学位論文要旨



No 216599
著者(漢字) 金出,ミチル
著者(英字)
著者(カナ) カナデ,ミチル
標題(和) 近代建築修復手法の変遷に関する研究 : 建物を使い続けるために
標題(洋)
報告番号 216599
報告番号 乙16599
学位授与日 2006.09.14
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第16599号
研究科 工学系研究科
専攻 建築学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 藤森,照信
 東京大学 教授 鈴木,博之
 東京大学 教授 伊藤,毅
 東京大学 助教授 藤井,恵介
 東京大学 助教授 村松,伸
内容要旨 要旨を表示する

 日本の文化財保存修理は、明治30年に制定された古社寺保存法により開始された。中でも近代洋風建築が国庫補助のもとで修復されるようになったのは、文化財保護法下の昭和30年代末になってからであり、その歴史は比較的浅い。建物を健全にする作業である修復は、時には将来に伝える建物の姿を変える。修復の条件は、個々の建物においてそれぞれ異なる。身近な近代建築に対する一般の関心は年々高まっており、建物を使い続けるための方策が社会的にも必要とされ、修復という行為がますます重要になっている。

 本研究の目的は、日本の近代洋風建築修復の考え方と技法の変遷の全容を、具体的な修復事例から得られる豊富な知見の検証により明らかにすることである。

 研究対象には、重要文化財近代洋風建築の修復を中心に据えた。これらの修復には日本の文化財保存修理技術を継承し、国指定文化財を重点的に担う「修理技術者」たちが関わる。近代建築の修復は、社寺建築を主体とする伝統的建造物の保存修理を基礎として築き上げられたので、彼らが手がけた修復は本論の目的に沿うと考えたからである。重要文化財以外の歴史的建造物にも多様な保存及び修復の姿が見られるので、これらの現況も必要に応じて参照した。

 本論文は3章より構成され、それぞれ近代洋風建築修復に関連する歴史と社会(社会的関係性)、修復の実際(修復技法の蓄積と発展)、建物を使い続けること(建物の活用)に焦点を当てている。各章の内容は以下の通りである。

 第1章 近代建築の保存と修復の軌跡

 ここでは、近代日本の文化財保護体制を概観し、本研究の背景となる歴史研究と関連事象を確認した。まず、日本の高度経済成長期頃から近代建築史研究が進むにつれて近代建築保存の動きが生じ、これらの建物が文化財指定され、修復を受けるようになった。近年全国的に実施されている近代の構造物に関連する各種調査や、新たに導入された文化財登録制度などにより、従来とは異なる保存の対象が出現している。その結果、ますます多種多様な建物が修復及び活用されるようになり、保存を取り巻く環境は常に変化してきている。

 はじめは近代建築を保存する理由として建築歴史上の資料価値が重んじられたが、徐々に一般の建物への親しみがこれを残す上で大きな意味合いを持つように変わってきている。このことを受けて、歴史的建造物と地域住民との関わりが建物の修復と活用に際して重要になってきている。

 また、全国各地で修復の分野に関係している人たちの裾野を広げるためには積極的な修復情報の公開が欠かせないことを確認した。今まで文化庁が主体となって推進してきた建造物の保存修復に他省庁が関わりを持つようになり、あるいは私企業が自主的にかけがえのない財産である自らの建物を大切にし、積極的に活用している状況も見られるようになっていることがわかる。

 以上より第1章では、今までの近代洋風建築保存修復に関わる事項を整理した結果、より広い対象を扱うようになった修復の背景として、文化財修理の専門家以外の人たちの修復及びその後の活用への関わりが各地で見られることを示した。近代建築修復経験の積み重ねを社会全体と共有することが求められており、同時に従来の文化財という枠組みを超えた歴史的建造物を扱う視点が求められるようになってきていることが明らかになった。

 第2章 近代建築修復の手法と考え方についての検討

 ここでは、それぞれ固有の条件のもとで実施され、発展してきた多様化する修復の現況を考察した。重要文化財近代建築の修復は、既に確立されていた伝統的な保存修理の経験に基づいて始められたが、従来の伝統的建造物には見られなかった構造あるいは工業製品を含む材料や仕様が用いられた建物には、新たな調査方法及び修復技法を開発する必要が生じた。以来数々の修復現場の実践を経て関連技術が積み重ねられ、変遷してきた。まず、1960年代から1980年代前半にかけて行われた初期の代表的な近代洋風建築の修復に注目した。

