学位論文要旨



No 216609
著者(漢字) 平家,誠嗣
著者(英字)
著者(カナ) ヘイケ,セイジ
標題(和) 走査トンネル顕微鏡によるナノファブリケーションとその応用
標題(洋)
報告番号 216609
報告番号 乙16609
学位授与日 2006.09.14
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第16609号
研究科 工学系研究科
専攻 物理工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 伊藤,耕三
 東京大学 教授 市川,昌和
 東京大学 教授 川合,真紀
 東京大学 助教授 長谷川,幸雄
 東京大学 助教授 長谷川,修司
内容要旨 要旨を表示する

 走査トンネル顕微鏡(STM)の発明以来、半導体表面の原子レベルの構造や局所的な電子状態の研究が盛んに行われるようになった。さらに、STM探針を用いて個々の表面原子を操作したり、表面形状をナノメートルオーダーで加工するナノファブリケーション技術が注目され、次世代の情報処理デバイスへの応用が期待されている。本研究では、STM探針を用いたSi(111)-7×7表面の微細加工技術を基礎として、Si表面の表面準位電気伝導の制御、及び表面準位を介した電気伝導度の測定を行った。

 Si表面の加工は、数V程度の通常のバイアス電圧下で探針-試料間に100nA程度の大電流を印加することにより行った。この条件で探針を移動させると、表面のSi原子が引き抜かれ、幅数nm、深さ0.1-0.2nm程度の溝状のパターンが形成される。電流・電圧条件を変えてパターン幅を調べたところ、探針-試料間距離を考慮すると、試料表面における電界強度がパターン幅と関連していることが示され、電界蒸発による原子の引き抜きであることが示唆された。パターン幅は探針先端の形状にも依存し、より微細な加工を行うためには鋭い探針が求められる。そこで、探針先端のその場評価を行うための手法を新たに開発した[1]。Si表面において探針電圧を-10V程度まで徐々に上げると、引き抜かれたSi原子が表面の探針直下に集まり、直径2-3nm、長さ10数nm程度の針状の構造(ナノニードル)が形成される(図1(a))。この構造は探針先端の形状と比較して極めて先鋭であるため、図1(b)に模式的に示したように、探針でナノニードル上を走査すると、逆に探針先端の形状がSTM像として観察できる。この手法を用いて探針形状と描画パターンを比較すると、描画ラインは探針の形状を反映した幅やパターンとなることが確認された。また、探針先端の状態とSTM像との関係を調べたところ、探針先端に原子1個程度の突起(ミニティップ)が存在する場合に原子分解能が得られることが示された。さらに、逆符号の印加電圧を用いると、探針先端にナノニードルが形成され、探針の先鋭化が行えることが分かった。

 描画パターンの重要な特徴として、加工された表面の電気的な特性の変化が挙げられる[2]。Si(111)-7×7再配列表面には多数のダングリングボンドが存在するため、ハンドギャップ内に表面準位を持つ。ところが、パターン描画後の溝内部では完全なバンドギャップが観察され、表面準位が消失していることが分かった。そのため、表面準位を介した伝導経路が溝パターンによって阻害されることが予想された。さらに、7×7表面では表面準位によりフェルミ準位がピン止めされ、表面準位-バルク間にショットキー障壁が形成されているため、表面準位内の電子はバルクへ流れにくくなっている。そこで、完全に閉じた図形パターンを描画することによりパターン内部のSi表面を外部から孤立させた場合、パターン内部の表面準位は溝ラインとショットキー障壁により電気的に分離されると考えられる。図2は直径100nmの円形パターンを描画し、2種類のバイアス電圧でSTM観察した結果である。図2(a)は探針電圧が負で、ショットキー障壁に対して逆バイアスになる方向であり、(b)は順方向である。逆バイアス時は、明らかにパターン内部表面が外部よりも低く観察され、その差は0.1nmに達した。順バイアスの場合にも0.01nm程度の変化が見られるが、あまり顕著ではない。これは、探針からパターン内部のSi表面にトンネルした電子が、高抵抗の溝とショットキー障壁により伝播経路を失い、パターン内部がチャージアップしているもの思われる。そのため、探針-試料間の実効的なバイアス電圧が低下し、探針が表面に接近してSTM像が低く観察された。一方、順バイアスにおいてはショットキー界面がON状態となり、チャージアップが低減されていると考えられる。

