学位論文要旨



No 216581
著者(漢字) 清田,雅史
著者(英字)
著者(カナ) キヨタ,マサシ
標題(和) キタオットセイの一夫多妻制繁殖システムに関する生理・生態学的研究
標題(洋)
報告番号 216581
報告番号 乙16581
学位授与日 2006.09.04
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第16581号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 宮崎,信之
 東京大学 教授 青木,一郎
 東京大学 教授 白木原,國雄
 東京大学 助教授 金子,豊二
 東京大学 助教授 平松,一彦
内容要旨 要旨を表示する

 キタオットセイ(Callorhinus ursinus)は、北太平洋の亜寒帯水域に生息する鰭脚亜目アシカ科の哺乳類で、著しく発達した一夫多妻制の繁殖システムを持つことが知られている。哺乳類の繁殖システムは雌の分布様式と密接に関連しているが、鰭脚類では海上での好適なハビタットや食物の配置が繁殖期の雌の分布様式に直接反映されない点が特異的である。Bartholomew(1970)は、海上での索餌と陸上での出産という2生活相の分離が鰭脚類の一夫多妻制を促進することを示す進化モデルを提唱した。Repenning(1976)はそれを修正し、海上での索餌回遊特性が一夫多妻や性的二型の程度に影響を及ぼし、索餌域が外洋分散性の種ほど一夫多妻制に向かいやすいとする仮説を示した。Boness(1991)はアシカ科の一夫多妻制を促す2大要因として、雌の空間的な分布の集中度と時間的な発情の同調を挙げた。繁殖の同調性には、着床遅延や産後の発情といった生理的特性も関与している(Boyd 1991)。このような地理的、生理的要因によって配偶雌の時空間分布が決まるとともに、繁殖場に出現する雌雄個体間の社会的行動によって、各種の繁殖システムが形成されることが予想される。こうした繁殖集団の形成要因と社会的特性を理解することは、個体群を管理する上でも極めて重要である。

 そこで本研究では、キタオットセイの一夫多妻制の発達に影響を及ぼす次の3つの要因:1)海上における分散性、2)発情の同調性、3)雌雄の繁殖行動について、異なるアプローチ(テレメトリー調査、飼育実験、行動観察)から研究を行い、繁殖システムの特徴を解明し、影響要因を検討した。得られた研究成果の概要は以下の通りである。

1.海上分布の分散性に関する研究

 従来、キタオットセイの洋上分布は目視調査により調べられてきたが、本研究では電波テレメトリー手法を用いて、非繁殖期および繁殖期の移動回遊経路を特定した。1990-1991年の10月下旬から11月上旬に米国アラスカ州セントポール島において成獣雌10個体に東洋通信機製送信機を装着し、ARGOS人工衛星システムを用いて9個体を追跡した。その結果、越冬回遊経路は、ベーリング海から北太平洋へ出た後東へ進み北米西岸沖に至るルートと、南に進み北太平洋中央部へ到達するルートがあり、成獣雌が冬季から春季にかけて北太平洋中央水域に広く分散することが確認された。また、1988-1990年7月に同島において各年1頭の育児雌に牧田電子製VHF送信機を装着し、調査船にて索餌経路を追跡した。その結果、陸棚上だけでなく繁殖島から200km以上離れた陸棚斜面や海盆上まで索餌回遊を行うことが確認された。これらの結果は、キタオットセイが従来の目視調査から予想されていたよりもはるかに外洋分散性であることを示している。鰭脚類においてこのような外洋性の索餌回遊を行うのは、本種以外ではアザラシ科のゾウアザラシ属2種だけであり、これらの種も一夫多妻制の繁殖様式が極めて発達していることから、索餌期の広域分散性分布と繁殖期の陸上における集中分布が相補的な関係にあることが確認された。

