抗性品種の利用により、本病は効率的に防除できることが示され、特に育2号は本病にほとんど感染しない点で注目された。

 病害抵抗性に関与するとされるファイトアレキシン(phytoalexine: PA)について、抵抗性品種と罹病性品種について検討したところ、4種の活性を有するPA単体が分離され、強抵抗性の育2号では罹病性品種の湖桑32号よりそれらの含有量が3〜4倍高かった。これらの結果から、クワ品種のファイトプラズマ抵抗性とPAの各成分およびその含有量との関係が示唆された。

4.血清学的試験

 罹病クワ新梢維管束篩部から抽出・精製したファイトプラズマ部分精製試料を抗原に、家兎を用いて抗血清を作製し、健全クワ同様組織抽出試料により吸収を行った。免疫電気泳動を行った結果、健全クワでは認められない沈降帯が1本特異的に認められ、本抗血清が本病の検診に応用できるものと考えられた。

5.モノクローナル抗体の作製とその利用

 クワ萎縮病ファイトプラズマの超高感度検出診断技術を確立する目的で、本ファイトプラズマに対する特異的モノクローナル抗体を作製を試みた。その結果、罹病クワより部分精製したファイトプラズマ試料に対して、特異的に反応するハイブリドーマ3株が選抜された。そこでこれらの抗体を用いて、indirect ELISAにより本ファイトプラズマの検出を行ったところ、得られたモノクローナル抗体がその診断に有効なことが明らかになった。

6.組織培養法によるファイトプラズマの増殖と維持

 ファイトプラズマ感染クワ新梢組織片をMS培地を基本培地とする改変培地で培養してカルスを誘導し、不定芽より再分化し生長したファイトプラズマ罹病苗からさらに組織切片を取り、継代培養することで多数の罹病苗を作出した。18回の継代培養株でも組織内にはファイトプラズマが多数確認された。以上の結果から、組織培養法により同一の病原ファイトプラズマが多量に増殖し長期にわたって維持できることが確認された。

7.病原体の16S rRNA遺伝子の塩基配列解析およびPCR法による診断

 本病に感染したクワ組織から全DNAを抽出し、Mollicutes綱微生物の16S rDNAに共通のプライマーを用いてPCRにより増幅し、さらにファイトプラズマ特異的プライマーを用いてnested-PCRを行うことにより、クワ萎縮病ファイトプラズマを検出することができた。

 また、PCR増幅した16S rDNAの塩基配列をダイレクトシークエンシングにより決定した。その結果、中国産クワ萎縮病ファイトプラズマでは日本産クワ萎縮病ファイトプラズマに対して1塩基欠損しているだけで、非常に近縁であることが示唆された。

8.病樹治療法の確立

 クワ萎縮病罹病樹を薬剤処理することで病原ファイトプラズマの除去を試みた。その結果、水耕法により供試20種の薬剤から漢方薬剤を含む4種の薬剤に治療効果が見出された。そこで、オキシテトラサイクリン剤を用い、圃場でクワ罹病株の治療を試みたところ、70〜80%の病株で治療効果が認められ、本治療法の有効なことが確認された。この給薬法としては、主根に小孔を開け、薬剤を注入する方法が最も有効であった。

 しかし、本法では一部の病株で治療効果が認められなかった。その原因を究明する目的で薬剤の樹体内分布様相を調べた。すなわち、本薬剤を樹体内に注入したのち、定期的に罹病樹体各部から組織を採取し、オキシテトラサイクリンを抽出し、微生物法でその定量を行った。その結果、本剤の含有量と病樹治療効果との間に相関関係が認められた。本結果より、有効な治療効果を得るには罹病組織に20ppm/g組織の薬剤の含有が必要と思われた。また、クワ罹病苗の治療法についても検討したところ、病苗の根を2,000ppmの本剤液に4時間浸漬処理した後に定植することで高い治療効果が認められた。

9.防除法の確立

 中国における養蚕業の持続的発展および安定には、本病の発生と蔓延を抑制することが最大の課題のひとつである。そこで、種々の効果的な防除法を組み合わせて系統的な防除技術体系(総合的防除法)の確立を試みた。