 高度経済成長期にかけて歴史的建造物の移築保存が多く見られたが、この特殊な保存形態に伴い発生した課題を取り上げた。特に、グラバー園・明治村・北海道開拓の村の3つの異なる形式をとる野外建築博物館を対象事例とし、各施設の建物がどのように保存され、維持管理されているかに注目し、建築博物館という特殊な環境の中でまもられる建造物群の状況を明らかにした。

 個々の建物特有の修復条件に応じた判断により、建物を特徴づける各部の調査についても様々な手法が試され、充実してきた。失われていた部材の復原に関する調査方法や破損範囲の補修技法の精度が向上してきた過程が、具体的な修復の詳細により裏づけられた。身近な近代建築は、修復を終えてからは日常の暮らしの中で、時には用途を変えて活用されることが多く見られる。修復を通して残したい建物の特色が何であるかを捉え、それを伝えるために効果的な手法が現場経験から蓄積され、今後の修復の基礎となることが確認できた。また、室内調度品が文化財の一部として扱われ、復原の対象となり始めている現況も取り上げた。

 そのままでは十分な強度や耐震性が得られない建物の場合には、本格的な補強が施されることがある。移築に伴い構造が変更されることもある。最初は補強をできる限り目に触れないように隠す、あるいは周囲に調和するように補強自体に表面仕上げがなされたが、徐々に後設であることがわかる可逆的な方法が用いられるまでに変化してきた。特に1995年の阪神淡路大震災後の歴史的建造物の構造補強に関連する技術及び考え方の進展は目覚ましく、以来補強に対する取り組みには、ますます重きが置かれるようになっている。

 このようにそれぞれ異なる前提のもとで近代建築修復が進められるようになったなかで、木造・組積造・鉄筋コンクリート造などでは、構造ごとに特徴的な手法が採用されていることが明らかになった。修復された建物を見ると、どの部分に特に価値を見出して保存行為を行うかには、多様な選択肢が現れてきていることがわかる。

 以上より第2章では、近代洋風建築修復に生じる様々な課題に対する具体的な解決方法に焦点を当て、建物が修復を通して復原される過程にも注目した。その結果、それぞれの建物固有の条件に応じて選択される修理方針が、未来に受け継がれる建物の姿を決めるうえで大きな影響を及ぼすことが明確にされた。近代建築の修復手法は、他分野の専門家たちの協力を得ながら各時代の要請に応じて変遷し、確立されてきたことが明らかになった。

 第3章 近代建築の活用状況についての検討

 ここでは、修復後の建物の活用を取り上げ、建物を実際に使用するためのあるいは来館者を迎えるための課題への対処方法に注目した。活用時には数々の条件を満たす必要があり、修理前に立てた活用計画を修復内容に反映させながら必要機能を満たし、法規上の制約にも対応し、場合によってはより充実した活用のために既存建物への増築など新たな要素の導入も可能であることを整理した。特に近代洋風建築が集中して残され、活用されている長崎県・山形県・神戸市の3地区の現況を取り上げ、それぞれの地域で行われた修復の姿及び保存されている近代建築が抱える課題を明らかにした。

 以上より第3章では、全国各地の歴史的建造物の活用に焦点を当てたところ、効果的な活用により地域が息づいている建物においては、周到な活用計画に基づいた施設の整備に関連する修復時の対応があり、日常建物を管理する側においても使い方に関する工夫が見られることが確認された。

 本論文では、今までの近代洋風建築修復の全体像を系統立てて捉え、建築の価値を高めるために行われる修復技術の発展過程を考察し、明らかにした。同時に近代建築修復の経験を重ねるにつれて、建物を残す行為の内実が変遷してきている状況を分析し、建物の経歴を尊重しながら、各建物を使い続けるためにとられている多様な修復手法を考察した。