2.繁殖の生理的特性と同調性に関する研究

 水族館飼育個体や洋上捕獲個体から得られた試料を用いて、繁殖個体の時間的集中の基となる生殖周期の特徴とモニタリング法について検討した。伊豆三津シーパラダイスで飼育されているキタオットセイから血液を継続採取し、血清中ステロイドホルモンを分析した結果、雄では繁殖期に呼応して血清中テストステロン濃度が上昇すること、繁殖盛期に向けて体重が増加することが確認された。一方、雌の血清中プロゲステロン濃度は発情・排卵後に上昇し、胚の休眠期に一旦低下した後、着床期に再上昇すること、発情期と着床期に血清中エストラジオール17βが一時的に分泌されることが確認された。また、エストラジオール17βの分泌に伴い、発情期と着床期には膣上皮が肥厚し、膣粘液塗抹中の表面・中間表面が増加した。これらの特性によって発情排卵や着床のタイミングを特定することが可能だが、着床の有無にかかわらずプロゲステロンが長期間分泌されるため、妊娠判定は困難であった。国内5箇所の水族館で飼育されている雌の館内繁殖に伴う出産日と緯度の関係を解析した結果、出産のタイミングは着床期の日長により調節されているとするTemte(1985)の仮説を支持する結果が得られた。また、雄との同居条件を操作した飼育実験から、成獣雄との接触などの社会的刺激が発情のタイミングに関与している可能性も示唆された。

3.繁殖集団の形成要因に関する行動学的研究

 以上検討した生態的・生理的特性を背景として、繁殖期に特定の上陸場に出現する配偶個体が実際にどのような社会的行動を示して繁殖集団を形成するか確認するため、セントポール島Polovina Cliffs繁殖場において1993-1999年に縦断的調査を実施し、雌雄の繁殖行動や親子の遺伝的関係を解析した。

 主な調査地である幅20m×奥行10mの入り江では、繁殖期間中5〜11個体の成獣雄が縄張りを保持したが、雌の上陸以前から縄張りを保持する雄のうち2〜4個体(優位雄)が大部分の成獣雌を独占した。金属やプラスチックの標識および毛皮脱色剤を用いたマーキングにより識別した個体の経年追跡結果から、雄は出生場所周辺に回帰する傾向を持ち、7歳から繁殖場周辺に定着し、繁殖後期に縄張りを持ち始めることがわかった。一旦縄張りを持つと、翌年以降はより早い時期から同じ場所に出現する傾向があり、縄張り内の雌数と雌の日別発情率に基づく見かけ上の配偶成功度指数は、縄張り保持1年目より2年目の方が高かった。マイクロサテライト遺伝子を用いた父性解析の結果、出生仔獣の98%は調査地に出現した雄を父親としており、そのうち80%は母親が発情期に同伴した雄が父親であった。同伴雄以外の雄による父性は,隣接する縄張り雄や一時的に上陸した雄によるものであった。これらのことから、雄は同一場所への再帰を経年的に繰り返しながら縄張りと雌を獲得すること、繁殖場における縄張り保持は優位雄が子孫を残す上で有効であること、まれに雌は非同伴雄と交尾することが確認された。

 次に、個体識別した成獣雌の発情期の上陸場所の記録から、前年配偶者への選択、前年出産場所の選択、海に接した場所の選択、雌数が多い縄張りの選択のいずれの傾向が強いか、資源選択モデルを用いて解析した。その結果、成獣雌は雌数が多い縄張りに参入する傾向が最も強く、それ以外に前年と同じ場所に戻る傾向も持ち、さらに海に接した繁殖場所を避ける傾向を若干示すことが確認された。縄張り内の雌数が少ない縄張りでは、縄張り雄による雌1頭あたりの干渉回数が多いことから、雌は縄張り雄によるハラスメントを避けるために集合する可能性が示された。

