学位論文要旨



No 216579
著者(漢字) 西,隆昭
著者(英字)
著者(カナ) ニシ,タカアキ
標題(和) ウナギの磁気感覚と磁気コンパス定位に関する研究
標題(洋)
報告番号 216579
報告番号 乙16579
学位授与日 2006.09.04
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第16579号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 塚本,勝巳
 東京大学 教授 黒倉,壽
 東京大学 教授 大竹,二雄
 東京大学 助教授 金子,豊二
 東京大学 助教授 木村,伸吾
内容要旨 要旨を表示する

 我が国におけるウナギAnguilla japonicaの養殖生産量は1990年以降減少の一途をたどり、その主な原因はシラスウナギ捕獲量の減少と考えられている。シラスウナギ資源の減少はヨーロッパウナギA.anguillaやアメリカウナギA.rostrataでも同様にみられ、資源保全の対策が急務である。資源保全には対象魚種の生態を知らねばならないが、ウナギ属魚類の生態は未知の部分が多い。マリアナ諸島西方海域で生まれたウナギのレプトセファルス幼生は北赤道海流によって西方に輸送され、黒潮に乗り換える前後にシラスウナギに変態して東アジア沿岸へ回遊する。近年ウナギの初期生活史に関する研究は進んだが、回遊経路やそのメカニズムなどの回遊生態に関しては依然として知見が不足している。特にウナギ属魚類の産卵回遊生態については、外洋における産卵回遊途上の親ウナギの捕獲が皆無であるため、ほとんど手つかずの状態といってよい。わずかに、ヨーロッパウナギとアメリカウナギでは回遊における磁気感覚と嗅覚の重要性が指摘されているが、そもそもこれらのウナギ属魚類が磁気感覚をもつことを否定する研究者もおり、ウナギ属魚類の回遊メカニズムについて議論は混沌としている。

 本研究では、まずウナギにおける磁気感覚の有無を明らかにすることを目的とした。次に、磁気感覚をもつ場合、それが磁気コンパスとして機能するか否かを明らかにし、これらを基に、ウナギの回遊における磁気コンパスによる定位行動の役割について考察することをねらいとした。

ウナギの磁気感覚

 ウナギが磁気感覚をもつか否かを検討するために、東シナ海で捕獲された成熟初期の個体10尾、鹿児島県の川内川および伊作川で捕獲された黄ウナギ4尾、鹿児島県沿岸で捕獲されたシラスウナギ12尾および養成黄ウナギ5尾を用いて、心電図条件付け法により人工磁気に対する心電図応答を観察した。この方法では、ソレノイドによって生成した人工磁気(強度192,473nT)を条件刺激、ハロゲンランプの点滅光を無条件刺激として、人工磁気に条件付けを行った。心電図は実験装置内のPVC筒内で静止している供試個体から体外電極によって導出した。

 その結果、全供試個体において10-40回の条件付け試行の後に条件刺激時の心拍間隔の伸びが認められ、顕著な条件反応が確認された。このことは、ウナギは既にシラス期から発育段階に関係なく磁気感覚をもつことを示す。また、様々な強度の人工磁気を与えてみたところ、最小の2,533nTでも条件反応が認められたことより、黄ウナギは地磁気強度の0.003%の変化、方向で4.45°の変化を感知しうると解釈された。このように敏感な磁気感覚は、外洋回遊において地磁気情報の検出に十分な精度をもつものと考えられた。

無嗅覚化処理の磁気感覚への影響

 アメリカウナギでは人工磁気による心電図条件付けができなかったことから、磁気感覚をもつことに否定的な報告がある。さらに、ヨーロッパウナギとアメリカウナギを無嗅覚化処理して放流すると回遊経路が変わることから、ウナギ属魚類の回遊には磁気感覚よりも嗅覚の重要性が指摘された。しかし、ニジマスOncorhynchus mykissで確認されたように、こうした鼻腔に熱いワセリンを注入する無嗅覚化処理はもしウナギ属魚類の磁気感覚器が鼻にあるならば、嗅覚と同時にウナギ属魚類の磁気感覚も奪う可能性があり、上記実験結果の解釈には疑問がもたれる。

 ここでは、無嗅覚化処理が磁気感覚を破壊するか否かを明らかにするために、熱いワセリンを鼻腔に注入して無嗅覚化した養成黄ウナギ5尾と、無処理個体5尾(対照)を用いて、上記と同様の心電図条件付け法で磁気感覚を調べた。その結果、全ての対照個体では10回の条件付け試行の後に明瞭な条件反応が得られたのに対し、無嗅覚化処理個体では50回の条件付け試行後も条件反応が形成されることはなかった。この結果より、一般的に行われる熱いワセリン注入による無嗅覚化処理は磁気感覚も同時に破壊することが証明された。またこのことは、ウナギの磁気感覚器が鼻腔を中心とした吻部に存在することを示している。