 次に、溝パターンにより表面準位内を伝播する電流経路を制御できることから、適当なパターン形状を選ぶことにより、その電流経路に異方性を持たせることができると考え、そこから表面準位電気伝導度の評価を試みた[3]。完全には閉じていない「コ」の字型の溝パターンを描画し、その内部に一端が外部表面に接続された幅18nm、長さ390nmのテープ状の表面を残した。STM探針からテープ構造の表面に注入された電子は外部に接続された方向に流れやすくなると予想される。図3は描画したテープ構造のSTM像および断面図である。バイアス電圧が順方向の時(図3(a))は、チャージアップによるテープ表面の低下が見られるものの、テープ上の位置には依存しない。一方、逆バイアスの場合(図3(b))、表面からバルクへ抜ける電流経路が制限されるため、電流はテープ内の表面準位を流れて接続部へ向かわざるを得なくなる。そのため、探針位置がテープの端に近付くにつれ、表面準位を介した電流経路が長くなり抵抗値が増し、チャージアップが大きくなった結果、STM像としてはより低く観察されている。ここで、電流値が一定の場合、探針-試料間距離がバイアス電圧で一意的に決まることから、逆にSTM像の高さ情報から実効的なバイアス電圧を見積もった。その結果、図3(b)の場合のテープパターンに沿った電圧降下の分布が得られ、テープ端では0.6Vに達していることが分かった。

 実際には、テープ部分から溝部分やバルク界面をリークして流れる電流があるため、それらを考慮してテープ構造の一次元的なモデルを考えた。それを用いて電圧降下分布に対しフィッティングを行うことにより、表面準位を介した電気伝導度が10(-8)Ω(-1)/□程度と見積もられた。この値は、これまでの報告例よりも2桁低い値であったが、測定方法が異なるため単純には比較できない。しかし、Si(111)-7×7表面のダングリングボンド間の間隔の広さ等から、表面準位内のキャリア移動度が低いことが予想され、本研究で得られた低い電気伝導度の要因の一つと考えられる。

参考文献[1] S. Heike, T. Hashizume and Y. Wada, Jpn. J. Appl. Phys. 34, L1061 (1995).[2] S. Heike, S. Watanabe, Y. Wada and T. Hashizume, Jpn. J. Appl. Phys. 38, 3866 (1999).[3] S. Heike, S. Watanabe, Y. Wada and T. Hashizume, Phys. Rev. Lett. 81, 890 (1998).

図 1: (a) ナノニードルのSTM像、(b) 探針先端の観察原理

図 2: 閉パターンのSTM像の電圧極性依存、(a)-2.0V、(b)+2.0V

図 3: テープパターンのSTM像、(a)V(bias)=+2.0V、(b)-2.0V

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、走査トンネル顕微鏡(STM)を用いたSi(111)-7x7表面におけるナノファブリケーション技術と、それを応用して7x7再配列表面の表面準位を介した電気伝導度測定を行った結果をまとめたものである。具体的には、探針-試料表面間に大電流を印加することにより、Si原子を引き抜くと同時に表面準位の除去が可能であることに着目し、Si表面に原子引き抜きパターンを描画して表面準位を介した電気伝導経路を制御することにより、表面準位電気伝導度を評価することを目的とする。

 本論文は8つの章により構成され、各章の概要は以下の通りである。

 第1章ではSTMナノファブリケーション及びSi表面物性の基礎ついて述べられている。本研究で用いられた表面加工のメカニズムとして電界蒸発を取り上げて説明している。また、Si(111)-7x7表面において特徴的な表面準位及び、それに伴って形成されているショットキー障壁に関する説明がなされ、これまでに報告された表面準位電気伝導度測定の研究例が紹介されている。