 第一に、桑園の罹病株を掘り出して焼却した。これにより、伝染源の密度が低下し、媒介昆虫の保毒の機会・伝搬率が減少した。この方法では、病樹を掘り起こす時期が重要で、本病の発病と伝搬の関係からみると、夏刈後の6月中旬から9月上旬が病気の激発期と媒介虫の主な伝搬期である。従って、病徴が明瞭となる6月中・下旬に1回、その後2週間ごとに1回、桑園を巡検し、病株が認められたら、直ちに病樹を除去することで防除効果を上げることが出来た。

 第二に、抵抗性品種の導入を行ったところ、高い防除効果が認められた。

 第三に、媒介昆虫の駆除による防除法を検討した。その結果、ヒシモンヨコバイとヒシモンモドキの越冬卵は枝条の中・上部に産卵されることから枝条長の1/3条梢を切除、焼却することで60〜70%の越冬卵が除去され、これによりクワ葉収量が5〜6%増加した。また、夏刈直後に殺虫剤を撒布することは、カイコに対して無害であるとともに、高い駆除効果が得られた。

 第四に、無病苗の育成を行った。病苗を無病圃場に持ち込むと、これが本病の伝播と蔓延の原因となる。そこで、無病苗の育成および罹病苗の無毒化を推奨した。無病地域で無病台木を育成し、これに無病接穂を接木して無病苗を得る体系を確立した。同時に、絶えず保毒の検疫を推進し、病苗が認められた場合には、2,000ppmのオキシテトラサイクリン液に4時間浸根処理して無毒化を行った。

 以上のように、罹病株の除去、媒介昆虫の駆除、抵抗性品種の栽培、無病苗木の利用などを適宜組み合わせる総合的防除技術体系を確立した。この技術は現在中国全土に広く普及・利用されるに至り、高い防除効果が得られ、中国におけるクワ萎縮病は激減し、67%の発病桑園において、発病率は30%から0.5%以下に顕著な低下を見せた。

 以上を要するに、本研究は養蚕上大きな問題になっていた中国産クワ萎縮病について、病理学的検討を加え、それらの発生生態・診断・分子系統学的な解析から防除にわたり総合的な研究を行った。その結果、多くの学術上・応用上の知見が得られた。

審査要旨 要旨を表示する

 クワ萎縮病(mulberry dwarf)は中国、日本、韓国、ロシア(旧ソ連)、ベトナムなどの多くの蚕業国においてその発生が認められ、クワ(Morus spp.)の重要病害のひとつとなっている。特に、中国、日本、韓国など主要養蚕国では古くから甚大な被害を生じ、蚕業上大きな脅威となっている。本研究では、中国におけるクワ萎縮病の発生・被害・分布および病徴を調べ、その病因および発病、伝染の様式などを疫学的に解明するとともに、分子系統学的な解析を行った。また、伝統的な診断法に加え、分子診断法を確立すると共に、媒介昆虫の駆除・薬剤による病樹の治療・抵抗性品種選抜・無病苗の育成・罹病樹の除去などの検討を行った。

1. 病徴、発生、被害および伝染機作

 中国におけるクワ萎縮病は病徴により黄化型萎縮病、萎縮型萎縮病および花葉型萎縮病の3タイプに分けられていたが、本研究では発生も多く、被害も大きい黄化型萎縮病を中心に萎縮型萎縮病も併せて検討した。本病に感染した罹病クワ樹では発病枝条は伸長を停止するとともに節間は短縮し、葉は著しく矮化して黄化しやがて、先端芽は枯死し、枝条の腋芽が発芽後側枝を生じてんぐ巣症状となった。病株は翌年夏刈後枯死した。本病は中国では広域に発生し、全国桑園の約1/4で被害が確認された。激発桑園では60〜90%でのクワ樹が発病した。本病はヒシモンヨコバイ(Hishimonus sellatus)とヒシモンモドキ(Hishimonoides sellatiformis)により伝搬され、発病苗の持ち込みが伝播・蔓延の原因である。

