学位論文要旨



No 216589
著者(漢字) 伊藤,貴浩
著者(英字)
著者(カナ) イトウ,タカヒロ
標題(和) 成体型造血における転写伸長因子S-IIの機能解析
標題(洋)
報告番号 216589
報告番号 乙16589
学位授与日 2006.09.13
学位種別 論文博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 第16589号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 関水,和久
 東京大学 教授 新井,洋由
 東京大学 教授 堅田,利明
 東京大学 教授 入村,達郎
 東京大学 教授 三浦,正幸
内容要旨 要旨を表示する

 多細胞生物は異なる機能を持った多種の細胞から構成されている。このような多様性の創出には細胞分化を制御する機構が必要であり、その一つに遺伝子の転写制御がある。転写制御因子のうち、標的遺伝子の選択に働くDNA結合性の転写制御因子については細胞分化における重要性が示されている。しかし厳密な転写制御には標的遺伝子の選択だけでは不十分である。なぜなら、転写反応が開始されてもRNAポリメラーゼ(RNAP)は様々な要因により転写反応を中断してしまうからである。従って転写反応による細胞分化の制御には転写中断の解除機構が必須と考えられるが、この点については明らかではない。

 転写伸長因子S-IIはRNAP IIによる転写反応を促進する因子として同定されたタンパクであり、試験管内では転写中断したRNAP IIを再活性化して転写伸長反応を再開させる活性を有する。本研究において私は、転写中断を解除する機構が細胞分化に必要であるかを明らかにする目的で、S-II遺伝子欠損マウス系統を作出して解析を行った。その結果、S-IIは成体型造血に必須であることを見出し、細胞分化制御における転写中断解除機構の必要性を明らかにした。

 まずマウスS-II遺伝子の単離を行い、10個のエキソンに分断されてコードされることを明らかにした。次にS-II遺伝子破壊ベクターを構築して胚性幹細胞に導入し、相同組み換えによりS-II遺伝子が破壊されたアレルを有する細胞株を得た。この細胞を用いてS-II遺伝子ヘテロ欠損マウス系統を樹立した。外見上、ヘテロ欠損マウスは野生型マウスと同様に生育し、妊性も正常であった。一方、ホモ欠損マウスは肝臓の縮小を伴い、胎齢13.5日(E13.5)近辺で致死となることがわかった(図1及び表1)。肝臓を構成する細胞数を計測して野生型胚と比較したところ、ホモ欠損胚では細胞数が1/3以下に減少していた。胎児肝はマウスの胚発生中期における主要な造血器官で、成体型赤血球を産生することが知られている。そこでホモ欠損胚の赤血球産生を解析したところ、胎仔肝臓中のヘモグロビン陽性細胞数と末梢血中の成体型赤血球が減少することがわかった。

 マウスを含む哺乳類における造血は二つの段階に分けられる。第一が胚発生前期の卵黄嚢における胎児型造血であり、第二が胚発生中期の胎仔肝臓と、胚発生後期・成体の骨髄における成体型造血である。胎児型造血に異常を示す遺伝子変異マウスはE11.5までに致死するが、S-II遺伝子欠損マウスはE13.5近辺までは生存可能であり、胎児型造血の主要な産物である有核の胎児型赤血球の産生は観察されることから、S-IIは胎児型赤血球の産生には必須ではない。一方、胎児肝における成体型赤血球の産生は著しく減少していることから、S-IIは成体型造血に特異的に必要であることが明らかになった。

 次に胎児肝における成体型赤血球の細胞分化に異常があるか否かを解析した。成体型赤血球は以下の分化段階を経て産生される。まず造血幹細胞からいくつかの段階を経て赤血球系譜の前駆細胞が生じる。次いで前赤芽球、赤芽球の段階を経て最終的に脱核し、成熟した成体型赤血球となる。この分化過程において、前赤芽球以降の赤血球系譜細胞はTER119抗原を発現している。また、初期赤芽球までの細胞はCD71抗原を強く発現しているが、さらに分化が進行するとその発現量は減少していくことが知られている。E13.5胚の肝臓細胞についてTER119およびCD71抗原の発現量をフローサイトメトリーで解析した結果、野生型胚においては、TER119h(igh)CD71h(igh)から、CD71発現が低下したTER119h(igh)CD71l(ow)の細胞集団が存在しており、この時期の野生型胚肝臓では後期赤芽球の段階まで分化が進行していることがわかった(図2左)。一方、ホモ欠損胚肝臓ではTER119h(igh)CD71h(igh)の集団は存在するが、TER119h(igh)CD71l(ow)の細胞集団は殆ど存在していなかった(図2右)。従ってS-II非存在下では初期赤芽球から後期赤芽球へ至る段階で赤血球分化が停止することがわかった。