 将来行われる近代建築の修復にこれらの経験から得られる知見は欠かせず、本研究は今後の修復のあり方を探るうえの基礎資料として寄与できると考える。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、歴史的建造物を現代的な条件の中で使い続けるための修復手法を探るものである。対象を、近年積極的に活用が進められるようになっている近代に建てられた洋風建築に定め、「修理技術者」たちによる保存修理を受けた国指定重要文化財に焦点を当てている。既存の建物を使い続けることは、文化財保存の観点からだけでなく環境保護の面からも、また修復再生された建物が地域活性化に及ぼしうる効果からも重視されており、ここには広い方面に影響を及ぼす含みがある。

 国による近代建築保存修復への本格的な取り組みは1960年代中期からであり、社寺建築など他の建物種別と比較するとその保存の歴史は短い。近代建築には公共的用途を与えられたものが多く、歴史的建造物に対する社会的関心が高まるなか、建物の来歴や特質を伝えることのできる修復のあり方が問われるようになっている。

 従来、社寺建築の保存については、建築歴史の一節として様々な文献で触れられてきているが、近代建築修復の経緯やこれらの詳細が明らかにされることは、ごく稀であった。個別の事例として修復が行われた時期に専門誌で取り扱われることは見られたが、全国各地の近代建築修復の全容を、その社会的背景から修復内容の詳細及び修復後の活用にわたって検証したものはなかった。

 本研究は、具体的な修復事例を通して今までの近代洋風建築修復の成り立ちを顧みながら、その全体の姿を明らかにし、今後行われる近代建築修復のあり方の探究を目的としている。本研究の構成の概要は以下の通りである。

 第1章では、本研究の背景となる近代建築保護の歴史と近年急速に変化しつつある歴史的建造物を取り巻く社会的環境を扱っている。特に、従来保存の対象とならなかった近代化遺産や現代建築の保存も視野に入れ、これらを残すための方策が必要とされていることを説明した。次いで、歴史的建造物の保存修復が注目され、実際に修復に関わる人たちが増えてきている状況を考察し、私企業独自の努力による建築再生や文化庁以外の各省庁における保存関連の動きを取り上げた。

 第2章では、現場で行われる修復の詳細を、初期の保存修理・移築された建物及び野外建築博物館・修復に伴う調査と復原技法の発展・耐震対策の変遷・室内調度品の復原の項目について考察した。特に、近代建築特有の建築材料については、具体的な調査方法及び修復技法の変遷を実証的に示し、科学技術の導入や経験の蓄積による発展に注目している。また、対象となる建物の構造別に近代建築修復の特徴を見出している。

 第3章では、近代建築を活用することに焦点を当て、修復時の活用計画の重要性を確認するとともに、活用に関連する様々な条件への対応方法について分析した。特にこの項には、歴史的建造物が所在する現地における情報収集の成果が取り入れられている。

 最後の結びで、本研究全体を通して近代洋風建築修復は、重要文化財の保存修理を基礎として発展してきたことが明らかにされたが、地域の文化財に対して柔軟なかたちで行われている修復にも学ぶべきことが多く含まれること、さらに将来的には歴史的建造物の修復に、より多くの人たちが関わることができるような社会体制が必要とされていることが再確認された。

 本研究は、対象とする建物自体の調査を主とした調査方法により修復時の状況に加えて修復後の建物の現況を把握し、これらの活用状況も捉えている。同時に修復の記録として作成される保存修理工事報告書を主体とする関連資料から修復の技術及び考え方に関する情報を得て、現実に即した今日的な近代建築の修復のあり方を考察している。近代洋風建築修復の経緯の全体像を明らかにしながら、これを取り巻く社会的背景にも目を向けており、近代建築修復の方向性を多様な方面から分析している。

 当初は特殊な修復対象として捉えられた近代建築の過去40年間にわたる修復事例の検証により、修復技術の発展や復原に関する考え方の変遷を読み取る試みがなされた。このことにより、本研究は今後の近代建築修復において参照することができ、これからの修復に影響を及ぼしうる内容となっている。建物の歴史を伝える近代建築修復のための環境を整えてゆくための方向性を示した研究業績として価値が高い。

 よって本論文は、博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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