学位論文要旨



No 216595
著者(漢字) 横塚,尚志
著者(英字)
著者(カナ) ヨコツカ,ショウシ
標題(和) 治水形態の変遷と氾濫原における水理解析の活用方策に関する研究
標題(洋)
報告番号 216595
報告番号 乙16595
学位授与日 2006.09.14
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第16595号
研究科 工学系研究科
専攻 社会基盤学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 小池,俊雄
 東京大学 教授 磯部,雅彦
 東京大学 教授 佐藤,愼司
 東京大学 教授 清水,英範
 東京大学 助教授 清水,哲夫
内容要旨 要旨を表示する

 本論文は、我が国における基本的な治水のあり方について、その原理と具体的な方法論の両面から検討を加えたものである。

 この場合、治水という言葉は主に洪水防御という意味で用いているが、更に具体的な河川改修なり治水事業を示す場合には治水対策という言葉を、個々の治水対策を抱合した基本的な治水のあり方を示す場合には治水形態という言葉を用いている。

 現在我が国で行われている治水形態は、連続堤防などの整備により、発生する洪水の全てを河道の中で処理するという方法である。洪水を完全に河道内に封じ込めるという意味で、筆者はこれに完全治水主義という名称を与えたが、一体この完全治水主義に基づく治水形態は、他に選択の余地がない、我が国固有の治水形態なのであろうか、この治水形態は今後とも継続して特に問題はないのであろうか、もし変更するとすればどのような形態が考えられるのであろうか、その場合どのようなものが必要になるのであろうか、これらの諸点に対し実証的かつ具体的に検討を加えることが本論分のテーマである。

 まず第1に、治水形態がどのようにして決まるのかを明らかにするために、こういう社会にしたい、こういう生産段階に達したいという、社会の強いニーズ(社会的ニーズ)があって、その上に、それを実現できるだけの技術や社会体制(技術基盤)が整ったときに初めて治水形態の転換が行われるという仮説を設け、この仮説を我が国の長い治水の歴史の中で検証した結果、いくつかの大きな転換期が認められた。

 即ち、大陸から渡来した水田稲作耕作によって高い生産力を得た反面、洪水との闘いを余儀なくされた我が国は、古代国家の統一による労働力の集中と大陸から渡来した鉄器の使用によって積極的に治水対策を行い、谷地田や中小河川の氾濫原、扇状地や微高地縁辺部の緩斜面などにまでその生産活動の場を広げたが、この古代における治水対策は河川の局部的な改良や地先の防御に止まり、大河川の沖積低地には手をつけることができなかった。

 戦国時代になると、西欧文明との接触などを契機として、鉄鋼生産力の拡大や石造技術の進歩、領国一円支配による労働力の集中などにより、大河川下流部の沖積低地にまで生産活動の場を拡大し、江戸時代には農業国家としての骨格を完成するに至るが、大河川を完全に制御するには至らず、大洪水に対しては氾濫原での遊水で対応するという治水形態をとっていた。

 明治時代に入って西欧近代文明が流入すると、その全面的な受容により、素材としての鉄とコンクリートの使用や機械化施工の導入など、治水技術における抜本的な技術革新が行われて、すべての洪水を河道内で処理するという完全治水主義による治水事業が積極的に行われ、近代工業国家の建設に中心的な役割を果たしたのである。

 このように、完全治水主義に基づく治水形態は、決して選択の余地のない、我が国固有の治水形態というわけではなく、むしろ明治期における技術革新によって初めて可能になった、きわめて新しい治水形態であるということが分かったが、反面、極めて成功した治水形態であることもまた事実であって、もともと洪水氾濫によって形成された、我が国国土のわずか1割程度を占めるに過ぎない氾濫原に、人口の約半分が居住するとともに、資産のおよそ4分の3もそこに集中して、我が国の活動の大半が氾濫原上でなされるという未曾有の繁栄を謳歌するに至っている。

 それでは、この完全治水主義に基づく治水形態には何の問題もなく、今後とも継続して発展させていくべきものであろうか。この点について、特に戦後の治水対策を中心に検証した結果、完全治水主義に起因する幾つかの問題が発生していることが明らかになった。

 即ち、完全治水主義に基づく治水対策が進行していく過程で最初に発生した問題は、工事の対象となる洪水の規模が次々と拡大していくという問題であった。当初は既往最大洪水を対象としたことに、戦後は計画規模を増大させたことにもその原因の一半はあったが、発生した洪水を全て河道内に封じ込めるという治水形態そのものが、洪水規模を増大させている側面があるということも否定できない事実であった。この洪水流量の増大を吸収したのは、ダムによる洪水調節である。ダムによる洪水調節という革新的な技術の導入がなければ、計画規模を1/200とか1/150などに引き上げることは不可能だったであろう。

 次に発生したのは内水問題である。完全治水主義に基づく治水対策によって、我が国の氾濫原は外水氾濫からは格段に安全になったのであるが、その反面、氾濫原は高い連続堤防で囲まれることになり、氾濫原自身の排水を行うことが難しくなった。これが内水氾濫である。この問題を解決するためには機械排水を実施する必要があったが、昭和40年代にはこの問題が急速に深刻化して、排水機場の規模も拡大の一途を辿っていたのである。