 赤芽球の分化にはサイトカインの一種であるエリスロポエチン(EPO)依存性のシグナル伝達が必要であることが知られている。そこでホモ欠損胚肝臓におけるEPOシグナル伝達に関わる遺伝子群の発現を定量的RT-PCR法により解析したところ、Epo遺伝子およびEpo受容体遺伝子の発現は低下していなかった。またEpoシグナル伝達に働く転写因子STAT5の発現量も野生型胚と同程度であり、EPO刺激依存性のSTAT5のリン酸化も遺伝子型によらず同程度に惹起された。一方、リン酸化STAT5により転写活性化される遺伝子Bcl-xLの発現は、野生型胚の半分以下に低下していることがわかった。抗アポトーシス因子であるBcl-xLは赤血球分化に必須であり、その遺伝子欠損マウスは胎児肝における細胞死の増加を伴い、胚発生中期に致死する。そこで、ホモ欠損胚肝臓のTUNEL染色を行ったところ、アポトーシス細胞が増加していることがわかった。また、野生型胚におけるTUNEL染色陽性細胞の多くは単一の細胞として散在していたが、ホモ欠損胚においては複数の細胞がTUNEL染色陰性の細胞を取り囲むようにクラスター状に存在していた。この構造はerythroblastic islandと呼ばれる後期赤芽球の分化の場とよく似た構造であった。erythroblastic islandでは、複数の後期赤芽球がマクロファージを取り囲んでおり、脱核により排出した赤芽球の核を中心部に存在するマクロファージが貪食すると考えられている。従ってホモ欠損胚においては後期赤芽球のアポトーシスが増加していると考えられる。以上の結果は、E13.5のホモ欠損胚肝臓にTER119h(igh)CD71l(ow)の細胞集団が存在しないという結果(図2)とよく合致しており、ホモ欠損胚肝臓では後期赤芽球の細胞死が亢進して、成体型赤血球の産生低下が生じると考えられる。

 次に造血前駆細胞について解析した。胎仔肝臓に存在する造血前駆細胞を適当なサイトカインを含有する半固形培地で培養するとクローナルに増殖・分化し、コロニーを形成する。この方法を用いてE12.5胚肝臓における造血前駆細胞数を解析したところ、赤血球系譜の前駆細胞BFU-EおよびCFU-Eについては、ホモ欠損胚における割合は減少しておらず、CFU-Eの割合はむしろ有意に増加していた。顆粒球および単球系譜の前駆細胞であるCFU-G/M/GM、および赤血球・骨髄球系譜に共通の前駆細胞CFU-Mixの割合については、各遺伝子型間に有意な差は認められなかった。一方、ホモ欠損胚においては肝臓の総細胞数が1/3以下に減少するため、肝臓当たりの造血前駆細胞の総数で比較すると、いずれの造血前駆細胞についても野生型胚より有意に減少していることがわかった。以上の結果は、ホモ欠損胚の肝臓にも造血前駆細胞が存在していることを示しており、造血前駆細胞の発生そのものにS-IIは必須ではない。しかしいずれの前駆細胞についても肝臓における総数は減少していることから、S-IIは造血前駆細胞数の増加に関与していると考えた。

 いずれの系譜の造血前駆細胞も造血幹細胞から産生される。また胎児肝は、造血幹細胞が激しく自己複製を行って増殖する場であることが知られている。そこでホモ欠損胚肝臓において造血幹細胞の総数が減少しているか否かを解析した。造血幹細胞は、Sca-1抗原およびc-Kit抗原が陽性で、かつ赤血球や顆粒球等の分化した血液細胞が発現する表面抗原が陰性(Lin-)の細胞集団(KSL細胞)に高頻度で存在することが知られている。ホモ欠損胚肝臓におけるKSL細胞の割合を解析したところ、野生型胚と同程度であることがわかった。一方、ホモ欠損胚においては肝臓の総細胞数が減少するため、肝臓当たりの細胞数では先に述べた造血前駆細胞と同様に、半数以下に減少していることがわかった。以上の結果は造血幹細胞の発生そのものにはS-IIは必須ではないが、その効率的な増加過程すなわち自己複製にはS-IIが必要であることを示唆していた。この仮説を検証するため造血幹細胞移植アッセイを用いてホモ欠損胚造血幹細胞の自己複製能が消失しているか否かを解析した。あらかじめ致死線量の放射線照射により内在性の造血幹細胞を不活性化した成体マウス(レシピエント)に、EGFPタンパクを発現する野生型胚由来の肝臓細胞(ドナー細胞)を移植すると、胎仔肝臓中に存在する造血幹細胞によりレシピエントの長期造血能が回復し、末梢血中にEGFPを発現するドナー細胞由来の血球が出現する。E13.5の野生型胚の肝臓細胞を移植した場合には、移植16週後のレシピエントの末梢血中の血球の半分以上がドナー由来の血球で構成されていたが、同数のホモ欠損胚の胎仔肝臓細胞を移植した場合にはEGFP発現細胞は検出されなかった(図3)。この結果はS-IIを欠損した造血幹細胞ではその幹細胞活性が消失していることを示しており、S-IIは造血幹細胞の発生そのものには必須ではないが、造血幹細胞の自己複製能に必須であることがわかった。