磁気コンパスによる定位

 回遊は定位orientationと航法navigationによって行われる。定位はコンパスで進行方向を定める能力で、航法はコンパスと地図をもって最終到達地に至る能力である。本研究によりウナギが磁気感覚を持つことが明らかになり、これによって本種は地磁気情報を得ることができるものと推察される。しかし、その地磁気情報を回遊の手掛りとして利用するには、さらにこれが磁気コンパスとしての機能を持たねばならない。ここでは、黄ウナギとシラスウナギが磁気コンパスによって定位する能力があるか否かを検討するために、自然地磁気下とそれに人工磁気を加えたときのウナギの定位行動を水槽行動実験で調べた。

 黄ウナギの実験方法は、円形水槽内に放流された15尾の供試個体が放射状に配列された8本のPVC筒シェルターを自由に選択できるようにし、選択したシェルターが向く方位を記録した。得られた選択頻度をcircular statisticsに基づいて処理し、定位の平均ベクトルの大きさ(r)とその統計的有意性(P)および方向(φ)を計算した。その結果、2尾でそれぞれφ=342°とφ=58°に有意に指向性のある平均定位がみられた。他の13個体では各個体単独では指向性は認められなかったものの、供試個体全体でみると平均でφ=8°に有意な指向性が確認された。また、黄ウナギ10尾を用いて北向き以外のシェルターに蓋をして北向きのシェルターを選択するよう条件付けを行い、条件付け完成後に全シェルターを開けてシェルター選択性を確認した。その結果、条件付けが完成した7尾の選択方位は正確に北向きではなくわずかに北北東にずれたものの、ほぼ期待通りの指向的選択方位を示した。

 さらに、これらの学習個体に西向きあるいは東向きの人工磁気192,473nTを与えた時の学習定位方向の変化をみた。概北方向を学習した個体の定位方向が人工磁気よって西側あるいは東側にシフトすることが期待されたが、人工磁気の方向に定位をシフトさせた個体は1尾のみで、他はランダムな方位を選択して一貫性がみられなかった。しかしながらこの実験結果から、少なくともある方向に定位するよう学習した個体に人工磁気を与えることで定位が別方向に変化することは明らかで、これはとりもなおさずウナギの磁気感覚が磁気コンパスとしての機能をもつことを示している。また定位方向の乱れを示した個体では与えた人工磁気が強すぎた可能性もあるので、人工磁気192,473nTに曝された個体を再度条件付けし、与える人工磁気強度を31,063nTに弱め、地磁気との合成磁気の強さと方向を変えて定位方向の変化をみた。しかし、定位方位に変化がない個体と定位がランダムになった個体は見られたが、合成磁気方位に定位行動を示す個体は観察されなかった。この結果から黄ウナギの生体磁気コンパスは、合成された磁気ベクトルを検出して定位するという単純な機能では説明できないことがわかった。

 シラスウナギでは、内部を放射状の12の小部屋に仕切った円形水槽の中央の円筒形容器に放された221尾の供試個体が、容器の底の穴から小部屋に脱出した方位を記録した後、この水槽を上記ソレノイド内に置いて人工磁気を与えて定位の変化をみた。その結果、自然の地磁気下では全個体のφは56°となり、r=0.366は統計的に有意であった(P<0.001)。この定位は人工磁気を与えることによって顕著に乱れ、ランダムなものになった。

 このようにウナギは、地磁気下では明確に指向性のある定位行動を示すとともに、人工磁気を与えることでそれがランダムに乱れることから、地磁気をもとに定位の手掛りを得て回遊しているものと解釈された。またその能力は既にシラス期に備わっており、本種が黒潮から沿岸に向かって接岸回遊する際にもこれを用いているものと考えられた。人工磁気によって定位が乱れた現象は、ウナギの生体磁気コンパスが合成された磁気ベクトルを検出してその方位に定位する単純な"磁気ベクトルコンパス"ではなく、複数の磁力線を検出して、これらを統合して定位方向を決める"磁力線検出器"として機能する可能性を示しているものと考えられた。

磁気コンパスによる回遊仮説

 上記の結果に基づき、ウナギの回遊メカニズムを考察した。レプトセファルスから変態を終え、活発な活動を支える遊泳能力を得たシラスウナギが能動的に黒潮を離脱して接岸回遊を始める時にその移動方位が記憶される。成魚となって産卵回遊するウナギはその記憶方位を逆行することで産卵場への回帰が可能になるものと考えられる。志布志湾で捕獲されたシラスウナギにみられた概北北東に指向性をもった定位と、黄ウナギにみられた概北方向に指向性のある定位は、この仮説と矛盾しない。

 本研究の結果、初めてウナギの鼻腔を中心とする吻部に鋭敏な磁気感覚が存在することが証明された。また、地磁気下で指向性のある定位方向が人工磁気を与えることによって乱れることから、磁気感覚がコンパス機能を持つことが明らかになった。これらの知見は、ウナギの回遊過程とメカニズムの究明に基礎的知見を提供するものであり、今後本種の保全対策の立案に貢献するものと考えられた。