 この問題は、高度経済成長に伴って急激な都市化が進行すると、一層深刻の度合いを深めた。それまでは流域の発展に伴う治水対策上の負荷の増大は全て河川側で吸収してきたのであるが、都市化が急激に進行すると、その影響の全てを河川側で吸収することがもはや不可能となってきたのである。このため、流域の開発による影響の一部を開発側でも負担するという総合治水対策が実施されることになった。(旧)河川法による高水工事が始まって以来初めて、氾濫原を含む流域において治水対策が施されることになったのである。

 次に起こった問題は環境問題との調整である。我が国における環境問題が生態系保全との調和に移行してくると、治水対策との本質的な調整を抜きに問題の解決を図ることが難しくなってきた。鉄やコンクリートの大量使用、新川開削やダムによる洪水調節のいずれもが、生態系保全との調整上本質的な問題を抱えているからである。このため今後の治水対策においては、これらの手段を無制限で使用することが難しい情勢になってきている。

 最近問題になってきているのは、計画規模を超える超過洪水問題や破堤氾濫後の危機管理対策である。河道内で全ての洪水を処理するという完全治水主義に基づく治水形態の下では、氾濫後の危機管理対策はほとんど考えられてこなかった。しかし最近のように時間雨量100mmを越えるような降雨や、1000年に1度などという降雨が頻繁に出現するようになると、超過洪水の存在が現実に実感されるようになり、危機管理対策についても真剣に考えなければならないような状況になってきているのである。

 このように、戦後における治水対策の経過を具に検証した結果、完全治水主義に基づく治水形態にも一定の限界が生じてきており、河道と氾濫原の役割分担の再構築を柱とする新しい治水形態への転換を求める社会的ニーズが存在していることが明らかになったのであるが、単に社会的ニーズが存在しているというだけでは治水形態の転換は行われない。実際に新しい治水形態への転換が行われるためには、それを実現させるための新しい技術基盤が必要である。

 それでは、治水形態の転換を可能にする新しい技術基盤とはどのようなものであろうか。完全治水主義に基づく治水形態を可能にした技術基盤が鉄とコンクリートの使用、機械化施工の導入であったことは前述した通りであるが、河道内ならば近代科学に基づいて客観的、合理的な計画を立案できたことも、その重要な要因の一つであったと、筆者は考えている。従って新しい治水形態を考えていく場合、現在の河道計画に匹敵するような合理的な計画を、氾濫原においても立案できるような具体的な方法論を確立する必要がある。この氾濫原における治水計画の立案手法が、新しい治水形態を可能とする技術基盤であり、その基礎として氾濫原における水理解析が重要な役割を果たすものと考えられる。

 筆者は、このような観点から、その必要が生じた毎に、氾濫原における水理解析を活用して、必要となる具体的な計画立案手法の開発を行ってきた。

 まず最初に問題になったのは、内水問題への対応であった。これは、昭和40年代あたりから内水問題が顕在化するのに伴って、大規模排水機場の建設に際して合理的な内水排除計画を立案することが重要な課題となってきたからである。それまでの排水機場はポンプの排水量が1〜2立方メートル/秒程度であったから、内水排除計画の立案に当っても、氾濫原を1つの池とみなす、いわゆる一池モデルといわれるような解析モデルでも十分その役割を果たしてきたのであるが、排水量が数十立方メートル/秒というような大規模な排水機場になると、もはや氾濫原内部における水理構造を無視しては、合理的な計画を立案することができなくなってきたのである。しかし内水排除を必要とするような氾濫原は元々低平地であって、その解析を行うためには必然的に不定流解析を必要としたから、当時の計算環境の下で果たしてこのようなことが可能なのかどうかが問題であった。このため、これを実証的に立証するために作成したのが内水解析システムである。この内水解析システムは、氾濫原解析に水理学的な手法を導入することには成功し、実際の計画の策定に際しても、遊水地の必要性と有効性を立証するなど所期の成果を挙げたのであるが、当時の計算機にはあまりにも負担が大きすぎたために、当初想定していたような大きさの氾濫原にはとうとう適用できずに終わってしまったのである。

 次に問題になったのは、総合治水対策への対応であった。総合治水対策は明治政府による高水工事の開始以来初めて、河道一辺倒であった治水対策を転換して、流域における対策をその中に盛り込んだものであったため、流域の開発が洪水に与える影響や流域対策の効果を的確に判断する必要があったが、特に筆者が担当した中川流域は全流域が氾濫原という特異な流域であったため、氾濫原における氾濫流の挙動を抜きにしては、これらの判断を下すことが難しかった。このため中川流域の総合治水対策の立案に当っては、流出解析によって算出された河道流量を不等流計算によって水位に換算するという従来の手法を用いることは難しく、氾濫原における氾濫流の解析を行うことを中心とした、中川流域解析システムを新たに開発したのである。この中川流域解析システムは、基本的には前述の内水解析システムをベースとしながら、およそ1000平方kmに及ぶ広大な氾濫原における氾濫解析を行う必要がある反面、中川流域という個別の流域にのみ対応すればよいところから、必ずしも必要ない部分は思い切って省略してシステム全体の簡略化を図り、実用性を高めたものであった。この結果このシステムは、わずかな期間の間に、総合治水対策の立案、工事実施基本計画の策定、綾瀬川激甚災害対策特別緊急事業計画の策定に使用されるなど、多くの政策の立案や計画の策定を行うためのツールとして高い実用性を示したのであるが、スーパーコンピュータを使用してもなお長時間の計算を必要とするなど、当時の運用環境には多くの負担をかけ、更に計算結果の解釈にも相当の能力と努力を要求するなど、必ずしも使い易いシステムではなかった。