2. 病原の同定

 クワ萎縮病罹病株の新梢および葉片の篩部組織の電子顕微鏡観察をおこなったところ、ファイトプラズマ粒子が全ての罹病株で認められた。また、本病罹病株はオキシテトラサイクリン(oxytetracycline)処理による治療効果が認められた。さらに、罹病クワ組織よりファイトプラズマを抽出・精製して、戻し接種を行ったところ、原病徴が再現され、発病株からもファイトプラズマ粒子が確認された。以上より、中国産クワ萎縮病の病原はファイトプラズマであると結論された。

3. 抵抗性品種の選抜とその抵抗性機構

 60余種のクワ品種について本病に対する抵抗性を検定し育2号および湖桑7号を抵抗性品種として選抜した。特に育2号は本病にほとんど感染しない点で注目された。病害抵抗性に関与するとされるファイトアレキシン(phytoalexine: PA)について抵抗性品種と罹病性品種について解析したところ、クワ品種のファイトプラズマ抵抗性とPAの各成分およびその含有量との関係が示唆された。

4. 血清学的試験

 罹病クワ新梢維管束篩部から抽出・精製したファイトプラズマ部分精製試料を抗原に、家兎を用いて抗血清を作製した。本抗血清が本病の検診に応用できる可能性が示された。

5. モノクローナル抗体の作製とその利用

 クワ萎縮病ファイトプラズマに対する特異的モノクローナル抗体の作製を試みた。罹病クワより部分精製したファイトプラズマ試料に対して特異的に反応するハイブリドーマ3株を選抜し、得られたモノクローナル抗体がその診断に有効なことが明らかになった。

6. 組織培養法によるファイトプラズマの増殖と維持

 ファイトプラズマ感染クワ新梢組織片からカルスを誘導し、不定芽より再分化した罹病苗を継代培養した。14回の継代培養株でも組織内にはファイトプラズマが多数確認された。組織培養法によりファイトプラズマを長期にわたって維持できることが確認された。

7. 病原体の16S rRNA遺伝子の塩基配列解析およびPCR法による診断

 本病に感染したクワ組織から全DNAを抽出し、nested-PCRを行うことにより、クワ萎縮病ファイトプラズマを検出することができた。PCR増幅した16S rDNAの塩基配列をダイレクトシークエンシングにより決定した結果、中国産クワ萎縮病ファイトプラズマでは日本産クワ萎縮病ファイトプラズマに対して1塩基欠損しているだけで、非常に近縁であることが示唆された。

8. 病樹治療法の確立

 クワ萎縮病罹病樹を薬剤処理することで病原ファイトプラズマの除去を試みた。オキシテトラサイクリン剤を用い、圃場でクワ罹病株の治療を試みたところ、70〜80%の病株で治療効果が認められ、本治療法の有効なことが確認された。また、クワ罹病苗の治療法についても検討したところ、病苗の根を2,000ppmのオキシテトラサイクリン剤液に4時間浸漬処理した後に定植することで高い治療効果が認められた。

9. 防除法の確立

 種々の効果的な防除法を組み合わせて系統的な防除技術体系(総合的防除法)の確立を試みた。第一に、桑園の罹病株を掘り出して焼却した。この方法では、病徴が明瞭となる6月中・下旬に1回、その後2週間ごとに1回、桑園を巡検し、病株が認められたら直ちに病樹を除去することで防除効果を上げることが出来た。第二に、抵抗性品種の導入を行ったところ、高い防除効果が認められた。第三に、媒介昆虫の駆除による防除法を検討した。その結果、枝条長の1/3条梢を切除、焼却すること、夏刈直後に殺虫剤を撒布することで高い駆除効果が得られた。第四に、無病苗の育成を行った。無病地域で無病台木を育成し、これに無病接穂を接木して無病苗を得る体系を確立した。以上の手法を適宜組み合わせ総合的防除技術体系を確立した。

 以上、本研究の結果、養蚕上大きな問題になっていた中国産クワ萎縮病について、発生生態・診断・分子系統学的な解析によって多くの病理学的特性を明らかにし、さらに総合的防除技術体系の確立を行った。これらの成果は、学術上また応用上きわめて価値が高い。よって審査委員一同は本論文が博士(農学)に値するものと認めた。

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