審査要旨 要旨を表示する

 我が国におけるウナギの養殖生産量は1990年以降減少の一途をたどっている。シラスウナギ捕獲量の減少がその主な原因と考えられており,資源の管理・育成が急務である。それにはウナギの生態を知る必要があるが,本種の回遊生態に関する知見は乏しい。そこで本研究は、ウナギの回遊における磁気感覚の役割を明らかにすることを目的に,まず本種が磁気感覚をもつことを確認し,次にそれが磁気コンパスの機能をもつか否かを検討した。第1章の序論と第2章の既往知見の整理に続いて,第3章から第6章で以下の結果を得た。

第3章 ウナギの磁気感覚

 ウナギが磁気感覚をもつか否かを検討するために、東シナ海で捕獲された成熟初期の個体10尾、鹿児島県の川内川および伊作川で捕獲された黄ウナギ4尾、鹿児島県沿岸で捕獲されたシラスウナギ12尾および養成黄ウナギ5尾を用いて、心電図条件付け法により人工磁気に対する心電図応答を観察した。その結果、全供試個体において10-40回の条件付け試行後に条件刺激時の心拍間隔の伸びが認められ、顕著な条件反応が確認された。このことは、ウナギは既にシラスウナギ期以降,発育段階に関係なく磁気感覚をもつことを示す。また、様々な強度の人工磁気を与えてみたところ、最小の2,533nTでも条件反応が認められたことより、黄ウナギは地磁気強度のわずか0.003%の変化、方向では4.45°の変化を感知しうると解釈された。このように敏感な磁気感覚は、回遊において地磁気情報の検出に十分な精度をもつものと考えられた。

第4章 無嗅覚化処理の磁気感覚への影響

 無嗅覚化処理として鼻腔へ熱いワセリンを注入する方法が一般的であるが,もしウナギ属魚類の磁気感覚器が鼻にあるならば、嗅覚と同時に磁気感覚も奪う可能性がある。そこで、このワセリン注入が磁気感覚を破壊するか否かを明らかにするために、この方法で無嗅覚化した養成黄ウナギ5尾と、無処理個体5尾を用いて、上記と同様の心電図条件付け法で磁気感覚を調べた。その結果、全ての無処理個体では10回の条件付け試行の後に明瞭な条件反応が得られたのに対し、処理個体では50回の条件付け試行後も条件反応が形成されることはなかった。これよりワセリン注入による無嗅覚化処理は,磁気感覚も同時に破壊することが証明された。またこのことは、ウナギの磁気感覚器が鼻腔を中心とした吻部に存在することを示している。

第5章 黄ウナギの磁気コンパス定位

 第3章でウナギが磁気感覚を持つことが明らかになったが,実際の回遊では地磁気情報を得るための磁気感覚に加え,これが磁気コンパスとしての役割を果たす必要がある。ここでは、黄ウナギが磁気コンパスによって定位する能力があるか否かを検討するために、自然地磁気下とそれに人工磁気を加えたときのウナギの定位行動を水槽行動実験で調べた。

 全長約35cmの黄ウナギ15尾を円形水槽内に放流し,放射状に配列された8本のPVC筒シェルターを自由に選択させ,定位の平均ベクトルの大きさ(r)とその統計的有意性(P)および方向(φ)を計算した。その結果、自然地磁気下では黄ウナギはおよそ北向きの指向性を示し,その平均方位はφ=8°であった。また、黄ウナギ10尾を用いて北向きのシェルターを選択するよう条件付けを行い、これらの学習個体に西向きあるいは東向きの人工磁気(192,473nT)を与えたところ,定位方位はランダムに乱れた。地磁気と人工磁気の合成磁気方位に定位行動を示す個体は観察されなかったものの,少なくともウナギが地磁気情報を使って定位方向の選択を行ったことは明らかで、これはウナギの磁気感覚が磁気コンパスとしての機能をもつことを示している。

第6章 シラスウナギの磁気コンパス定位

 12区画に放射状に区切られた円形水槽の中央にシラスウナギ221尾を放したところ,地磁気下では概ね北北東の指向性を示し,平均方位は56°となった。またこの定位方位は,黄ウナギと同様,人工磁気を与えることによって顕著に乱れ、ランダムなものになった。これによってシラスウナギ期にすでに磁気コンパスの機能が備わっているものと考えられた。

 以上本研究により,初めてウナギの鼻腔を中心とする吻部に鋭敏な磁気感覚が存在し,それがコンパス機能を持つことが明らかになった。これらの知見は、ウナギの回遊生態の解明に基礎的知見を提供するものであり、今後本種の保全対策の立案に貢献するものと考えられた。よって審査委員一同は、本論文が学術上、応用上寄与するところが少なくないと判断し、博士(農学)の学位論文としてふさわしいものと認めた。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/42879