 第3には、完全治水主義に基づく治水形態にも一定の限界が見えてきた現状の下で、将来どのような治水形態が考えられるのかを検討した結果、危機管理対策により氾濫後の被害の軽減を図る危機管理的な治水形態、氾濫原内に設けられた施設を有効に活用して氾濫流の制御を行なう氾濫流管理的な治水形態、氾濫が生じても被害が発生しないような土地利用を行なう氾濫原管理的な治水形態などが考えられたが、これらの新しい治水形態を可能にする技術基盤として、動く洪水ハザードマップの開発を行なった。このため、この動く洪水ハザードマップにおいては、氾濫原における水理解析を中心としながらも、単に個々の水理計算を行うだけではなく、河道と氾濫原の役割分担を考える場合に必要となる様々な情報を生み出すために、計算条件の編集、水理計算の実行、計算結果の保存、計算結果の表示、異なった計算ケース間の演算並びに防災活動・避難行動への支援など、一連の処理全体を一括してマネジメントできるようにした。またその操作性についても、多様な計算条件を素早く設定して、1日先の予測計算をわずか5分程度で処理し、その結果を直ちに画面上に表示して、様々な角度から分析を行うことができるようにするなど様々な工夫を凝らした結果、リアルタイム時であるとか平常時であるとかを問わず、幅広い用途に活用できる、極めて使い易く、分かり易いシステムとなった。

 この動く洪水ハザードマップは、氾濫原における治水計画立案手法の集大成ともいえるシステムであって、このシステムの開発により、河道と氾濫原の役割分担の再構築を柱とする新しい治水形態の技術基盤となる、具体的な方法論を確立できたものと考えている。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は,我が国における治水を歴史的に俯瞰して,そのあるべき姿を提示し,それを実現する方法として,氾濫原における治水の具体的な方法論を提示したものである.

 本研究では,わが国治水史の中での転換期を明らかにし,洪水を河道内だけで処理しようとする治水形態を「完全治水主義」と呼び,これが我が国の社会経済活動の繁栄をもたらすと同時に,治水規模の拡大の必要性,内水問題,環境問題を引き起こしたことを指摘している.そこで,完全治水主義に基づく治水形態から,河道と氾濫原の役割分担の再構築を柱とする新しい治水形態への転換の必要性を指摘し,それを実現させるための新しい技術基盤として,氾濫原における治水計画の立案手法の必要性を論じている.

 本研究では,まず,昭和40年代から顕在化した内水問題への対処のために,氾濫原における水理解析を活用して,大規模排水機場の建設による合理的な内水排除計画手法を確立のための内水解析システムを開発した.このシステムは,実際の計画の策定に際して遊水地の必要性と有効性を立証するなど所期の成果を挙げた.ただし,当時の計算機性能の限界から,大規模の氾濫原解析には至らなかった.

 次に,河道一辺倒であった治水対策を転換して,流域における対策をその中に盛り込んだ総合治水対策の実現のために,全流域が氾濫原という特異な中川流域を対象として,氾濫原における氾濫流の解析を行うことを中心とした,中川流域解析システムを本研究では開発した.このシステムは,わずかな期間の間に,総合治水対策の立案,工事実施基本計画の策定,綾瀬川激甚災害対策特別緊急事業計画の策定に使用されるなど,多くの政策の立案や計画の策定を行うためのツールとして高い実用性を示した.

 さらに,危機管理対策により氾濫後の被害の軽減を図る危機管理的な治水形態,氾濫原内に設けられた施設を有効に活用して氾濫流の制御を行なう氾濫流管理的な治水形態,氾濫が生じても被害が発生しないような土地利用を行なう氾濫原管理的な治水形態を可能にする技術基盤として,動く洪水ハザードマップを開発した.動く洪水ハザードマップは,単に個々の水理計算を行うだけではなく,計算条件の編集,水理計算の実行,計算結果の保存,計算結果の表示,異なった計算ケース間の演算並びに防災活動・避難行動への支援など,一連の処理全体を一括してマネジメントできるものである.

 以上のように,本研究は,わが国の治水の歴史的俯瞰に基づいて,氾濫原における治水計画の必要性を論じ,その立案手法を3段階にわたって開発し,集大成したものであり,社会基盤整備において有用性に富む独創的な研究成果と評価できる.よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる.

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