 本研究において私は、転写伸長因子S-IIが成体型赤血球の分化制御と造血幹細胞の自己複製能の維持に必須であることを明らかにした。従って多細胞生物を構成する多様な細胞の産生、すなわち細胞分化の制御には、転写中断を解除する機構が必要であると考えられる。

図1 S-II遺伝子欠損胚における胎児肝の縮小

胎齢12.5日の各遺伝子型胚の所見。矢尻は肝臓を示す。

表1 ヘテロ欠損マウス同士の交配で得られた仔の遺伝子型分布

雌雄の(+/-)マウス交配し得られた仔の遺伝子型を決定した。E12.5までは生存している(-/-)胚がメンデル比に従って存在したが、E16.5以降には生存する(-/-)胚は存在しなかった。胚の生死は摘出時の心拍の有無により判定した。

図2 S-II遺伝子ホモ欠損胚肝臓における赤血球分化の停止

E13.5胚肝臓におけるTER119とCD71抗原の発現プロファイル。(+/+)胚では初期赤芽球から後期赤芽球までの細胞集団が存在したが、(-/-)胚では後期赤芽球の集団が殆ど検出されなかった。

図3 S-II遺伝子欠損細胞における造血幹細胞活性の消失

致死量の放射線照射により造血幹細胞を不活性化したレシピエントマウスに各遺伝子型の胎児肝臓細胞を移植し、移植16週後に末梢血中のEGFP陽性細胞の割合を解析した。印は各レシピエントにおけるEGFP陽性細胞率を示す。

黒塗りは5x104、白抜きは10x104の胎児肝臓細胞を移植した場合の結果を示す。

審査要旨 要旨を表示する

 申請者の伊藤貴浩が提出した論文の第1章は「序論」、第2章は「マウスS-II遺伝子の単離と解析」、第3章は「S-II遺伝子欠損マウスの作出と解析」、第4章は「成体型赤血球の分化異常とその分子機構」、第5章は「成体型造血幹細胞の機能異常」、第6章は「総括と展望」、第7章は「材料と方法」となっている。

 第1章では、細胞分化の時空間的制御と転写制御の必要性、遺伝子発現の制御における転写伸長因子の重要性について述べられている。また、研究対象として転写伸長因子S-IIに着目した背景と理由について述べられている。

 第2章では、マウスS-II遺伝子の同定と構造解析についての結果が述べられている。マウスではS-II遺伝子に加えて偽遺伝子が1つ存在すること、また両者は異なる染色体上に座乗していることが明らかにされた。

 第3章では、S-II遺伝子欠損マウス系統の作出と解析について述べられている。胚性幹細胞における相同組み換え法によって、S-II遺伝子のヌル変異を有するマウス系統が作出された。ヘテロ接合体では顕著な異常が認められないが、ホモ接合体は胚発生中期で致死することが明らかにされた。特に、胎児期の主要な造血器官である肝臓の縮小が認められたことから、血球分化に異常がある可能性が述べられている。

 第4章では、血球分化異常に関する詳細な解析について述べられている。すなわち、胎児肝臓における成体型赤血球の分化が、赤芽球段階で停止していることが明らかにされた。また、抗アポトーシス因子Bcl-xLの発現低下とそれによる赤芽球の細胞死増加が、分化停止の原因となっている可能性が述べられている。

 第5章では、造血幹細胞の機能異常について述べられている。S-II遺伝子欠損胚の肝臓では、造血前駆細胞数・造血幹細胞数が減少していることが明らかにされた。さらに、S-II欠損胚の造血幹細胞では骨髄再建能が消失していることから、この転写伸長因子が造血幹細胞機能の維持に必須である、と述べられている。

 本論文は従来全く不明であった転写伸長因子S-IIの高等動物における役割について、遺伝子ノックアウトマウスを作出して明らかにしたものである。本論文に述べられた申請者の研究成果は、他の様々な転写制御タンパク質の機能に対する理解に対しても大きな波及効果を及ぼすものである。また、血球分化に関する理解にも、大きな貢献をしたと高く評価できる。したがって、申請者伊藤貴浩の研究は、分子生物学、生物系薬学並びに関連する分野への貢献が著しいと評価した。従って申請者伊藤貴浩は、博士(薬学)の学位を受けるにふさわしいと判定した。

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