 さらに、縄張りを持たない雄が繁殖場中心部に侵入する頻度や、仔獣に対するハラスメントに関して解析を行った。縄張り雄の高い警戒性によって繁殖期の始めには非縄張り雄の侵入は少なかったが、その後は幼獣雄や亜成獣雄の侵入が増加した。侵入する成獣雄は繁殖期を通じて少ないが、仔獣を誘拐したり放り投げる暴力的な行動を示した。亜成獣雄・幼獣雄は繁殖場中心部に侵入して、仔獣に噛みつく、振り回す、マウントするなどのハラスメント行動を行った。亜成獣雄や成獣雄によって誘拐された仔獣が死亡する例が3件観察されたが、死亡した仔獣を雄が食べることはなかった。仔獣は成長に伴い侵入雄を避けるよう行動を変化させた。成獣雌は、縄張り内で同伴する仔獣が干渉された場合以外は、仔獣を防御しなかった。しかし、仔獣の逃げ場を多く含む岩場に密集した繁殖集団を形成することによって、間接的に仔獣を保護している可能性が示唆された。

 これらの結果から、非縄張り雄が雌や仔獣に及ぼすハラスメントが繁殖場における雌の集合を促す重要な要因であり、集合した雌を優位雄が独占し、劣位雄や若齢雄が雌との接触を求めてハラスメントを起こすという,ポジティブ・フィードバック経路が形成され、本種の一夫多妻制が加速したと考えられる。Cassini(2000)およびCassini and Fernandez-Juricic(2003)は、縄張り雄によるハラスメントがアシカ類の雌の集合性を促進することを示唆したが、本研究では、非縄張り雄によるハラスメントも一夫多妻制の進化要因として重要であることを、フィールドのデータに基づき明らかにした。

 以上、本研究によって得られた生態、生理、社会行動学的な知見は、本種の索餌・繁殖様式を解明するだけでなく、個体群を適切に管理する上でも有意義である。雄によるハラスメントが陸上繁殖集団の重要な形成要因であることから、人為的攪乱によって誘発される雄の乱入や闘争を防止するために、繁殖場の保護が重要である。過去に行われた密度調節のための成獣雌の間引きや、幼獣雄の猟獲停止による非縄張り雄の急増は、繁殖場における攪乱やハラスメントを増大し、再生産にむしろ悪影響を及ぼしたと思われる。個体群管理を高度化するためには、出生仔獣数をモニターするだけでなく、繁殖場における有効な性比や、成獣雄における非縄張り雄と縄張り雄の比率を調査し、繁殖集団の社会的構成と再生産との関係を解明する必要がある。また、海上では繁殖期・非繁殖期の索餌域が広く分散することから、漁業との競合を広域的・国際的に管理するとともに、地球環境の長期的な変動との関連性についても検討する必要がある。

審査要旨 要旨を表示する

 キタオットセイ(Callorhinus ursinus)は、北太平洋の亜寒帯水域に生息する鰭脚亜目アシカ科の哺乳類で、著しく発達した一夫多妻制の繁殖システムを持つことが知られている。キタオットセイの一夫多妻制を促す要因として雌の空間的な分布の集中度と時間的な発情の同調性が考えられ、同調性には着床遅延や産後の発情といった生理的特性も関与していることが予想される。そこで本研究では、一夫多妻制の発達に影響を及ぼす3要因(1.海上における分散性、2.発情の同調性、3.雌雄の繁殖行動)について異なるアプローチ(テレメトリー調査、飼育実験、繁殖場での行動観察)から解析を試み、本種の繁殖システムの特徴と一夫多妻制の形成要因を解明することを目的にした。

 第1章では、テレメトリー方法を用いてキタオットセイの外洋での行動を追跡した。米国アラスカ州セントポール島において成獣雌にARGOS人工衛星送信機を装着し追跡した結果、冬季から春季にかけて北太平洋中央水域に広く分散することが確認された。また、育児雌に電波送信機を装着し調査船にて索餌経路を追跡した結果、陸棚上だけでなく繁殖島から200km以上離れた陸棚斜面や海盆上まで索餌回遊を行うことが確認された。これらの結果は、本種は従来の目視調査から予想されていたよりもはるかに外洋分散性であることが明らかになり、海上における広域分散性分布と陸上における集中分布が相補的な関係にあることが示唆された。