 第2章では、本研究で開発したSTMシステムのハードウェアおよびソフトウェアの構成に関する説明がなされている。特に、本システムの特筆すべき点として、割り込みを用いたソフトウェアによるフィードバック制御、及び、比較的簡単な記述でSTMを制御可能なマクロ言語を用いて、複雑なパターン描画や特殊な測定方法にも対応した描画プログラムに関する説明がなされている。

 第3章では、ナノファブリケーションによるパターン描画方法について述べている。探針-試料間に比較的低電圧を印加しながら数100nA程度の大電流を流すことにより、表面のSi原子を引き抜き、探針の軌跡に沿って溝パターンを描画できることが示されている。また、トンネルスペクトルから、溝内部ではSi表面のダングリングボンドに由来する表面準位がほぼ完全に消去されていることが明らかにされている。さらに、パターン描画メカニズムを電界蒸発の観点から考察している。

 第4章では、パターン描画の精度を向上させるために新たに開発したSTM探針先端形状のその場評価の手法に関して述べている。具体的には、探針-試料間の高電圧印加により試料表面に形成した高さ10数nm、直径数nmのナノニードルを用いて、逆に探針先端を走査しSTM像を得るという手法である。STM探針先端とSTM像を比較した結果、原子分解能が探針先端のミニティップによるものであることが初めて示されている。また、ナノニードルの形成メカニズムを電界蒸発および表面拡散の観点から考察している。さらに、印加する電圧の符号を反転させると、探針先端にナノニードルが形成されることを見出している。

 第5章では、ナノニードルを用いて探針先端形状を観察し、その違いが溝パターンへ与える影響を調べた結果に関して述べている。探針先端形状を変化させる過程の各段階で、探針先端形状の評価および描画パターンの観察を行い、両者を比較することにより、探針の曲率半径と描画パターンの幅およびコントラストに相関があることを明らかにしている。

 第6章では、溝パターンの電気的な特性を利用して、Si(111)-7x7の表面準位を流れる電流経路を制御し、それに付随して現れる現象に関して述べている。溝パターン内には表面準位が存在しないため、完全に閉じた図形パターンを描画すると、パターン内部の表面準位は外部から切り離される。さらに、表面準位-バルク間もショットキー障壁により電流経路が断たれているため、パターン内部ではコンダクタンスが低下し、STM像が見かけ上低く観察されることを実験的に示している。また、閉じたパターンの内部では、新たなパターン描画やナノニードル形成が行なえなくなるという現象も見出されており、この現象に関しては、Si(111)-7x7表面の表面準位が本来持っている電界の遮蔽効果の観点で考察している。

 第7章では、第6章の技術を応用してSi(111)-7x7表面の表面準位を介した電流経路の電気伝導度測定を行なった結果について述べている。一端が閉じてない「コ」の字型の溝パターンを描画し、その内部に一端が外部と接続されたテープ状の清浄表面を残した。テープ構造の端に近付くほどコンダクタンスが低くなるため、STM像が低下して観察される。STM像の見かけの高さをテープ構造上での電圧降下に換算することにより得られた電圧降下の位置依存データを、テープ構造の電気的なモデルから導出された式でフィッティングすることにより、表面準位電気伝導度を見積もった結果、10(-8)Ω(-1)/cmという値を導いている。この値は、これまでに報告されている値と比較して1-2桁程度低く、この違いはバルクからの寄与を完全に排除できた結果であると説明している。また、非常に低い電気伝導度の原因を、7x7構造におけるキャリアの局在による移動度の低下の観点から考察している。

 第8章では、本論文の結論が述べられており、本研究で明らかとなった、STMナノファブリケーションに関連する現象、及び、Si(111)-7x7表面における表面準位電気伝導に関する知見の総括が述べられている。

 以上のように本論文で著者は、STMによるナノファブリケーション技術を確立し、その技術を用いてSi(111)-7x7表面における表面準位を介した輸送特性の解明において極めて有意義な知見を得ている。これは、この分野の基礎学術的な発展のみならず、近年めざましい発展を遂げている半導体の微細化技術への応用において、その進展に寄与するところが大きい。よって、本論文は博士(工学)の学位論文として合格と認められる。

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