 第2章では、水族館の飼育個体や洋上での捕獲個体から得られた試料を用いて、キタオットセイの繁殖の特徴やそのモニタリング法について検討した。飼育下の雄では、雌の生殖周期に応じて血清中テストステロン濃度が上昇することが確認された。一方、雌では血清中プロゲステロン濃度は発情・排卵後に上昇し、胚の休眠期に一旦低下した後、着床期に再上昇すること、血清中エストラジオール17βが発情期と着床期に断続的に分泌されることが確認された。これに伴い発情期と着床期には膣上皮が肥厚し、膣粘液塗抹中の上皮細胞組成が変化した。これらの特性によって発情排卵や着床のタイミングを特定することが可能になり、雌の生殖周期のモニタリング方法が確立された。国内5箇所の水族館で飼育されている雌の出産日と緯度の関係を解析した結果、出産のタイミングは着床期の日長により調節されていた。また、雄との同居条件を操作した飼育実験から、成獣雄との接触などの社会的刺激が発情のタイミングに関与している可能性が示唆された。

 第3章では、繁殖期に特定の上陸場に出現するキタオットセイが繁殖集団を形成する要因を調べるために、セントポール島の繁殖場において7年間にわたって調査を実施し、雌雄の繁殖行動や親子の遺伝的関係を解析した。個体識別した雄の経年追跡結果、雄は出生場所周辺に回帰する傾向を持ち、徐々に繁殖場周辺部から中心部へ定着して縄張りを持ち始めること、一旦縄張りを持つと翌年以降はより早い時期から同じ場所に出現する傾向があること、縄張り保持1年目より2年目の個体で配偶成功度が高いことが推定された。マイクロサテライトを用いた親子関係の遺伝子解析の結果、繁殖場で生まれた仔獣の父親のほとんどは繁殖場中心部に出現する縄張り雄であり,縄張り保持と雌の囲い込みが雄の繁殖戦略に有効であることが明らかにされた。また,劣位の雄が代替戦略として雌を盗んで交尾することも確認された。発情期の上陸場所の選択性について選択モデルを用いて解析した結果、成獣雌は雌数が多い縄張りに参入する傾向が最も強いことが確認された。縄張り内の雌数が多い縄張りでは、縄張り雄による雌1頭あたりの干渉回数が少ないことから、雌は縄張り雄によるハラスメントを避けるために集合する可能性が示された。縄張りを持たない幼獣,亜成獣,成獣雄が繁殖場中心部に侵入し、仔獣に噛みつく、振り回す、マウントする,誘拐するなどのハラスメントを加えることが確認された。縄張り雄の高い警戒性によって侵入する成獣雄は繁殖期を通じて少ないが、幼獣雄や亜成獣雄に対する警戒性は繁殖期の終わりに低下し、侵入が増加した。仔獣は成長に伴い侵入雄を避けるよう行動を変化させた。仔獣の逃げ場を多く含む岩場に密集した繁殖集団を形成することによって、成獣雌が間接的に仔獣を保護している可能性が示唆された。

 以上、本研究はキタオットセイにテレメトリーを装着し、外洋での移動を人工衛星システムで追跡調査するとともに、水族館における飼育実験、洋上調査、繁殖場での長期間にわたる行動観察から、本種の一夫多妻制の形成に影響を及ぼす要因の解析を試みた。雌は索餌期には広域に分散し、繁殖期には上陸場に集中すること、このような雌の時空間的な分布の特性と発情が同調する生理的な特性が一夫多妻制を促進する重要な要因でること、上陸場に集合した雌を優位雄が独占し、劣位雄が雌との接触を求めてハラスメントを起こすことにより本種の一夫多妻制は一層促進されることが明らかになった。本研究によって得られた知見は、本種の索餌・繁殖様式を解明するだけでなく、哺乳類の繁殖システムの進化や個体群管理に関して極めて有意義であることから、学術上、応用上貢献することが少なくない。よって審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

UTokyo Repositoryリンク